○横浜三渓園 横浜開港150周年記念特別展『原三溪と美術-蒐集家三溪の旧蔵品』(2009年10月31日~11月30日)
明治の実業家・原三溪が蒐集した美術品の里帰り展覧会が、横浜の三溪園で開かれている。これがかなりスゴイらしい、という『芸術新潮』11月号の記事を読んで、実際に行ってきた。三溪園へは初訪問。横浜駅からバスで30分と、あまり交通の便のよくないところなので、これまで一度も訪ねたことがなかったのだ。正門を入ると、なだらかな丘陵地を背に、大きな池が広がる。展覧会の会場と思われる三渓記念館を目指して、池の端をぶらぶらと歩いていく。
会場の冒頭に飾られていたのは、伝蘇漢臣筆『老子出関図』(畠山美術館)。老子!? 実は、老子はインドに渡って釈迦になったという伝説があるため、頭頂を剃り、耳輪を垂らしたインド人の姿で表されている。画面右奥から左前方に向かってくるような、斜めの構図が面白い。隣りは、眼光炯々とした『羅漢図』(東京国立博物館)。白目の胡粉が効いている。そのあとに数点並んだ即興的な白描図は、どれも私の好みだ。紙の継目に「高山寺」の印が押された『白描楊柳観音図稿本』とか、三代将軍実朝が仏道修行のために描いた『日課観音』とか。
そして「すごいわねー」「なかなか見られるものじゃないわよねー」と観客の注目を集めていたのが、国宝『孔雀明王像』(東京国立博物館)。これは、私は何度も見ているので、やや感激が薄い。もちろん大好きな作品ではある。東博の展示ケースよりも、作品に肉薄できるのが嬉しい。この孔雀明王は、思い切り近寄ったほうが迫力が感じられて魅力的だと思う。三渓コレクションの仏画では、これと、現MIHOミュージアム所蔵の『焔摩天像』(~11/6展示)が双璧で、どちらが「第1位」か、三渓園に出入りしていた若い美術家の間で議論が繰り返されたという。うう、『焔摩天像』の方を見たかったなあ。
三渓コレクションは絵画だけではない。奈良時代の伎楽面『迦楼羅』『酔胡従』は、正倉院宝物に混じっていても違和感なさそう。和辻哲郎の『古寺巡礼』には、原家で伎楽面を見せてもらったとき、三渓が頭にかぶって踊り出したことが書かれているそうだ。これと、三渓が死の前々日、最も愛したコレクション『四季山水図』(伝雪舟筆、山水小巻)を枕元で家人に広げてもらい、最期の美術鑑賞を楽しんだというエピソードは、真率に美術品を愛したコレクター三渓の面影を伝えるようで感銘深かった。
会場のパネルを読んでいくと、三渓は、29歳で『老子出関図』、35歳で『四季山水図』『孔雀明王像』を手に入れるような大コレクターだったが、「美」は「公共財」(今の言葉でいえば)であるという信念を持ち、蒐集した美術品を新人美術家たちに公開し、時には泊まりこみの研究会を催したという。安田靫彦は、当時の三渓園の雰囲気を「楽園的世界」と語っている。もう戻ってこないんだろうなあ、こういうパトロネージュという美風は。
展示図録を読むと、今回の里帰り品以外にも、大和文華館の『寝覚物語絵巻』とか、畠山美術館の雪村筆『竹林七賢図屏風』とか、え、これも!?と驚くほど、ぞろぞろと、三渓旧蔵の名品が挙げられている。なお、この図録の解説は、各作品の出所や所蔵者の変遷など、他の展覧会図録にはない情報を豊富に含んでいて興味深い。
展覧会のあとは、せっかくなので庭園散策。紀州の徳川頼宣侯の別荘を移築した「臨春閣」には、狩野永徳、探幽、安信らの襖絵が残っていて、びっくり。京都から移築した旧燈明寺本堂には、水瓶を手にした観音像がまつられていたり、見どころ多し。できれば紅葉の盛りに来てみたいが、混むのかなあ。
