イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ジャックアタリ氏の講演を聴いて自己実現を考える・・・(自己実現、今も昔も 1/10)

2020-09-29 | 第九章「愛」

 昨晩は知人から紹介された、ジャックアタリ氏が講演され、面白そうなパネルディスカッションもある、「オンライン国際シンポジウム」を視聴させていただいた。Zoomで4200名の参加があったそうだが、何の混乱もなくできたことにまずは感服した。Ⅰ年前には想像だにしなかったことであった。

 その中で、これからは情報が主導する時代になること、今まで利己主義的な雰囲気・傾向が満ちていたが、利他主義的な指向・命の経済等が必要ということを言われていたのが新鮮であった。

 ちょうど、来月から半年勉強会を予定していたが、そのテーマは一言で言うと「自己実現」であり、それについて考え続けていた時でもあった。「自己実現」と言う言葉に最初に出会ったのは大学3年の時に卒論の指導も受けたF先生が、経営管理論の中でマズローの理論を教えてくれたときであった。

 そして、何となく経営用語とかそんな感じで受け取っていたが、マズローさん自身が嘆いているが、本来の自己実現は愛他的であり、魂の問題も含む言葉だった。そして、20年近く前にU先生の「生き甲斐の心理学」に出会たったが、その中で自己実現と言う言葉を耳にした。

 私の師であるU先生は自己実現のことを「悔いのない人生」と言い換えて良く言われるが、そちらの方が学術用語ではなく一般用語であれば適切なのだと思う。そして、昨日のジャックアタリ氏風に言えば、自己実現は自分の命の成就といった言い方になるのだろうか。

 ところで、何故「自己実現」と言う言葉が、経済学者や社会学者からではなく、心理学者(マズローではなく、別の心理学者のようだ)から生まれたかということについて一言述べたい。現代の心理学はフロイトのころに生まれ成長してきたといわれる。そして、それは従来の意識の世界だけでなく無意識の存在に言及したのが革命的であった。さらに、キリスト教文化の影響の強い欧米では、人の無意識の奥に悪ではなく愛そのものが宿っているという考えが根強い。従って、自己実現という問題にあって、どう生きるべきかを自問自答する場合、回答は他者ではなく自分の中にあるとし、自分の心の世界を心理学の知識を応用することで、より楽に歪められていない愛そのものの回答を得ようという立場が生まれてもおかしくないのだ。カトリックの信徒でもあった私がU先生の「生き甲斐の心理学」に惹かれ、学び始めたのは当然でもあった。

 U先生は自己分析を大切にし、「生き甲斐の心理学」での他者分析は歴史上の人物がふさわしいとし、約10年前から持統天皇を取り上げ、私もその影響でずっと持統天皇のことを考え続けてきた、その中から縄文時代の勉強がスタートし縄文小説を書くようになったが、本当は持統天皇からであった。持統天皇はつい最近NHKの「英雄たちの選択」で取り上げられ、日本の最強の女帝として描かれていたが、政治家としても一流で、1300年以上たった現代にもその足跡は強く残っていると思う。

 持統天皇が生まれたのは645年、大化改新(今は乙巳の変と言われる)の激しい動乱の時期。そして、もう一つ殆ど語られないが玄奘三蔵(三蔵法師)がインドから長安に戻った年でもある。生まれた時は人生の始点ではあるが、自己実現を考える時に意外に大事なポイントである。女帝の人生は夫である天武天皇の影に隠れがちだが、私はその成し遂げたことを考えると驚いてしまう。大化改新だけではないが、持統天皇は様々な権力闘争の悲劇を目の当たりにする一方、遣唐使の道昭和尚(玄奘三蔵に合われた)などにも近づき命の成就について深く考えた方ではないかと思う。その人生の最後のほうでは、天皇の皇位継承も現在のように紛争が起きにくい制度にし、道昭和尚にならい自らも火葬に荼毘されたように、日本のアイデンティティ形成にも大きな足跡を残されている。

