答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

鶏(かしわ)を炊く

2011年12月31日 | 北川村

我が家では毎年、大みそかには鶏(かしわ)を炊く。

そしてそれだけは、何故だか私の担当である。



まず親鶏2羽を適当に切る。ホントに適当にである。

そして水から煮る。

どこも捨てない。内蔵も何もかも全部を鍋にほうり込む。




ご存じ、酒王土佐鶴。



私が呑むのではない。

私は、昼はまだ「泡」である。




適当に鍋の中に注ぐ。ホントに適当にだ。

そしてこれまた適当に煮込んだあと、コンニャクを手でちぎり入れる。きのう作っておいた手づくりコンニャクである。

これは姪っ子(高校1年生)に手伝ってもらった。




まず砂糖、そして醤油で味をつける。甘めにである。

そして炊く。




食うのは元日の晩なので、しばらく煮こむと火を止めて、味を染み込ませる。

あとは明日、女子衆が最終の味を調え、ネギをたっぷりとぶち込むのだが、ちょっと気になる。

頃合いを見計らって鍋を覗いてみた。





何の変哲もない料理なのだが、このへんでは昔から、ハレの日のご馳走である。

そして私自身はあまり食わない。しかし若い人たちはバクバク食う。ホントにバクバクと食うのだ。

 

 

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池部良を読む

2011年12月30日 | 読む・聴く・観る
オレとボク―戦地にて (新風舎文庫)
池部良
新風舎

 

ご存じのように、私は酒を呑む人である。

が、(原則として)呑んで本は読まないことに決めている。

前からそうかといえばそうではなく、ある時期からそうするのをやめた。

必要以上にテンションが上がりすぎるし、そのくせあとに残らないからである。

そんな私がこの正月、呑みながら読もうと決めた本。

『オレとボク-戦地にて』。

池部良である。

ご存じではないだろうがじつは私、池部良のような文章を書きたい人なのだ。

文章家として尊敬している、と言ってもいい。

 

 

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モネの庭から(その131)-2011ラスト

2011年12月29日 | 北川村モネの庭マルモッタン

仕事納めを済ませたあとモネの庭へ。

ずい分ご無沙汰つづきだったものだから、年末のあいさつを兼ねて庭をひと回り、という魂胆である。

「モネの庭」でググると、本家「モネの庭だより」を抑えて5番目にランクされている当ブログなのだが、今年はといえば、2月に「その107」をアップして以来、今回が「その131」だから、わずか24回しか「モネの庭から」をお届けしていないということになる。楽しみにしてくださるかたがいるのかどうかは確かめようがないが、もしいたとしたら、じつに申し訳がないのである。

さて来年はどうなるのだろうかと、歩きながら思うのだが、そんなことを想像してもなるようにしかならない。

とりあえずは、乞うご期待とお気楽に言っておいて、本年最後の「モネの庭から」である。

 

 

 

 

 

 

 

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男はつらいよ

2011年12月28日 | ちょっと考えたこと

娘から手紙が届く。私にではなく妻にである。

「お父さん、読んでみて」。

「オレ、こんなんイヤや」と言いつつ、短い手紙を読む。

「親ってやつは辛いもんだな」と思う。そこには、何も辛い日々が綴られているわけでもなんでもないし、いくら私が「晒し」の世界にオノレを置いているからといって、まさか、娘の手紙の内容まで「晒す」わけにはいかないのだが、日々の暮らしとその雑感が綴られているに過ぎない手紙を読むと、「親ってやつは辛いもんだな」と思ってしまったのだ。

もちろんそれは、「男はつらいよ」という程度に辛いのであって、別段、だからどうしたというもんでもないし、付け加えると、「男もつらいし女もつらい、男と女はなおつらい」なのである。

つまり、それもこれも含めてが人生ってやつなんだよと、訳知り顔な私は、今日で54年と1日生きてきた。

私の親も同じような気持でいたのかもしれんなと、そう考えたとき私もまた、綿々と続く「順繰り」のなかの構成員として存在することを思えば、なんだかほのぼのと辛くなったわけなのだが、

ニコニコ笑いながらそんな私を見ている妻の指差す先、手紙の最後にはこう書かれている。

「お父さんへ → Happy birthday(というステッカー)」。


(飛び道具とは卑怯なり)

 

 

 

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誕生日の出来事

2011年12月27日 | ちょっと考えたこと


きのうに引き続き、今日も「思いつき」を検証するため、「河原にて」である。

しかしそれにしても、平鍋ほどではないにしろ、池谷の傷跡も相当なものであると、遅ればせながらそう思う。




やはり、いつものことではあるけれど、現場に立ってみて初めて判ることは多い。

生来のフットワークの重さを持っている私のような人間は、だから「答えは現場にあり!」などと、ことさらに自分に言い聞かせていなければ、ついついその、「現場で検証する」という部分をおろそかにしてしまうことがあるのだ。

とかなんとかその他いろいろ。ああでもないこうでもないと考えながら国道へ上がって、歩きながらまた、ああだこうだとツラツラ考えてみる。

対岸にいる測量相手のモッちゃんは、もう引き上げたようだ。



ん?対岸?

