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科学的思考は教えることができるのか?

2015-06-24 20:37:31 | 日記
A.老子の言葉から
 名言だとか格言だとかを有難がる人がいる。確かにわれわれは日常経験を抽象化したり、的確に言語化したりする能力には長けていない。何かを正確に述べようとすると、だらだらと長ったらしくなる。数式や記号なら余計なものは削ぎ落として、核心の関係だけを表現できるのだが、言葉というものはいろいろな観念の装飾を帯びている。しかしそれゆえに人の心に訴える感情の励起作用がある。漢文という書き言葉は、その点でとてもシンプルにできているから、時間や空間的制約を希薄化する効果があると思う。
「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。体験したことは理解する」。
 新聞のコラムにあった老子の言葉だというが、出典が確認できない。老子といえば「上善如水」上善は水の如し、とか「絶学無憂」学を絶てば憂いなし、とか「天網恢恢、疎而不失」天網恢々、疎にして失わず、とか、よく知られた言葉がある。「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤」谷神は死せず。これを玄牝と謂う。玄牝の門、これを天地の根と謂う。緜緜として存する若く、これを用いて勤きず、も河瀬直美監督の出産をテーマにした映画『玄牝』で知った。だが、上記の言葉は探してみたが見当たらなかった。
 しかし、この短い言葉には、自由な解釈が可能だ。

 たまたま先週末、学生11名を引率して福島県田村市に見学兼ボランティア活動をしに行った。ぼくは教師として学校の教室で彼ら彼女らと90分の授業を毎週一回やっているわけだが、学生は最初の10分は我慢して聞いているが、15分にはもう意識が飛んでしまうか、別のことを考えていて、記憶に残るのは来週までの課題が何であるのか?自分に教師が要求しているオブリゲーションが何であるのか、というチェックポイントだけになっている。昼過ぎののどかさは、いやでも睡魔を招く。それも1時間もすれば記憶から消える。聞いたことは忘れる、というのは人類普遍の真理である。東日本大震災の現実についてぼくがあれこれ口で説明しても、耳から聞いているだけではただの空虚な知識に過ぎない。当然すぐ忘れる。
でも、教室を出てバスに乗り電車に乗って、歩いて自分の身体を動かし、目の前の風景を眺めれば少しは印象が記憶に刻まれる。それが日ごろ見慣れた光景ではなく、今まで出会ったことのない土地や風景や人間であれば、即自的な関心をむけて鮮明な意識の刻印になる。まさに、見たことは覚える。仮設住宅という無味乾燥で人工的な施設が、目の前にある。そこに人が住んでいる、という現実を見ている、という意識は眠るには少々刺激的だ。
 そして、具体的な事物との出会い、目の前の人間との直接のかかわりの中で、感覚も生々しく体験したことは、みずからの頭と肉体と心と目によって意味づけを誘発する。しかもその場所は、目に見えない放射性物質の汚染によって、生活の拠点を奪われていた場所である。4年も手つかずに放置された倉庫にはここで暮らした人々の半世紀前の生活の遺物と思い出が詰まっている。床をはがせば蟻やヤモリが這いだす。はじめは蛾や蝶が飛び、虫が出ただけできゃあきゃあ大騒ぎしていた女子たちが、次第にこの環境に馴染んできてネイチュアを「なんか面白い」と感じ、自分が体験したことについて考え、理解しようとする萌芽が生まれる。
 教育という行為の本質は、老子に言われるまでもなく、人が人に何かを教えることはいかにして可能か、その方法論を抜きにしては空虚な努力に終わる。学校というシステムは、それを合理的・制度的・強権的に、子供たちに課するものであるほかない。だから、教室の外で学生たちが現実のリアルに出会う機会を設けるぐらいしか教師にはできないのだ、とぼくは思っている。それは教師としての責任から逃亡していると言われれば、ある程度認めざるを得ないのだが、学生にとって長い学校生活で身につけた試験・成績・評価の重圧をいかに潜り抜けるかの技術など、人生にとっては無意味だということは疑いない。そういう教育の隠れた目的は、権力に従順であることを刷り込むことだけだ。それは自分という人間の自負も尊厳も信じられない偏狭な価値に立つ。残念ながら、今の日本の大学という場には、真のグローバルな価値を若者に教えられるまともな教師がどれほどいるか、お寒い現状ともいえる。
コミュニケーション能力という点で考えても、英語の語学力・会話力、TOEFL得点で評価されるのなら、緊張した近隣諸国との外交的判断を自ら先導できるような人間は出てこないだろう。自ら身体で体験したことを、知的に冷静に理解し判断し、なにか必要なのか、リアルな痛みを伴って理解できる人間だけが、国家を運営する資格がある。しかし、自らの体験を痛みを伴って深く理解し、専門の知識につなげる能力は、普通の学校教育では難しい。その学校で優秀な成績を収めたような人が科学者になる場合、ある出来事が社会でどんな意味をもつか、単純素朴な技術優先の科学主義を信条とする人間ができあがってしまう。