 その人生(生まれた年だけでなく)を生き甲斐の心理学でどう分析していくか、それはこれからの私の大事なテーマでもある。

 もう一つは、当然縄文時代であるが、文献も残されていない縄文時代は心理学のテーマにはなりにくいように思われる。しかし、縄文時代が残したものは文献でないが、火炎土器や最近では国宝級の土偶などで、日本人だけでなく世界の人々に感動を与えている。人類は進化し数万年前には現世人類と脳などの機能は同等と最近では考えられている。従って、美の世界などで現代を越えた美術品が縄文時代に生まれても全くおかしくない。さらに、徐々に明らかになってくる考古学の知識を使えば縄文時代の真善美を通して、私たちに必要な知恵が見えてくるかもしれないと思う。縄文時代の偉大な価値の発見は考古学者ではなく、岡本太郎さんというソルボンヌ大学で民族学を学んだ芸術家だったというのも面白い。部外者も貢献できる余地はあるのだと信じている。

(自己実現、今も昔も 1/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------


愛の原型で元気になる、東京のストーンサークル(心の世界は今も縄文時代も 10/10) 

2020-09-25 | 第九章「愛」

 青春時代のかなり辛いときに、昔の心温まる思い出にふけって、変にならず乗り切ったことを思い出した。皆さんにとって心温まる思い出ってありますか?

 U先生の「生き甲斐の心理学」の知恵の一つに「愛の原型」がある。人生のほとんどが明るい感情の中にあれば良いものの、実際は暗い感情が大半。それが事実のようだ。しかも愛の孤独の中にいれば、どんな人でも変になってくる。そんな時に役に立つのが「愛の原型」である。自分の過去で、自分が愛されていると実感できた心温まる経験とでも言おうか。そんな経験を思い出してみる。はじめは、急に言われても浮かばないがリラックスしてみると一場面思い出すのではないだろうか。そして、その名場面(例えば4歳のときに両親と遊んだ経験)を味わっていくと身体的には緊張が和らぎ和らぎ自律神経が改善したり良い効果まであるらしい。

 さらに、「愛の原型」は他にもあるのだろうかとか、身近な大切な人の「愛の原型」を意識してみたりもすると、自分の「愛の原型」がいくつも意識化されポケットが増えていくようになる。また、自分の「愛の原型」と現実がどう重なっているかを分析するとその重要性に気づく。さりげなく人から「愛の原型」に触れられるときの気分。反対に「怒りの原型」などに触れられたときの悪い気分など。

 また、「愛の原型」をその時々の自分の哲学で評価していくと、どうだろう。幼い頃には気づかなかった無償の愛に気づき高評価になったりする。欧米では聖書の中の雅歌が大切にされているが、人間の身体、生育史、魂(宗教の領域)を考えるとどのようになるのだろうか。こんな風にして「愛の原型」を思索することで、金持ちにならなくても人生が豊かになっていくように思えるがどうだろうか(笑)。

 「愛の原型」と五感・体感との関係を考えると、さらに「愛の原型」が豊かになるようにも思う。あのときのミルクティの香りと味とか、あのときの手のぬくもりとか・・・

 縄文時代に夢中な私なので、最近見た15,500年前の前田耕地遺跡のサケの歯のことをふと思い出した。サケは生まれて川を下り海に出て数千Kmの回遊の旅に出るが、生まれた川の匂いを覚えていて必ず戻って来るとも言われている。その臭覚は余りに神秘的だが、サケに愛の原型があるかは怪しいが、もし「愛の原型」と考えるとほんわかとする。

 さて、写真は町田市、京王多摩境駅近くの田端遺跡から南方面(境川)を撮った写真である。雲がかかってしまっているが丹沢山系の蛭ヶ岳まで本来は見える。大湯遺跡のストーンサークルなどと比べると、田端遺跡は楕円形状のとても小さなストーンサークル。ただ、その位置は冬至の太陽が蛭ヶ岳山頂に落ちるのが見える場所であり、もう一つ気になるのは近くに土器作りの村があったことだ。土器作りなので近くには良質の粘土採掘所があり、そこの採掘所は4500年前から3500年前の約1000年間も掘り続けられていたことが分かっている。それは先人の考古学の成果だ。

