見もの・読みもの日記

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唐物をめぐって/中華幻想(橋本雄)

2011-05-19 23:27:44 | 読んだもの(書籍)
○橋本雄『中華幻想:唐物と外交の室町時代史』 勉誠出版 2011.3

 室町日本には、(A)文明の表象としての中華帝国へのあこがれと、(B)自身(自国)を中華に同化させ、周辺諸国(朝鮮・琉球)を見下す両極をもった対外意識が見られる。「中華幻想」とは、「ちょっといじらしくも複雑な、『帝国意識』の亜種なのだ」と著者は規定する。

 本書は、前掲(A)の面を論じた論文が多い。冒頭の「室町殿の《中華幻想》」は、その代表的なもの。義満の受封儀礼(冊封使との対面)の執行ぶりを検討することにより、義満が明側の規定を全く逸脱していること、したがって、明国皇帝の威光に心服し、「日本国王」の冊封を受けることによって、天皇の権威を相対化し、皇位簒奪を図ったという説明は、明らかに無理があると結論する。

 うーん、皇位簒奪説には私も違和感を抱くが、天皇を相対化する意図は全く汲み得ないのかな。受封儀礼の件は、日本みたいな辺境の小国が礼儀を知らなくても、面倒臭いから放置されたんだろうと思う。義満はそれをいいことに、体よく中華皇帝の威を借りて、実質的に(主に経済的な面で)日本国内の覇権を掌中におさめようとした…とは考えられないだろうか。以上は、根拠も何もない、義満好きの私の妄想であるが。

 むしろ興味深かったのは、唐物愛好には、異国におけるそれらの物本来の扱われ方への関心はほとんど感じられず、「和の中の漢」として新たな生命を受ける、という芸術文化観である。

 III章「皇帝へのあこがれ」は、義持が亡父・義満を徽宗皇帝に喩えたことは、室町殿が創出した文化的主導権を確認するためのイメージ戦略だったのではないかと考える。義持以降の室町殿は、国際政治上の「日本国王」などではなく、徽宗皇帝のごとき皇帝(風流天子)になることを夢見ていたのではないか。これは全面的に納得。

 非常に具体的な問題としては「渡唐天神説話の源流と流行」も面白かった。先日、正木美術館で、遣明僧が中国で賛を書き入れてもらった渡唐天神像というのを見たばかりだったので、彼の地(中国)で日本人向けに渡唐天神像のコピーが作られ、売られていたという話に苦笑してしまった。文明年間に遣明船に乗じて水牛が輸入され、幕府に献上されたということにも驚いた。これも一種の「唐物」である。

 さらには、銭も唐物(輸入品)である。九州国立博物館に展示されている福岡県糟屋郡中久原一括出土銭(9万枚を超す、写真あり)は、東博所蔵品で、九博開館準備中に東博収蔵庫内で「発見」されたのだという。ええ~。2000年代に入ってからかな。博物館内でもそんなことがあるんだ。次に九博に行ったら、よく見てこよう。永楽銭をめぐるさまざまな伝説、日本人僧が「永楽通宝」の文字を揮毫したとか、鳴海家が模造を認められたというのも興味深かった。

※関連:小島毅『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)光文社 2008.2
本書の著者には嫌われそうだけど。

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