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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

初恋と個性・・今も縄文時代も (10/10 縄文を五感で探る)

2022-08-28 | 第十一章「五感で面白おかしく」

生き甲斐の心理学を学び愛の原型を学ぶ。愛の原型は良いにしろ悪いにせよ人生に大いに影響をあた得ることは確かなようだ。愛の原型の経験は身近な家族とのやりとりであったり、時には自然や神仏といったものだったりいろいろだが、初恋の経験はちょっと特別な何かなのではないかと思う。

つらつら独断と偏見で考えると、初恋の人は私は小学生から中校生くらいの時期で、対象は一人とは限らないようだ。そして、その大きな特徴は人生全般に影響するような<直感的な何か>を含む経験だったように最近になって思うようになってきた。年をとることで過去の経験がより客観的・肯定的に捉えられるようになるということと関係しているのかもしれない。

初恋も人と人との関わりが基本であるので、楽しい部分もあるが苦々しい部分もある。そうした年をとってから複雑な湧き起こる感情に自らが寄りそうことができて(肯定的に解釈ができて)、はじめて<直感的な何か>にはじめて気づくのかもしれない。

<直感的な何か>。それは自分の傾向と渇望といった、人生の根幹に関わることではないだろうか。間違えてほしくないのは単なる自己愛ではなく、自己を超えた何かとも関係する。

転校で別れてしまったり、卒業で疎遠になったりといろいろだと思うが、多くの人は初恋の人と結婚することなく、別に伴侶を見つけたりし様々な人生を送るようだ。ただ、それは自分の深いところの意思と関係し、自己肯定・他者肯定への何かとも関係する。それゆへ、人生全般に対する意味は大きい。さらに、いろいろな経験を経て、より普遍的な何かに育つ可能性がある。

話は変わるが縄文時代の遺物や遺構は当時の祖先の愛の原型(初恋もはいるのだろう)と関係するのではと思う。初めは土器や土偶に興味を持つようになり、そしていろいろ教えてもらったことで石器や配石遺構や住居などにも興味が。

今でも人によっては日本伝統のウサギ小屋と揶揄されるような狭い住居空間を好む私達。そんな祖先達は、初恋の相手と何を語り、何を夢見たのだろうか。

10/10 縄文を五感で探る

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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縄文時代の敷石住居の意味は? (9/10 縄文を五感で探る)

2022-08-27 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文時代の展示でよく見られる柄鏡形敷石住居。縄文中期の後半から後期の前半ごろまでの1000年間くらい見られる現象とも言える。配石遺構などまで考えると、もっと長い期間の現象かもしれない。

何故、このような住居を列島の祖先達は作ってきたのか。これに対していろいろな説があるが、未だに納得できる回答は見つからない。

さて、私は学生時代に実験心理学の卒論を書いたり、この20年くらい前からU先生に習い、比較宗教学や比較文化論のベースがある臨床心理学系の勉強をしてきた。その中でいろいろ役に立つ理論を学んだが、カール・ロジャースの心理学は有名な来談者中心のカウンセリングとして広く知られているが、現象学的なアプローチをとり心理学以外の分野にも影響を与えたとされる「パースナリティ理論の19の命題」はとても役にたっている。たった19の命題だけで人のことを語れるというので、かつてロジャースがノーベル平和賞候補になったということももっともだと思う。

それはともかく、19の命題の中の一つに、ある人間の行動(行為)は何らかの意図(内的枠組み)が必ず背景にあるというものがある。

私はかつて福祉の現場の仕事を短期間した経験があるが、この理論は現場でとても役だった。一見意味不明の行為の裏に尊厳のある人の意図が隠されていると考えるか否かで、ケアの質も変わることも経験した。

さて、縄文時代の柄鏡形敷石住居。これはどういう意図が隠されているか。当時は縄文海進の時代からかなり冷涼化する時代なので、寒さ対策として外気と住宅内部との間に緩衝地帯のような部屋(張出し部)を置いたとする考え方がある。私も寒冷地に住んだ経験もあり納得できるが、何故敷石も伴うのかといわれるとまた分からなくなる。こうした謎に何十年も取り組んできた方もおられ、歴史的解釈はかなり定説化されたようだが、敷石に関しては、埋甕の問題や図像学的解釈とか、いろいろな立場から祖先の心の内に接近する必要が残されているように感じる。

私もしがない縄文小説家として、その意味を考えるが、やはり生き甲斐の問題や死生観を大事にしたいので、象徴的なものにとても惹かれてしまう。

(写真は 東京都埋蔵文化財センター 縄文の村にて筆者が撮影)

