outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

大暴落!!

2007年02月28日 13時08分13秒 | 退職生活
中国、アメリカの株式市場大暴落を受けて日本も記録的な大暴落。一時は日経平均が750円安まで落ち込みました

当然ながら僕が持っている「丸紅」も「ナカノフドー建設」も同様に大きな下げになっています。やっぱり株は博打ですね~・・でも買った値段まで下がっていないし、これからまたジワジワと上げてくると信じて待っています
がんばれよ~・・


株に詳しくない人には難しいかも知れませんが、このような大きな下げで一日の取り引きが終ると「信用買い」(保証金の三倍の株が買えるがその分値下がりも大きい)をしている人たちが「保証金不足」を起こします。その返済の為に持っている株を処分してお金を払わなければならない状況になり「一段と安くなる」可能性もあります。



二ヶ月かけて上がってきた株価が一日で戻ってしまうからやはり株は怖いですね。
今日一日で全ての財産を失った人が何人も居るはずです
そして反対に「空売り」(持っていない株を売っておいて下がった時買い戻す)していた人で「一財産作った」人もこれまた何人も居るのです勝った人もいずれは殆ど負けるのですが・・・


今日のサウスバイスベイは昨日の夜から季節風が強くなりホロホロの回りは白波が飛んでいます。 しかし青空も見え、太陽の光を受けた6枚のソーラーパネルはけなげに電気を作ってくれています


ソーラーシステムのお金が払えず引き上げられて借金だけが残ったフィリピンの電気も来ていない山の人達もかわいそうですが・・日本では殆ど毎日のように100人近くが「自ら命を絶つ」そうです。



僕も「大暴落」で今日は元気がありませんが
そんな「暗い話」を次回のブログでは「明るくなるように」してみたいと思います


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悲しいソーラーパネルストーリー

2007年02月27日 17時18分04秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
何事かないと起きない時間の6時前に起きて定番(パン2ヶ、目玉焼き一個、トマト一個、アボガド半個、バナナ一本)の朝食を食べて
タタさんの家に着いたのが7時前でした。

マニラに行く娘と奥さんが一緒にハイエースワゴンに乗って最初の行き先は空港になりました。空港はドゥマゲティのすぐ近くなので「山越え」を愉しみにしてい
たけど海岸沿いの良く通る道です。飛行場に着いてビックリです。カレンさん(娘)は防弾チョッキを着ていましたこれが結構重くて
4キロほどあります。それにしても若い娘が「防弾チョッキ」男に狙われるような事があったとは思えないからやっぱり「財閥の娘」は
そこまでしなければならないのか・・ちょっぴり可哀相でもありました。


海岸通りのハイウエイは名前ばかりのハイウエイ(普通の国道をそう呼んでいる)ながら信号はバイスからバヤワンまで一つもありません。
何しろ首都のドゥマゲティにも信号は一つも無いのですから・・ 空港で飛行機が無事飛び立つまで一時間ほど待ったの
でバヤワンに着いたら11時前になっていました  

悲しい話「電気が来ていない山の人達が銀行でローンを組んで太陽光発電システムを買ったものの一年でフィリピン製バッテリーはダメに
なるし毎週の100ペソが払えないので差し押さえられ売られている」のソーラーシステムは前回の何倍にもなって倉庫に積み上げられて
いました その中からすでに支払いを少しでも多くしたものを選び(残金が少ない)かつ引き上げてきて日が経っていない物(利息がつ
いていく)を二つ選びました。利息込み、二つで2万3千ペソでそれを銀行に払い「なんで利息払わなアカンのや!」と文句は言ってみた
けど・・・ダメでした。しかしフィリピンの銀行はオカシイ!一年経ったら延滞利息が膨らんで新品と変わらなくなる計算なのです。


それにしてもこのセットは一枚のソーラーパネルと一個の100Aバッテリー、チャージャーコントローラー、蛍光灯7ワット2個、10ワット2個と全ての配線コードがついて24000ペソなのです。 ソーラーショップのカタログには、これで2個の7ワット蛍光灯が五時間、2個の10ワット蛍光灯が4時間点けられると書かれています。また写真にはテレビやカラオケ、扇風機も載っています。値段的には決して高くないし品物もバッテリーを除けば悪くありません。(政府が1万ペソ位負担しているらしい)但しこれで生活の灯りに使うには余りにも不足。ランプのほうが具合がいいと思う。


それだけを見ると夜になって4つの蛍光灯が4時間と二つはもう一時間余分に点けられると思うわけです。ところがこれは「絶対無理」で一つづつを五時間、五時間、4時間、4時間
なら使えるのですが・・・そんなわけで夜に4つを一度に点けると二時間余りでバッテリが上がってしまいます。フィリピンのバッテリーが粗悪なこともありますが
「エンジン発電機」は音がうるさいとかガソリンが要る・・またランプやろうそくは火事になるなどと脅かして、ソーラーは何も要らないクリーン、サイレント&セフティと言ってローンを組ませるのはかわいそうです。



そして電気を使いすぎるからバッテリーの寿命も一年がやっと・・・毎週100ペソさえなかなか払えない山の人たちに一年ごとに3000ペソ以上するバッテリーは買えません。 そして引き上げられる。残ったのは借金だけ・・ああ~悲しいストーリーなのです幸いにも僕が買ったソーラーの人はもう利息は付きませんからまだラッキーです。そうでない人は・・銀行はやはり・・金融業でなかなか厳しいのです  売っている店は多分いい死に方は出来ないでしょう・・


まあ何はともあれ僕としては二つが2万3千ペソで一年使っていても安い買い物でした。昼飯を食って「山越えで帰ろう」と言ったらドライバーが
ドゥマゲティで降ろす荷物を忘れていて・・またまた海岸通りの道を引き返しました。ヨットに戻ると四時になって二人ともグッタリ・・


