イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

COVID19の中での邪眼と慈眼・・それを越える鍵と縄文世界(縄文時代の楽しみ方 10/10)

2020-05-26 | 第五章「和解と平和」

 新型コロナウィルス感染症(COVID19)での自粛生活も、そろそろ区切りがつきそうだ。この2-3ヶ月の異常事態の中でいろいろ感じてきたが、私もそうだがFacebookを初めとするSNSなどでは疑心暗鬼が溢れ、不安感のかたまりにいつのまにかなってしまっていたように思う。そんな状態のときは、コンビニにはいってもマスクをしていない若者が騒いでいたりすると目が邪眼に・・・。八王子は学生の多い場所だが、近くの大学のジョギングをしている学生が通ると、必要に遠くに避けたり・・・人を見れば、コロナと思えではないが、誰もが何となく邪眼になり警戒モードになっていったようだ。しかも、家庭の中でも感染が・・・などと言われるとますますギスギスしてくる。
 こうして、2-3ヶ月経過してしまったが、いつの間にか早春の良い時期は過ぎてしまい、緑は深まり梅雨の季節が間近になってしまった。そして、去年の今頃の写真を懐かしんで見ていたら、昨年3月に相模国一の宮の寒川神社と近くの岡田遺跡周辺を散策していた写真がでてきた。私の家の近くの大栗川にも水鳥は沢山来るが、何故か山羊がいたが印象に残っていた。

  

 川のほとりでのんびりし、水鳥やたまたま近くを通りがかる動物を見るとほっとする。昨年はCOVID19など無縁の世界だったので、このときの私は山羊や白鷺以上に慈眼だったかもしれない。
 邪眼、慈眼、を意識するようになったのは、生き甲斐の心理学を学び、ブログを書くためにデジタルカメラを頻繁に撮るようになってからだ。今は望遠機能付きのカメラになっているので近づく必要は減ったが、昔は花と蝶を一緒に撮るために近づくと、ひらりと蝶が逃げてしまう。いろいろ試行錯誤したが、これはどうも邪心に関係するのではないかと思った。慈眼になるようにと訓練し宮本武蔵の五輪の書なども読んだが(笑)、だんだん上手に蝶さんの写真を撮れるようになっていった。

 さて、微妙な邪眼、慈眼のお話をさせていただいたが、日々お付き合いをする人間関係においても、この邪眼と慈眼、あるいはポーカーフェイス(笑)は大きな影響を及ぼすように思う。特に職業が、人間関係が重要なファクターとなる、例えば医療関係、教育関係などであれば仕事の質にまで影響を及ぼすように思う。

 こうした中、U先生の比較宗教学や比較文化論をベースにした「生き甲斐の心理学」はどう考えるのだろうか?これは人間をどのように見るかによる。人を身体と生育史からなるこころと考えるのは現代日本では常識であるが、もう一つ魂という視点が「生き甲斐の心理学」にはある。
 日本人は宗教はともかく魂を信じる人は多い。亡くなった親や家族、知人の墓で祈る光景は普通にある。死んだら身体もなくなると同時に何も無くなるという哲学はあるが、死んでからどうなるかは不可知の世界で基本的にはよく分からない世界だ。そうした中魂はきっと残る・・・そう考える人は多いが、魂をどのように考えるかは多くの人は(かつての私もそうだった)余り考えない。

 今年の2月に福岡の太宰府天満宮に詣でた。菅原道真公は悲運の人で有名で、死後怨霊となり恐れられたが、後の天皇や為政者が丁寧にお祀りすることにより、今では学問の神様となって愛されている。日本人の多くは、魂はいったんは怨霊となることもあるが最終的には、慈愛に富んだ霊になるように考える傾向があるのではないかと思う。お盆で祖先の霊が自分たちに禍をもたらすと考える人はあまりいないのではないか。

