outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

出港準備

2007年05月15日 14時37分44秒 | ヨット世界一周クルージング
市場で手に入れたカンパチは今まで食べた中で最悪の脂ののりで「残念!」期待が大きすぎた事もありますが・・矢張り熱帯の魚は
難しい。(翌日の今日は少し味がよくなりました) しかし「突き」ものでした。 カンパチは突くとこのサイズでもかなり強力な引きがあって獲った人は随分愉しめたことでし
ょう。 カンパチはスッと泳いできて一瞬止まるんですよね。そこがチャンス。

バイスも暑い日はありましたがボリナオの暑さは一段違います。昨日の午後は全く風なし、雲なしで気温はドンドン上昇。デッキの上に
テントを張って陰にしているにも関わらず船内気温は32度まで上がりました。じっとしていても汗が滲んでくる暑さでビールが美味そ
うなんですが服用しているメトロニダザールにアルコールは厳禁。残念でした。

話は変わりますが今年一月に手に入れたヨットの中からインターネットに繋げる新兵器のエアーカードは今回移動してみてなかなか優れ
物であることがわかりました。SMARTの携帯電話が入るところなら海上航海中でも繋がりました。確かにスピードは遅いですがこれなら
フィリピン国内の殆ど何処の泊地でも使えそうです。「感心、感心」

と折角エアーカードを誉めたにも関わらずパソコンのポートとの接続がうまく行かずもしかするとこの文章も送れないかも知れません。
次々いろんな事が起き解決できたり出来なかったり・・それでも地球は回っているし日々歳をとります。ミンドロ島からここまでの航海
で赤痢が発病したりオートパイロットやエンジンのトラブルがあったのですっかり忘れていましたが月が出るまでの星は非常に綺麗でし
た。北に向かって走るので前方に北極星、後ろに南十字星、左に金星・・等等贅沢な星のご馳走がありました。


15日。朝起きるとかなり調子がいいので船底の様子を見に潜りました。そしてビックリ!!プロペラのはもう小さなフジツボがびっしり。
船底塗料が残っているところもバイスで掃除してからまだ半月なのにかなり藻が生えていました。何しろホロホロが最後に上架して船底
塗料を塗ったのは2003年?忘れるほど前だから無理もないけど・・・20日位は大丈夫と思っていたのに・・・
仕方なく金属ヘラと強力タワシを持ち込んで三時間あまり、タンク二本を完全に吸いきって完全ではないけれど終了。


今回の航海をどうしてそんなに急いでいるの?と思う人もいるでしょう。 ここ10年ほどのホロホロは朝六時に出港、昼過ぎに次ぎの
泊地に着き、昼食の後か翌日に上陸、そして散策し気に入れば数日過ごしまた次ぎの泊地に向かっていました。ところが今回はこの船底
の問題があるのです。ゆっくり少しづつ移動していると何度船底掃除をしなければならないか解りません。船底掃除はかなりの重労働で
これを減らしたいのです。でも徳島までにもう一度しなければならないようですが・・・


明日は朝からホロホロを街に近い場所に移動し、燃料、食料などを買って明後日には出港しようかなどと考えています。とは言ってもこれまた太平洋に低気圧が固まりつつあり、それが東に進んでミンダナオに近づいて来そうだからなんとも言えませんが・・・赤痢の薬は美由
紀と僕の両方が発病しても足りる分を買いました。次ぎの目的地は台湾のランユウ島でここは台湾本島の南の端から東に行ったところに
あります。フィリピンから石垣島に向かう途中にあって台風も越せる港があるそうです。ここボリナオから直行すれば三泊4日の距離です。
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カンパチを入手!