そんな訳でブログもアップできませんでした。今日はそのソーラーパネル二枚を「夕方の太陽」を狙えるように取り付けました。真上の
太陽を受ける昼間は今までの4枚で充分なのですが日が傾くと足りなくなります。そこで今まで付いているソーラーパネルの横に角度を
調整できるようにしたのですが・・・なかなか口では説明できません。 実用的ですが決して芸術的であったり「美感覚」などは無視され
ています。釣り糸で調整するんですから・・・


でもソーラーパネルが6枚になってかなり余裕が出来、昼間なら二人が二台のパソコンを使っても全然平気でまだバッテリーに充電してい
る状況です。誰も居ない時はすぐに過充電になるので今回設置した二つと前回の一つには「ON,OFF」スイッチを付けました。

そのうちに写真を写してアップしますね。
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ネグロス島南部の状況など

2007年02月25日 17時16分08秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
いい天気のフィリピン、ネグロス島サウスバイスベイです。


昨日はインターネットカフェに出かけたのですが「調べもの」に忙しくブログのアップが出来なくてすみませんでした 普通の人は「仕事してない」から暇がイッパイあるだろうと考えがちですが、どんな「退職者」もそれなりに結構忙しいのです。まあ「ダラダラ」してるから何事も昔に仕事をしていた頃のようには進みませんが。 

そして「不思議」に思うのです。あれだけ仕事していたのによくあんなこともこんなこともできたな~・・・と

これも退職者には「そうや、そうや」と解ることなんですが・・

そして帰りに屋台で鶏の空揚げを買ってきてヨットに戻って調子よく冷えたビールを三本流し込みました晩飯も食べて30分ほどしてからいきなり「吐き気」それから30分あまり「上へ下へ」の直行便でトイレットボールを抱えて泣きました

やっぱり「鶏」かな~・・・ぐったり疲れて・・朝起きて体重計に乗ったら62キロになってました



いつもは朝の八時過ぎに行くんですが今日は珍しく昼食後に買出しに出かけました。昼過ぎの市場はやはり少し眠たげで特に野菜売り場は引き上げた人も多く、肉屋の肉も残り少なくイマイチの活気でした

しかし昼にならないと入ってこない魚があったりするので魚市場は元気でした

日曜日は生きた豚や牛、山羊なども持ち込まれて売られるのですが「売れ残り子豚」が二匹居て「かってよ~・・」とかなりしつこく迫られましたが・・ヨットで飼うのも難しいので・・黒豚で一匹750ペソとのことでした実のところ豚は賢いらしいから僕はペットとして飼いたいのです。ところが美由紀が「あかん!」と言うので泣く泣く辛抱しています

なかなかうまいこといきませんね~・・

豚飼いたいなぁ・・・

明日はネグロス島の東側から西側まで山を越えてソーラーパネルを買いに行ってきま~す。早く戻れたらブログアップしますね。


写真はネグロス島の南のほうの海図です。矢印が三つ付いていますが一番下がヨッティの墓場「ボンボノン」です。そして真ん中が首都のドゥマゲティでドゥマゲティのすぐ上に端っこが見えているのは「セブ島南端」です。一番上の矢印のところがホロホロが停泊している「サウスバイスベイ」です。明日行く「バヤワン」は矢印はありませんがネグロス島の西岸でバイスの裏側になります。
「バイス」「ドゥマゲティ」「ボンボノン」「バヤワン」の
4箇所はどの間の距離も大して変わらずバスで一時間あまりかかります。

写真をクリックすると大きく見えます
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近くのヨッティは今・・・

2007年02月23日 12時23分47秒 | 長期のヨット生活
ネグロス島サウスバイスベイに一隻だけなが~い間停泊しているホロホロ3世は4月初めに徳島から堀一家が来るまでここを動く予定はありません

バイスに根が生えてしまった感がありますが毎日それなりに愉しんでおります。今日はロングクルージングをしている他のヨットの事を少し書いてみます。とは言ってもここ最近連絡をとっているヨットは三隻だけですが・・・


以前フィリピンの海を約3ヶ月一緒にクルージングした和歌山のヨット「ラー三世」から一週間ほど前「セバナコーブに着いた」と連絡がありました。
2004年?フィリピンからボルネオ島を経由してシンガポールからマラッカ海峡を北上してタイのプーケット島まで。そしてあの津波で
マリーナに入っていたからヨットはダメージを受けてしまう それを修理しランカウイ島からプーケット島の間を一年のうち約5ヶ月クル
ージング、後は日本で山に登ったりして過ごしていた。 セバナコーブはシンガポールの近くにあるマレーシア領で、そこまで引き返してきたことになります。来年はマレー半島の東側をクルージングしようかインドネシア方面をクルージングしようかと思案中のようです。一昨日の連絡ではヨットの片づけがほぼ終ったのでヨット
をそのマリーナに預けて27日には日本に帰るそうです。「日本の食べ物は美味しいよ」と僕を急かせるメールが入ってきました。

ホロホロの場合もそうでしたが飛行機を使う場合「帰る」と決めると一日も早く帰りたくなったものです。ヨットの場合は季節を待たないと出航できませんが・・・


そのセバナコーブとはマリーナなんですがそこにもう一隻日本のヨット「たかまみ」が置いてあります。原田夫妻はイギリスでヨットを建造して地中海から大西洋、カリブ海から米大陸をトレーラーに載せてヨットを太平洋岸へ移動しアラスカに行ってから南下し太平洋の島々を巡ってオーストラリアからインドネシアそしてタイのプーケットでしばらく過ごした後ホロホロと会って一ヶ月余り一緒にクルージング。その間にシンガポールまで南下。 その後僕はマレー半島の東側をクルージングしてインドネシアの島々を経てボルネオ島へ、そしてフィリピンに入ったのですが・・「たかまみ」夫妻はその間ずっと「セバナコーブ」と鎌倉の自宅を行ったり来たりの生活となっています。現在は日本です


最後の一隻は同じフィリピンにいる「パパラギ」のI氏です。独身でフィリピンに来ているI氏は僕が知っている限りで一番「浮かれている」ヨッティでありますスカイプにも最近の彼女の写真が・・・なにしろ若い美人の女性を次々に・・僕と同年代だけれど、あの調子なら今に「30歳は老化するだろう」と思っているのですが・・・会うたびに元気になっています。 先日のメールでは近々パラワン島にクルージングに出ると書かれていましたが・・・腰が抜けたのかまだボンボノンに居るような気がします


写真は夕方になるとホロホロから見えるサトウキビ畑を焼く煙です。写真をクリックすると大きく見えます

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日本人に会いました!