 魂をどのように考えるのだろうか。私は持統天皇の勉強もしていて、持統天皇に関する小説を何冊も読んだが、ある作家は怨霊のように恐ろしい魂を死後に想定していたりする。一方反対に愛そのもので永遠不滅といった考えに近いかのなと思える人もいる。「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(巻2-160)。持統天皇のこうした歌(難解)から女性の激しい情念・狂気を読む方もいるかもしないが、私は孫の文部天皇が続日本紀で残した697年の宣命(みことば)を想う。文部天皇の持統天皇の印象は公民を恵み撫でいつくしむ神そのものののイメージなのだ。それ故持統天皇の魂が恐ろしいものではないように考える。光があれば影もあるが。
 一般論としてはどうだろうか。U先生によれば、欧米の比較宗教学をベースにした心理学では「愛そのもので永遠不滅。死んで身体から離れる生命体」こんな風に定義するのだそうだ。定義はいろいろ考えられるが、人間の魂の本質を性善説に解釈するほうが性悪説的に解釈するより、心に平安が訪れ生きる力が増すと考えるのは妥当ではないだろうか。

 さて、縄文時代の人は魂を信じていたようである。そのように多くの学者は唱えている。不思議な形態の非日常的な遺物が出てくるのでそうとしか考えられないところがある。ただ、縄文時代には文字が無く、メソポタミア、エジプト、インド、中国といった大陸の文明と異なり、どのような宗教だったのか、どのような神話があったのかはよく分からない。7,8世紀に日本列島に文字が入り、記紀や万葉集に収録されて残されるようになり、その伝聞から想像するしかない。縄文時代の火の神はカグツチではないかとか、いろいろ言われるが、言語が時代とともに変わるように神話も時代や地域で変容することは現代の神話の分布を見れば明らかだと思う。記紀の日本神話は当時の政権がでっちあげたお話で信用がおけないということは何十年前にはよく言われたが、7.8世紀にきちっと記述された神話など世界的にも珍しいらしく、資料としては一級とのことだ。しかし、そうだからといって5000年前にカグツチ信仰があったかはどうかはわからない。

 さて、冒頭の写真であるが、神奈川県の岡田遺跡の釣手土器であるが、表(前)から見たときと裏から見たときの印象が全く違うのがこの釣手土器の特徴である。ある研究者はイザナミの首ではないか。仏のような表と夜叉のような裏。ただ、そんな外見だが中には火がともる。ここからは私の妄想であるが、人は状況により仏となったり夜叉となったりもする。しかし、身体の中には火が灯る。この火は先ほどの魂(性善説的な解釈を伴う)を表すのではないか。この時期、こうした釣手土器と符合するかのように、中部高原や関東南西部を中心に、同じようなデザインの顔面把手があり、顔面把手付き深鉢がある。顔面把手付き深鉢の本体の中には様々なスープが家庭の味?として入っていて、家族や一族が楽しむ食物となる。火か食物の差はあるが、火ないし食の持つ本質は、魂=愛そのもの、ではなかろうか。同様に中空土偶(中には小型で鈴のように音がでるものさえある)も等価ではないだろうか。さらに竪穴式住居や環状住居などのプラン・・・外見はいろいろであるが、人の身体の中には愛そのものである魂がある。これが縄文時代(中期)の人間観であり思想だったのではないだろうか。因みに、こうした人間観は脈々と現代にも伝わり様々な宗教や哲学にも影響を与えているように思う。例えばカトリックのパウロの思想には人の身体は神の神殿ということがある。

   

岡田遺跡周辺
 ここで等価というお話をしたが、これは故市川亀久弥先生が提唱し湯川秀樹先生が応援していた等価変換創造理論のことである。これは発明理論として今でもTRITZなどと同じように企業の開発部門に導入されているが、本来は工学分野以外にも使える理論だ。かつてアナロジー論が跋扈していた時代に市川先生が作り出されたもので、これからのAI時代に生き残るために重要な理論ではないかと思う。
 例えば青虫が生殖のためにサナギとしてアミノ酸レベルまで分解し蝶として再構成されるという完全変態の例えが分かりやすい。まったく違う生き物になったように見えるが、生命体の本質は意外に繋がっている。別の工学の例では、真空管製造会社が時代のニーズの中で真空技術を応用して魔法瓶会社に転換したのが有名である。身近なエスカレータも人が階段で登るところを階段が人を乗せて登るという別の形態に変化された例になるのかもしれない。


 岡田遺跡は縄文中期で3つの集落、1000件を超える住居が発見され国内でも最大級といわれているが、近くには寒川神社がある。気のせいかもしれないが縄文遺跡の側には神社や祠があって、こころが和むように感じる。聖地に入ると邪眼になるより慈眼となって帰るほうが多いと思う。岡田遺跡も縄文中期で600~700年続いたといわれている。当然ながら長期に渡れば天災・災害・今度のような疾病、あるいは部族同士の葛藤などがあったと思う。そんな中、縄文時代には兵器はなかったことがよく言われる。争いではなく平和。現代では絵に描いた餅のようだが、縄文時代はそれが10,000年以上に及ぶ。平和や和解が普通である。その基本思想は愛そのものの魂の思想があったからではないだろうか。

