見もの・読みもの日記

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長崎ランタンフェスティバル2018

2018-02-25 11:50:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
長崎ランタンフェスティバルは、私の大好きなお祭り。とは言え、2009年と2010年に行ったきりで、ずいぶんご無沙汰していた。今年は九博の『王羲之と日本の書』とあわせて、週末1泊旅行で行ってきた。土曜は遅めの飛行機で羽田を出発し、長崎市内に到着したのは午後3時くらい。ふだんの旅行なら、もったいない初日の過ごし方だが、今回は夜が観光の本番である。

まず長崎駅から徒歩圏の長崎歴史文化博物館へ。特集展示で長崎の画人・唐絵目利の渡辺鶴洲(1778-1830)という人物を覚えた。少し歩いて聖福寺へ。南国ムードただよう境内は以前のままだったが、観光客をひとりも見なかった。管理人の姿もなく、まるで廃寺のようだったが、どこか明るく開放的な雰囲気で怖くない。私が諸国一見の僧だったら、このまま住みついてしまいたいくらい。



山門の裏にはニコニコした福々しい韋駄天さんがいらっしゃった。



長崎四福寺のうち、福済寺は少し入りにくい雰囲気なので門前を素通り(むかし参拝したことはある)。そろそろ夕方になってきたので、駅前で早めの夕食を済ませ、ランタンフェスティバルの会場エリアに向かう。市電で「孔子廟・中国歴代博物館」へ。残念ながら博物館は17時閉館で、孔子廟の庭だけが公開されていた。孔子の門弟たちの石像の並ぶ中でファッションショーを開催中。この混沌は中華っぽい。



ぶらぶら歩いて新地中華街わきの湊公園へ。中華街といえば、関帝を祀る祭壇のしつらえを忘れるわけにはいかない。ブタの頭がずらりと並ぶ。



このおじさんは仙人らしいが、髪も髭も眉も真っ白で『琅琊榜』の聶将軍を思い出した。



関羽と赤兎馬は群を抜くカッコよさ。ほかにも中国の歴史や伝説を題材にしたランタンが多数あって、自分が中華文化圏にいることを実感できる。



混雑する中華街を後にして、江戸時代の旧・唐人屋敷エリアへ。私がランタンフェスティバルでいちばん好きな会場である。



ここでは土神堂、天后堂、観音堂、福建会館天后堂の四堂をめぐるコースが設定されている。はじめの土神堂で「四堂巡り」の赤い蝋燭四本をいただくことができる(500円)。以前もやったのだが今回もやってみた。蝋燭が太くなったように感じたのは気のせい?



土神堂の裏道は、2009年と2010年に来たときは、串焼きや元宵だんごなどの露店が並んで賑やかだった。台湾の九份の坂道もこんな感じかなあと想像したものだ。それがなぜか今年はひっそりと静まりかえっていた。いや、趣きが深くていいのだけれど。



道が静かなおかげで珍しいものを発見した。土神堂の裏口のすぐ向いにある銭湯。営業しているのだろうか。



マンホールの蓋に五芒星のマーク。これは長崎全域がそうらしい。ネットで調べたら、一部地域では六芒星のマークが見られるとのこと。これは次回(いつになるか)チェックしたい。



さて中華街に戻り、「浜んまち会場」のアーケードを抜けて、崇福寺へ。チラホラとお客さんの姿は見えたが、境内は静まり返っていた。お堂には灯りがついていたので、韋駄天の像を。



続いて興福寺。門前には千里眼(緑)と順風耳(赤)のランタン。ここはお坊さんたちが境内にいて、拝観客の案内などをしていた。御朱印もいただけた。



この旗は、入港する船から見えるように媽祖堂の目印として上げたものと聞いたことがある。崇福寺でも上がっていたが、暗くてよく見えなかった。こちらはライトアップされており、嬉しかった。ちなみに大浦天主堂の近くで、巨大なクルーズ船が港に停泊しているのを見た。最近、中国からの観光客はクルーズ船を利用することが多いそうなので、媽祖様のご加護をお願いしたいところ。



このあとは眼鏡橋から中島川公園を経て、最後に中央公園会場へ。ちょうど「中国雑技」の最初のプログラム「変臉(変面)」が始まり、盛り上がっていた。ポップス調の「変面」のテーマソングがあることを初めて知って、面白かった。



最後は、孫文と梅屋庄吉のランタン。

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