イキイキと生きる!

「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、張合いのある毎日を楽しみます。

12,800年前 (愛と親密性と孤立感 8/10)

2017年03月28日 | 第九章「愛」

 最近は飛騨の巨石天文台を見てから、縄文時代も中期ではなく草創期など、旧石器時代あたりにも興味が湧くようになった。そして、ひと昔前に「神々の指紋」で有名になったグラハム・ハンコックの最新版「神々の魔術」を熟読中である。

 恐竜が、地球と彗星とぶつかっるなどの災害で滅亡したということは、ほぼ定説であるが、実は12,800年前にも北米、南米、ヨーロッパ中心に彗星がぶつかるなどで大災害が起こり、大型の動物(マンモスなど)をはじめ、人類のいくつかの文化も滅ぶなど、大変なことが起きたことはほぼ確実になってきている。

 彗星(ヤンガードリアス彗星)が落ちたかを信じないひとも、少なくともノアの箱舟をはじめ、多くの神話などで示される大災害があったことは、信じざるを得ないようだ。

 その時、大気を覆う粉塵等で地球は暗黒に覆われて寒冷化し、しばらく太陽も見えない常夜の世界になる。

 さて、先日、秩父を初めて訪れたのだが、印象的だった秩父神社について調べていたが、そこのご祭神には思金尊がいらっしゃる。天照大神が岩戸に隠れられ、その時に知恵を絞り女神を岩戸から連れ出した知恵の神である。考えてみれば、岩戸神話も何か12800年前の大異変を物語っているようにも思えてならない。

 直接彗星が落ちたであろう地域は当然大変であったが、その影響は当然地球規模であり、その後も氷河期が1000年以上続く。この時の列島に住んでいた祖先は、当然ながら大変な環境の中を生き抜いたわけである。

 写真は秩父神社本殿の東側に掲げられた左甚五郎の作といわれる、つなぎの龍である。何か四神の青龍をほうふつとさせるが、これは彗星のイメージかもしれない。忌まわし恐怖の龍は、その後隠れて平和が訪れる。

 常夜の中で身を寄せ合い生き残った先祖は、太陽が昇り始め月は星が見え始めたとき、どれほど嬉しかったであろうか。激しい悲しみのあとには、大きな喜び・幸福感がやってきたと思う。

愛と親密性と孤立感 8/10

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秩父で巡礼をしてみる・・・(愛と親密性と孤立感 7/10)

2017年03月25日 | 旅・雑記帳

 秩父は私にとって遠い世界であった。サラリーマンの悲しい性で勤めている会社方向(つまり都心)についてはいろいろ知っているし、頻繁に訪問したりした。しかし、八王子から都心とさほど変わらない距離の秩父には残念ながら行った記憶がない。

 そんな秩父に世界遺産が誕生し、秩父神社、秩父今宮神社、秩父34ケ所札所に訪れてみたくなった。そして、不思議によく知っている友人から誘われ行くことができた。武甲山がそびえる地に立つと、何か縄文の風というか多摩近辺では味わえない深いものを感じてしまう。

 さて、巡礼ということがある。若いころは関心がなかったが、年をとるにしたがい巡礼に興味が湧いてきた。秩父34ケ所は全行程100Kmであるが、地域的にまとまっていて2-3日かければまわることができる(車を使えばもっと早いだろう)。身近な知人からも秩父巡礼は良かったと聴いたりした。私はカトリックであり日本の教会巡りもをすべきなのだろうが、友人の多くはもっぱらキリスト教以外ということもあり、また祖先の宗教も大事にしたいという想いもあり、さらに比較宗教学にも強い関心をもっているので秩父34ケ所をめぐることにした。

 秩父神社や今宮神社、そして、近くの3つの礼所に行ったのだが、その中で一番感動したのは西光寺だった。今は紙の札が一般的なのだが、江戸時代などは木製で、堂にくぎで札を付けたようだ。今はその木製の札は殆ど取り外されていたが、くぎ跡がなまなましかった。そして、江戸時代のくぎなのだろう、四角のくぎ跡も多い。ぼろぼろにくぎ打ちされた柱を見ると、祖先たちの信仰や願いを垣間見ることができ、胸が熱くなる。

    

 (写真をクリックすると拡大します)

 ところで、巡礼をしてみると、エリクソンのいう愛と親密性と孤立感が不思議に一緒になって漂う気がした。それは思い過ごしであろうか。

愛と親密性と孤立感 7/10

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今の世の中でも多様性を認める方向があるのかな (愛と親密性と孤立感 6/10)

2017年03月24日 | 第二章「五感と体感」

 テレビを見ていたら、最近はイスラム女子が増加しているとのこと。特に若い女性に人気があるという。日本社会が従来無視をしていたようにも感じるので、世の中変わって来たなと新鮮な想いが湧き出てきた。私はイスラム教徒ではないがなにか嬉しくなった。