  

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多摩の遺跡巡りをしつつ<愛>と<死>を考える (縄文時代の楽しみ方 9/10)

2020-05-18 | 第九章「愛」

 運動不足解消と趣味を兼ねて、この2週間遺跡巡りをよくした。東京都教育委員会の遺跡地図(Web)で調べると、家の周りは縄文時代などの遺跡だらけ。もちろん多くの遺跡は埋め戻されたり、建物が建ってしまったり、公園として保存されたりといろいろだが基本的な地形は変わらない。遺跡に関する本を読んだり資料を読んだりし、現地を散策する。そして、そこで湧き起こる感情を楽しむ。これは至福の3楽(調べ、現地訪問し、妄想する)で3密を凌駕する。今日は、こうした散策をご紹介してみよう。そして、その中から<愛>や<死>を思索しつつ、これから自由にはばたく方法を考えて見たい。
 ①大塚遺跡(都心の大塚ではなく多摩の大塚)
 大栗川西岸の大塚谷戸の奥の尾根上にある公園の側に位置するが、その頂き付近の公園から谷すじに降りていくと美しいアヤメが咲いていた。場所も狭く大規模な村ではないものの、縄文早期前葉の撚糸文土器(10000年くらい前?)の遺物まで出てきたそうだ。縄文早期の竪穴式住居跡が3軒発見されている他、縄文後期土器片がいくつか(加曽利B式など)でている。柱の穴・ピットが沢山あるのも気になる。高床式の倉庫でもあったのだろうか。そして、時代が下ると平安時代の9世紀前半の恐らく尼僧のお墓が発掘され、骨壺が発見された。この時代は最澄や空海の時代、あるいは東北で阿弖流為が名を挙げていた時代、近くの帝京大学の構内には坂上田村麻呂との戦いで敗れた東北の蝦夷(全国に俘囚として分散統治されたようだ)の生活の遺物も発見されていて、妄想は尽きない。

      

 この一帯には他にも縄文時代の遺跡がいくつもあり、畑に土器片は落ちてないかなど下を思わず見てしまう。そして、畑の仕事をしている農家の方に声をかけたり。

  ②京王堀之内付近
 多摩動物公園方面から中央大学の敷地沿いの里山を南に向かって越え、大栗川沿い(野猿街道沿い)の京王堀之内方面に向かうと、多摩ニュータウンNo.72遺跡のところに出てくる。6000年前から4000年くらい前まで主に栄えた地域拠点の村であり、その衛星村?が近くにいくつかあるが、長い時の流れの中で育まれた、人々の信仰は途絶えず今に伝わっているようだ。蓮正寺跡のお地蔵様、それから近くには祠などがいくつかあり、こころがホンワカする。
     

 次は、多摩ニュータウンNo.446遺跡の近くにある道祖神であるが、信仰・宗教とは何かを考えさせられる。

 縄文時代の石棒他、性に関するストレートな表現は、とかく変に誤解され易いと思うが(若かりしころの自分は飛鳥で驚いたり)、祖先がそれこそ何千年もかけて信仰した一つの表現であるので、無視はできない。また、足下の今の宗教や信仰の世界を熟慮すると実に腑に落ちるところがある。
 今の時代の代表的な宗教であるキリスト教やユダヤ教の旧約聖書に登場する雅歌は、男女の愛を歌っている官能的とも言える歌だが、神と人との関係を象徴し、愛を語る上では外せない部分と高く評価されている。あるいは仏教(私はキリスト教徒で門外漢だが)でも理趣経などで深く思索され大切にされているとお聴きしたことがある。9世紀初めの空海と最澄の交流においても、理趣経は話題になったようだ。思考だけでなく感情を持った身体を持つ人間にとって、<愛>とは何かを考えるとき、祖先からのメッセージは決して無視できないと思う。蛇足だが、遺跡巡りの五感と体感を大切にする散策もこうした<愛>とどこかで繋がっているように思う。