9/10 縄文を五感で探る

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縄文の旅の楽しみ「道の駅」やスーパー (8/10 縄文を五感で楽しむ)

2022-08-21 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文の旅では「道の駅」やスーパーには必ず寄ることにしている。今回も広島県の帝釈峡遺跡群の南に位置する広島県の世羅町の「道の駅」に。地元でも人気の道の駅で、第二駐車場があり、昼過ぎに行くと売り切れが続出ということで午前中に行った。コメが湧水をつかっているのか美味しいとのこと、また卵も絶品とのこと。確かにコメと卵関係は沢山積んであり売れていることがよくわかる。世羅のコメを炊いて卵かけご飯を食べるなど・・・。

私は、セラバーガーと世羅コーヒーも昼食用に購入。後で縄文の旅で食べさせていただいたがなかなか美味しかった。そのほか、猪や鹿肉(ペット用の肉まで)、アライグマだったかの皮製品なども売られていて何かタイムスリップしたよう。このほか地元で食べられている野菜、豆、キノコ・・これも地方地方特色があって見るだけで楽しい(驚愕することも・・・)。

味覚はおふくろの味ではないが、愛の原型ともつながる可能性があり。とても大事。とはいえ、こんな理屈より、妻の指令でホントは行っているのかも。

8/10 縄文を五感で探る

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人間嫌いの縄文人?きっと人間好き (7/10 縄文を五感で探る)

2022-08-19 | 第十一章「五感で面白おかしく」

50年ぶりに広島県の帝釈峡に行った。 50年前は友人とキャンプを楽しむためだったが、今回は帝釈峡遺跡群を学ぶために現地の庄原市歴史博物館である時悠館を友人と見学するためだった。 時の移り変わりと人生の不思議さを味わった。 50年前の私は「これから」という可能性に燃えた若者だったが何となく人間嫌い。 今は年をとったので「そろそろ」というように先が見えているが、こころは結構自由であり人間嫌いではない。

さて、写真は時悠館のそばで撮った桔梗。 桔梗の花は自宅のベランダでも咲いているが自然に溶け込んだ帝釈峡の桔梗は格別に美しかった。 また時悠館で見た五弁(五つの突起) の縄文後期の土器を見たばかりでもあり、この桔梗はしっかりと記憶に焼き付いてしまった(とは言え今は忘れるが)。 縄文人も桔梗を愛し五弁の土器を作ったのだろうか?

ネットで調べたところ。 8世紀の万葉集にも桔梗が載っているし、桔梗は漢方などでも広く利用されているようなので、日本列島在来種の可能性も含め縄文時代にもあった可能性は低くないようだ。 最近の学説では縄文後期以降には穀物の多く(コメやそばを含め)が畑作で栽培されていたようなので、桔梗も縄文後期に入ってきた可能性もあるだろう。

ところで1万年以上の縄文時代とはいえ、口縁部に奇数の突起などがある土器が沢山できるのは約4,000年前の後期からだと聞いたことがある。 中期の土器は芸術的で得難いが、後期になると土器が多様化し別の発展を遂げる。 注口土器などもできたり、普段使いの深鉢ができたり・・・その流れに五弁の土器もあるのだろうか。 調べてみると自然界の花の花弁の中で五弁は最も多いようだ。 縄文人も見慣れた5角形なのだろう。ただ、五角形は描くのが難しい、それは土器づくりにも言えるのではないだろうか。 多分、あの花の形の土器を作りたいという願いは縄文後期以前からあったと思うが、難しいのか作れなかったのではないだろうか。

縄文後期は私が一番関心がある時期だ。 縄文後期になると当時としては大掛かりな配石遺構など土木工事が多くなる。 これは縄文中期末ごろの異常気象や中期ごろからの寒冷化と関係があるかもしれない。 厳しい時代には科学時術は進歩する。 縄文時代の後期はまだ文字がない社会であったが、長さの単位(縄文尺)は確実にあり、かなり正確に二至二分などの暦を知り、集団行動(水場の建設や配石遺構建設)も組織的に行っていた。 縄文後期は縄文時代のルネッサンスだったのではないだろうか。

