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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自己混乱と女帝の仲間たち (女帝の心中を想いつつ 7/10)

2017-06-16 | 旅・雑記帳

 もう14年くらい経ったが、外資系某社を辞めてから妻と南紀の白浜温泉に行ったことがある。その時に牟婁温泉でのんびりしたのだが、女帝・斉明天皇他皇族の方々が1300年以上前に行幸されたことを初めて知った。

 その後、U先生の生き甲斐の心理学を学び続けたのだが、他者分析は歴史上の人物から学んできた、そして当面のケーススタディの課題が女帝・持統天皇ということもあり、持統天皇の祖母でもある斉明天皇も研究したりした。

 斉明天皇の行幸は、孫の障がいを持ち生まれた建皇子(持統天皇の弟)が夭折された際に、こころの傷をいやすために保養に行ったようだ。日本書紀には、このころの建皇子を想っての斉明天皇の歌が6つ掲載されている。どれも名歌で、これを読むと、何故万葉集に掲載されなかったか不思議に思ってしまう。有名な額田王の歌といわれる、「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(万葉集1-8)」の歌を斉明天皇の歌とする説もあるが、まんざら全くの間違いとも思えなくなる。

 斉明天皇は、不運な建皇子だけでなく娘の間人皇女と合葬するように希望し、実際にそのように埋葬されたようだ。またその墓の前に大田皇女(持統天皇の姉)が埋葬されているので、当時の人々も生前と同様に仲良く家族で憩う斉明天皇を想い幸せなあの世を祈ったことであろう。最近は、飛鳥の牽牛子塚古墳が、八角形墳であることもあり斉明天皇陵ではないかと考古学者の間では注目されているが、大田皇女の墓も発見され真実味が増している。私も、昨年訪問したが、何とも言えない深い気持ちになったものだ。

 

 さて、持統天皇のことになるが、持統天皇も夫の崩御の時に長歌と短歌を歌っていて、その歌が万葉集に掲載されている。様々な解釈がされているが、私は歌われている神丘が吉野ではないかと推察しており、そう考えると吉野への天武天皇の逃避行の思い出、そして30回以上におよぶ持統天皇の謎の吉野行幸と重なり、斉明天皇と同様に持統天皇の想いや周りの親しい人たちへの想いが湧いてくるようだ。

 心が乱れた時、自己混乱の時に旅行や五感体感への癒しは大事である。さらに、こころをゆるせる人たちとの語らいも大事である。

 持統天皇は、大田皇女や建皇子、間人皇女のように斉明天皇からは愛されなかったようだが、天武天皇、草壁皇子、異母姉妹の元明天皇や県犬養美千代、文武天皇の別の親しいグループがあったように思う。それは、良い意味で甘えの構造の原型の人間関係だったかもしれない。しかも、理知だけのお付き合いではなく、感性も含めて自他肯定的な自然体の関係であったように思えるのだが。

女帝の心中を想いつつ 7/10

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