B.イデオロギーとしての科学
 野家啓一『科学の解釈学』の序章は、T・クーンの「パラダイム論」から科学的認識の落し穴を論じている。科学史家としてのクーンが「パラダイム」という言葉で述べたことは、近代科学が成立する過程でも、それ以後でも、ときに起こったそれまでの知の蓄積した体系を覆すような科学革命があったことを示し、それは研究者集団がこつこつと積み上げ築き上げた既存の業績や常識を学習し、その上にさらに一歩を進めたのではない、という。ある時代に科学者たちが拠って立つ知識や方法の基礎、これを「パラダイム」だとすると、ほとんど突然にまったくそれとは異なる発想やアイディアを天才的な人物が提唱し、はじめは相手にされないのだが、やがてその革命的な意義が理解され「パラダイム」が転換する。なぜそういうことが起こるのか?

「しかし、パラダイム論をはじめとする「新科学哲学(new philosophy of science)の一連の議論は、認識者から独立の自然を貫く客観的法則という観念そのものが、十七世紀の科学革命によって胚胎した特異な知的態度に由来するものであることを明らかにした。すなわち、「近代科学」を支える数量的・要素論的自然観は「西ヨーロッパ近代」という特殊歴史的・地理的な刻印を帯びた知的探求のパラダイムにほかならないのである。それゆえ、科学的認識の「価値中立性」という神話は、もはやそのままの形で維持することはできなくなる。今日われわれが「科学的」と呼んで称揚する方法論的態度は、時空を超えた普遍性を主張しうるものではなく、歴史的・社会的制約をもった一つの「価値理念」を前提にし、それに支えられた知的態度にほかならないのである。
 一九六〇年代の半ばを分水嶺として、われわれの〈科学観〉は「科学とイデオロギーの峻別」から「イデオロギーとしての科学」へと大きく転回したのであり、その先鞭をつけたものこそ「新科学哲学」からの問題提起であった。
 科学哲学の新潮流を、なぜことさらに科学の「解釈学」と呼ぶのかにつて、ここで一言しておくべきであろう。「解釈学」とはもともと、ディルタイが自然科学の定量的かつ法則定立的な方法に対置して「精神科学」の方法論として提起したものである。その背景にはむろん、自然科学と人文社会科学(精神科学、文化科学)とを峻別し、社会科学に独自の対象領域と方法論とを確保しようとしたリッカートやヴィンデルバントに代表される新カント学派の科学論があったことは言うまでもない。これに対して「形而上学の除去」をスローガンとして掲げる論理実証主義者たちは、こうした方法論上の二元論を否定し、物理学の方法への一元化を目指す〈統一科学運動〉を展開することによって、「人文社会科学の自然科学化」を推し進めたのであった。
 それとアナロジカルに言えば、新科学哲学の戦略目標はむしろ「自然科学の人文社会科学化」にあると言うことができる。厳格無比を金看板とする自然科学の方法もまた、人文社会科学の方法(すなわち解釈学)にのみ特有と考えられてきた幾つかの性格を分けもっているのである。以下、自然科学の〈解釈学的〉性格を瞥見するとしよう。
 先にわれわれは、観察と理論との間には一種の「解釈学的循環関係」とでもいうべきものが存在することを見た。すなわち、理論はそれが説明すべき観察事実の存在を前提とするが、同時にあらゆる観察は「理論的不可」であって、逆に理論の存在を前提としているのである。さらに、観察が一定の理論的枠組みあるいは「パラダイム」の下でのみ可能であることは、科学的認識が何らかの〈先行的了解〉ないしは〈先入見〉に支配されていることを示唆している。しばしば誤解されていることであるが、〈先入見〉は何ら科学的認識の障害物であるわけではない。むしろ、それがなければ解決すべき「問題」すらも自覚できないという意味で、先入見は認識が〈科学的〉であるための不可欠の基盤なのである。
