答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

繰り返しの効能

2011年12月15日 | ちょっと考えたこと

いささかしつこいかもしれないが、『呪いの時代』(内田樹、新潮社)に触発されてまた書いてみる。

この本の主題は「呪詛」と「贈与」。その他、内田本の愛読者(タツラーと呼ぶらしい)には、お馴染みの理論が展開されている。

内田樹とは「繰り返し語る」人なのである。

そしてそのことについては、「同じ事を何度も繰り返している」という批判があるわけなのだが、私はそうは思わない。今回あらためて、そのことを強く感じたのは、直前に読んだ『ダイアローグ』で「繰り返し」の有意性を認識させてもらっていたからもある。デヴィット・ボームがくどいほどに「繰り返し」てくれるおかげで、私にもその内容の幾許かは腑に落ちたのである。

興味がある事柄なのにもかかわらず、「それは前も聴いた(からもういい)」あるいは、「そんなことは何度も聴いた(からもういい)」という語り口をする人には、得てして頭(だけ)で物事を考える人が多いように思う。私はそうでなく、「腹に入れる」(腑に落とす)、つまり身体に得心させたい人間なのだ。そうでなければ、他人さまに語ることなど出来ないからである。

そうとはいえ、どこかしら小器用なところと不器用なところが同居するこの私は、その小器用さゆえだろうが、「一度聴けばアンダースタンドよ」てな感じで若いころの世の中を生きてきた。逆に言えば、「一度聴いてわからんものは、何度聴いてもノット・アンダースタンドだわ」てなもんだったのだ。

ところが、小器用なのは見てくれだけで、じつのところかなり不器用な頭の構造を持っている私は、年を経るにつけ「繰り返しの効能」が、身に染みて解るようになってきたのである。内田さんはこう書いている。

でも、それが常識に登録されるまで、僕は執拗に同じことを語り続けるつもりです」(P.209)

その覚悟、オマエにありやなきやと問われたら、ボウズ頭をかくしかない私だが。

(ボリボリ)

 

 

 

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