昨日の4月18日。
同業者の組合青年部のメンバーで福島の被災地を見てきました。
被災以前は、仕事柄お世話になった福島の海産物。
その福島の現状を知っておく事と、
微力ながら土産購入という手段で、復興の手助けになれば、、、
そんな目的で出かけてきました。
『小名浜港』
この日の港は穏やかで、空と海の青が何とも言いがたく。。。
それに反して、港からは港らしい塩臭さが感じられませんでした。
とある海鮮食堂に書かれていた『心まで汚染されてたまるか』という言葉が、
地元に暮らす方々の気概と努力を感じられました。
『いわき・らら・ミュウ』内で展示してあった写真。
市場が津波に飲み込まれる瞬間の写真ですが、
先程伺った『小名浜港』と思えない姿に驚かされました。
『豊間海水浴場』付近。
仮の防波堤、写真中央右付近のコンクリートの柱らしき物体が防波堤の成れ果て。
破壊された防波堤の一部分。
にわかに信じがたい物体の破壊された姿。
津波の破壊力を想像してゾッとしました。
『豊間海水浴場』付近の住宅跡。
綺麗な海が間近に広がる景観の良い住いだったのでしょうか。
基礎だけ残して何にも無い風景。
基礎の残骸。
どの位の力が掛かるとこの様になるのだろうか。
『市立豊間中学校』付近。
こちらも住宅の基礎以外は何にも無い広い地域となっていました。
ここに人々の営みがあったとは、にわかに信じられない気分です。
また2ヶ所程、献花が備えてありました。
津波の脅威に耐えた半壊の住宅。
その半壊さがより津波の破壊力を感じさせます。
この区間は壊された家々の基礎の空きを利用してパンジーが植えられて、
防波堤の壁には花の絵が描かれてあり、
ここに住んでいた方々の、想いと願いが伝わってくる様でした。
『道の駅よつくら港』付近の壊れた船。
魚市場も道の駅も皆無。
『久之浜港』を車窓からパパラ。
この港には土木作業の方以外は居ませんでした。
魚市場も皆無、立入禁止の看板と縄が現状をヒシヒシと感じさせられます。
まだまだ震災復興の道は始まったばかり・・・
そんな気分にさせられました。
言葉では表現し難いですが・・・
頑張ろう日本!
それが答えなんだと再認識した次第です。
その為にはやはり政治の決断が大きく関係してくるのかな?
政治屋の本当の英断を切に願う次第です。。。