2007年05月14日 11時53分49秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日の午後より何となく体調復帰気配となりしばらく前より気に掛かっていた壊れた洗濯用バケツ2個をボンドで修理をしました。
日本人がこれを見るとかなり怪しむこと請け合いです 以前キャンピングバスの裾が錆びて穴が開いていた頃(現在は板金塗装済み)
道の駅に停めているにも関わらず近くの民家の人が家の前の植木鉢を家の中へ運び込んでいた事を思い出します


今日も晴天北東の弱い風が吹いているルソン島ボリナオ岬です。今市場から帰ってきたのですが「大収穫」でした。鶯色が何とも言え
ない2キロのカンパチの新鮮なのが手に入ったのです。そして値段がなんとキロ120ペソ(300円)でした。現在刺身に調理中で
片身は塩焼き用にスライス。頭と骨まわりは味噌汁などに楽しめます


オートパイロットのバネが無く壊れている分にバネを工夫して作りました。ところが今度は前回の修理で小さな部品(磁気テープ)が
紛失していました。マグネットスイッチに使っているもので代用はかなり難しいから問題でビデオテープやカセットテープで試してみ
ようとは思っているのですが現体調では根気が続きません


美由紀にはまだ何の症状もなく、僕も回復しつつあるのですがレーダーが無い航海はかなりハードなのでまだしばらくここで休養の日々
となりそうです。 これほどレーダーが役立っていたとは・・レーダーがある時の夜間航海はバリヤーを二マイル程のところに張って
アラームをセットし二人揃って決まった時間には寝ていました アラームが鳴った時だけ起きてしばらく衝突の危険がないか見張り、
そして又寝ていたのです。レーダーは月が無くても間違いなくバレーボールサイズ以上の物は写してくれていたから目よりはるかに確か
でした。(機械は四六時中油断が無い) 


レーダーが無い今の航海はどちらかが必ず起きて見張りをしているのですが・・・何分にも老人の目で、おまけに二人とも全く揃って
同じように(原形と違って)見えるから二人合わせても一人前にはならず大体で判断し小さなものや明かりが点いていないものに衝突
したら「運が悪い」と諦めて半目暗状態で走っているのです。衝突してもヨットが沈むほどの物は無いと思うのですが・・・ 









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ビサヤ地方との違い

2007年05月13日 12時41分26秒 | ヨット世界一周クルージング
ガンガンと真っ青な空から太陽が照り付けているルソン島ボリナオハーバーです。

長らくホロホロが居たバイスやボンボノンはネグロス島にあってその周辺はセブを中心にビサヤ諸島と呼ばれ住民はビサヤ語を話し、
フィリピンの公用語タガログ語は主にルソン島で話されている。 ビサヤ語圏の人はある程度タガログ語はわかるがタガログ語圏の人は
ビサヤ語の殆どがわからない。 日本にも方言があって全く理解できない言葉もあるがフィリピンの場合は方言でなく全く別の言葉で
大きく分けると5つほどの言葉が話されているらしい。そんなことで少しだけ覚えたビサヤ語で挨拶などをしてもここボリナオでは全く
通じないです。

ビサヤ諸島の中でもネグロス島は貧しいと聞いていたが数年前に日本のヨット、ラー三世と共に数多くの島々に寄りながらマニラから
スービックまで北上した時は感じなかった(勿論マニラやスービックは都会だったが)「貧富の差」と言うか「お金の流通量の違い」
「人の動きの差」を感じています。


ボンボノンやバイスに停泊して一日中ヨットの中で過ごした場合、陸からにしろ海からにせよ「エンジン音」を聞くことは珍しく一日に
一度も聞かなくても不自然ではありません。漁師は手漕ぎのカヌーか帆を張ったカヌーで移動し、学生もまた手漕ぎカヌーで登校してい
ます。 エンジン音はたまにヨッティの誰かが充電するかテンダーで移動する場合だけで「自然の音」「鶏の鳴声」「犬の遠吠え」など
しかないのです。

民家も全く違います。バイスやボンボノンの家は大体「竹と椰子の葉」で出来ていて窓は開いたままだし「戸締り」が出来るようになっ
ている家は少ないですがここの家は殆どがコンクリートで窓も閉まるようになっているし、家によっては日本以上にオシャレな物や立派
な家があります。台風が無い北緯10度以内と台風が多い場所の違いもあるでしょうが「建物にお金が掛かる」為の世知辛さもバイスや
ボンボノンと違い人々から感じられます。


ここボリナオはルソン島でも岬の先端にある小さな街で市場のサイズから考えて大きさにすれば多分バイスと余り変わらないと思うのです
がヨットを停めている横を一日中エンジンつきのアウトリガーカヌーが走り続けます。ほんとに一日中で夜中にも止まることなく誰かが
いつも空冷エンジン発動機を改造したエンジン全開で物凄い騒音を撒き散らして走っています。 この港を地元の人たちはフィッシング
ポートと呼んでいますが港から町の中心(市場)までトライスクルで3分ほどで歩いて行けない距離ではありません。乗り合い料は7ペソです。


