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科学と芸術・科学と政治・政治と芸術・・さんすくみ

2015-07-12 17:26:51 | 日記
A.政治家は芸術家を理解できるか?芸術家は政治家を理解する気があるか
 アーティストは基本的に個人技で、オーケストラや映画制作のように集団でやる仕事もあるが、それも指揮者や監督の個人名として作品が記憶される。資本主義の市場交換という場では、芸術作品も交換される商品として消費される運命に置かれるが、その評価は作品を味わう側の問題で、政治的イデオロギーや権力者の恣意的道具にされては、もはや芸術から生気は奪われる。
 政治家でアートに造詣の深い人は少しはいるかもしれないが、アーティストが政治家になる例は少ない。石原慎太郎のような小説家が政治家になった例はあるが、彼は政治を自己表現の道具にしようとしていた人で例外的だろう。多くのアーティストが政治にかかわる時は、政治の側が大衆の支持を得るための道具としてその名を利用する場合が多い。左翼の場合も戦前から、「文化政策」の一環として芸術家を動員しようという発想が強い。でも、政治路線に背くアート作品には、非難や抑圧を強いるから、政治と芸術は常に緊張し対立する。
 朝日の編集委員、前田直人のコラムにこの政治と芸術という話が載っていた

「政治断簡:政治と芸術 全体主義の教訓―「なぜ政治記者に?」と、よく聞かれる。私は大学は美術大学でデザインを学んでいた経歴を持つので、不思議に思われても無理もない。
 政治を強く意識するようになった原点の一つに、19歳のときに経験したソ連旅行がある。まだ東西冷戦時代、「怖いもの見たさ」もあったが、現代のデザイン表現に大きな影響を与えた20世紀初めの美術運動、ロシア・アバンギャルドへのあこがれがあった。
でも、期待は裏切られた。古典芸術は素晴らしかったけれども、街の風景やインテリアは何とも殺風景。現代アートらしい息吹はまったく感じられなかったからだ。
帰国後、無知だった私は本を読みふけった。ロシア・アバンギャルドは1930年代にスターリンに排斥され、封印されていたことなどを知る。その後は労働者や農民を写実的に描く社会主義リアリズムという様式が公認され、迫害作品の多くは米国に流れた。
さらに私は東西統一直後の旧東独地域に足を運んだ。20世紀初めに近代デザイン・建築の礎を築いた美術学校、バウハウスがあった地。私もその教官が編んだ理論書でデザインの基礎を学んだ。その伝説の学校もナチスの弾圧で、もぬけの殻になっていた。
政治権力が気にくわない芸術を「難解」「退廃」と排撃。意に沿う芸術家の表現力を権威の宣伝に使う――。全体主義の弾圧・統制プロセスを学び、背筋が寒くなった。
あれから四半世紀。政治権力の恐ろしさと表現の自由の有難さを胸に刻んだ初心を、ハッと思い出した。自民党議員の勉強会で、報道威圧発言が飛び出したからだ。その勉強会の名は「文化芸術懇話会」。ゾッとして、学生時代から著作を愛読してきたデザイン評論家に会いに行った。私の母校・武蔵野芸術大学の柏木博教授(69)。権力と芸術の歴史に詳しい。
「気味悪くないですか」
「不気味です。言っていることが、スターリニズムやナチズムの道と同じ。言論の自由は権力の側ではなく、個人の表現者のためにあるのに逆転している。いちばん怖いのは、政治的な力で個人の表現を圧殺することなんですよ」
個人の心をつなぐ芸術は人間の尊厳の象徴だが、そこで柏木さんが「恐ろしい」と指摘するのは、自民党の新憲法草案。「表現の自由」の保障の例外として、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を禁じる。
「既存のシステムに対抗するのは、現代芸術の根幹ですよ。ロックだって、ジャズだって。草案は個人主義にも否定的だけれど、芸術家は常に個人の表現。それを根底から否定することにもなる」
そうだ。学生時代に大好きだった英国のパンクロックなんて、「公の秩序を害する」と見なされそうな歌ばかり。でもそれが世界の若者の心を結び、元気づけた。自民党は、国家が個人の表現を縛る危うさを本当に理解しているだろうか。この問題の根は、あまりに深い。」朝日新聞2015年7月12日朝刊、4面。 
 
 20世紀の冷戦時代、東側の社会体制は自由がなく反体制的な芸術家は発表の場を奪われたり、牢獄に繋がれたりするひどい社会で、西側の日本は言論の自由が保障される幸福な社会であると言われていた。本当に自由な言論があったかは怪しい点もあるけども、少なくとも特定の表現を政治権力の恣意的判断で規制したり禁止したりはしなかった。それが今や危うい。