2007年02月22日 20時26分58秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
朝タタさんから電話が掛かってきて「日本のグループが大学に来ているから・・・」と言うのです。 それは珍しいと出かけました。とは言っても上陸したところへ「迎え」が来てくれたのですが・・・

大学に着くとステージ上には数人が楽器を前にして座っていました。そして司会者が紹介。琉球王国の伝統芸能でした 能のようにゆっくりとすり足で踊るのをディスコしか知らないフィリピンの人達500人ほどが不思議そうに見ていました。終った後で控え室の入り口付近に大勢の若い女性達がサインを貰いに集まっていたので愉しかったのだと思います。

終ってからその人たちと話しながら準備された食事をしました。ドゥマゲティでアジアの数カ国が集まって伝統芸能のシンポジュウムみたいなのが開かれたそうです。それが終ってから各国別れてそれぞれが何箇所かで踊りや歌を披露するとの事で今日は午後にもう一箇所、明日も一箇所して土曜日が自由行動で日曜には沖縄との事でした。沖縄には伝統芸能の大学があってそこの卒業生達でそれだけでは食べていけないけどプロの芸能人だそうです。ただしフィリピンでは滞在費程度の報酬とのことでした。


その後、車で送ってもらって市場に買出しに行き、マングローブクラブ、タチウオ、豚肉、バナナ、パパイヤ、アボガドなどなどを買って帰ってきました

マングローブクラブでイッパイ呑みながらインターネットをしていますそんなんで遅くなってしまい申し訳なしでした。

来週の月曜日にソーラーパネルの中古を買いに、山を越えてタタさんの車でバヤワン市に行くことが決まりました。片道3時間ほど掛かるので大変ですが山のほうの景色は面白いので愉しみです


写真は琉球舞踊を踊る人と後ろの垂れ幕には選挙が近いからタタさんの名前が大きく書かれていました。今回の企画はタタさんの娘さんがしたそうでその名前も並んで下に書かれていました。写真をクリックすると大きく見えます
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大笑いできる株式投資

2007年02月21日 12時52分31秒 | 退職生活
「やったがな、やったがな!大もうけじゃ~!!」と大笑いしたいと思ったのです・・・

去年の12月、ルソン島のスービックベイまで北上してホロホロを上架。船底の修理とペンキ塗りをしようと思いながら
「慌てることもない」とバイスでゆっくりしていたら北東の「季節風」が狂ったように吹きはじめました。 ここ数日は結構穏やかで
北東の風が吹いても「それなり」になっています。


今日はその12月に「買った株」について書いてみます。僕は内緒が出来ない人で何をするにも必ず誰かに言ってしまいます。
今回はそのころ丁度スカイプが繋がり良く話をしていた「Carlos氏」に「買わない?」と二つの銘柄とその買値を言って声を掛
けました。 カルロス氏は博打はしないので買いませんでしたが・・・そして僕は「買った」と話をしました。
僕が株をする時はかなり調べます。調べて調べて、叩いて、叩いて決めたのは「8002の丸紅」これを600円弱で買いました。
 もう一つ「1827のナカノフドー建設」を200円弱で買いました。そしてそれをカルロス氏に報告しました


株式取引は「投資」と考えるにはかなり無理がありやはり「博打」と考えるほうが賢明と思います。そして株式取引を続けていると個人の
場合90パーセント以上の人が「損」をします。90パーセント以上と言う事は「必ず損をする」と言ってもいいくらい「負ける」もの
なのですが・・・(負けない人は買った株をずっと持ち続けている人と言われています)
僕はその10パーセントに「1パーセントほどある博打的売買」で仲間入りしようと企んでいる訳です


いままで「生活の為」に株をしていたときは2~3割値上がりすると全て売っていました。それくらいなら比較的安全だったからなんです
が・・・今回は違います。北上できない時間、日本へアプローチできる時期を待っている間の愉しみで、目的が「大笑い」なのです
「大笑い」するのに2割か3割では不足です。そこで目標を「6割以上出来れば倍の値上がり」に絞って「銘柄選択」してみました


現在は丸紅が700円程でナカノフドー建設が240円ほどですから丸紅が一割五分、ナカノが二割ほど値上がりしています。これをまだ
まだ売らずに丸紅1000円、ナカノ400円まで待って「大笑い」する考えなのです。一年に5割以上値上がりする会社は沢山あります
がその会社をそれだけ儲かる時に買うとなると難しいものです(だから損をする)でも根拠(コジツケかも知れないが)があります。
まず丸紅の売上高の急上昇とダイエーを買ってしまうほどの「勢い」益々世界はグローバル化し大国中国の後にまだ大国インドがひかえて
いるから商社の中で「一番勢いが良い」丸紅を買ってみたのです
 ナカノフドー建設は僕が建設業界に居ただけに現在の日本の現状から考えて「国内」しか見えてな
い会社は「見込みなし」と判断しています。ナカノフドーは売り上げが千億に満たない会社で唯一「積極的に海外へ進出」しているのです。
早く行ったものが常に先行するのが世の常です。そして国内に固執している大きな会社が殆ど利益が上がっていない状況でここは着実に
一株利益を伸ばしています。数年前の北欧で建設会社がそうだった様に・・・先が読める経営をする会社だから伸びると見ました



