ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の伝説(8)

2021-04-28 18:52:14 | 水戸

 神崎寺(かみさきじ 天王町8-17)あたりのようですが、かつて一盛(いちもり)長者の台所があったという伝説があるそうです。千波湖はその流し水の溜まりだったそうで、ダイダラボウ並みのスケールの大きな伝説です。一盛長者の館は、渡里町(わたりちょう)の長者山にあったそうです。写真は春の神崎寺です。

 

 大場家の先祖が、鹿島神宮(鹿嶋市宮中 2306-1)を参拝して、その帰りに、馬で運ぶ荷物の釣り合いを取るために、神宮の裏山で拾った石を鞍に乗せてきたそうです。庭に石を置いたところ、夜光るので、お鹿島様としてお祀りしたそうです。その石はだんだん大きくなって、子どもができ、その子石も次第に大きくなったそうです。写真は鹿島神宮です。

 

 大塚村(現・大塚町)の平吉という信心深い男が、夢枕で満福寺の阿弥陀さまに呼ばれたので、寺に駆けつけると、仏の入った厨子(ずし)を背負った盗人が重いといって動けなくなっていたそうです。盗人は仏が金でできているというので盗もうとしたそうですが、平吉は仏が無事だったので、許してやったそうです。写真は満福寺跡に立つお堂です。

 

 岩根町に弁天社があり、そこに殺生石という霊石があったそうです。これを人が動かしたり土足で触れたりすると、病気や災難にあったり死んだりしたそうです。いまその地は畑地になっているそうです。

 

 徳川斉昭が江戸で藩主に就く前の部屋住みのころの話だそうです。家臣の子供が稲荷社の近くに不浄物を捨てたところ、その晩から狂いだしたそうです。斉昭は他の家臣に稲荷社へ行かせ、「不浄物は片づけるから今夜中に静まれ、そうしたら明朝赤飯を進上するが、そうならなかったら駒込(水戸藩中屋敷あたりなのでしょう)中の狐狩りをする」といわせたそうです。斉昭にはこうした伝説のようなものがいくつかあるようです。

水戸の伝説(7)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸の歩道敷石(7) | トップ | 水戸の俗信(2)  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

水戸」カテゴリの最新記事