B.サイエンス・ウォーズの総括
 だいぶ前の話題ではあるが、あるトリッキーな事件があった。1994年、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルAlan Sokalが当時最も人気のあったカルチュラル・スタディーズ系の評論雑誌の一つ『ソーシャル・テキスト』(Social Text)に、『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)と題した疑似論文を投稿した。この疑似論文は、ポストモダンの哲学者や社会学者達の言葉を引用してその内容を賞賛しつつ、それらと数学や理論物理学を関係付けたものを装っていたが、実際は意図的にでたらめを並べただけの意味の無いものであった。起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。掲載と同時にでたらめな疑似論文であったことを発表し、フランス現代思想系の人文批評への批判の一翼となった。
 「サイエンス・ウォーズ」と呼ばれた科学・思想上の論争が、専門家以外の人々にも大きな関心を呼んだのは、それ以前に「ポストモダン」を唱えたフランス現代思想の軽薄なブームがあったからだろう。

「アカデミズム科学から産業科学への変質を説いたラベッツは、先に触れた「科学知識とその社会的問題」(一九七一年)〔邦訳は『批判的科学』一九七七年〕の中で「最近、「科学」を絶対的に望ましきもの、永久不変の真理の追究ととらえる理想像はひどく曇らされ、社会的及び地理的な数々の問題が、あらゆる方向から積み上げられてきた」と述べ、続けて自らの研究に対して次のような懸念を表明している。

 科学の産業化の結果生ずる社会的及び倫理的問題は、今日の時代の科学を理解する上でもっとも根本の問題である。これらの問題をふまえて、世間の常識的科学観も、学問的な科学哲学も、観点を変え、科学において何が「リアル」な問題かについてのこれまでの考え方を修正している。〔中略〕私の言うことの多くは厳しくて不愉快なものであろう。そしてある人々には、醜聞あさりそのものと思われもしよう。しかしこれらのことを語らずに済ますわけにはいかない。

当時すでに現場の科学者からの反発を予想していたかのような書きぶりだが、その懸念が現実化したのはそれから四半世紀後のことであった。その「サイエンス・ウォーズ」についてはこれまで日本語でも数多く論評がなされ、雑誌の特集号も刊行されていることもあり、改めてその経緯を述べることはしない。ここでは最近邦訳が刊行され、ソーカル自身の「偽論文」も収録されているA・ソーカルとJ・プリクモンによる『「知」の欺瞞』に即して係争点を洗い出していくこととする。実を言えば、この本に関する限り、細かな哲学的議論を除けばソーカルらの批判はおおむね正当なものだと私は考えている。ただし、そのことと現代科学論の意義を否定することとは全く別の次元の事柄である。ともかく、彼らの批判の標的とされている哲学者や科学論者は以下の三つのグループに大別できる。

・現代思想の「巨匠」たちによる科学的知識の誤用および濫用
・相対主義や反実在論などの哲学的主張
・社会構成主義、フェミニズム科学論、科学の人類学などの現代科学論

 『「知」の欺瞞』の大半の紙数が費やされているのは、この第一のグループ、つまりラカン、クリステヴァ、イリガライ、ボードリヤール、ドゥルーズ/ガタリ、ヴィリリオといった現代フランス思想の「巨匠」たちが行っている科学知識の誤用および濫用に対する批判である。本書を読めば、これらの思想家たちの文章が理解できないのは読者の頭が悪いためではなく、著者たちの科学理解がでたらめなせいだということがよくわかる。彼らが単に知的な権威づけのためだけに、間違った科学知識を振り回しているのだとすれば、その知的不誠実は噴飯ものと言わざるをえない。むろん、そのこととラカンの精神分析理論やクリステヴァの文学理論の評価は別に論じられなければならないが、少なくともソーカルらの批判がフランス現代思想の「非神話化」に貢献していることだけは確かである。
 第二のグループにはクーン、クワイン、ファイヤアーベントらの科学哲学者が含まれている。彼らに対する批判には「第一の間奏」と題された一章が割かれているにすぎず、また事柄が科学哲学上の争点に関わるものであることから、ソーカルらの論調もかなり慎重なものとなっている。つまり、彼らはクーンの「通約不可能性」やクワインの「理論の決定不全性」に対して、それらを正面から否定することはせず、その拡大解釈や過激な一般化の不当性批判するという戦略をとっている。例えば「穏健なクーンとその穏健ならざる弟」を区別し、「穏健なクーンは、過去の科学の論争は正しく解決されたことは認めるが、当時の経験的な証拠が通常考えられているよりも弱いものであり、科学以外の考慮も論争の解決に関与したことを強調する。われわれには、穏健なクーンのこのような主張にことさら原理的な異論を唱えるつもりはない」といった具合である。そうした点については、私もソーカルらの議論にことさら異を唱えるつもりはない。総じて言えば、この章の批判的議論は七〇年代の「パラダイム論争」の二番煎じと言えるものであり、目新しい論点はほとんど出ていないからである。
 ただし、実在論/反実在論をめぐる論点については一言しておくべきであろう。ソーカルは「最もよく確立された科学の理論の実験的検証の総体こそが、われわれが自然界についての(近似的で不完全なものにせよ)客観的な知識を獲得したことの証拠なのである」と述べている。これは検証主義を掲げる反実在論者といえども十分に受け入れることのできる妥当な見解である。ところが、他方で彼は「事実」とは、われわれが持っている(あるいは、持っていない)知識とは無関係に存在する外の世界の状況であり、殊にわれわれの合意や解釈などにはまったく関係がない」あるいは「われわれの主張とは独立に事実が存在し、これらの事実と(可能な範囲内でできる限り)比較することによって、われわれの主張は評価されなくてはならない」と述べている。これはごく常識的な見方をなぞっただけに見えるが、認識論的には問題が残る発言である。「事実と比較する」と言うとき、ソーカルは明らかに先の「実験的検証」のことを意味している。その「事実」は言うまでもなく実験装置や科学理論と無関係ではありえない。たとえば、霧箱写真は理論を離れた「事実」としては、単に筋目の写った印画紙にすぎず、物理学者はそれを「素粒子の飛跡」と解釈することによってはじめて実験的証拠を手に入れるのである。
 それに対して、「知識とは無関係に存在する」や「主張とは独立に存在する」と言われる場合の「事実」は、いわばカント的な「物自体」を指していると理解せざるをえない。ソーカルは「事実」にこの二つの意味を負わせ、それらを時に応じて使い分けているのである。常識の仮面を被ってはいるものの、後者の主張は二つの形而上学的立場の表明にほかならない。むろん、科学者が形而上学的主張をしてはならない理由はない。しかし、その場合には、ファン・フラーセンが述べているように、「実在論者であったり敬虔主義者であったりするのは、科学者としての科学者ではない、ということである。実在論とか経験主義というのは、科学とは何であるか、という問いについて、哲学者が、あるいは哲学者としての科学者がもつ立場である」ということを明確に自覚すべきなのである。実際、マッハやポアンカレが常識におもねることなく、「哲学者としての亜学者」の立場から要素一元論や規約主義を主張したことはよく知られている。彼らとは違って、科学者の多数が実在論的傾向をもつことは事実だとしても、実在論そのものは哲学的論証を必要とする一つの形而上学的立場なのである。」野家啓一『科学の解釈学』講談社学術文庫、2013.pp.194-198.