妄想ついでに、縄文後期人の人間観について。 先に50年前に私が帝釈峡に行ったころの話だが、工学部で科学技術を学んでいる最中の私は、人間観という意味では厭世的・人間嫌いであったようだ。 もちろん若いのでいろいろ楽しみはしたが基本的な思想は高校の時にカトリック教会から離れ根は暗かった。 今は伝統宗教(カトリック)を信じて人間嫌いではないが、これは今のような厳しい時代の中でも心の自由を得るには大事だと実感している。もちろん科学技術を大切にすることと矛盾はない。まあ、個別の信仰・思想の世界は分かりにくいものだが、U先生が教えてくれたオックスフォード大学流の比較宗教学をもとにした人の定義はだれにでもわかりやすく人間嫌いに一石を投じてくれるように思う。

A=B(X+Y)

A: 人間そのもの
B: 魂のこと、代表的な魂の定義として「魂は永遠不変のもの、愛そのものである魂は病む事も無く、死ぬことも  ない、臨終と共に身体から離脱する知的生命体」
X:  生育史のこと
Y:  生物学的、医学的な身体のこと

こうした人間観は、基本的人権や福祉思想とも整合性が良く、世界の多くの伝統宗教とも整合性がとれるのではないかと思う。

ところで、厳しい時代の縄文後期。縄文時代のルネッサンスかはわからないが、縄文人たちはこの公式のような人間観を持っていたのではというのが私の仮説である。武器を作らず、病人の世話を大事にしたりする。ギスギスした世の中でちょっと違った希望を見つけるには大事な公式だと思う。

7/10 縄文を五感で探る

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縄文が生き甲斐になるとき?五感をとおして何かが・・(6/10 縄文を五感で探る)

2022-08-08 | 第十一章「五感で面白おかしく」

写真は何処にでもありそうな東京の郊外の公園。しかし縄文時代に嵌まりこの公園周辺に遺跡があることを知り、さらに発掘調査報告書を読んでからは、以前と全く違うように感じるようになった。

公園には犬の散歩をする男性。近くの花壇の世話をするご婦人・・・いろいろな方が通り過ぎるが、今ここの風景だけでなく、例えば10,000年前ご先祖さまが家族で竪穴住居で食事をしていたり、3500年前の縄文後期人がトーテムポールを作っていたり、高台から南西の山の端にちょこっと顔を出している蛭ヶ岳に感動する人々、そんなことをふと妄想するようになった。

人が、毛虫から蝶のように大きく変身するのは、五感体感で何かを知覚してからだと思う。それは表面的な身体や生育史のレベルではなく、こころの奥の魂で感じた時。普段はいきるための鎧で覆われている奥の奥が疼く時。そんな時に自分が観え、人生が観える。

7歳の時に1年アラスカで経験した五感の記憶の中にそんな深い記憶がある。当初は言葉がまったく分からず(Google翻訳ももちろん無く)おどおどしていたときに優しく助けてくれた小学校の先生。誰もいない公園で不思議なトーテムポールを眺めていた時の不思議な気持ち。家の裏で大きな木の枝がハンモックのようだったこと。雪の道で側溝に落ちそうになり助けてくれた少し上の女子。それが私の縄文の原型(笑)なのかもしれない。

それから60年くらいたった2014年。啐啄同時と言う言葉があるが、地域でのストーンサーク見学会で縄文に興味をもつようになり、夏に黒曜石ミュージアムを訪ねたことが決定的だった。そこから1時間くらい掛けて黒曜石採掘場を巡り、星くそ峠も登った。そこでの風景や地面に落ちている縄文人も触ったかもしれない黒曜石の破片。峠を吹く夏の心地よい風や野の花。見えないが野生動物の臭い。それが遅ればせかもしれないが縄文にうつつを抜かす人生の始まりだったようだ。縄文ワールドにようこそ・・どこかで縄文人が囁いていたのかもしれない。

人の変容はロジャースの6つの条件と関係するようだ。①自分を肯定してくれるようなラポールの存在②どこか不統合な私③統合された愛そのものの魂?の存在④無条件の優しさ⑤自分への理解⑥ちょっとした愛の伝達。

8月6日、「掘る女 縄文人の落とし物」(松本貴子監督)、素晴らしいドキュメンタリー映画を鑑賞することができた。この映画を見て感じたことは、まさしく自分の体験とかさなる。なぜ、人は縄文に魅せられるのか。文字も無く来歴もほとんど分からないモノを中心にした考古学に魅せられるのか。土器や土偶、遺構・・に惹かれ、人生を変えて行くのか。実際に縄文人が作ったものに触れてみる。時間を経ても同じ場所に立つ。そういったことが全てではないもののきっかけになるのではないだろうか。観念だけの危ない世界から、五感で立つ世界に。

6/10 縄文を五感で探る

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

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