イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大風が吹き・・・こころの中の風を知ること!

2008-02-29 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は、東京も風が治まり、まだ寒いものの春を感じた。日差しはもう春である。

 しかし、このところ大風が吹く日が多かった。寒い中、公園にもまだ花も少ない中、ブログの写真を求めて寒空を歩くのは、ちょっと辛かった。

 先日の噴水の水が風に強く揺れ散る様子は、すさまじいものであった。

 昨日は、カウンセリングの勉強会を行ったが、その中で自分のこころの動きを、数日間皆で静かに振り返り、語り合う時間があった。自分を責めたり、他人を責めることもなく、暖かい雰囲気の中で・・・

 自分のこころの動き、意識の動きを知り、この数日の特徴を静に考えることは、とても貴重である。

 自分の中で風(意識)が吹いていることは何となく判っても、どういう風であり、その背景にどんな感情があって・・・というように、丁度写真の噴水のように知ることは、日常の中では通常皆無といってよい。

 遠い先の幸せだけでなく、今ここでの幸せを感じるために、共に支えあう社会を築くために、生き甲斐の心理学が役にたつ部分はあるのかな・・・

 そんな風に思った一日だった。

  一日に一回でも、自分のこころの中の風を静に暖かく振り返ること。やってみたい。

<支えあう時4/4>

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天地青一色、嫉妬を越えて!

2008-02-28 | 第三章「無意識の世界」

 昨晩はヘラクレスの12の難業について読んだりした。その中でアマゾネスの女王の帯をとってくる難行は、ヘラの嫉妬もあり女王を殺しアマゾネスを制圧することになる。

 そんな話を読んだあと、全く異なる室町時代の熊野本地物語に、インドの美しい妃が999人の他の妃に嫉妬され玉のような王子を産んだのちに頸を切られてしまうが、頸を切られても王子に乳を与え4歳まで育て消えてしまう。そんな話を読んだ。その王子が恐ろしい女性の国を避けて、紀州の熊野に辿りつくという由来だ。

 古代は男女差別が激しかったので、私にはちょっと違和感があるが、嫉妬は男性女性の問題と緊密に繋がるようである。先日読んだ現世人類の5万年の歴史を描いた「5万年前」もまた、性淘汰の歴史を判り易く書いている。

 無意識の世界の勉強で、よく男性性(アニムス)と女性性(アニマ)が話題になる。太陽が男性、月が女性、天が男性、地が女性というように。

 昨日は北風が強く寒い1日であったが、昼過ぎに新宿の高層ビルの最上階に行きたくなり上った。

 遥か地平線近くは、空の青と遠くの山の青が溶け合っているように感じた。男女が共に住む世界は、やはり美しいと思う。

 そして、ちょっと危険な嫉妬のすぐそばに真実の愛もあるのだと思う。

<支えあう時3/4>

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黄色いバラの花言葉は・・・嫉妬!

2008-02-27 | 第三章「無意識の世界」

 今まで、極道の妻たちという映画をきちっと見たことはなかったが、昨晩、極道の妻三代目姐御を最後まで見た。嫉妬でたくさんの人が、命を落とすが、その中を生き抜いていく姐御の強さに惹かれた。

 丁度、最近生き甲斐の心理学を勉強する中で、ギリシャ神話のヘラやヘラクレスの話を通じて嫉妬の勉強をしてきたこともあり、その影響か姐御がヘラのように思えた。

 嫉妬という感情は、幼いころから誰もが馴染みの感情である。私の場合、幼い頃に妹が生まれて来た時に初めて出会ったようだ。

 思春期に入ってからも、父への複雑な感情や行動。大学生活からサラリーマン時代・・・様々な所で自分自身の嫉妬を感じたし、複雑な他人の反応を知ったりした。嫉妬で身を滅ぼすまで行かなかったが、その対応で人生が変わったと思うことはある。

 初恋も、考えてみれば、嫉妬を伴っている。

 嫉妬は、何もどろどろとした憎悪や暴力的行為に繋がるとは限らず、より深い人間関係につながったり、現状を切り開く向上心の元となるようにも思う。

 要は、自分の内に燃える嫉妬をどう感じ、どう思索するか。そしてどのような行動をとるかである。そこが難しいが・・・

 人と共生する場合、どのように嫉妬と対処するか?ギリシャ神話をはじめ、多くの先人達が深く思索したことを、学びなおしていきたい。

<支えあう時2/4>

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支えあう時!

2008-02-26 | 第三章「無意識の世界」

 2003年にサラリーマンを辞めて何をこれからやろうかと考えた。「生き甲斐の心理学」をさらに勉強し続けることは当然考えたが、「生き甲斐の心理学」の活動の一つの場として、時代のニーズを考え健康な高齢者が共に住むグループリビングを実現したいと思った。

 そんなことで、2003年に会社を辞めてから、雇用促進事業団の教育講座で、ホームヘルパーの資格を取ったり、福祉住環境コーディネータの資格を取ったりした。この夢はいまだに実現していないが、細々でも良いから夢を大事にしたいと思っている。

 2004年から福祉関係の仕事も始め、その中でいろいろ学んだ。まだ数年のキャリアしかなく、片手間的なところもあり、私の経験も頼りないが、それでも教えられることは多かった。

 福祉の仕事は、よく3Kの職場と言われる。きつい、汚い、危険。確かにそうだと思うし、経済的にも、かなり不当に扱われている思う。ただ、人を扱う職場として、医療や教育と並んでとても重要である。私もそうだが、働いている方はマイナスの面より多くのプラスを見出して働いている。

 先日、ブラッドピットが出演する、「バベル」を見た。その中のひとコマで、奥さんの瀕死のスーザンの排泄を介助するシーンがあった。言葉でのコミュニケーションを越えて、いわば3Kの中でコミュニケーションが為される。現代の文化が忘れていた、何かを象徴的に表しているように思った。

 マイナスを補う、プラスの面。私たちは無意識に魂の交流を求めているのだろうか?

 高齢社会で本当に幸せになるために、何をしていくのか考えていきたい。

<支えあう時1/4>

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井戸と泉と!

2008-02-25 | 第三章「無意識の世界」

 最近は井戸を見なくなったが、昔はいたるところに井戸があった。私の育った都内の家でも、庭に井戸があり、その前には最新式の手回しの搾り機が付いている洗濯機があった。

 夏になると、スイカを布で包み、ロープで吊るしてスイカを父が冷やした。冷蔵庫の変わりにも、洗たくにも、そして行水などにも、いろいろお世話になった。

 井戸で、手でポンプで水を汲んだりしたが、今はそうした井戸を見ることがない。蛇口を捻れば(最近はレバーを倒す)簡単に温水や冷水がでてくる。

 ただ、恐らく私たちの祖先はついちょっと前までは、こうした井戸に大変お世話になったのだろう。

 こんこんと湧く清水のイメージ。そんなイメージは何か究極の生き方の理想のように思える。

 へんな囚われもなく、自然体で生き抜くこと、何があっても謙虚にそして着実に生きる。

 聖書には、新約聖書にはヤコブの井戸でのサマリアの女(ヨハネ福音書4)話があるが、生きがい追及の原点だと思う。

<創造の時4/4>

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