 多様性という言葉がある。また多様性を認めることは何だろうかとこの数年考えることが多くなった。それは、恐らく同一化とか自他混合の世界と対局にあるように思う。特に同一化が悪いというわけではないが、同一化はそのグループ以外に対して排他的になりがちなどクセがある。

 自分は自分という認識は、孤独・孤立の世界に近いが、他者との親密性を考える上で大事なようにも思う。また、どこか多様性と親和性が高いようにも思う。また大きな愛とも関係があると思う。

愛と親密性と孤立感 6/10

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ノアの箱舟の中で動物たちはどうしてた?(愛と親密性と孤立感 5/10)

2017年03月22日 | 第九章「愛」

 Youtubeを見ていたら、「貴方は何からできていますか?」という質問が投げかけられ、殆どの日本人がうまく答えられないでいた。確かに、そんな質問を急に投げかけられたら自分でもどうかわからないところがある。ただ、私はオックスフォード仕込みのU先生の生き甲斐の心理学を学んでいるので。「物体としての身体、成育史からなる心、死んで身体から離れる愛そのものの魂からなる」と答えることが今はできる。そして、その基本的な認識から、私は人権ということも考えられるし、自己責任ということも考えられ、いろいろな人と関係をもつことの意味も直観的に把握できる。

 さて、こうした人間観の話のほかに、もう一つ生命観というものもあるように思う。私は、ある方からいろいろ心理療法のための訓練について学んだが、砂漠の激しい暑さ、極限の寒さの中で人間はもちろん様々な動物はどう振舞うかということについてお聞きしたことがある。動物の間には天敵の関係もある。ライオンと人間などもそうかもしれない。毒蛇とXXの関係もあるかもしれない。それが、極限状態の中では肌と肌をくっつけてしのぐこともあるようだ。

 人類や生命・・・地球の歴史を考えると、時に彗星とぶつかり何年も太陽が出てこないで極寒の時もあったようだ。あるいは猛暑もあったかもしれない。そんな時は、狼と人間なども身体を寄せ合ってしのいだのだと思う。

 世界中に、洪水伝説がある。一番有名なのは旧約聖書のノアの箱舟であるが、すべての動物の雌雄が一対箱舟の中に入ったとされる。考えてみれば当然普段なら天敵どうしも入ったのであろう。人も含めあらゆる動物が同じ船に乗り、身体を寄せ合う。これは、意外にあり得る話のように感じてならない。

 高齢化社会で認知症の親を介護しなければならなくなったとき、あるいは病で自分の理解を越えた行動をとる身内がいたときどうするか。人間とは何か、生命体とは何か・・・こうしたちょっととっつきにくい世界の話が意外に心を支えることができるように思う。人には愛そのものの魂が存在する。あるいはあらゆる動物も、長い歴史の中で呉越同舟が可能な関係もあったことを知ることは大事だと思う。そうした認識の中で、親密性もより理解できるように思う。

愛と親密性と孤立感 5/10

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真善美との出会いと大きな愛(愛と親密性と孤独感 4/10)

2017年03月21日 | 第九章「愛」

 ちょっと照れくさくなるが、「愛」について今日は考えている。なかなか難問なのであるが、ちょっと観点を変えて、どのような時に大きな愛に触れたかと質問を置き換えて考えている。縄文小説を書いたとき、生き甲斐の心理学の論文もちょっと前に完成していて、その時真善美という観点で考える楽しさを知った。そして、自分の成育史を思い出しながら、少年少女時代から青年時代などいろいろ考えた。

 その時は嫌な体験というものがある。人それぞれだが、反抗期に成長してきた子供に「実は、お前は橋の下で拾ってきた」と子供に親が話す伝統が日本にはあるようだ。いろいろなバージョンがあるようだが、貴方のルーツは決して目の前の親ではないと教育しているようにもとれる。当然心配になるわけであるが、その意味は大人になると気づくこともある。

 激しい情動をともなう興味・関心というものもある。学校生活がらみだと、私は天文にひかれた。時には微生物にもひかれた。そして数学にもひかれた。音楽や美術関係の関心も膨らんだ。給食の昼休みに先生が話してくれた「ビルマの竪琴」も良かった。

 今から考えると、大きな愛にそれなりに触れていったようだ。学校以外の場で真善美を経験したことは、その何倍も大きい。

 今でも、この一ヶ月でも真善美に触れることがある。飛騨金山の金山巨石群は縄文初期の旧石器時代にあったかもしれない、とてつもない文化の可能性に触れたようだ。「真」ということばが浮かんだ。今までの常識とは違う世界だ。それから、ヒルデガルトを知ったことで音楽に対する自分のイメージが変わったようだ。その豊かな感性・霊性は何だろう。「美」とは何だろう。「善」関しても、さまざまな困難にも関わらずブレないで生きている方の存在に触れたことも大きい。

愛と親密性と孤立感 4/10

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