 ソーカルの主な攻撃目標は、フランス現代思想の「巨匠」たちであって、科学史・科学哲学のまじめな仕事には敬意は払っている。でも、第三のグループつまり、社会構成主義、フェミニズム科学論、科学の人類学などの現代科学論の中に、社会学者も関与していると思うので、気にはなる。

「第三のグループは多岐にわたるが、『「知」の欺瞞』で一章を当てて明示的に批判されているのはB・ラトゥールただ一人である。そして、そこで標的とされているラトゥールの相対性理論解釈に関する限り、ソーカルらの批判は正当なものと言わざるをえない。つまり、ラトゥールの記号論的分析が誤った相対論理解に基づいていることに弁解の余地はほとんどない。しかし、それをもって「実験室生活」や「科学がつくられているとき」でラトゥールが展開した科学人類学的考察をも全面否定することには私は反対である。それは「産湯とともに赤子を流す」ことに等しいであろう。むろん、それらの中にも行き過ぎた議論があることは認めねばならないが、彼が科学論の「記述的アプローチ」に道を開いたことは十分に評価されねばならないのである。
 ソーカルはサイエンス・ウォーズを総括した論文の末尾で、「科学論」の認識論的うぬぼれは、なによりも科学論を動機づけていた重要な事柄から目をそらさせている。すなわち、科学と技術の社会的、経済的、政治的役割である」と述べている。これは現代の科学論者が頂門の一針とすべき言葉だと思われる。実際、現代のカルチュラル・スタディーズ系の科学論は玉石混交の観があり、そのなかには「認識論的うぬぼれ」と謗られてもやむをえない杜撰な研究も散見される。ソーカルらの批判がそうした研究の淘汰速度を速めたとすれば、それはそれでサイエンス・ウォーズの副産物として評価すべきことであろう。
 それと同時に、このソーカルの発言の後半部は科学者自身も心して自覚すべき事柄だと言える。少なくともサイエンス・ウォーズでソーカルに加担した科学者の多くは、いまだ古典的科学の価値に安住しており、テクノサイエンスへの科学の変質に無自覚であるように見受けられるからである。市場メカニズムに組み込まれた科学研究は、直ちに技術的応用と結びつき、社会の「実験室化」をもたらす。っそれはDNA組み換え食品、出世前診断、環境ホルモンなどの問題に見られる通りである。現代の科学は、もはや象牙の塔の中に囲い込まれてはおらず、社会と地続きになっている。そのことは一九七五年の「アシロマ会議」に集まって遺伝子組み換えのガイドラインを策定した生物学者たちが自覚していたことでもある。テクノサイエンスの時代には、知的所有権の主張と裏腹に、知識の「製造物責任」もまた問われねばならないのである。」野家啓一『科学の解釈学』講談社学術文庫、2013.pp.198-199.

 実際、膨大な研究予算がなければ研究ができないと思っている科学研究者たちの多くは、研究室の外の世界にほとんど関心も興味もないとしか思えない人が多いと見受けられる。それは、芸術家が政治に利用されるのとは違うが、ある意味ではもっと悪影響があるのだ。
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