 これからが私の妄想であるが、その土器の村でつくられた土器は聖地の土器なので特別で、その鍋の味はひと味違っていたかもしれない(ストーンサークルがつくられたのは3500年前から土抗などがつくられ、実質3100年前とかになるので、冬至の太陽のことを土器作りの村の人たちがどこまで意識していたとは断言できないが)。

 縄文時代のおふくろの味はどんなものだったのかよく分からないが、今私たちがおふくろの味と言って思い出すような、「愛の原型」とも繋がりそうな味だったのではないか。

 そして、聖地に関係者が集まり、鍋で共食すると元気になり明日への力となる。

心の世界は今も縄文時代も 10/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 


一つ年をとり。自分の歴史を慈しむ・・・(心の世界は今も縄文時代も 9/10)

2020-09-11 | 第四章「愛とゆるし」

 年齢の数え方は生まれた日を起点にするのが今の日本の数え方だが、これは戦後に配給などの関係から変わってからのことで、それまでは一般的には数え年が使われていた。生まれた日に一歳となり。冬至の太陽を送り正月を迎えると、皆一斉に若返って年が一つづつ増える。お年玉をもらったりお餅を年の数だけ食べたりし、正月を祝うのもその長い伝統の影響だろう。

 写真は東京都の多摩境の田端環状積石遺構から見た冬至頃の日没であるが、丹沢の最高峰の蛭ヶ岳にきれいに日が落ちる。縄文後期中葉(3500年くらい前)にこの聖地に墓や環状列石が時間をかけてつくられ、その後700年くらい使い続けられる。環状列石(ストーンサークル)は東日本を中心に各地にあるが、当時の縄文人がすでに太陽暦の知識を持っていたことが分かる。もちろん太陽だけが再生・若返るのではなく、さまざまな再生や若返りのシンボルがある。縄文時代をもっとも代表するシンボルは私は月だと思うが、月は形を変えたり出没時期や場所の独特の軌跡はなんとも美しく感動してしまう。そして、暦も太陽暦だけでなく大潮や夜の暗闇の程度とも深く関係する太陰暦も縄文時代の人は良く理解していたのではないだろうか。神話や伝承にでてくる神や人物の年齢が不自然に大きな数字になっているのも年を数える基準が太陽だけでなく月とも関係していた証の一つのかもしれない。

 祝う方法は異なるかもしれないが、今も昔も誕生日はめでたいものだ。先祖の命のリレーまで考えれば誕生日を迎えることは奇跡的にめでたいが、自分の歴史を真面目に振り返ると気が重くなることもある。様々なネガティブな感情の元は過去にあると言ってもよいほどだ。甚大な自然災害や戦争や紛争、さらに自分自信の失敗など種はいくらでもある。しかし悲観することはない、出来事の解釈を新たにすることで、世界を明るくすることはできる。事実はもちろん変えられないが解釈は変えられる。世の中は生きている限り様々なことが起こり、その時々に適切な判断が迫られるので、過去の嫌な経験は、判断をスムースに進めるためにも、極力明るく解釈をし直したいものだ。自分の過去の歴史を、必要に応じて精査し解釈を変え、前向きに生きることは大事だと思う。

 思い出すのも嫌だった出来事は、一緒に立ち会った人と情報交換をしたりすると、自分の解釈が思い過ごしだったことは結構ある。そうは言っても強烈な災害、戦争など、簡単に解釈の変更などできない重いものがある。

 さて、先日から縄文時代の家の近くにある拠点集落のことを考えていたが、何故そこが拠点として選ばれたのかいろいろ考えていた。聖地というか、そんな不思議な価値についても考えてしまった。TN72環状集落は大栗川と寺沢川の河合で気持ちの良いところに位置する。今でも対岸には禅寺があり神社が脇ににある。