バイスから比べるとはるかに近い距離ですがここのトライスクル(四人乗り)をチャーターすると30~50ペソ必要で物価の差を感じ
ます。(バイスのトライスクルは8~12人乗り)この港からS字に水路は奥へ繋がっていてその両側に住んでいる人たちが船で行き来し
ます。一隻の連絡船には約30人ほどが乗れるのですがこれが一日中発着しているから奥に住んでいる人の数もかなり多いのでしょう。
 勿論豚やニワトリ、山羊やオートバイなども一緒に運ばれています。船賃がいくらかはわかりませんが・・


魚の値段も野菜、果物の値段もバイスとは随分違います。バイスではバナナは一本幾らで売られていて大体1ペソです。ところがここで
はキロで売られて1キロ35ペソします。数えて見ると一本あたりは5ペソ以上します。ところがマンゴになるとバイスでは平均一キロ
40ペソですがここでは20ペソと安いのです。
バイスと比べて野菜は根菜類は高いけど菜っ葉類は安いようです。魚は平均に高く特にマングローブクラブはバイスでは一キロ150か
ら200ペソですがここでは300ペソします。


どちらも変わらないのは子供を含み人が滅茶苦茶多いことです。現在ホロホロがアンカーしているのは水路を少し入って外海から
のウネリが来ない小さな村の前です。ここにヨットは3隻います。一隻は以前マレーシアのランカウイ島で会ってフィリピンの情報を
教えて貰ったアメリカ人の大きなカタマラン(アメリカ人は80歳位同乗のフィリピン女性は30代)とそのアメリカ人の従兄弟の
モノハル(ホロホロと同じ単胴)ヨットでこの従兄弟はやはりフィリピン人女性と住んでいるらしいのですが陸上住まいです。

大きなカタマランの爺さんもここで2ヘクタールの土地を買ったそうでそのうちに陸住まいになるようでここも「ヨッティの墓場」が
出来そうな雰囲気です。 地形から考えてもタイフーンホールと皆が言うのが解るような安全な泊地です。何度も日本とフィリピンを
行き来しているヨットから聞いた情報では日本から南下してくる場合も北上する場合もここで数日過ごすそうです。ただし入国や出国の
手続きはドウマゲティでします。近くにサンフェルナンドと言う大きな街があり其処で出来るのですが「袖の下の額が大きい」そうです。


まあ簡単に言えば「安全な泊地」で「買い物が便利」だけど「騒々しい」です。 僕の体調は血の下痢と航海での寝不足の両方から来た
疲れが残っているのでしょう? 多眠症と言うのがあるとすればそんな状態で良く眠っています。 美由紀はまだ発病しておりません。
僕の赤痢菌が伝染したと考えればまだ潜伏期間になりますが、なんとなく切り抜けたかな~・・と話しています。


大どんでん返しと言うのもありますが・・・現在服用しているメトロニダゾールは紫外線に当たると副作用で蕁麻疹が出るらしいので
ゆっくり休養してから出発を考えたいと思っています。 

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ココまでの航海を・・

2007年05月12日 11時08分09秒 | ヨット世界一周クルージング
ネグロス島バイスを出てからここまでの航海を振り返ってみました。これからフィリピン経由で日本に帰るヨットの参考になれば・・

日本に向かって航海するのに一番に考えたことはレーダーが壊れて使えませんので島が少ない側を月の明かりで航海するのが安全と判断しました。 二番目に考えた事は五月の中頃までは東北東の風が吹く確率が高いことです(チャートテーブルを参考にした)。そして三番目に台風発生時の避難場所でした。これら三つの要素を考え決定したコースが今回進んできたコースであります。予定通り東北東の風が吹いていてくれれば楽な航海だったと思いますが残念ながら今年の場合少し時期が遅くこのコースを進む適期は4月初めから中頃だったと反省しています。


