忘備録の泉

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近代ヨーロッパの覇権(4)

2017-03-10 14:39:44 | Library
17世紀末から18世紀になると、国際的な経済覇権をめぐる争いの中核は、イギリスとフランスの対立関係にシフトする。
その対立の重要な焦点となったのは、アジアではインドへの介入をめぐる、北アメリカでは植民地展開をめぐる、対立であった。

イギリス東インド会社はボンベイやマドラス、カルカッタを拠点に、インドへの介入を追求していた。
フランス東インド会社は、ポンディシェリやシャンデルナゴルに拠点を置いた。
7年戦争にさいして、インドではイギリスインド会社の軍勢が国軍の支援のもとに、フランスが地元のベンガル太守と結んだ連合軍に勝利した。
これがやがてインド全域をイギリスの支配下に置くうえで大きな転機となった。

北アメリカでも同様に、イギリスは有利に戦闘を進め、7年戦争に決着をつけたパリ条約で、フランスからカナダ全域と、ミシシッピー川より東側の地域を譲渡させ、スペインからはフロリダを獲得した。
こうしてイギリスは、度重なる戦争が財政的な重荷になりながらも、世界の経済覇権抗争において決定的に有利な位置を占めはじめる。
しかし財政再建のためにイギリス政府は、植民地への課税や直接関与を強化しようとして、植民地側の猛反発を受ける。
73年に起きたボストン茶会事件をきっかけにして、ワシントンを総司令官にしてアメリカの独立戦争が勃発する。
宿敵イギリスに対する敵愾心を強めていたフランスは、北アメリカのイギリス13植民地が独立戦争を開始したとき、反旗を翻した植民地側の独立を支援して軍隊を派遣する。
1781年、陸からはアメリカ軍によって、海からはフランス海軍の艦隊によって包囲されたイギリス軍は降伏をよぎなくされた。

アメリカ独立革命のインパクトは、ヨーロッパで育まれていた啓蒙思想とあいまって、世界中に影響を及ぼしていく。


(つづく)

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