○江戸東京博物館 特別展『浮世絵から写真へ-視覚の文明開化-』(2015年10月10日~12月6日)
始まる前から楽しみにしていたのに、結局、最後の週末に滑り込みになってしまった。でも見逃さなくてよかったとしみじみ思っている。幕末から明治にかけて、浮世絵をはじめとする絵画表現と、新たに渡来した写真技術の交錯を紹介する展覧会。
はじめに江戸前期の『上野浅草図屏風』(後期展示は左隻の上野。初見?)や歌川広重の『名所江戸百景』、渓斎英泉の『四季美人図』などで、伝統的な名所や人物の描き方をおさらいする。伝統的な、とは言っても、国芳の『東都名所 浅草今戸』などがまぎれていて、あ、これ洋書の挿絵図版を真似たものだった、と気づく。
次に写真の登場。幕末に刊行された写真術の独習書が展示されていて面白かった。さらに上野彦馬、下岡蓮杖らが撮影した最初期の古写真。無名の人物像の中に、ちょんまげ姿の後藤象二郎が混じっていたりする。内田九一撮影の明治天皇、勝海舟、福沢諭吉も。そして、横山松三郎だ! このひとはとても好きなのである。江戸博の2011年の企画展を思い出す。鈴木真一、江崎礼二、小川一真になると、写真家としては第二世代になるのかな。広く社会に認められ、事業を拡張している様子がうかがえる。永井壮吉(荷風)には幼少時代の写真があるのだな。丸善株式会社の集合写真も面白かった。社員一同で記念写真を撮る習慣、最近まであったなあ。
さて、いよいよ絵画と写真が邂逅する。まず、古い写真が、浮世絵の「定番の構図」を踏まえていることを検証する。なるほど。名所風景の切り取り方が似ているのはまだしも、人物の配置まで定番の構図どおりなのは、明らかにヤラセで(現代人の感覚では)そこはかとなく可笑しい。逆に淡い色彩と強い陰影、硬直したポーズなど「写真のように」描こうとする浮世絵も現れる。写真師と絵師の共同作業と思われる作品も。ここで五姓田芳柳(初代)登場。伝・五姓田芳柳の作品で、既成の日本画の和服人物像に西洋人の顔を嵌め込んだ男女の肖像画が面白かった。海外への日本土産として制作されたものだという。
浅草の十二階(凌雲閣)は小川一真撮影の「百美人」展で人気を博したが、今回、これを復元。現在、百美人の写真が全て確認できるのは「当館(江戸東京博物館)のみ」であるそうだ。舞台装置はほぼ同じで、百人の芸妓を呼び集めて、一気に撮影したそうだ。この淵源に、江戸時代の浮世絵の「百人美女」シリーズがあるというのが面白かった。
風景写真については、横山松三郎撮影・高橋由一彩色の『旧江戸城写真帖』という不思議な作品が残る。写真と石販印刷によって古美術の姿を再現しようとした『国華余芳』(むかし見た展覧会が懐かしい)。絵画にも写真にも満足できないと感じた人々が「真を写し留める」ために払った苦心と情熱がしのばれる。
一方で、この時代限りの不可思議な作品もたくさん生まれた。泥絵(これも好き)やガラス絵。驚いたのは、作者不詳の『水辺の風景図』『富士山風景図』と題したガラス絵(個人蔵)で、伝統的な風景画の中に切り抜いた人物写真(セピア色)がコラージュされている。あまりにも子供っぽくて、はかなく懐かしい夢の断片のように感じられた。
写真に油彩で色を加える写真油絵は、鈴木一真が研究を始め、横山松三郎が完成させた。東京都公文書館には、初代から10代までの東京府知事の写真油絵による肖像画が残っている。これはすごいと思っていたら、最後に最大級のサプライズが待っていた。国技館に掲げられる優勝額。以前は白黒写真が用いられていたが、1951年以降、佐藤寿々江氏が油絵具による彩色を始めたという。なんとあれは、カラー写真でなく彩色写真だったのか! 佐藤氏の引退により、2014年からはインクジェットプリンタを使用しているとのこと。両国国技館のとなりにある江戸博らしいエピローグで感心した。
