「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「原 節子」と「小津 安二郎」

2016年07月07日 | 読書コーナー

               

「原 節子」とか「小津 安二郎」(以下、ご両人とも敬称略)とかいっても、「いったい誰?」という方が半分以上だろうし、戦前から戦後にかけて活躍した日本映画の大女優と名監督と思い出す方も、「な~んだ、懐古趣味か!」と一蹴されるのがオチだろう。

たまたま図書館の新刊コーナーに並んで置いてあったので、どうしても読みたいという積極的な気持ちはさらさら無かったが「まあ、試しにいっちょう読んでみっか」と借りてきた。

読み始めてから二つともたいへんな力作であることが分かった。これを読めばお二人さんの考え方から行動形式、果てには男女関係まで身辺のあらゆることについてお見通しになることは間違いなし(笑)。

まず、「原 節子の真実」から。

隠棲していた鎌倉で平成27年9月5日、ひっそりと95歳の生涯を閉じた伝説の女優「原 節子」。

生涯独身を通し、「永遠の処女」とまで呼ばれながら30歳代半ばで映画界から突然足を洗った謎多き女優の生涯を「えっ、ここまで書くの」とばかり洗いざらいさらけ出した本である。野次馬根性になるが「身辺に秘かに漂うオトコの気配」にもこだわりなく描き出してあって納得の一言(笑)。

とにかく巻末の「主要参考文献」の量が半端ではない。本格的な書籍から軽い雑誌まで含めると軽く500冊は越えるだろう。

ちなみに、綿密な史料考証でもって思い出すのが作家「子母澤 寛」氏の名著「新選組始末記」だ。

当時の生存者への事情聴取とあまりにも膨大な資料を探るあまり「新鮮」という言葉が出てくるだけで反応したという笑えないエピソードがあるが、本書の詳細な記述にはそれ以上の探究心に裏打ちされているのかもしれないと思わせるほどの凄みがある。

最後に、原 節子の人となりを表わしたエピソードがあったので紹介しておこう(280頁)

「本書をまとめるにあたり、彼女の写真を集める過程で改めて気付いたことがある。極端にポートレートが少ないのだ。戦争の影響もあるが、写真を撮られることを嫌った映画女優だった。

彼女は <ポーズをとって、ニッコリと微笑んで“私美しいでしょう”だなんて、こんなに醜悪なことはないわ> と、写真家の早田雄二に語っていたという。

同じく写真家の秋山庄太郎には、初対面の日に <あなた、映画の仕事は好き?> と尋ね、 <あまり好きではない> と答えた秋山に <私も嫌いよ。気が合うわね> と言って友人として付き合うようになる。その秋山にも <ことさら美しく撮ろうとしないでほしい。ありのままの私を撮ってほしい。> と、何度も念を押したという。」

現代の女優さんたちからはちょっと想像できないような御仁のようでして(笑)~。

次に「小津 安二郎の喜び」について。

前述の「原 節子」は小津映画の常連だったことは周知のとおりだが、非常に敬愛した監督だったようで、同監督の葬儀の日、当時隠棲中の「原 節子」が真夜中に葬儀の場に訪れて同席者たちと一緒になって号泣したという逸話がある。

本書では小津監督が残した37作品についてそれぞれ懇切丁寧な解説がしてあって、小津ファンにはたまらない贈り物だろう。

小津監督といえば代表作として誰もが納得するのが「東京物語」(昭和28年)。

日本のみならず世界的にもベスト10級の名作とされているのは周知のとおり。

田舎に住む老夫婦が大都会・東京に住む子供たちを訪問するが、忙しい日常にかまけて邪険に扱われ救いようのない失望感に包まれる、というストーリーで自分もテレビ放映で何度も見たが、この映画に限らず小津作品は鑑賞者に対してこの上ない「静謐(せいひつ)感」を求めてくることはクラシック音楽に耳を傾けるときと一緒である。

本書の中に「東京物語」の中で白眉となる事物の名ショットが紹介してある(206頁)。

「それは(子供たちからあてがわれた)熱海の旅館で老夫婦が泊まる部屋の前に脱ぎ揃えられたスリッパのショットだ。麻雀をする客たちでごった返す深夜の旅館で、二人のスリッパだけが静寂の底に沈んだようにきちんと脱ぎ揃えられて在る。

例のごとく、あくまで低く据えられた水平のキャメラがそれを知覚している。老夫婦が(周囲の騒音のせいで)その部屋に眠られぬままに横たわって在ることへの愛情と共感に満ちたショットと映る。」


今後、もし「東京物語」を観る機会があったらこのシーンに気を付けましょうねえ~。

というわけで小津映画といえば「キャメラのローアングル」が代名詞みたいなものだが、これについて記した興味ある箇所がある。(292頁)

「なぜキャメラの位置は人間の上ではなく下なのか。他人より高い位置、ものごとを俯瞰する位置に立つことは、行動の上で優位に立とうとする者にとっては魅力のあることだ。高い位置に立てば自ずから視野は横に拡がる。シネマスコープの横広がりの大画面は外界を俯瞰し見渡したいという欲求に基づいている。

このような視覚はどこまでも現実的なもの、競い合う行動の優位を目指したものだ。そのような行動が求める視野は言ってみれば狩猟民の生活に適するだろう。

反対に下で水平に構えられたキャメラは潜在的なもの、それ自体で在るもの、いっさいを生み出しながら持続する永遠の現在を見ようとする。~略~ それは稲作民の神の視線であり「畳の上で暮らしている日本人」の視線である。

小津は <ぼくは人間を上から見下ろすのがきらいだからね> とも語っている。」

ほかにも、小津監督と黒沢監督という日本映画界における二大巨匠の確執に触れた部分も面白い。

さいごに、「原 節子」の本だったと思うが、映画関係者が戦前、欧州に宣伝に出掛けた際に通行中、貴婦人と肩がすれ違いざまに「唾を吐きかけられた」という記述が印象的だった。

およそ80年経った今日でも白色人種が黄色人種に対して持つ優越感と侮蔑の感情はすっかり拭い去られたんだろうか?と、つい疑心暗鬼になってしまう。

「貧すれば鈍する」ではないが、経済的に行き詰っているせいで連中はプライドを捨てて仕方なく黄色人種と付き合っているのではあるまいか。

ま、「それがどうした」と言われればそれまでの話だが(笑)。


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