4月29日にバイス(9度35分N 123度09分E)を出たのは北東の風が期待できたからです。バイスからドマゲティ沖までは南東に進みその後バイスへは西南西が進路で距離は約40マイル。風は全行程横または後ろからで楽な航海でした。7時出発15時到着。

5月2日ボンボノン(9度04分N 123度08分E)は準備が整い東風を確認して7時に出港しました。目的地のパナイ島まで東側に島があり西はスル海で東風が主体の
時期には波も大きくならず後ろまたは横風を想像していましたが午前中はENEでしたが気温が上がるにつれてシーブリーズ(太陽の熱で陸の温度が上がり気温が低い海から高い陸に向かって吹く風)の南西に変わりました。波も大きくならず
予想外の方向の風でしたが横風を受けて15時までは快適でした。その後スコールで風が回り落ち着いたのは北東の風でクローズホールドながら一晩中風とエンジンを利用して走りました。ホロホロは登りが悪い船なのでクローズホールドになるとエンジンは絶対に必要なのです。久しぶりのオーバーナイトは月の明かりも強く所々にある「シイラ寄せ」のブイも視認できました。5月3日7時当初の目的地サンホセ デ ブエナビスタでなく南端の灯台がある島の横に到着。目的地を変更した理由はミンダナオ島の西側にある低気圧が少しながら発達したのでもしもそれ以上の発達があった場合確信が持てる以前に行ったことがあるハリケーンホールのイロイロリバーに近いからです。120マイル。

5月4日良く眠れたのと低気圧が安定しているので7時にパナイ島南端を出港(10度25分N 121度55分E)ほんのしばらくは東北東の風でしたが風は北に回り北北西に向かうホロホロにはクローズホールドの風を受ければ遠回りのコースしか得られずセールを降ろしてエンジンで進みました。 途中シイラ寄せの明かりは点いていないけど結構大きなブイが沢山あり、月も雲に入ったり出たり雨も降ったりで結構厳しい航海でした。5月5日10時島との間の海峡を抜けてミンドロ島サンホセの町の沖にアンカー(以前来た時にアンカーした場所)。125マイル。台風の避難港ながらここは大型のアウトリガーが多くまた安全な港内が狭いので喫水が深いモノハルヨットは避難が難しいです。カタマランなら大丈夫ですが。

5月6日 サンホセ(12度20分N 121度55分E)を朝7時出港。普段は六時に出港するのですが7時になることが多いのは朝の無線に出るためでこれもその日の行程で到着が10時から14時の太陽が上のほうにあってマストに登ればリーフなどが確認し易い時間に到着できることが基準になっています。海図はほぼ信用できますが視認が一番だからです。(思い通りにはなかなか行きませんが・・)この日の風は南西から徐々に西となりましたがやや北に寄りながら進みました。風は弱く機帆走で翌朝の日の出はルバング島の南でした。 ここで赤痢症状が出ました。 もう一晩走って昼頃タイフーンホールのマタルビ(15度30分N 119度55分E)に入港を予定していたのですがマタルビに大きな病院が無いので目的地をもう少し北の同じくハリケーンホールであるボリナオに変えました。マタルビからボリナオまでの距離は航海を一日延長するには近く同じ日に入るには遠い距離で発病した時からスピードを調整しはじめました。風は朝はENEでそのあと西に変わり北西から北、北東と回りましたが3~4ノットで二日後の昼に到着するよう考えたのです。 ところが北に向かって流れる海流が強くなり始め進路を保つには一定のスピードも必要となり艇速は5ノットで無数に居るイカ釣り漁船の間をくぐっているうちにボリナオ沖に3時ごろ到着。知らない港に夜間入港はしたくないので
沖でヒーブツー(セールに裏風を入れて舵を反対に切ると船は余り動かず安定する)して朝を待ちました。5月9日(3オーバーナイト)午前九時ボリナオ入港。(16度23分N 119度54分E)290マイル。

と、まあこんな具合の航海でした。途中に発病があったもののまあほぼ予定通りと
言えない事もありません。バイスからここまでの航海距離は約580マイル(海の1マイルは陸のマイルと違い約1.8キロ余り)徳島までの25パーセント以上進んだことになります。

でもいろいろありますよね~・・航海はやっぱり人生と言った感じです。明日はボリナオについて書いてみます。バイスやボンボノンとは全く違うんですよ。
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少し疲れが出ています