③多摩市の稲荷塚古墳近辺
 多摩川の支流・大栗川の中流域は多摩市となるが、その右岸(大塚谷戸は左岸)の北向き台地には和田西遺跡があり、そのすぐそばに稲荷塚古墳がある。この辺りは、以前お話した田端遺跡と府中の大国魂神社を結ぶ線上にほぼ位置し、丹沢の蛭ケ岳に冬至の太陽が落ちるのが見える場所だ。聖地の雰囲気が漂う。和田西遺跡は5300年前といった縄文前期の時代に112㎡といったウサギ小屋とはいえない大きな竪穴式住居が発見されたところだ。土器でいうと諸磯期でいろいろ変化が激しい時期のようで、大きな竪穴住居に何の為に人が集まり、何をしていたかとても気になる。残念ながら、遺物が殆どないようで謎は広がる。

   この周辺のようだ。
 

  

 さて、近くの稲荷塚古墳に寄った。この古墳はなんと八角墳であり、7世紀、8世紀ごろの皇親政治を行った天武・持統天皇の野口王稜古墳をはじめ、天智天皇、舒明天皇、斉明天皇、草壁皇子、文武天皇、といった蒼々たる皇族の御陵と同じ形式である。関東の相当の有力者の御陵であるように思われるがよく分かっていないようだ。

    

 私はこの10年近く、縄文時代以外に持統天皇に大変興味を持ち続けている。稲荷塚古墳は縄文の旅をし続けている私に、持統天皇の強烈なイメージを思い出させてくれる場所の一つである。

 そして、前回の愛の原型の思索の延長として、親の影響とこころの自由について考えた。

 縄文時代の土器や土偶、住居跡などの遺構を考えると、考古学では時代を特定するために土器の文様をはじめ採取した地層等の関係から、いろいろ分類・研究されている。そして、その成果から、ある土器片の文様などからいつ頃のどの地域のものとかが分かる。C14などで正確に計測できる時代になっても、緻密な研究成果により年代や場所などがかなり正確にわかり、研究にやくだっている。
 ところで、そうした研究が成り立つためには、人は例えば土器作成技術を他者(例えば母)から学び、それを基本的に踏襲しつつ自分のものとして次世代に伝授する。そうした、生命体で言えばDNAのようなものが文化継承の世界にもあることを当たり前としている。そして、研究者の論文などを拝読していると、例えばある時期の南関東で伝統に抗して新たな文様が広がるようなことがある。何と言おうか、例えば私は東京都八王子市の住人であるが、八王子は東京都とも関係は深いが、歴史を見ると神奈川県とか山梨県とも深い繋がりがある。そして、ある時期に山梨県八王子市といったようなアイデンティティが顔を出すことがあるようだ。それが、土器の世界で4500年前に起こったりしている。我々は両親の影響を大きく受ける、反発したりしても孫悟空が観音様の手の平の中で蠢いていたような感じである。しかし、手の平から飛び出す人も時々いるようだ。そして、それが新しい何かになる。

 さて、持統天皇について考えて見る。父は天智天皇、母は蘇我氏の倉山田石川麻呂の娘。天智天皇は厳しい覇権争いの時代をくぐり抜けた冷徹な政治家でもある。そして、懐刀として中臣鎌足を重用した。持統天皇の人生を近親者を中心にプロットすると次のようになる。大化改新(乙巳の変の変)の年に誕生。4歳の時に祖父・石川麻呂が政変で亡くなる。7歳のころには母が亡くなる。12歳で天武天皇と結婚し、17歳で草壁皇子を産む。22歳の時に姉・太田皇女が亡くなり、天武天皇の正妻の地位に。26歳で天武天皇と一緒に吉野に逃れ、壬申の乱を戦う。41歳で夫の天武天皇亡くなる。44歳実子・草壁皇子亡くなる。52歳孫・文部天皇即位上皇に。57歳に持統天皇亡くなり天皇として初めて荼毘に付される。そして記紀には天武天皇とおしどり夫婦のように書かれていて、天武天皇の良き伴侶、従うもののように書かれているが、実際は天武天皇が亡くなると、父の天智天皇と同じように冷徹な政治家として政敵を排除し、やがて、天智天皇が重用した中臣鎌足の子・藤原不比等を懐刀として重用し政権を盤石にしていく。そこに私は父親の影響力を見てしまう。今にも影響を及ぼす律令制度の日本をつくった政治家の一翼として持統天皇の功績は大きいが、意外に父の影響から来たものかもしれない。