日経平均が7年ぶりの高値と言っていますし、もうそろそろ「値下がり」と考えている人が多いのか調べてみると日本人は個人も企業も
銀行も投資信託も「売り越し」(買う人より売る人が多い)です。それを全て「外人」は買い上げている現状です。一般的に見ると
「そろそろ危ない」のもうなづけるのですが僕は石油や非鉄金属などの資源が値上がりして記録的な「世界金余り現象」(僕のところ
には周って来てないけど)になっていると思うのです(その言葉を信じて大損しても知りません)


「博打」ですからどうなるかは「神のみが知る」近い未来のことですがいきなり下がり始めて「処分」しても「欲せずにあの時売っとけ
ば・・・」と言いつつ、「もう一息だったのにな~・・」(全然一息では足りないことが多いけど・・)などど言いながらイッパイやり
つつ、それでも面白かったと「大笑い」したいとおもいます二つの銘柄にご注目ください もしも達成して「大笑い」出来た
場合は「使い道」が決まっています。うふっ!  愉しければいいのです。求めているものが愉しさなんですから・・・


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ドゥマゲティへ・・・

2007年02月20日 21時44分24秒 | 長期のヨット生活
昨日の夜タタさんから電話貰いましたやはりその様な理由で大統領が来ることになって忙しかったようです。それで今日ソーラーパネルを買いに行こうと誘ってくれたのですがビザの延長にドゥマゲティへ行くことになってたんで・・次回に延ばしてもらいました。 それにしても忙しいのに良く気に掛けてくれるのに感謝です
そしてビザは4月27日まで延長できました。買い物して帰ってきたら結構遅くなって・・・ブログのアップが遅れてすみません



最近「のびる」ものがやたら気になります。鼻の下も伸びるがこれは正常か性情で気にならないのですが上から言えば「眉毛」が伸びる。45歳
位から毎月一度は鏡を見ながら1センチほど切っているのですが、もし切らなかったら何処まで伸びるのか気になります。切らずにいると「年寄
り」みたいでイヤなのですが試して見たい気もしないではありません。

次に伸びるものは「顎の肉と頬の肉」と言うか皮と言うか、とにかく髭を剃る時顎の周辺の肉を掴んで引っ張るとエリマキトカゲのように
なる。 うつむくと人相が変わり「うわ~っ!」自分の顔が怖い。 床に鏡は絶対要らないと思う。

次に伸びるのは裸で俯くと「ギャ~ッ!」「乳」が垂れ伸びる。それがまた極めて格好が悪い。とても写真を公開したりは出来ない。
太っていたときはそれほどでなかったような気もするのだが・・・  まあ悲しい姿です。

腹も伸びて垂れる。

最後に伸びるのは「ヒザの前の肉」これも必要以上に出てきて垂れている。

裸で立っていたりうつ伏せで吊り下げられている姿を見られたら恥ずかしくて生きていけない状態になっている。もし一目でも見た人は眠
ると「うなされる」ようになるだろう。

上を向いて寝ているときだけは全ての肉も皮もほぼ正常位置に留まっていてどうにか「普通の人間」になれる。
 天井に鏡をつけて写し、それを見ながら安心して眠りにつかないと不安で眠れない日が近づいているような気がする。
人間は「中身だ」と言うけれど、やはり外見も必要ですよね~・・でもこうなったからといって死ぬまで寝ているわけにもいかない。何か良い方法はないかと調べて
いたら「体形補正下着」と言うのがマ○コと言う会社から売り出されているのを発見しました。 

これがなかなか優れもので説明を見る限り納得できる。太腿の肉を移動させて「かっこいいツンとした尻」をつくる。腹や腰周り、腋の周
りの肉と皮は全てバストにもって行くからよだれが出そうな体形となる。とにかく歳をとると体は硬くなりますが体の肉と皮は何処までも
移動するようになるのです。 うっかりナンパして下着を外したら・・・こわい~!

ところがさすがに顔だけは下着がない。マスクでも被るしか方法はないだろう。

60歳以上の人は体験しているから「全く」と納得してくれると思うのですが・・まだその歳になっていない方々、脅すわけではありませ
んが「鏡に写った自分が怖い」日がいつの日か来ることを覚悟しておいてくださいね。


新作格言・・・・「人は老いて引力を感じ、上を向いて寝ているときだけ人に戻れる」


こんなことを書くと有難いことに心配してメールをくれる人が居てほんとに申し訳ないです確かに歯も、目も具合はイマイチです。胃も時々具合悪くなります。でも何があってもどうなってもそれなりに自分を観察しながら愉しむようにしています。今回の事なんかは、ほんとに考えようによったら自分の体が変化すると言うか妖怪に近づいているというか・・・とにかくこんな面白くて可笑しいことってそうそうないな~と愉しんでいますので(時にちょっと落ち込むこともあるけど・・)あまり心配なさらないでくださいね
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アロヨ大統領が・・

2007年02月19日 16時43分47秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
今日のバイス市民は朝から大統領が来ると言って興奮気味でした。今年の春にバイス市長選挙があります。それで先日タタさんはマニラに行って大統領に来てくれるよう頼んだのではないかと予想しています。(あれ以後直接話してないので)


フィリピンの大統領の話でなく今日はアメリカ大統領の事を書いてみます。
アメリカで一番忙しかった大統領と言われるF.ルーズベルトは大恐慌から第二次大戦まで4期も当選したが最後の任期を全うすることなく病死しました。
戦争に対する考えや人間的評価は今回の話に関係ないので置いといて・・ルーズベルトは金持ちで名門出身の秀才でした。 


そのルーズベルトが大統領を務めていた当時、家に招いた客に必ず自慢するものがありました。 それは庭に置かれた「テーブルと椅子」で決して名門家と言われる大統領の愛用するものには見えなかったそうです。
 なぜそんなものを大統領は来た人々に自慢したのだろう。
それはこのテーブルと椅子が買ったときのままでなく、壊れたのを材料を買ってきて新品以上に具合が良く頑丈に作り変え、何日もかけて
少しづつ磨いて塗装まで「全て自分で」やったからだったんです。