 ここで言う〈先入見〉とは、「何をいかに探究すべきか」に関して科学者たちの行動を律する〈共同規範〉の謂にほかならず、それが科学者共同体の持続的な〈研究伝統〉を形作っているのである。人はその〈伝統〉に帰属し、また参与することによって、「自然というテクスト」の解読者、すなわち科学者となることができる。しかしそれは、「自然法則」が自然というテクストの背後にアプリオリに自存することを示唆するものではない。科学の解釈学が主張するのは、テクストの〈意味〉が読解という行為によって初めて創り出されるように、自然法則もまた地中に隠された宝のように〈発見〉されるのではなく、むしろ科学者の読解行為(研究活動)によって〈発明〉されるのだということである。同時に科学の解釈学は、科学的認識といえども人間の表現行為の一所産であり、科学的真理の〈客観性〉と言われてきたものが、科学的共同体の一般的合意(consensus gentium)に基礎を置く〈間主観性〉にほかならないことを明らかにしたのである。
 これまで確認してきた科学哲学における問題意識の根本的転換は、何も英米圏の議論に限られたことではない。言語分析を武器とする英米圏の科学哲学と現象学ないし解釈学の立場に立つドイツ圏の科学哲学とは、その方法こそ違え、問題意識においては著しい一致を見せているのである。
 例えば、科学的認識が一定の「利害関心」に導かれている事実を強調し、それから目をそらす〈科学主義〉や〈実証主義〉を指弾するハーバーマスの「批判理論」は、先の〈先入見〉に対する別の方向からのアプローチと言えよう。また、科学的認識の〈客観性〉を〈間主観性〉のレベルで再構成しようとする試みであれば、すでにフッサールの手になる、自然科学的明証性の究極的根拠を生活世界の明証性に求める丹念な作業を、彼の晩年の『危機』論稿の中に見て取ることができる。さらに、P・ロレンツェンに率いられるエルランゲン学派が、科学言語を生活世界経験ないし実践的状況を出発点として再構成する試みを続けていることも、同じ問題関心の流れの中に位置づけるべきであろう。
 今一つ英米圏とドイツ圏の科学哲学に共通する問題意識は、「科学批判」という契機である(むろん「批判」の語はカント的意味で理解されなければならない)。科学的認識の〈存在被拘束性〉を解明するという作業は、「科学の現在」を歴史的に相対化する視点をわれわれに与えてくれる。科学哲学を現存する科学の単なる基礎づけと追認作業に終わらせることなく、それを批判的に吟味し、「ありうべき科学」を模索するというすぐれて〈規範的〉かつ〈実践的〉な問題関心こそが、「科学の解釈学」を貫くものなのである。
 六〇年代以降の科学哲学の新展開を「科学の解釈学」という枠組みの中で捉えることは、これまで検討してきた英米圏およびドイツ圏における科学論上のさまざまな試行を、一つの統一的な観点から展望する視座を設定することにほかならない。それは科学哲学内部における潮流変化の認識であるに留まらず、近代科学の〈自己理解〉を更新する根本的な変化をも意味するものなのである。」野家啓一『科学の解釈学』序章 講談社学術文庫、2013.pp24-28..

 これはすでに20年以上前に書かれたものだから、当時野家氏が構想した「解釈学」によって科学そのものの根底的問題点を抉るという視角は、現在の時点から見ると、それもまた一つのパラダイムに立っていたともいえなくはない。でも、科学というものをまともに理解していない人々が、それゆえに安易な科学主義、とくにさまざまな人間社会の問題を、科学技術をもってすれば解決可能だと信じる万能の楽観主義が、蔓延っている現状を見ると、これはやはりきちんと考えておかなければ危ない、と思う。原発にしても、リニアにしても、あるいは軍事技術にしても、リスクはテクニックでなんとでもなる、と信じる魔術が政治まで動かしてしまうのは危険だ。
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