始まる前から楽しみにしていたのに、結局、最後の週末に滑り込みになってしまった。でも見逃さなくてよかったとしみじみ思っている。幕末から明治にかけて、浮世絵をはじめとする絵画表現と、新たに渡来した写真技術の交錯を紹介する展覧会。
はじめに江戸前期の『上野浅草図屏風』(後期展示は左隻の上野。初見?)や歌川広重の『名所江戸百景』、渓斎英泉の『四季美人図』などで、伝統的な名所や人物の描き方をおさらいする。伝統的な、とは言っても、国芳の『東都名所 浅草今戸』などがまぎれていて、あ、これ洋書の挿絵図版を真似たものだった、と気づく。
次に写真の登場。幕末に刊行された写真術の独習書が展示されていて面白かった。さらに上野彦馬、下岡蓮杖らが撮影した最初期の古写真。無名の人物像の中に、ちょんまげ姿の後藤象二郎が混じっていたりする。内田九一撮影の明治天皇、勝海舟、福沢諭吉も。そして、横山松三郎だ! このひとはとても好きなのである。江戸博の2011年の企画展を思い出す。鈴木真一、江崎礼二、小川一真になると、写真家としては第二世代になるのかな。広く社会に認められ、事業を拡張している様子がうかがえる。永井壮吉(荷風)には幼少時代の写真があるのだな。丸善株式会社の集合写真も面白かった。社員一同で記念写真を撮る習慣、最近まであったなあ。
さて、いよいよ絵画と写真が邂逅する。まず、古い写真が、浮世絵の「定番の構図」を踏まえていることを検証する。なるほど。名所風景の切り取り方が似ているのはまだしも、人物の配置まで定番の構図どおりなのは、明らかにヤラセで(現代人の感覚では)そこはかとなく可笑しい。逆に淡い色彩と強い陰影、硬直したポーズなど「写真のように」描こうとする浮世絵も現れる。写真師と絵師の共同作業と思われる作品も。ここで五姓田芳柳(初代)登場。伝・五姓田芳柳の作品で、既成の日本画の和服人物像に西洋人の顔を嵌め込んだ男女の肖像画が面白かった。海外への日本土産として制作されたものだという。
浅草の十二階(凌雲閣)は小川一真撮影の「百美人」展で人気を博したが、今回、これを復元。現在、百美人の写真が全て確認できるのは「当館(江戸東京博物館)のみ」であるそうだ。舞台装置はほぼ同じで、百人の芸妓を呼び集めて、一気に撮影したそうだ。この淵源に、江戸時代の浮世絵の「百人美女」シリーズがあるというのが面白かった。
風景写真については、横山松三郎撮影・高橋由一彩色の『旧江戸城写真帖』という不思議な作品が残る。写真と石販印刷によって古美術の姿を再現しようとした『国華余芳』(むかし見た展覧会が懐かしい)。絵画にも写真にも満足できないと感じた人々が「真を写し留める」ために払った苦心と情熱がしのばれる。
一方で、この時代限りの不可思議な作品もたくさん生まれた。泥絵(これも好き)やガラス絵。驚いたのは、作者不詳の『水辺の風景図』『富士山風景図』と題したガラス絵(個人蔵)で、伝統的な風景画の中に切り抜いた人物写真(セピア色)がコラージュされている。あまりにも子供っぽくて、はかなく懐かしい夢の断片のように感じられた。
写真に油彩で色を加える写真油絵は、鈴木一真が研究を始め、横山松三郎が完成させた。東京都公文書館には、初代から10代までの東京府知事の写真油絵による肖像画が残っている。これはすごいと思っていたら、最後に最大級のサプライズが待っていた。国技館に掲げられる優勝額。以前は白黒写真が用いられていたが、1951年以降、佐藤寿々江氏が油絵具による彩色を始めたという。なんとあれは、カラー写真でなく彩色写真だったのか! 佐藤氏の引退により、2014年からはインクジェットプリンタを使用しているとのこと。両国国技館のとなりにある江戸博らしいエピローグで感心した。