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見もの・読みもの日記

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愛しの”文華”皇帝/乾隆帝(中野美代子)

2007-04-20 23:54:28 | 読んだもの(書籍)
○中野美代子『乾隆帝:その政治の図像学』(文春新書) 文藝春秋社 2007.4

 あっ、中野美代子センセイの新刊! しかも乾隆(チェンロン)皇帝だ~!!と、本書を見つけたときは、二重三重に心が躍った。中国人は乾隆帝が大好きだ。共産党の公式イデオロギーは、過去の皇帝を「人民の敵」とみなしてきたが、最近は、小説でもドラマでも「乾隆」の名を冠したものが大流行だという。私も、そうした娯楽作品の影響を受けて、乾隆帝のファンになってしまった。

 しかし、このひと、なかなか一筋縄ではいかない皇帝である。狩猟遊牧民族である満州族のアイディンティティを保ちつつ、漢字・儒教文化圏の粋を体現し、チベット仏教を尊崇し、宣教師たちを使役して西洋式の庭園を構築する。それなりに侵略戦争は繰り返したけれど、苛烈な征服者のイメージはない。しかし、彼の残した「図像」の数々を読み解いていくと、独特の世界観に基づく帝王学、底知れぬ支配欲が見えてくる。そこが本書の眼目である。

 中華とその周辺地域はもちろん、いずれは西欧世界もその手中に収めようと狙っていたに違いない乾隆帝(日本は、幸いに彼の興味の外にあった)。しかし、その「底知れぬ支配欲」は、同時に、わが王朝の終末――透視遠近法の用語を使えば「消失点」を明らかに意識していた、と著者はいう。

 この点は、昨秋、東京から奈良まで遠征して聴きに行った、大和文華館の日曜美術講座『東アジア最後の文人皇帝・乾隆帝の文化帝国建設計画』で、講師の塚本麿充さんが、乾隆帝は、いずれ自分のコレクションが崩壊する運命にあることを自覚していた(だからこそ、お気に入りの名品に何度も跋を加えたのではないか)とおっしゃっていたことと重なると思う。ちなみに、大和文華館の”文華”という言葉も乾隆帝に由来するのじゃなかったかしら。

 さて、それにしても面白いのは「仮装する皇帝」の図像。巻頭のカラー図版は熱河の外八廟のひとつ普寧寺に残るタンカ(チベット仏画)だが、中央に文殊菩薩に扮した乾隆帝が描かれている。いや、この絵は知っていたのだが、乾隆帝の顔は「郎世寧すなわちジュゼッペ・カスティリオーネが描いたにちがいない」という著者の指摘には、へえ、と思った。それから、「文殊」と明記されているにもかかわらず、台座の脇には、獅子ではなくて2頭の白象が描かれている。著者は「たんなる描きまちがいではあるまい」としながらも、「後考を俟つ」と答えを避けている。謎めいていて、興味深い。

 もっと面白いのは、乾隆帝の父の雍正帝が描かせた『雍正行楽図冊』。これも一部は知ってはいたけど、こんなに(13点!)図像を見たのは初めてである。謹厳・質実・陰険なイメージのある雍正帝が、こんなハジけたコスプレ図集をものしていようとは! 原本は台湾故宮ではなく、北京故宮博物院が所蔵している。日中戦争当時、こんな馬鹿馬鹿しい図冊は、疎開の対象にならなかったのかしら。

 また、英仏連合軍の北京入城後、同軍に従軍していた写真家のフェアトリーチェ・ベアトは、破壊直後の円明園を撮影しているはずだが、まだその作品は発表されていない、というのも初耳。ベアトは、幕末の日本を撮影した写真家としてしか知らなかったので、驚きだった。


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