 実際、私も時々おもうが、若い頃は同性の父に反発したりするが、巣立つといつのまにか父と同じような挙動を無意識にとっていたのかなと思う。父の思考・感情・行動のパターン・原型をいろいろ考えると、なかなかそれから逃れず不自由になっている部分があることに気づく。逆に、良い面を引き継ぎ自由に羽ばたけることもある。そんな二面を時々意識すると、これからの人生のなりゆきに希望を見いだせるように感じる。父だけでなく母も同じように意識すると良いかもしれない。不自由になっている面。さまざまな弱点を克服することで開ける世界があるようにも思う。運が良いことに今は年を取り時間が昔よりある。そして、弱点は時間をかければ克服できるように思う。

 私が好きな縄文時代の人は何でも一人でやることが多かったと思う。例えば、食べたいものを探し、収穫したりし、楽しんで料理をして、親しい人と分かち合いながら食べる。こうしたことを今の人よりDo it yourselfでしたと思う。私も真似をして縄文小説出版では、さまざまな協力はいただいたもののDo it yourselfで手作りで電子出版までした。これは一例であるが、誰かに投げるのではなくDo it yourselfを志向することは結構いいものだ。他人を責めがちの人と、自分を責めがちの人が世の中にはいるが、時間をかけて何かを習得することはどちらのタイプでも良い結果をもたらすように思う。自分を責めるひとには自信を。他人を責める人には謙虚さを。

 もう一つ、肉親の死について考えて見たい。持統天皇の天武天皇への挽歌の二つの短歌については前回お話した。長歌は何とも言えない吉野宮から見える神奈備型の青根ケ峯を歌ったように思えるのだが、次の歌である。

やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放さけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒たへの 衣の袖は 乾る時もなし(万葉集 2-159)

 天武天皇が亡くなってから読んだ挽歌。長歌の最初の方では、神丘(青根ケ峯)の黄葉を天武天皇と一緒に不思議な時間感覚の中で愛でているようで、永遠の魂の存在を信じている女帝が想い浮かぶ。しかし、歌の後半では夫が肉体的には亡び、既に五感・体感でかつての夫をとらえることができない現実に泣き崩れる。そんな歌であり、人間の持つ肉体、心、魂の全体性の綻びを歌ったとも言えるようだ。

 持統天皇の悲しみ。それは私にも、あるいは縄文時代の祖先の人々にも当てはまると思う。私もそうであったが、親しい肉親を失うと、日々の生活がどこか変わるように思う。例えば今までだったら生きていて、困ったときには逢え、そして助けてくれる人。そんな大切な人が亡くなると、当然ながら心は不安定になる。私の場合は、父が亡くなって欠落した部分を補ってくれたのは神仏であったのかなと思い当たる。これは、持統天皇でも縄文時代の人でも同じであろう。

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辛い時に助けてくれる<愛の原型>・・縄文時代の環状住居との関係(縄文時代の楽しみ方 8/10)

2020-05-08 | 第四章「愛とゆるし」

 2020年5月7日、八王子市のめじろ台駅の近くの椚田遺跡公園と周辺の神谷原公園を散策した。神谷原遺跡は東京都で初めて見つかった環状集落遺構で有名であるが、二つの遺跡巡りをして5500年くらい前から4400年くらい前の祖先の生きる力をあれこれ考えた。今の時代も生きるのは大変だが、昔も同じように大変だったのではないか、さらにどのように辛い時を乗り越えたか・・・

 自分の人生を振り返ると2011年の東日本大震災まで、命にまで影響のある災害等の記憶はなく、どんどん平均寿命が延びる世相の中で、私は科学技術への根拠のない信頼の中、太平の世の中で惰眠を貪っていたようだった。
 しかし、現実は私の生まれた頃と比べ、便利さや社会のインフラの充実は格段の違いなのであるが、最近の自然災害や感染症などに心を留めると、私が生まれたころの状況と本質的には変わっておらず、科学が発達した世の中でも、今回のように瞬時に社会が危うくなる脆さを孕んでいることに気づかされる。