「しもうた!ワシ、対岸まで車で行って歩いて川を渡ってきたがやんか!」。

まったく、「不惑」を一回り以上も過ぎてなお、迷いっぱなしのオヤジである。

トホっ。

 

 

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思いつき

2011年12月26日 | 土木の仕事

 

 

 

「思いつき」がホントに可能なのかどうか、まずこの目で確かめておこうと川の中へ。

今夏の度重なる洪水がウソのように、奈半利川の水位はどん底で、右岸から左岸へ、はたまた左岸から右岸へ、あっちへ行ったりこっちへ来たりと歩き回る。

他の職種はいざ知らず、土木技術者にとって「思いつき」は、その仕事の優劣に大きなウエイトを占めていると私は思っている。

そしてそれは、「思いつき」という軽い語感とは裏腹に、「経験」というどっしりとしたものに裏打ちされた、いわば「熟成の産物」となって出てきた時に、もっとも効力を発揮するものだと信じている。

それを平たく言うと、「経験と勘」ということになろうか。

かつて、高知県建設訓練校で右城猛先生に始めて出あった時、いみじくも生徒たちを前にして先生が仰った言葉、「土木設計とは、まさに経験と勘の世界です」。当時ぺーぺーの私は、こんな偉い先生が「経験と勘」なぞという、何の変哲もない言葉で自分の仕事を表すなんてどうなんでしょうという感想を持ったのだが、さにあらず。今から考えてみると、右城先生のような方が言うからこそ、「経験と勘」に凄みが伴ってくるのだし、「経験と勘」という言葉の深さたるや、ややとうが立った見習い土木技術者である私の想像をはるかに超えたものだったのだが、それが判ったのは何年もたったあとである(爾来、「経験と勘」は私のお気に入りなのだが)

そう考えると今の私が、「土木施工とは、まさに思いつきの世界です」なんてことを言ったとしてだ。一笑に付されるのがオチで、凄みどころか哀愁さえ漂っていないのかもしれないが、それでも私は「思いつき」を大切にしたい人なのである。

さて今回の「思いつき」、上手くいくやらいかぬやら。いけば良しだが、いかねば尚良し。異なった角度からながめて、違う「思いつき」が出てきたその「思いつき」を、また検証してみればいいだけのことなのだ。

 

 

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今年最後の日曜日

2011年12月25日 | 読む・聴く・観る

読んだ本の全部が全部を他人さまに紹介しているわけでもないのだが、読書歴をWebで披露するなどということは、まさしく、「晒し」もここに極まれりだな、という気はいつもしている。

なんとなればそのことで、私という人間が丸わかりされてしまいそうな気がするからである。

とかなんとか言いながら、今日もまた「読む」。今年最後の日曜日、どこへも出かけずに読んでいた。


だから、「私が本を読む」というのはいささか自己中心的な表現だと私は思う。

本が私を選び、本が私を呼び寄せ、本が私を読める主体へと構築する。

私はそのように考えている。(『子どもは判ってくれない』内田樹、文春文庫、P.58)


そういえばこういう感覚。「本が私を呼び寄せ」という感覚。久しく忘れていた感覚である。

かつて、私を感動させてくれたり、私にとってエポックメイキングとなった本は、本屋のどの位置にあったかを今でもたいてい思い出すことが出来る。それはそこでピカピカ光りながら、間違いなく「私を呼び寄せ」ていたからである。

たとえばAmazonでは、もっと主体的に本を選ぶ。これを読みたいと思って注文をする。辺境の山村に住む身としては、確かに便利なことこのうえないのだが、「何気ない出会い」というのは残念ながらない。

さてと正月休みには、久々に本屋にでも行ってみようかと思ったが、とりあえず今これからは、小学生の太鼓教室なのである。

 

子どもは判ってくれない (文春文庫)
内田樹
文藝春秋

 