 金があれば殆どの人は「新しいのを買う」ことしか思い浮かびません。 しかし殆どの売られているものは基本的
に誰もが「そこそこ使える」ように作られるので使ってみると「帯に短しタスキに長し」となって「ピッタリ」のものは滅多にありません。
誂えて作ると職人との気長い打ち合わせが必要でこれも大変です。 それと自分が作ると言うのはこんな「実用的」なものでも巧く出来る
と大統領でさえ誰にでも自慢したくなるほど嬉しく愉しいもののようです


それが「実用的で無い」(生活に直結していないと言うべきか・・)ものだとそんな小さな喜びと比べられるものではありません。
愉しくて愉しくて寝ても起きてもそればかり・・それなのに失敗したりまあまあだったりと繰り返し何度も何度も少しづつ改良したりと
また何度も色んなストーリーを描きながら・・・愉しくて苦しくて可笑しくて面白くて・・・泣いてしまいます


でも今の殆どの日本人は「買う」ことしか知らないようです。これは涙が枯れるほどに悲しく寂しい話です。 定年退職して時間が沢山あ
る人には是非子供の頃にしたそんな事を思い出して「ワクワク」する日々を送って欲しいと思います。僕もこのところ少し離れているので
・・・またやらないと・・と思っています。


今日はホロホロのホームページ内にある「画像貼り付け掲示板」に貼り付けてくれた渡辺さんの「モリ」を見て書いてみました渡辺さん
のこの作品を見ると愉しさと嬉しさと・・・・・その他諸々のものが伝わってきました


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買出し

2007年02月17日 13時10分37秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
週末の市場は山から売りに出てくるお百姓さん達で露天の広場もイッパイに野菜や果物が並びますそんな市場から今帰ってきました。
買ったものを全て書いてみますね。大体週に二回は買い物にでて量としてはこのくらい買います。一ペソは2.5円です。


エビ800グラム120ペソ。 モンゴイカ600グラム60ペソ。 キャベツ一個1.2キロ15ペソ。 キュウリ1キロ12ペソ。 大根一キロ12ペソ。
トマト一キロ20ペソ。 ナス一キロ15ペソ。 かぼちゃ4分の一800グラム6ペソ。 サトイモ一キロ8ペソ。 ネギ一束5ペソ。
カラマンシー(スダチ)50個10ペソ。アボガド3個一キロ15ペソ。 マンゴー4個一キロ35ペソ。 バナナ一房(11本)11ペソ。
米2キロ60ペソ。 パン20個40ペソ。

安いでしょ日本のように綺麗ではありませんが・・・


一回あたりの金額は今日は少し少ないようで合計で459ペソ(1148円)でした。
普通だと肉(豚か鶏が主で時に牛)が一キロ程100ペソ~150ペソとタマゴが10個くらい(一個5ペソ前後)入るのですが前回買っ
たのが残っているので今回は買いませんでした。嬉しいのは野菜が安いことで野菜中心の食事を食べています。
野菜で良く買うのは他にサツマイモ、ニガウリ、サンドマメ、タマネギ、人参、ピーマン、生ピーナツなどです。
果物はいつも買うのに今日は良いのがなく買えなかったパパイヤ、それ以外で今の季節なら時々買うのが大きな蜜柑(ポメロ)
パイナップルがあります。


キュウリや大根、キャベツの漬物は毎日昼と夜に食べます。メインは煮物や焼き物、揚げ物、炒め物など普通の日本の食事と変わらずそれ
に汁でご飯を食べます。肴は別に刺身、焼き物などですが最近は週に3回ほどしか飲んでいませんので以前と比べるとかなり食べる量が
減っています 朝食はパンが二個と目玉焼き一個、トマト一個、アボガド半分、バナナ一本が定番です。 体重は初めは急激に痩せまし
たがここ二ヶ月ほどは変わらず63~4キロです。15キロ減ったので動くのが随分楽になっていろんな面で良い具合です。これを維持し
たいと思っていますが日本に帰ると・・・むつかしい・・付き合いと・・美味い物が多すぎる・・
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イルカのこと

2007年02月16日 11時54分15秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
日本が鯨を食べると世界の国々から非難され今回も事件まで起きているようですが今日は鯨の仲間でイルカの事を書いてみます。

ホロホロが居るフィリピン、ネグロス島のバイス市はサトウキビ栽培が主要産業で市街を少し離れると見渡す限りのサトウキビ畑が広がっています。
今の季節の風が弱い夕方になるとサトウキビ畑に火がつけられ空を焦がすほどの火と島を覆うほどの煙が立ち昇り、湾内に浮かべているヨ
ット、ホロホロ三世の上からはのどかな南の島の風景として望むことが出来ます。
そのバイス市が斜陽産業のサトウキビ栽培から次ぎの産業として力を入れているのが観光で、それが「ドルフィンウォッチング」です


毎年夏(4月から9月)になるとセブ島とネグロス島の間を南北に伸びる海峡にイルカが現れます。それをバイスベイから観光船を出して見
に行くのですが、今ではかなり有名になってフィリピンの観光パンフレットには殆ど紹介されるまでになっています。フィリピンも日本同様
「イルカは食料」の国なんですが「貧しい国」の人が食べる場合はジュゴンであってもグリンピースは文句は言わない。
しかし「食べるより金になる」と言うのは考えを変えるようでここバイスに限ってはイルカを食べなくなっています。(フィリピンの人の食べ方で多いのは細切れにした身を大鍋で甘辛く煮込みます。肴になかなか良いけど怒られそう・・・)


もともとイルカの仲間と人間は同じ生物だったらしいと言うのが進化論の一般的考えで言わば「兄弟」の間柄になるそうです。陸に上が
った人間と海を選んだイルカの仲間が長い年月を経て現在の全く違ったそれぞれの形に進化している。外見的な形は大きく変わったけれど
地球上の生物で「共通の言葉」があれば友達として会話が出来るのは「イルカの仲間だけ」だそうでチンパンジーもオランウータンも及ば
ない知能を持っていると鯨やイルカの研究者達は言っています・・・・。