 感染症のことから話をすすめよう。幼いころの60年前とか70年前の統計資料を調べてみると、結核も赤痢等も結構蔓延していて、私の誕生した年では赤痢だけでも15,000人くらい毎年なくなっていた。今の日本の感染症の状況も、新型コロナウィルスだけでなくデング熱とかいろいろ出てきているようで、勉強すればするほど、新型コロナウィルスが発生しなくても、日本で感染症が大きな問題になるのは時間の問題だったように思う。

 世界を取り巻く交通網の整備もこの10年くらいすさまじいものがあり、新型コロナウィルスだけでなく、致死率が高いエボラ出血熱などが蔓延する危険性はいつのまにか高まっているようだ、さらにそれに対応するワクチンなどが叫ばれているが、伝染病と人類の戦いの歴史を少し知れば、完全勝利を収めた天然痘以外は、どちらかというと厳しい戦いを強いられているようなのである。
 さて、本題にもどろう。辛い病に罹ったり、仕事で厳しい状況に陥ったり、あるいは人間関係で限界状況になったりと生きているといろいろなっことに出会う。これは自分だけかと辺りを見渡すと、そうでもなく誰もが大なり小なり、半世紀とか生きていれば、厳しい状況に陥ることがあるようだ。
 そこからが今日のテーマなのであるが、厳しい状況に陥ったとき、ふと自分の心の故郷のような風景を思い出すことで、何か元気になり、普段は何となく固執していた過去の出来事や、未来の心配がどうでも良くなり、今ここの問題に対する知恵が泉のように湧いてきたりする。火事場の馬鹿力とは良く言ったもので、物理的な力はともかく、違うモードになると運命が開けてくる。
 
 核心となる心の故郷となるような風景。U先生の「生き甲斐の心理学」では<愛の原型>と呼んでいる。例えば自分の例で恐縮だが、10才くらいの時に両親と妹とで夏休みに家族旅行に連れて行ってもらった。伊豆半島の東海岸の某所であるが、着いて暫く父とゲームをしていたが、そこでルールを巡って喧嘩になり気まずい雰囲気になってしまった。その後、家族で海水浴を初め、私は浮き輪に乗って楽しんでいた。その時台風の余波もあり波が高かったこともあり飛び込み台近くでひっくりかえり、運が悪いことに海中の飛び込み台の脚部にひっかかってしまった。その時父が気づき、危険を顧みず潜って助けてくれたことがあった。
 その前に交通事故で友達が眼の前でなくなるという事件では、何かこころの傷になり、癒やすのに時間がある程度かかった記憶があるが、この出来事はそういうことは全くないのが不思議であった。さらにその後、U先生の生き甲斐の心理学を学び始めることで、この事件の解釈を深めることにより、大事な<愛の原型>になったように思う。

 もう一つは、これは10年くらいまえに自分の体験の解釈が変わり<愛の原型>の一つとなった例だが、祖母の話である。10人の子供を育てた祖母は、いろいろ感染症にも遭遇したのだと思うが、4才の時に幼友達から祭りで買ったベッコ飴を貰って食べようとしたとき、隣にいた祖母がそれをたたき落としたことがあった。なんと酷いことをする祖母だと、その時は子供ながら思ったが、後日思索すると、赤痢で10,000人くらい亡くなる時代、祖母の行動は孫を守るための愛の行動だったのだろう。このCOVID19の時代。私にも恩返しをすることがあるのだろう。

 <愛の原型>は自分が愛されたと思う風景であり、本来は大げさなものでは無いように思う。縁側の日差しを浴びて積み木遊びをして褒められて有頂天になったりの記憶・・そうした記憶は考えるといくつも出てくる。ただ、不思議なことに愛とは何か、生きるとは何かと自問自答していると、かつてのある思い出の体験の解釈が変わって貴重な<愛の原型>となることがあると思う。先の私の二つの例がそれである。特に、身近な両親や親戚、友達、恩師、こうした人に想いを寄せると当時は気づかなかった愛を発見でき生きる力になるのではないか。

 さて、この<愛の原型>をいろいろ考えていたのだが、考古学の知見の中から、当時の人々の<愛の原型>を何となく感じる遺跡がある。飛鳥時代の遺跡と縄文時代の神谷原・椚田遺跡を今回取り上げてみたい。
 