 2年前に京都に立ち寄ったときに鴨川の河合にある下鴨神社のことを思い出した。下鴨神社は縄文土器まで出ている古来からの聖地であるところだが、二つの川が一本の鴨川に統合される河合の森にある。そのイメージは再生であり若返ることにも通じる。そして、下鴨神社を訪れたときに摂社の河合神社で、鴨長明の方丈記とつながることを識った。

 そんなことを想い、今日は方丈記を読見直し、オジサンの愛好する100分de名著まで見てしまった。コロナ禍で勧められてカミューのペストを読んだりしたが、方丈記は短編であるにも関わらず日本を代表する災害文学とも言えるだろう。鴨長明が一人で経験した、とんでもない大火、飢饉、竜巻、地震。さらに下鴨神社の禰宜も夢ではなかった鴨長明の没落と信仰の人生。生き甲斐の心理学でカールロジャースの19の命題を学ぶが、それが無常と言う言葉がつながるようでびっくりした。無常は再生なのだろう。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 499e4f6884a082041d3bafbb70cc6b2a.jpg (640×480)

心の世界は今も縄文時代も 9/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 


自分を大事にできない心に向き合ってみる(心の世界は今も縄文時代も 8/10)

2020-09-07 | 第三章「無意識の世界」

  自分の身体と心と魂を大事にしようと思っても、何となく卑屈どころか自虐的、何となく傲慢どころか暴力的な傾向になっている自分がいたりする。

   U先生がとても的確な言葉を教えてくれた。邪眼。自分では邪眼になっているかどうかはよく分からないものだが、野生の動物の写真を撮ったりしているときに、カメラを構えるとすぐ逃げたりして良い写真が撮れないときなど、何か自分の邪眼を意識できたりする。

 自分の微妙な感情転移を動物は察するのだろうか。

 自分を肯定的に感じているか否定的に感じているか。他者を肯定的に感じているか否定的に感じているか。今日は自分にも他者にも肯定的、そう思える一日は平安な良き日であるが、そうとも言えない卑屈な日、傲慢な日は邪眼なのであろう。

 さらに、無意識の世界もあり邪眼の遠因だったりすることもあると思う。

 私は生き甲斐の心理学を学び、自己分析をする中で6歳のあの出来事、10歳のあの出来事というように、感情を抑圧したことによる罪悪感や劣等感が、良い悪いは別にして個性を形成し邪眼を引き寄せたかもしれないなと気づくことがある。しかし、それは意識化することでオセロゲームのように反転し慈眼を引き寄せることもあるかもしれない。

 人生の後半になってから、経済的には安定した仕事を辞めて、何となく3K的な仕事にむかったのも、無意識的にスイッチがはいったからかもしれない。

 縄文時代の論文を読んでいたら、殺傷ごとのことがでていた。縄文時代は環濠集落や人を殺傷することを目的とした兵器の出土がないことから、平和な世界、時にはユートピアのように考えられたりすることがある。しかし、現実には縄文時代の人骨などから、至近距離から弓矢で殺傷されたり、石斧で殺傷されたりする事例が10件以上指摘されている。

 激しい嫉妬心から人を殺そうと考え、そして実際に行動してしまう。衝動的な感情の中で思わず人を殺してしまう。もちろん自殺ということもあるだろう。そのようなことが確実に縄文時代にもあっただろう。

 もう3-4年前に上梓した縄文小説の中にもそうした挿話を入れたが間違いではなかったと思う。そして、こうした悲劇が起こらないようにすることもきっとできたかもと。本人の考え方が強制されることなく何となく変われば、そうした悲劇は起こらなかったと。邪眼の人に慈顔で接する人の存在が大事だと・・・宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる主人公のような人など理想かもしれない。

心の世界は今も縄文時代も 8/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 


自分を大切にして世界を広げる!(心の世界は今も縄文時代も 7/10 )

2020-09-03 | 第三章「無意識の世界」

 盆と正月は私にとっては大事な時。普段と違った時間が流れる。これは幼い頃からのことで、家族揃ってご馳走を食べたり、お客様が来られて宴会があったり、神妙に神社、仏閣、教会・・聖地で祈ったりもする。自分の身体とこころ(生育史)と魂をケアする特別な時なのだろう。