 

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『身体で考える』(内田樹・成瀬雅春)

2011年12月24日 | 読む・聴く・観る
身体で考える。
内田樹・成瀬雅春対談
マキノ出版

 

頭で考えたことを、「身体に落し込んでいく」ことでオノレのものとする。

繰り返しそう言う私は、頭デッカチになるなと、自分自身を戒めてもいる。

そんな私が『身体で考える』(内田樹・成瀬雅春、マキノ出版)なんてタイトルの本を読んでみようと思うのは、当然の成り行きのように見えるが、

そもそも、そんなタイトルの本を読むことからしてが、頭デッカチなのではないかという疑念もないではない。

それにだいいち、「身体で考える」ことが出来るご両氏であれば『身体で考える』なんていうタイトルの本は読まんだろうな(たぶん)。


身体の声を聴き取ることができるようになれば、ものごとの「ほんとうのこと」を見通せるようになるのです。他人に頼らず、自分の感性、自分の頭で判断できるようになります。

それが、「身体で考える」ということの本質ではないでしょうか。(「あとがき」より、成瀬雅春)

 

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北川村温泉前から

2011年12月23日 | 北川村

気がつけば、世の中どうやら三連休のようで、そして今日がその初日。

どうしてそれに気がついたかというと、「北川村温泉ゆずの宿」の盛況ぶりからなのである。


露天風呂の前を、荷物をかついで通る我が社の作業員さん二人。

風呂の中からは歓声が聞こえる。


「冷(ひや)いなあ」

「まっこと、冷いなあ」

「温泉、えいなあ」

「まっこと温泉、えいなあ」

「ひとっ風呂あびて、一杯やりたいねえ」

「ああ、熱燗やねえ」

「うん、熱燗」


時刻は4時過ぎ。北川村温泉あたりまでは、かろうじて陽が差し込んでいるものの、その先、かついだ荷物が行きつく先は、寒風吹きすさぶ河原の上。しかも、まっ裸の崩壊地だ。


「ワシ、今度の休み、ヨメさん連れて来るわ」

「あ、ほんならオレ、オカアチャンと子どもといっしょに来ようっと」

「さ、お仕事お仕事」

「うん、お仕事お仕事」

 

 

 

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写真撮影のススメ

2011年12月22日 | オヤジの情報発信修業

先週、12月16日。安芸桜ケ丘高校で行った私の授業。

タイトルは、名著『土木への序章』(田中輝彦、鹿島出版会)のサブタイトル『いつも通る路、渡る橋』を無断で拝借し、「いつも通る道、渡る橋」と名づけた。

ごくごくかいつまんでスライドをお見せする。
























とまあ、こんなところである。

内容については、今更ここでとやかく語らなくても、このブログを読んでいただいている方々ならば皆ご存知の今夏の災害復旧のことだから、スライドの抜粋を見て想像していただけるだろう。

内容とは全く関係なく、このプレゼンテーション資料を作っていて感じたことがあるのだ。

それは、「いやじつに多くの写真を撮っていたねオレは」とでもいうようなことである。その写真というのは、いわゆる工事写真ではなく、例えばクスノキの変遷であったり、スーパーカブや自転車であったりお地蔵さんであったり、当の本人はもちろん、そのほとんどをブログ用に撮影したのだが、残された写真の数々を見ていくとそれが立派に記録として存在しているのである。

そこで土木の技術屋さんに、「(工事写真以外の)写真撮影のススメ」である

もちろん、工事写真以外の写真を撮る、というのは通常業務の範囲外のことであり、別にそれをやらなくてもどうということもないことなのだが、あえて私は「工事写真とは別にアナタが撮りたい写真を撮ってみませんか。そしてそれを残していきませんか」と提案したい。

そして私の提案を受け入れてくれたアナタ。その時には、例えば、「遠景に空を入れることによって広がりを出す」であるとか、「色のバランスを考える」であるとか、「あえて対象とは異なるものを近景に入れてみる」であるとか、様々な構図を考えながら撮影してみてほしい。それはきっと、アナタが業務で撮る工事写真にもプラスとなるはずなのだ。

出来たらその画像をもって、情報を発信してくれると尚イイのだが、そのことの大変さを身に染みて理解しているつもりの私は、今日はそこまで言わない。

ただ、そんなふうに余計なことをすることも、あとあとムダではなかったりする。

そういうことも、あったりするのだ。

 

土木への序章―いつも通る路、渡る橋、田中輝彦、鹿島出版会 

 

 

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