2007年05月11日 13時16分59秒 | ヨット世界一周クルージング
一昨日ここボリナオハーバーに入港してから美由紀が突然「潔癖症」になっています。海上航海中はそんなことを言っていたのではヨット
は進みませんが安全な港に入ると突然のように普通の日本人となります。

世界人口の1パーセントに当たる5千万人が保菌者と言われる「アミーバ赤痢」の殆どを占めているフィリピンは世界中にある伝染病の
超保有大国で「外貨は無いけどあらゆる病はあるぞ」と自慢できるほどの国でもあります。際立って多いのがほかに結核でこれも人口の
2割くらいだそうです。

もちろんエイズ、腸チフス、パラチフス、コレラ、ペスト、狂犬病、マラリア、フィラリア、ツツガムシ、などなど極めて普通で誰も驚
いてくれないほど一般的にあるのですが・・ちょっと見た限りでは皆健康そうだから不思議でもあります。実際これほどイッパイの病気
がありながら80歳以上の人も見かけるから人は何処に生まれても「寿命」と言うか「運命」的なものがあるのかも・・と考えたりして
しまいます。
しかし平均寿命となると50代だから僕がフィリピンに生まれ育っていたとすれば現在生きている確率はかなり低かったでしょう。


前回の美由紀の場合は初めての発病であり「血の下痢」と言うのはかなりショックですぐにセブまで出て最高の病院を探し治療を受けたの
ですが二度目ともなると落ち着いたものでフィリピンに長く居てやっと「一人前」になったと言う感じさえしています。病気の診断は簡単
で血とニオイに特徴があるのだそうで「ウンチ」を見て匂いを嗅げば病理検査をしなくても間違いはないそうです。

薬は米国製で(殆どどんな薬も)米国が長く統治に近い形でフィリピンを治めながらこれほどの伝染病をどれ一つ退治しようとしなかった
背景に製薬会社の献金があったのでは・・と想像してしまう位薬局の数と米国製薬剤の需要が多い国でもあります。


しかし一般的フィリピン人家庭は貧しくその薬さえ買えない多くの人たちがいます。例えば犬に噛まれたとします。フィリピンの犬は狂
犬病を持っているのは普通で2000年の美由紀が犬に噛まれた時に聞いたところによればビサヤ諸島だけで500人ほどが薬が買えず
死んでいるそうです。狂犬病は噛まれてから5日以内に一度目の注射をし二週間後?に二度目の注射をすれば100パーセント助かりま
す。しかしその薬が一回分日本円にして8千円ほどします。二回で1万六千円となるとお金の都合が付く人は限られます。そこで殆どの
人は噛まれた後、噛んだ犬を監視します。狂犬病の潜伏期間は犬も人間も同じで一週間だそうです。数日で犬が発病した場合は親戚、友
人知人を頼ってお金を借りて注射をするそうですがそこでもお金の都合が付かない人がいます。それと犬の発病が遅く注射が間に合わな
い場合も発生します。そんなことで狂犬病のように注射をすれば絶対に助かりしなければ絶対に死ぬ病気でも薬が買えず死んで行く人が
後を絶ちません。


世界の豊かな国から色々な援助をしても下々まで届
かず途中で消えてしまう現実があります。例えば日本で古い衣料品などを送っていますがそれらは無償で貧しい人たちに配られることは
絶対になく、届いた時点から商品としてセリにかけられ(そのお金は一部の人たちの懐に入る仕組み)分散されて各地で販売されていま
す。実際に各地に分配するには流通の為の費用が掛かると言えばそれまででもありますがこの国の中でも特に貧しい人たちの手に入るこ
とはなく、一部の人たちの懐を肥やしている程度と言えないこともありません。


しかし衣料品の絶対数が増えることによって、その又古着がより下の人たちに回る可能性はありますから全く無駄ではないかも知れませ
ん。まあヒドイと言えばヒドイ国ですがホロホロが数年を過ごしたように少しお金があれば愉しく暮らせる国でもあり、外国人の我々は
できるだけ深く考えず「良いところ」だけを見て利用して過ごすのが一番でしょう。そんな国フィリピンともまもなくお別れです。