明治の実業家・原三溪が蒐集した美術品の里帰り展覧会が、横浜の三溪園で開かれている。これがかなりスゴイらしい、という『芸術新潮』11月号の記事を読んで、実際に行ってきた。三溪園へは初訪問。横浜駅からバスで30分と、あまり交通の便のよくないところなので、これまで一度も訪ねたことがなかったのだ。正門を入ると、なだらかな丘陵地を背に、大きな池が広がる。展覧会の会場と思われる三渓記念館を目指して、池の端をぶらぶらと歩いていく。
会場の冒頭に飾られていたのは、伝蘇漢臣筆『老子出関図』(畠山美術館)。老子!? 実は、老子はインドに渡って釈迦になったという伝説があるため、頭頂を剃り、耳輪を垂らしたインド人の姿で表されている。画面右奥から左前方に向かってくるような、斜めの構図が面白い。隣りは、眼光炯々とした『羅漢図』(東京国立博物館)。白目の胡粉が効いている。そのあとに数点並んだ即興的な白描図は、どれも私の好みだ。紙の継目に「高山寺」の印が押された『白描楊柳観音図稿本』とか、三代将軍実朝が仏道修行のために描いた『日課観音』とか。
そして「すごいわねー」「なかなか見られるものじゃないわよねー」と観客の注目を集めていたのが、国宝『孔雀明王像』(東京国立博物館)。これは、私は何度も見ているので、やや感激が薄い。もちろん大好きな作品ではある。東博の展示ケースよりも、作品に肉薄できるのが嬉しい。この孔雀明王は、思い切り近寄ったほうが迫力が感じられて魅力的だと思う。三渓コレクションの仏画では、これと、現MIHOミュージアム所蔵の『焔摩天像』(~11/6展示)が双璧で、どちらが「第1位」か、三渓園に出入りしていた若い美術家の間で議論が繰り返されたという。うう、『焔摩天像』の方を見たかったなあ。
三渓コレクションは絵画だけではない。奈良時代の伎楽面『迦楼羅』『酔胡従』は、正倉院宝物に混じっていても違和感なさそう。和辻哲郎の『古寺巡礼』には、原家で伎楽面を見せてもらったとき、三渓が頭にかぶって踊り出したことが書かれているそうだ。これと、三渓が死の前々日、最も愛したコレクション『四季山水図』(伝雪舟筆、山水小巻)を枕元で家人に広げてもらい、最期の美術鑑賞を楽しんだというエピソードは、真率に美術品を愛したコレクター三渓の面影を伝えるようで感銘深かった。
会場のパネルを読んでいくと、三渓は、29歳で『老子出関図』、35歳で『四季山水図』『孔雀明王像』を手に入れるような大コレクターだったが、「美」は「公共財」(今の言葉でいえば)であるという信念を持ち、蒐集した美術品を新人美術家たちに公開し、時には泊まりこみの研究会を催したという。安田靫彦は、当時の三渓園の雰囲気を「楽園的世界」と語っている。もう戻ってこないんだろうなあ、こういうパトロネージュという美風は。
展示図録を読むと、今回の里帰り品以外にも、大和文華館の『寝覚物語絵巻』とか、畠山美術館の雪村筆『竹林七賢図屏風』とか、え、これも!?と驚くほど、ぞろぞろと、三渓旧蔵の名品が挙げられている。なお、この図録の解説は、各作品の出所や所蔵者の変遷など、他の展覧会図録にはない情報を豊富に含んでいて興味深い。
展覧会のあとは、せっかくなので庭園散策。紀州の徳川頼宣侯の別荘を移築した「臨春閣」には、狩野永徳、探幽、安信らの襖絵が残っていて、びっくり。京都から移築した旧燈明寺本堂には、水瓶を手にした観音像がまつられていたり、見どころ多し。できれば紅葉の盛りに来てみたいが、混むのかなあ。