もしそれが本当ならいつの日か、夏の夕暮れ時にビールでも呑みながらイルカと異常気象や海洋汚染について話したいと思いませんか。
研究者が一番注目し友達になりたがっているのには理由があります。
 それは「これ等の仲間は同種間で絶対に傷つけあわない」からなのだそうです。
陸に上がった人間は宗教や利や権力の為に当たり前の如く喧嘩や殺し合いを続けています。そして永久に収まりそうもありません。とにか
くイルカの仲間も食べなければ生きていけませんから他の動物や生物は食べますが同種間では絶対に喧嘩をしない平和主義者なのだそうで
す。 そんな平和主義者で人を傷つけた記録も無く知能も優れているから友達になりたがっているようです。


イルカのショーを見たことがある人は多いと思いますが、哺乳類なのに「ペニス」が見えないと疑問に思ったことはありませんか?
 雄も雌も居るのですが・・雄には当然ペニスがあります。しかし普段は腹にある袋の中に納まっています。袋と言うより
「割れ目」と言ったほうが適切かも知れないそんなところに隠しているのちょっと見ると縦長の筋が見えるだけです。そこからペニスを出
すのは「勃起」したときで二つの目的で勃起が起こるのだそうです。


一つは人間と同じ理由ですが違う使い方があるんです。人間の中にも呑みに行ったりするとやたら自分のモノを触らせたがる輩や出したが
る輩がいるにはいますが・・イルカの場合勃起させたペニスが「指」の代わりをするのだそうです。人は興味があって何か解らないものや
不思議に思ったものを指で押してみたりつついてみたりしますね。 それを指が無いイルカはペニスでするそうです。非常にリラックスし
た状態にイルカがある場合だとショーのイルカでも(ほとんど死と境目のストレス状態らしいけど)プールを掃除しているとペニスを勃起
させて人に触れて来るそうで昔はこれは擬似性行為と考えられていたくらいです。最近各地でウォッチングが多くなり自然のイルカを身近で研究
する機会が増えてそうでないことが解ったようです。 ちょと触って貰いたい気がしませんか?  
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南の島のこと

2007年02月15日 11時49分48秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
しばらく雨が降らないので水が残り少なくなったホロホロは地元の若者に頼んで毎日4つのポリ缶に水を運んでもらっています。一本(20リットル)当たり5ペソで4本だから20ペソ。  日本でなら誰もしてくれませんがここでは喜んで朝の7時半頃手漕ぎカヌーに載せてきてくれます 


殆どの人は聞いたことがあると思う南の島の住人の話を書いてみました。
商社マンが木材を切り出す為に島の住民を雇おうとして「一日○ドル出すから木を切ってくれ」と言ったら島の人は「お金貰って何になる
んや?」と聞いたそうな。商社マンは「働いてお金をイッパイ貯めたら好きなことして遊んで暮らせるようになる」と言ったら、「それな
ら今と同じや」と答えたという。商社マンもよ~く考えると「なるほどな~・・今も仕事せずに好きなように暮らしているな~」と納得し
たと言う話ですが、この話ここまでは極めて愉快だから大好きです


ところが商社マンは考えて発電機にテレビとビデオデッキ、勿論映画のテープを持ちこんでしばらく見せたらしい。島の人は初めは「箱の
中の人が動いて喋る」のに感動していたが、そのうち映画が面白くなってきた。 「もっと違う映画は無いのか」と言う島の人に「木を切
ったら買える」と言って働かしたそうです


ヨットで行く辺鄙な島や大きな島でも陸からアクセスできないような所に行くと、こんな話しが身近に感じます。フィリピンの島でも電気が
無い島や村は数え切れない位あります。電気が無いのは不便と思うがその代わりに今の日本人が羨ましいと思うような「皆で遊ぶ」文化がありました。
夕方のひと時を大人も外に出て話をしているしその周りで子供たちが遊んでいる。日本が失った懐かしい「よき時代」だったような気がします


ヨットが行くとカヌーを漕いで初めは子供がやってくる。そんなところの子供は学校も行ってないし英語は話せないからヨットの周りでウ
ロウロしている。手招きで「上がっていいよ」と言うと喜んで船に上がってくる。何もかもが珍しいから好奇心の塊みたいな子供はじっと
できない。そのうち殆どの子供達はキャビンを覗き「入っていいか」と聞くが正直入れると大変になるので殆どの場合は覗かせるだけにし
ています。何が大変かと言うとキャビンの中は電気製品も多く殆ど塩気がないようにしている。ところが子供達は殆ど塩まみれなのです。
中途半端で悪いと思うが壊れても手に入らない場所だから自衛しないとどうにもならないのです。


僕が南太平洋をクルージングして戻ったアメリカ人ヨッティから「南の島の話」として聞いたのは35年も前でした。
そのときに「自分が行く頃も同じだろうか」と疑問に思ったのがいざ行って見ると全く想像通りで話のままだった。
これは多分これから先10年20年30年と時が過ぎてもあまり変わらないような気がします。 島は変わるのが大変と言うか
「変われない」ように思えるです。 これが良いことか悪いことかは判らないけれど・・本当の幸せはそんな中にあると思うので変わって欲しくないと願っているんですが・・

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南の島の果物の話

2007年02月14日 13時29分37秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
今日もいい天気で修理が途中までしか出来て無いけど「食糧不足」でテンダーをデッキ上から吊り降ろして市場に出かけていました。買った魚はイワシ一キロ(15ペソ)タチウオ900グラム(75ペソ)バラフエダイ1.5キロ(225ペソ)であとは野菜と果物。イワシは頭を取って薄塩に漬けておいて干物に。タチウオは切り身にして塩焼きと煮付け。フエダイは刺身とシネガンを予定しています