色々なことはあったけど多くの愉しい思い出が語り尽くせないほどあります。美味しくて安い果物も忘れられないものでしょう。日本に
帰れば懐かしくまた来たくなることでしょう。人から「どんな国?」と聞かれたら迷わず「愉しく面白い国です」と答えるでしょう。
1993年5月4日に日本を出港してホロホロが今までに寄った国は59カ国。その中でフィリピンはヨットで暮らすなら5本の指に数
えることが出来る面白い国でした。税関やイミグレーション職員に何度もたかられ、今赤痢にかかり血を流していますが心からフィリピ
ンに「ありがとう」といえます。


この国に来ると間違いなく日本人には馴染みにくいいろんな事が起きるでしょうが恐れることなくフィリピンを多くの日本人に訪れて欲
しいとおもいます。

昨日、一昨日と夜にかなりまとまった雨が降り清水タンクを潤してくれます。
多量の出血の為か久しぶりの航海のせいか少し疲れが出てゴロゴロと過ごしていますが数日すれば復活するでしょう。
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赤飯じゃ~

2007年05月09日 10時23分42秒 | ヨット世界一周クルージング
パナイ島南端を出発してボリナオハーバー到着のわずか4日間に頭髪は全面真っ白、顔は皺だらけ、体重は45キロまで落ちた「気分」の溝田ですが実際は全く出た時のままですが・・・


5月6日 「あの~・・ちょっと、ちょっと。ホロホロは北北西に行きたいんやけど・・・なんで真向かいから風が吹くの? この時期
東北東の風が普通ちゃうんかい?」「オマエは今まで楽な航海ばっかりしてきたから海の厳しさを教えたっとんじゃ」「ほんなことない
でぇ、日本からハワイまでは向かい風で波高かったし・・アラフラ海では毎日毎日無風で・・・」「アホ!ほんなもんは笑顔の海じゃ。
こんな位の向かい風で文句言うお前にはまだまだこれから海っちゅうもんを教えたる」「ほんなこと言わんとよろしゅうたのんますわ」

神様とこんな会話があってその夜はずっと向かい風の中を「バッタン、ドッタン、ドッシン」とエンジン2400回転でロデオしながら
北上しかし明け方には風が止み、波も次第に収まってきました。 朝食をクラッカーにイチゴジャム、トマト、目玉焼き、キューリ、
アボガドなどで済ませたとたん、腹が痛い・・・冷え腹にしては何故かオカシイ・・これが生理痛か?と言った感じの痛みです

すぐにトイレに走って・・便器を見てびっくり! とうとう「大人になった!」「美由紀、赤飯じゃ、赤飯じゃ」と呼んだ。
すぐにそれを見た美由紀は「いや~!!どないするん?前の私とおんなじでえ・・」
そう言えば僕はサトイモで赤飯を炊けるような器は持ち合わせていない。 さっきクラッカーに塗ったイチゴジャムが出世して子孫を増
やしイチゴゼリーも連れて大出動したようになっていました

前回フィリピンに来てセブで三日、ドゥマゲティで二日ホテルに泊まりレストラン巡りをしてフィリピンに入国して6日目にホロホロに着き、早速その脚でサンディナイトに行った後、美由紀が発病した「赤痢」  
それは字の如く「赤い下痢」なので誰にでもすぐ解ります。今回は以前のこれに懲りて「火を通した物」を食べることを考えていたのに・・・


出発前にセブに行った時か、(バスの中はいい気分だったけどな~・・)ドゥマゲティの日本食レストラン? 人が触ってから火が通ってなかったものは「寿司」これが一番可能性が高い。けど・・潜伏期間が5日から20日と長く、またフィリピンで慢性患者は人口の二割は居ると言われているからどこで移っても不思議はない。

正確には「アミーバ赤痢」肝臓に入らない限り命に別状はないが、毎日毎回これほどの血が出てはたまらない。 今回入港予定地のマタルビハーバーは
小さな村しかない僻地。航海は一日増えるが3オーバーナイトで病院のあるボリナオハーバーに向かうことにした。

その日(5月7日)の夜中オートパイロットが故障予備のもう一台と取り替えたとたんそれも故障。揺れる船内で修理にかかった。
ところが組み立て始めて使われているバネをもとのように入れようとしたとき「ぴょん」と飛んでしまった狭い中とは言え・・一時間
探して見つからず。 もう一台をばらして「二個一」にして出来上がったら三時になっていました。