 飛鳥の遺跡はいくつもあるが、天武天皇・持統天皇が眠る野口王墓古墳は<愛の原型>を思索する最高の場所である。御陵の真北には天智天皇の山科の御陵がある、真東は天武天皇や持統天皇の関係が深い伊勢神宮がある。伊勢神宮の遷宮の制度は天武・持統天皇の時代から始まった。また、東の方向には持統天皇と繋がりの強い蘇我氏関係の墓所が多い。南は当然ながら壬申の乱の起点・吉野宮がある方向であり、壺阪寺や高取町といった薬に因む場所がなぜか多い。西はと言えば、実に持統天皇、天武天皇の女系祖先の御陵が並んでいる。吉備姫王、斉明天皇、伯母の間人皇女、姉の太田皇女、健皇子皇子。6-7世紀の歴史を知れば知るほど、このお墓の意味が胸に迫ってくる。激しい感情生活を送ったお二人が関わった人達の御陵。それは感情を越えた普遍的な世界が広がっているのではないだろうか。

 さて、飛鳥は1300年前といった世界であるが、4000年前とか5000年前の縄文時代でも同じような足跡があることは意外に知られていない。私もそうだったが、縄文時代というと竪穴式住居を思い出す。弥生時代は高床式住居・・・そんな風に学生時代に学んだようだが、教科書も30年くらいたつと大きく変わる。多分今ではそんなことは教えていないだろう。実際は竪穴式住居は縄文時代だけでなく弥生時代も平安時代も庶民の暮らしとして続いていた。また高床式住居は縄文時代にも存在したことは今では常識となっている。昨日は近くの多摩市和田西遺跡周辺を散歩したが、そこには6000年前ごろにあった巨大な竪穴式住居があり長径15m床面積112㎡におよぶ。このようなものがあったのである。
 そんな中、縄文時代の住まい方の特色として私が興味津々であることは、縄文時代前期後半ごろから中期にかけての環状集落という住まい方である。神谷原公園周辺を散策したが、湯殿川を見下ろす崖の上の広い土地で、今は公園や運動施設となっているが、ここに5200年くらい前から約300年に渡って環状の住居群から構成された村があった。半径35mの円の内部にはお墓などがあり、半径35mから75m近くの環状の部分には住居の跡がある。また、中心から見てある方向に住居がある程度固まっていたりするので、家族や親戚単位で村の利用が行われているようだと推察する研究者もいる。
 しかし、こうしたお墓や住居のデザインをこの場合だと300年くらい守っていくわけで、当然ながら数代、10代といった世代の中で引き継がれている。今の時代は、家やお墓を昔ながらのデザインの中で作ったり暮らしたりする人は少なくなったように思う。優しかった祖父のお墓はここ、私が死んだらこの辺りに埋葬される。今の家はここだが、祖母の家はあのあたり。揺りかごから墓場までという言葉をどこからか聞いたが、不死の魂の世界を信じていた祖先にとっては、揺りかごから墓場などは余りに卑小と思うのではないだろうか。縄文風に言うと「あの世からこの世を通ってあの世」。あるいは「この世とあの世を一緒に暮らす」。不思議なことに、この感覚は何らかの信仰を持っている人にとっては分かりやすいかもしれない。
 環状集落では生者と死者との距離も隣り合わせ。朝、ドアを開けると身近な人のお墓が眼の前に。そんな風景である。当然ながら、<愛の原型>を思い出すことも私たちと比べると多く、元気づけられることも多かったのではないだろうか。

 

  5500年前ごろ、この神谷原村は突如廃絶される。そして可能性が高いのは、500メートル西側の椚田遺跡公園への引っ越し。なぜ引っ越ししたかは、「東京の縄文学」(安孫子昭二著 之潮 2015年)よれば近くを流れる湯殿川の影響ではとのこと。私たちも日々感じているように日本列島は美しく幸が豊富であるが、自然災害も多く、伝染病なども当然ある。何らかの事件の後、<愛の原型>に触れながら祖先達は新たな希望を持ってこの地を去ったのだろう。
 この椚田遺跡はその後1000年くらい使われ、縄文中期末葉になると、多摩丘陵など全般に言えるのだが、広範な撤去・廃絶が起こる。敷石住居などが盛んになるころ。そこにはどのような<愛の原型>が育まれていたのだろう。

   

参考資料
愛の原型については、植村先生の次のYouTube こちら
「東京の縄文学」(安孫子昭二著 之潮 2015年)
「新八王子市史 資料編1 原始・古代」八王子市市史編纂委員会 2017年
以上参考にさせていただき感謝しています。

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縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

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