見もの・読みもの日記

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永遠のドラコニア・澁澤龍彦-幻想美術館/埼玉県立近代美術館

2007-05-21 23:26:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○埼玉県立近代美術館 企画展『澁澤龍彦-幻想美術館-』

http://www.momas.jp/003kikaku/k2007/3.02.2007.k.htm

 日曜で終わってしまった展覧会だが、書いておこう。今年、没後20年を迎える澁澤龍彦が愛した美術・芸術作品で構成した展覧会である。

 私が澁澤龍彦の著書を読み始めたのは1980年代の初め――彼の短い生涯の晩年に当たる。当時、河出文庫が澁澤の著作を次々に文庫化し始めていた。その結果、女子大生や女子高生から「シブサワ先生こんにちは!」というハートマーク入りのファンレターが来るようになった、と本人が面白がって当時のエッセイに書いていたと思う。私はファンレターこそ出さなかったけれど、河出文庫によって澁澤に出会った若い読者のひとり(当時、大学生)だった。

 大学時代の恩師から、「先生」という敬称はみだりに使うものではない、実際に謦咳に接し、親しく教えを受けた相手にしか使ってはいけない、と聞いたことがある。そうは言っても、一面識もなくても、勝手に「先生」と呼びたい相手がいる。澁澤先生はそのひとりだ。彼の著作から、私は、なんとたくさんのことを教わったことか!

 まず、西洋史のイメージががらりと変わった。高校の教科書で習った「世界史(西洋史)」は、自由と平等の実現に向けて、着実に進歩する「理性」の歴史だった。それに対して、澁澤は、残酷・貪欲・淫乱・迷信など、悪魔的な衝動と妄想に取り憑かれた人々が作り出す「歴史」を教えてくれた。美術史については、ボスもブリューゲルも、クラナッハも、ピラネージも、アンチンボルドも、バルテュスも、澁澤先生に教わった。他ならぬ若冲さえも、そうである。ちょうど「日本回帰」の始まった頃で、『ねむり姫』や『高岳親王航海記』を通じて、日本史にも多くの幻想家たちが潜んでいることを知った。

 展示の前半では、1960~70年代の日本の芸術家と芸術作品を紹介する。土方巽、横尾忠則、細江英公(三島由紀夫の『薔薇刑』を撮った)など。絵画では、瀧口修造、野中ユリ、加納光於、中村宏など。この時代の抽象画って、インパクトが強くて、いいなあ。どこかにどろりとした異物を感じてドキドキする。最近の、漂白され切った「安全」な抽象画とは大違いだ。

 後半は西洋絵画。解説に言うように、澁澤は、普遍的幻想を貫いた「正統」には見向きもせず、密室に閉じこもって個人的幻想に固執し続ける「傍系シュールレアリスト」を偏愛した。「澁澤にオルセー19世紀美術館は必要なかった」というのは、なかなかの名言である。しかし、澁澤の偏愛した「超然と孤立する幻想画家」の一部が、今日、多くのファンを獲得しているのは、微笑ましい逆説かもしれない。

 この展覧会、ものすごく若者が多くて、私はびっくりした。河出文庫の「澁澤龍彦セレクション」は、新装版が出て、相変わらず売れているようだ。それから、解説パネルを食い入るように熱心に読んでいる観客が多かったことにも感心した。

 私はすっかり忘れていたが、澁澤は幼年時代を川越で過ごし、浦和高等学校で学んだのだったね。私も埼玉県民になったことだし、今度、ゆかりの地を訪ねてみよう。

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