それが終り一息入れようとすると美由紀が「煙がイッパイで出した・・・」見てみると排気管からモクモクと白煙が・・・「エンジンが・・・壊れた?」回転数を上げたり下げたりしてみたが変わらない。「原因不明」だけど明らかに異常。今までこんなことはなかったけれどとりあえずエンジンを停止してオイルと水を確認したが異常は見られず。


とりあえずオイルエレメントとオイルを交換してエンジンを掛けてみると白煙が止まった。 原因は解らないがとりあえず解決トラブル続きで横にもなれないまま朝を迎えました。その間も何度もトイレに行かなければならず・・なかなか海上は厳しいです


五月八日は朝から弱いけど斜め後ろから風を貰っています。イチゴゼリーは相変わらずですが・・明日の昼前に入港できるように速度調
整しながら走ります。 赤痢だけど元気です。美由紀に伝染しないかと心配ですが・・トローリングの成果はなし。夜は何百隻と居るイカ釣り漁船の間を延々とくぐりながら北上。


五月9日朝3時にボリナオハーバー沖に着いてしまったけれど夜に入港はしたくないので沖で「流す」セールに裏風を入れて舵をイッパイに切って置くと船は割りに安定して余り動かず居てくれる。


現地時間六時のシーガルネットに出て報告。その後自然の入り江のボリナオハーバーに舵をとり午前九時にアンカー投入しました。今日は疲れているのでシャワーを浴びて髭を剃り明日の朝から病院に行く予定です。

潜伏期間があるから解らないけど美由紀はまだ発病していません僕の方は益々「赤痢」で忙しいけど元気です
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ミンドロ島南端サンホセです

2007年05月05日 13時59分35秒 | ヨット世界一周クルージング
ミンダナオ島の低気圧の動きが遅いようなので昨日の朝九時にパナイ島南端を出発。出てから一時間はNENの風を横から受けて走れたのですが・・それから後はしっかり北の風となり北北西に向かうホロホロには僕の人生のようにずっと向かい風が続きました。

向かい風になるとセールは降ろしエンジン一本。直線で目的地に向け130マイル余りを24時間で走りましたが向かい風は当然向かい波なので暴れ馬に乗っているようにヨットが動きますからかなり疲れました。

着いたサンホセは大きな漁師街。大型のアウトリガーカヌーがイッパイでもしも台風が来てもヨットが非難できる場所はなさそうです。

ボンボノンを出てパナイ島までの間には小さいながら本マグロの子が二匹釣れましたが今回は期待していたのに坊主でした。

次ぎの予定は285マイル北のルソン島ボリナオハーバー。ここは台風でも安全な泊地なのですが・・遠いなあ~。  一般的日本人はハーバーなどと名前が付いているとしっかりした港を想像すると思うのですが・・全く何も無い自然の入り江なのです。

日本を除く世界中の港(日本人が考えるようなコンクリートの防波堤に囲まれた)の数は驚くほど少なく、おそらく日本の全港(漁港を含む)と世界の全港の数を比べると似たような数になると思います。

それほど「人工的に囲まれた港」は無く地中海全てでさえ数えるほどで徳島県の港の数に及ばないと思います。気象的に日本が厳しい場所にあること、漁船の数が異常に多いこと、他に港を造って「利を得る」人が多いことなどが理由と思いますが無さ過ぎるのは天気が変わると困ります。


相変わらず低気圧はあり、発達はしていないものの少しづつ北上を始めたようです。 「どう動こうか」と思案をしています。
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思案中です

2007年05月04日 09時06分18秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日パナイ島南端にアンカーを入れて朝食をとり、一口眠ろうとしたけど眠れず・・元気が出ないまま夕方になり天気をとるとミンダナオ島の東にあった低気圧が発達していた。あの周辺に出来る低気圧は殆どが消滅するのだけれど熱低にまで発達し台風に変わる可能性がないとも言えないので様子を見るためここで泊りました。

ここは約70マイル東にイロイロ市があり以前入港して台風の非難港として心配ないことが確認で来ているのです。次に行こうと考えているミンドロ島の南端サンホセも大丈夫とは思えるのですが以前寄ったときに中まで入らなかったのでイマイチ確信が持てません。


