カーラジオからジャズ 十二月八日
「俳句王国」のなかで、掲出句はとても印象的であった。(作者不詳)
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から、ちょうど66年である。
軽快なジャズを耳にしたとき、
その時代の暗澹とした記憶が走馬灯のように過ぎったのかもしれない。
わたしが生まれたのはその三日後、
「トラ・トラ・トラ」の暗号電信は母の胎内で感じていた。(笑)
太平洋戦争の最初の記憶は出征した父を見送ったことだと思う。
手稲にもうすぐ日が落ちる・・
戦争に賛成する人なんて誰もいるわけない。
しかし、そうかといって、”自分の国は自分で守る” これを放棄するわけにはいかない。
「俳句王国」のなかで、掲出句はとても印象的であった。(作者不詳)
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から、ちょうど66年である。
軽快なジャズを耳にしたとき、
その時代の暗澹とした記憶が走馬灯のように過ぎったのかもしれない。
わたしが生まれたのはその三日後、
「トラ・トラ・トラ」の暗号電信は母の胎内で感じていた。(笑)
太平洋戦争の最初の記憶は出征した父を見送ったことだと思う。
手稲にもうすぐ日が落ちる・・
戦争に賛成する人なんて誰もいるわけない。
しかし、そうかといって、”自分の国は自分で守る” これを放棄するわけにはいかない。
当初は日本語(の新聞やラジオ)でも「真珠港」と言っていたらしい。
私個人にとっては、そんな「言葉」よりも、その翌日1941/12/9が家人の誕生日であることの方が重要です。
春さんは日本の開戦と共にお生まれになった。
すると開戦からもう65年くらいは経つのですね。
警戒警報や飛行機の低空飛行の音など、私は3~4歳でしたので、命の恐怖と共にまだ微かに覚えています。
私も基本的に自国の防衛は自国で、は賛成です。
大国の植民地以下の扱いをされているのは歯痒いものです。
ちょうど誕生日が12月11日なので、開戦の日はなおのこと憶えているわけです。
防衛事務次官の接待疑惑で、日本の防衛論議はおかしな方向にいってますが、
それはそれとして、独立国家ならば、経済も外交も防衛も全て車の両輪です。
”占領されても抵抗しない”とかいう札幌市民グループの
署名運動があったそうですが、
これは”戦争反対”という大義名分に隠された欺瞞そのものでした。
昨日はジョンレノンの命日でしたネ!
Imagine all the people Living life in peace
想像してごらん 天国なんてないんだよ
もし君がトライするなら簡単な事さ
僕たちの足元には地獄なんてなく
上には空だけじゃないか
想像してごらん
すべての人々が「今日を生きている」と言うことを
ジョンレノンの命日どもあると、ニュースでいっていたのを思い出しました。
イマジン、反戦の歌ですね。
とても胸にしみる歌です。
あれから66年・・・早いような遅いような・・。
未だこの世に生をなしていませんが・・
何故こんなんことに・・と今でも思います。
明治維新以来外国の真似ばかりしてきたから・・・?とない知恵で思ったりします。
でもその後も世界では戦争がつづき
どうなっているのでしょう・・・。
悲しいですね。
写真は空は何処かの映画のタイトルみたいに見えました。素晴らしいですね。
「トラトラトラ」のきっかけになった、「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文は小生が今住んでいる愛知県刈谷市の依佐美送信所から打電されたそうです。
(当時は碧海郡依佐美村)
ウッカリ開戦記念の昨日を、晩まで気付かずに過ごしていました。
あのときに無電のキーを打った手はどんな思いで叩いていたのでしょうね。
昭和天皇ははたしてどんな思いで戦争の詔勅を発せられたのか。
守屋何某を「天皇」と揶揄しますが、あの表現はあの当時から現在に至るまで、折り目正しく生活して見える天皇家に対して失礼極まりないように感じています。
脱線してしまい失礼しました。
今年の12月11日がこの画のような良い日になりますように。
(忘れないうちに今言ってしまっておきます)
>「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文は小生が今住んでいる愛知県刈谷市・・
えっ、そうですか。
それは太平洋戦争のまさに開戦の号砲がそこから響いていたわけですね。
もし、日本が開戦に踏み切らなかったとしたら、
日本はどんな運命をたどったのでしょうかね。
>守屋何某を「天皇」と揶揄しますが・・
たしかに、昭和天皇に対して、まことに失礼千万なことであります。
マスコミは、**天皇とか**王子とか、
そういう安直なネーミングをつけたがりますが、
この相変わらずの軽薄さにただただ畏れ入ってます。
>12月11日がこの画のような良い日になりますように・・
ありがとうございます。
戦争の記憶といえば、防空壕へ何度か避難したことを憶えています。
座布団みたい頭巾をかぶって、
国策パルプが爆撃されたときですが・・
幸いなことに旭川はそれほどの被害は受けませんでした。
人種、宗教、貧困などなど、争いが絶えることはないと思います。
世界から戦争やテロがなくなれば、軍備は必要ないかもしれませんが、
それは理想の極地、夢のまた夢ですね。