ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の伝説(3)

2017-04-06 20:56:32 | 水戸

ダイダラボウ(2)
 内原の大足(おおだら)に住んでいたというダイダラボウは、朝房山(あさぼうやま)のために朝夕しか日がささなくて、村民が困っていたので、山を北に動かしたそうです。ところが、その跡に水がたまって洪水が起きたので、ダイダラボウはその水が流れるように指で川をつくり、その下流に千波湖をつくったそうです。写真は千波湖南側にある碑です。

 

日本武尊
 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のとき、船でこの地に至り、香取鹿島の神を祀り(鹿島香取神社)、戦勝を祈願したそうです。そのとき船を埋めたので、その地を東征舟(とおせいがふね 小字)といったそうです。その後、徳川光圀の藩主時代に、埋めた地を掘ったところ船が出たので、近くに東征神社を建てたそうです。写真は東征神社(青柳町2389)です。

 

虎琵琶
 源義経(みなもとのよしつね)が、奥州・平泉から佐藤忠信(ただのぶ)らを連れて、兄・頼朝のもとへ向かう途中に薬王院に立ち寄り、そこで忠信愛蔵の「虎琵琶(とらびわ)」の音を楽しんだそうです。出発のとき、戦いの邪魔になってはと忠信は琵琶を薬王院に預けたそうです。光圀は修復したそうですが、斉昭はおさめた箱に故事などを書いて賞したものの、城に持ってゆき、以降の消息はしれないそうです。写真は薬王院本堂(元吉田町682)です。

 

 

首なし弁天
 浮島大夫延忠(のぶただ)が夢枕に立った美女のお告げを聞き、鹿島明神に行ったところ、同じ夢を見た別の参拝者がいて、出現した弁天の首以外の部分を得たそうです。首なし弁天のおかげで15か月たっても生まれなかった延忠の夫人は女児を安産したそうです。その孫娘は佐竹義胤(よしたね)の夫人となり、弁天は彼女の持仏となったそうです。佐竹は渋井に寺を建てて首なし弁天を祀ったそうですが、今は弁天堂と首なし地蔵があるだけということのようです。写真は福徳弁財天(渋井町)です。

 

 

よき沼
 岩根町に住む木こりが、天上山の斜面で木を伐っていて、下にあった沼におの(よき 斧)を落としてしまったそうです。さがそうと沼にもぐったところ、白衣の老人がいて、木こりに黄金色のおのを渡すので、自分のものではないと否定しましたが、老人は黄金色のおのを持ち帰らせたそうです。その後、木こりは長者となり、沼はよき沼と呼ばれたそうです。

水戸の伝説(1)(2)


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