ヨットはキャンピングカーと違い台風や低気圧に会うと強い風だけでなく波が出来ます。これは台風時に停めている車の駐車場の地面が超大型地震のように数メートルアップダウンを数十時間繰り返すようなものですから極めて快適ではありません。

おまけに地面についておらずアンカーチェーンで止めているだけなので約100メートルの範囲ですが動き続けます。強い風と雨、数メートルアップダウンする地面、勝手に百メートル動き回る車の中に居ることを想像してみてください。車ならたとえぶつかっても死ぬようなことはありませんがヨットの場合アンカーが引けて座礁となると間違いなく沈没し泡立つ海面に投げ出されます。昼間はまだいいのですが真っ暗な夜などかなり不安なもので時にかなり焦ります退屈している人にお奨めです。絶対に退屈はしませんと保証できます。


しかし日本近海(フィリピンも含む)以外で一年中台風が発生する可能性がある海域はなく、まるで線を引いたように「ある期間」の天候は全く安定しているのでそれほどの心配はありません。

パイロットチャート(数年間の平均から出した風向きや強さ流れなどを表したもの)によると5月のフィリピンは台風が一つ出来るようです。そして上陸するものはミンダナオの近くで発生し、北に上がりフィリピンに影響しないものはかなり東の海上で発生しています。と言うことは現在の低気圧が発達した場合北に上がってやってくる可能性がかなり高いことになります。

そんなわけで・・どうなるか解らない天気に「悩んでいる」状態です。




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眠れない初夜

2007年05月03日 09時30分50秒 | ヨット世界一周クルージング
レーダーが無いので月の光を利用しようとボンボノンを出てネグロス島の南端までは後ろの風で観音開きにして快走。その後少し向かい風だったものの間もなくシーブリーズが南西より吹きそれを拾って午後三時まで快走。三時から一時間ほどスコールがあり、その後無風が夜中の12時まで。その後突然の様に東北東の風が吹きそれを真横に受けてパナイ島南端を目指すもパナイ湾から吹き出す風と共に横浪を受け続け飛沫を被り続け。 縛っていた燃料のポリ缶一個が受けた波でロープが切れて吹っ飛び裂けてデッキの上は軽油だらけ。二人とも全く眠れず 臭いし滑るし・・・大変でした。とても朝飯を作れる状況で無かったので急遽予定を変更してパナイ島南端の灯台がある島影に非難しました。今朝飯を済ましたのでこの後ポリ缶のラッシングをやり直し少し休憩してミンドロ島に
向かおうかと考えていますが・・・風は相変わらず強い・・
久しぶりのオーバーナイトクルージング約24時間でしたが・・忘れていた事を思い出しました。

人生を航海に例えることは良くありますが・・・現在「退屈」な人に一言。退屈な時が一番順調な時だと航海は教えてくれます。退屈なら感謝すべきで少しでも荒れ始めると退屈なんてしている暇はありませんです。
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ボンボノンより結末報告

2007年05月01日 15時08分29秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日の朝バイスを出てヨッティの墓場ボンボノンに来ています。そしてドゥマゲティへ再度ワイヤレスでインターネットが繋げるエアーカードの確認に行きました。

そこで半日発売元のPLDT(電話局)に電話をしたり通信を受け持つSMARTに確認したりを繰り返せど電話すると言っては全く連絡なし。フィリピン人は全く無責任でやる気がないとしか思えない

そしてもう一度「残金」を調べさせると「ゼロ」とのこと。前回の確認では間違った番号を見ていたらしいが絶対にミスを認めないのがこれまたフィリピン人。

でも自分で解決できました。そんな具合で随分苦労しましたがまたヨットからインターネットに繋がるようになりましたので、電波が届く場所に行った時はブログもアップできます

数ヶ月ぶりのボンボノンは墓場らしく全く変わらずノッテリと時が進んでいるようです。それでも前に居なかったヨットが3隻増えています。少しづつ増えて墓もまた同じく増える、なかなか抜け出せないぬるま湯的快適さを持ち続けているボンボノン。明日にでも出港したいと思っているのですが・・・
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