ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和40年頃-嬉野球場でバレーボール

2010年07月26日 05時41分09秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和40年頃、嬉野球場でバレーボールに興じる人たちの写真を紹介します。昨日はグラウンドの西にあった嬉野公民研修所の建物が写っていましたが、今日はグラウンドの向こうに、旧社中学校の校舎、社町学校給食センターの建物、中学校の運動場の西の木々が見えます。球場の外壁には「トヨペット」「ヤマサカマボコ」「板文」「清泉」などの広告も見えます。バレーボールをしている女性の溌剌とした動きと表情から掛け声が聞こえてきそうです。この場所は現在県立教育研修所の建物が建っています。
 向こうに見える社中学校の辺りは、現在、兵庫教育大学附属小学校や幼稚園の校地となり、給食センター辺りには民間住宅が建ち並んでいます。風景は大きく変わりましたが、運動場の木々は当時の姿のままにさらに大木となり、子ども達に緑陰を提供しています。
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