 身体を休め、親しい人と一年(生育史)を振り返り、あるいは祈りながら自分の魂に向き合う。それは、個人的な営みを越えて集団的な営みに繋がり、意識だけでなく無意識の世界にも開かれているようでもある。

 今年のお盆はコロナ禍ということで、瀬戸内の祖先の墓参りはできなかったが、8月6日からお盆を過ぎて秋が近づく今までの期間。悲惨な戦争と、平和について考えることができた。コロナ禍ということはマイナス面だけでなく、心の面では新しい始まりにもつながるようだ。

 父母や祖父母の世代が経験した太平洋戦争は魂を揺さぶられる悲惨である。ただ母は運が良かったのか東京の下町大空襲にも遭わず、父も幸運にも生き延び、私も生まれることができた。しかし、「もし~」ということを考えれば私がこの世に生まれたことは、一つの奇跡とも思えるし、東京大空襲、原爆や沖縄、アウシュビッツなどの悲惨(21世紀も継続してあるが)を知れば知るほど、自分の魂が疼く気がする。死んで身体から離脱する生命体はあるのだろうか、報われない魂に救いはあるのだろうかと。

 魂のこと。オカルト的に考える方もいるかもしれないが、ここでは伝統宗教を始め人類が長い間真面目に考え続けてきた問題として扱う。魂の存在を信じない人、永遠の命を信じる人、天国・極楽を夢見る人・・・人それぞれだと思う。そして、それは不可知の問題でありどれが正しいかは客観的に分からないが、誰もが回避できない死の問題と直結する。そして、考えることで、今ここの自分の生と向き合うことになるようだ。

 死に際に見苦しく取り乱すことなく、自分の与えられた命に感謝して死んでいきたい。最近は年をとったのかそんな風に思うようになり、自分の宗教(私はカトリックだが)を深める努力をするようになってきた。長い歴史をもち、かつ時代の変化の中でも色あせない宗教や哲学により、自分の思考・感情・行動を整えることは誰にとっても大事なことだと思う。

 さて、この2-3日縄文時代のお墓や環状列石(ストーンサークル)について思索してきた。昔は縄文時代は屈葬で土葬というようなことを学んだような記憶があるが、縄文時代の葬儀は人類の歴史を見るように非常にバリエーションがある。屈葬もあれば伸展葬もあり、土葬もあるが火葬も風葬、改葬などもある。廃屋葬、環状列石、盛土遺構、貝塚・・時代により、地域により様々な形で営まれて来たようだ。そして、多くの遺品や遺構も死や魂の問題と密接に関係し、祖先の死と魂の問題として立ち上がってくる。例えば環状集落などのデザインなどを考えると、縄文時代の人々はいつも死の世界と隣り合わせに生きていたように思える。また、縄文後期を中心にしての膨大な配石遺構などの祖先の努力(遠方の河原から選別した石を運搬しきちっと聖地をつくる気の遠くなるような努力)は、時代が下ってからの、奈良の大仏の庶民を巻き込んだ造営、神社仏閣、さらに250年以上の禁教の時代をくぐり抜けたキリシタンの世界に、形は違うが投影されているように思う。

 現代は死がどんどん見えにくくなる時代のようで、それは同時に生も見にくくなる時代のようでもある。私が幼い頃は人の死は結構身近で、人の死もそうだが、昆虫をはじめ生き物の死骸を見ることも日常的に多かった。

 テレビをつければ、身体の健康情報にあふれているが、こころ(生育史)や魂の情報はどうなのだろう。

 自分を大切にすることの基本は死を思うことであり、その中から大事な生が見えてくる。死んだらどうなるかは所詮死んでみなければ分からないが、死を想い自分の魂を感じつつ生を大事にする。一日を終え寝る前に感謝をし、朝眼が覚めて新しい命を頂いたことに感謝し生きたいものだ。

 写真は、縄文中期の終わりに未使用の1m程度の石棒4本を残した敷石住居遺構で有名な緑川東遺跡のそばの公園で。

心の世界は今も昔も 7/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------