味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

忠恕は公平なる所以なり。

2017-11-21 16:42:12 | ブログ
第3249号 29.11.22(水)

忠恕は公平なる所以なり。徳に造るは則ち忠恕により、其の致は則ち公平なり。106『近思録』

 忠恕は公平の基になる。徳に達するのは忠恕から始まるのだが、その極致は公平である。

仁の道は、之を要するに、只一つの公の字を道(い)ふを消(もち)ふるのみ。公は只是れ仁の理にして、公を将(もっ)て便ち仁と喚びなす可からず。公にして人を以て之に體とす、故に仁為り。只公ならば則ち物我兼ね照すが為に、故に仁は能く恕する所以なり、能く愛する所以なり。恕は則ち仁の施にして、愛は則ち仁の用なり。107『近思録』

 仁の道は、要するに、やむなく公の一字で説明されるのだが、公は仁のすじみちにすぎず、公をそのまま仁ということはできない。公であって、人をその根幹とするがゆえに、仁になる。公であれば、物も我も照らし出されるがゆえに、仁は思いやりのできる基になる。思いやりは、仁が延びていったものであり、愛は仁のはたらきである。  

 【コメント】『近思録』をご紹介するため書いていて大変教えられます。老い先短い78歳の後期高齢者ですが、若い人々へも漢籍の勧めをしたいと思います。

 あの西郷さんもじゃっどじゃっどと頷きながら読み耽ったことと思います。人間の世で大切なことは金を貯めることだけではなく、徳を構築することが要諦でしょう。
 そういった意味では『南洲翁遺訓』との出会いは大変有難いことでした。

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『不動心』(第116回)

 自由になるもの、ならないもの
 あなたの自由にならないものごとにまで善悪の区別をつけて考えていると、善いものを手に入れられなかったとか、悪いことに出くわしてしまったとかいっては、そのたびに不満を抱くようになる。実際、われわれはこういう妙な区別に関心を寄せすぎるあまり、不正を犯しがちになのだ。善悪の区別を、われわれの力の及ぶ範囲内のものだけに限定してみたまえ。そうすれば他人を非難したり、いさかいを起こしたりする理由はどこにも見当たらなくなってしまう。

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『臥牛先生遺教抄』(第74回)

 人より恩恵を受くれば一生忘るべからず。又人に恩恵を施したる事は直ちに忘るべし。心にはさみてはならぬものなり。人に交わるには、「来る者は拒まず去る者は引かず」という事肝要なりと戒めらる。
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「西郷隆盛」--薩英戦争----第3回

 死傷者は英国側が上回る
 七月二日は、現在我々が使用している太陽暦では八月十五日にあたる。台風でも接近していたのであろうか、激しい嵐が吹き荒れ両軍を悩ませた。特に海上に浮かぶイギリス艦隊にとってこの嵐ははなはだ不利で、艦は揺れ、アームストロング砲も十分な威力を発揮しなかった。
 それでも旧式の薩摩藩の大砲を圧倒し、次々と砲台を沈黙させ、集成館・城下を炎上させた。
 だが、この間イギリス艦隊が払った犠牲も大きく、ユーライアラスは集中攻撃を受け、艦長ジョスリン、副長ウィルモットらが戦死。レースポスも祇園洲砲台の目前で座礁し、一時危険な状態になったが、祇園洲砲台の大砲がすべて破壊されていたため無事に離脱できた。そして夜半、艦隊は再び桜島沖に投錨した。

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今日22日は荘内南洲会様主催、〔徳の交わり〕チャリティ全国吟詠大会参加のため荘内へ行って参ります。同伴を予定していた大坪伸一郎先生は体調悪化のため行けなくなりました。頑張ってきます。
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