このブログも徐々に毎日見に来てくれている方々が増えているので「力が入ってます」定年退職者が多いのか、その予備軍なのか、ヨットが趣味か、山が趣味か、フィリピンに興味があるのか等、気に掛かりますが今まで通り話は上に飛んだり下に潜ったり横に走ったりしながら進めて行きたいと思いますので今後ともよろしくお願いします



南の島の果物、トロピカルフルーツは我々が考える「おやつ」や「デザート」でなく島に住む人達の重要な「食料」でもあります。その中でも
特にバナナやパパイヤは「腹持ち」も良くこれを昼食とする人も多いです。

そんな南の島の果物は日本のようにたくさんの種類が果物屋に並んでいるのでなく限られた種類が持ち寄られて道端や露天市場で売られて
います。ところが日本で果物を買えばそれが「南の島の果物」であって「まだ若い」ものでも数日待てば食べ頃となるから、食べ
られないモノを買ってしまう心配は無いと言っても良い位です。それにもしも食べられなかったら「文句」を言えばお金を返してくれます。

これは住んだことが無い人は知らないと思うので書いてみますが
南の島で果物を買うと時々「食べられないモノ」を買ってしまいます。「見る目が無い」と言えば確かにそうなのですが、失敗で意外に多いのがバ
ナナで次がパパイヤ、ドリアンやアボガドも難しい。 なんでそうなるかと言うと一つには運搬するのが「カゴ」か「袋」に投げ込んだよ
うに入れて来るので「完熟の柔らかい」モノを運べない。それでかなり「若く硬い」ものを収穫しているのです。それでも殆どのモノは数日後に
は熟れてきます。ところが遠い山のほうから一週間に一度だけ売りに出てくる場合など、次の週には熟れ過ぎて運べなくなるけど「今収穫す
るのは早すぎる」状態の果物があると・・・「悪いけど・・・」どうしても買わなければならない物や支払わなければならないモノがある
から現金に変える事に決定してしまう


これはバナナの場合ですが、だいたい山の人は「いい人が多く」買ってお金を払うときに「何処と無く」「すまなそうな・・顔」をしたりす
そしてそれをヨットに持って帰って数日待っても柔らかくならない。南の島の果物は柔らかくなったときが「食べ頃」なのです。おかしい
な~・・・と言っているうちに乾燥してきて「ミイラ」になってしまう

これがアボガドだと判定はいよいよ難しくおまけに運搬は細心の注意が必要となる。少しでもぶつかり合うとすぐに痛んで「泡」になって
しまうのです。これは自分の失敗ですが何度も経験して最近は「運び方」は巧くなったが時々熟れない物にぶつかることはある。パパイヤはど
れ程失敗したか数え切れない。幾ら待っても熟れてこないのから全く甘みが無い物と色々ですが続けて3度もそんなのに当たると選ぶ自信が
なくなる。(最近は美由紀が選ぶ係りになっている)ところが当たるとこれほど美味いものはないと思えるほどなのです。そしてここ最近は
当たりが続いています


失敗も沢山あるが南の島に居る時に食べる冷えたパパイヤやマンゴー、パイナップルは格別の味で「生きていて良かった」とさえ思える味
がします。もちろん他の果物も腹だけでなく心まで満たしてくれるから大好きです
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目が・・・

2007年02月13日 11時55分52秒 | 長期のヨット生活
穏やかなサウスバイスベイです。昨日はブログを更新した後テンダーの穴に当て板をしました(エポキシボンドで貼り付けた) まだ前の空気室に入った水が抜けずに残っているでどうしょうかと考えています



ロンドンに住む50歳の男性がいつものように朝食を取ろうと椅子に座って台所の妻に「おはよう」と挨拶をした。振り返って「おはよう」
と返す妻の顔を見て目を擦った。なんと妻の鼻が「マン・」の形だった。後で起きてきた娘の顔をみて目を見張った。娘の鼻も「マ・コ」
になっていたがそれは若いモノだった。 おかしいやら嬉しいやら愉しいやらだがそんなことを口に出すのも気が引ける。出勤の為に外に
出ると道行く人々の鼻も皆「マン・」になっていた


ニンマリした男性は会社で「気になっていた若い女性」の顔が見たくなって会社に急いで女性を探したが見つからない。なにしろ皆
の鼻が「マン・」だからそこばかりが目に入って誰が誰だか解らない。 仕事が始まってデスクに座って初めて解ったがそこを離れるとも
う見分けがつかない。 これは愉し過ぎるが仕事が進まない。 仕方なく病院で検査をしたら脳腫瘍だったそうである。 


なんでこんな話を思い出したかと言えば夕べの夜中に目を覚ました。今は三日月で外はそれほど明るくない。キャビンの中にはスイッチが
入っている印の小さなライトが三つ点いている。一つがグリーンで二つは赤である。以前はその一つ一つが5つか6つに見えたり5センチ
ほどに長く見えたりしていたのが昨夜は「ソレ」に見えたのだ。もちろん目を擦った。しかし変わらず「ソレ」だったのだしかし緑と真っ赤ではそれほど愉しくない。


当然朝起きてすぐ美由紀の顔を見たが鼻は「少し上を向いていたが鼻」だった。僕の場合中学生の時に言うのも気持ちが悪くなるような目の怪我をしたことがあ
る。急いで小松島の病院に行ったが見えるようになるか失明か「半々」でたとえ今は見えるようになっても数年か数十年のうちに見えなく
なると言われていた。近年の医学の進歩で手術すれば治る様になっているが今は徐々に視力は落ちてぼんやりしか見えない。どうしても片
側の目に頼る上に洋上の太陽は強いから普通以上に目に負担がかかる。にもかかわらず本を読みパソコンに向かうから多分同年代の人より
目はかなり悪いとおもう


そこで僕よりかなり先輩で良くブログを見てくれているBagus松井さんとピアニスト大澤さんにその歳の目の状態をお聞きして今後の
参考にしたいと考えたのですが・・・よろしくお願いします。

また他に異常に見える方が居ましたら書き込みしてください。
コメント (2)
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難問に挑戦

2007年02月12日 13時41分10秒 | 退職生活
日本では祭日代休なんて知りませんでしたテンダーはまだ修理できずデッキの上で日干しにされています。

今日は少し趣向を変えて・・・スリランカでボランティアをした後、別荘まで建ててしまった大澤さんは去年の山登り旅で二度一緒に過ごしました。その大澤さんが
掲示板に書き込んでくれた事から「思い出した思っていた」事を書いてみます


僕は退職から17年過ぎているので普通の「退職者」との付き合いも多くなっています。また仕事をしてないから色んなところを旅して退
職者達の生活を見る機会も多いです。 その上に良いか悪いかは別として「かなり掘り下げて見る習慣」があります。おまけに自分の中で
出来るだけ「善」か「悪」かを判断しようとする悪癖をもっています。世の中そう簡単に判断できるものではありませんが僕の判断は僕が
考える範囲で「それが将来の日本や世界を明るく愉しくするか」に全ては行き着きます。僕は間違いだらけの人間だから多分間違っている
でしょうが・・・


それは退職して別荘地などに移って来た人達や、退職して何かの趣味や技術を持っていたり、また退職後何かを習得して
なおかつ退職金など幾らかのお金が余っているから償却などを考えずに「退屈しのぎに商売」をする人たちです。(全く遊びでして一円の
お金にも変えない場合は良いですが、それでもむやみやたらに人に上げるのは考え物です)蕎麦屋をしたり自然食品のパン屋をしたり焼き
物をする人を結構見かけます。
 そしてそれが「経営」として成り立っていれば何も文句は言いませんが「することが無いからしている年金の上に少し小遣
いが増える程度の手前勝手な悪行」の域を超えないことです これがどうして「将来の日本や世界」の為にならないかと言えば基本的に
年金で生活できる人がその様な「商売」に手を出すと「真剣に商売しようとする若い人達の生活の邪魔」にしかならないからなのです。年
金の無い若い人たちは真剣に命がけで「経営」を考え、味や接客方法は勿論将来の為に宣伝や償却も考えなければなりません。どうしても
年金を貰いながらしたければボランティアで手伝いに行けばいいと思うのです。(それにも問題はあるのですが・・まだマシでしょう)


貰った退職金が余っているし生きて元気な間だけと「遊びを知らないから、思いつかない」からと言って「年金」で生活できる人がそ
の様な「邪魔」をすることは「絶対にしてはいけないこと」だと思っています。これはもし貴方が若く、これからそれで一生生活し子育て
もしようと思った時、受け取っている人も掛け金を払ってきたとは言え半分は自分達が払うお金の「年金」で生活しつつ「邪魔」をする人をどう思い
ますか?  


そんなことを考えるより頂いた「年金」を若い人達がする仕事場で綺麗に使ってしまうことが「良い循環」を生み、年寄りは若者を、若者
は年寄りを慈しみ合い、明るく愉しい世界が出来るのではないでしょうか?  年金を全て返上するのでなければ「お金を稼ぐ」行為はし
ないほうが世の中のためになるとおもっています。  していいのは全くのボランティアかお金を使うことだと思います。ただ最近はお金
を儲けようと欲をだし「パチンコ」などで年金担保で高利のお金を借り若い人の生活を助けている人も居るようですが・・いずれにしても
今政治をしている人達を筆頭にもう少し「将来のこと」を考えて年金を受け取る人は邪魔(仕事)をしないで欲しいと願っています。


な~んて書いてしまいましたが・・これは実際このように簡単に片付かない難しい問題ですね。ちょっと職種が違えば「若者が誰もしたが
らない」分野で絶対に採算にもならないから「年金生活者」なら出来るような地域の役に立つ仕事の場合もあるし・・他にも「正当な理由」のつくことってイ
ッパイあるのです

最終的な結論としてボランティアも含めて、どうしても商売がしたければ、自分で自分に「世の中の為になるか?若者の邪魔をしないか?」
を問いかけてから行動を起こし、なをかつ常にそれを問い続けることではないでしょうか?  人は騙せても自分は騙せませんから・・・


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たいへんじゃ!!!

2007年02月11日 19時45分07秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
このところ週末に二人で歩いて市場まで行くのが恒例になりつつあります。ぐちゃぐちゃ話しながら歩いていると道端に居る人たちが挨拶を
してくれます。話しかけてくれる人も居て少々時間は掛かりますがだんだんバイスの一員として認められてきた感があります
歩くと腹が減るし、なんとなく健康になった気もします。山で歩く以外あまり歩かないのですが癖になりそうで「歩き中毒」を自称する
松井夫妻(リンクあり)の気持ちがわかります



約一ヶ月近く強風が続いたのでテンダー(上陸用小型ボート)を水面に浮かせたまま(普通は使わないときは吊り上げている)にしていた
ら牡蠣やフジツボ、海藻がイッパイ着いてスピードが出なくなってきました。 本体のホロホロ3世も同様にかなりフジツボが付いていま
す。それで思い切って潜りました

あちゃ~! べったり!ぼったり!付きまくり! 見たとたん目が眩むほど付いていましたへらで擦り落とすしか他に手は無くガリゴリ
と落としました。そして発見! テンダーの前が割れて前部の空気室に水が・・・仕方なくデッキの上に吊り上げて水抜き穴を開けました。
サイドの片側の空気室も頼りないので少し剥がしてみると腐ってる。なんとか日本まで後3ヶ月持って欲しいのですが・・・

当て板と補強材を準備したから明日は修理をします


昨日のブログに書いたタタさんの「財宝探し」は余りにも突飛な発想であんな風に考えたら限が無いし、矢張り日本人的な醒めきった目で見た事実を余りショッ
クが無いように伝えるのが僕の役目かな~・・とメールを打つ言葉を捜しています


写真はバイスの街に行く途中にある川です。婆さんも姉さんも川に洗濯に来るし子供も牛も水遊びをしているのがフィリピンの川の姿です。 写真をクリックすると大きく見えます
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