新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

階段紀行・日本 東京編① シャンデリアを配した濃紺の螺旋階段 東京ステーションギャラリー

2021-04-13 | 階段紀行・日本

3月から「階段紀行シリーズ」を始めたが、階段は全世界至る所に存在する。それで、この企画はヨーロッパ編と日本編を交互に掲載することにする。今回からは日本編の第一シリーズ「東京」を。

 JR東京駅は1914年辰野金吾の設計によって完成したが、この建物の一角に駅の美術館として1988年東京ステーションギャラリーが誕生した。当初は丸の内駅舎中央にあったが、近年の全面リニューアルに伴って駅舎北側に移動、2012年に再オープンしている。

 美術館はレンガ造り駅舎の特徴を生かしたレンガ壁の展示室を持つ美術館としてもユニークな存在だが、1階から3階に続く階段もまた独自性を誇っている。

 形式は螺旋階段。しかし、丸くアーチを描いて上下するのではなく、四角く縁どられた踊り場を経由して上下して行く。

 天井から吊り下げられたシャンデリアと周囲のステンドグラスは、1988年の開業時から設置されていたものを旧館から移設復元されて、白壁に設置されている。

 少し深みを帯びた空間、濃紺の奥行きを感じさせる色調が、これも展示作品か、と錯覚させるくらいの美しさを放っている。

下から見上げれば、綺羅星のごとき輝きの中に、階段の形が浮かび上がる。そして中央にシャンデリア。

 2階からJR丸の内駅改札口広場が見下ろせる。普段は気付かないが、床に大きな円のデザインが施されているのがよくわかる。

 有楽町ビル。名前の通り有楽町のJR有楽町駅すぐ近くにあるビルだ。この1階にある階段の手すりはちょっとエレガント。

 決して豪華というわけではない。が、見ると波打つような曲線が幾重にも重なりあって連続し、上の階へと視線を導いてゆく。

 通常誰も立ち止まって見る人などいないが、注意して観察すると、なかなか趣を感じさせる階段だ。

 

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階段紀行・イタリア ヴェネツィア編⑧ 描かれた階段。画面の中で階段が見事な効果を発揮している

2021-04-10 | 階段紀行・イタリア

ヴェネツィアでは階段が登場する名画に何度もお目にかかった。その一部を紹介しよう。

 アカデミア美術館にある「聖母の神殿奉献」。3歳時のマリアが両親に連れられてエルサレムの神殿を訪問する場面。ルネサンス時代「画家の王」と称されたヴェネツィア絵画の第一人者ティツィアーノの作品だ。

 絵の下部がでこぼこになっているが、これは美術館の前身であるカリタ同信組合の宿泊所サロン時代に、その戸口の配置に合わせて描いたものがそのままの状態で残っているためだ。

 15段の高い階段を一人でちょこちょこと昇って行く少女マリアの姿が、愛らしく描かれている。石の階段の硬さがマリアの柔らかさを対照的に引き立てている。

 こちらも同じ題材の「聖母の神殿奉献」だが、作家はティントレット。マドンナ・デ・ロルト教会の作品だ。こちらは光と影のドラマチックな場面を得意とした画家らしく、神殿に参る幼子マリアを夕方の時間帯に設定している。上空の空が赤味を増す中、高い階段を母に手を添えられて昇ろうとするマリア。母子の信頼と愛情をほうふつとさせる情景が、印象的な光の中に描かれた。

 その姿とよく似た光景を、リアルト橋で見つけた。母子の姿がとても微笑ましかったので、ついシャッターを切った1枚だ。

こちらも「聖母の神殿奉献」。サルーテ教会のルカ・ジョルダーノの作品だ。同様にかなりドラマチックな構成だ。相当急な階段で、子供の足ではなかなか昇れなさそうな急坂だが、マリアは、もう間もなく階段を昇り終えそうなところまで達している。

 やはり後に聖母となる人の強い精神力を、あるいは信仰の力をそれとなく表現しているのだろうか。

 このように、同じ題材でも画家によってかなり変化のある作品に変わって行くことが面白い。そして階段もそれぞれに独創性を発揮したものになっている。

 最後にジャンバティスタ・ティエポロの「ロザリオの制定」。ザッテレの海岸沿いにあるジェズアーティ教会の作品だ。ドミニコ修道会の創始者である聖ドミニクスがロザリオを掲げて異端者たちを追い払うという奇蹟の場面。ドミニクスは階段を昇り切った壇上に立っている。

 異端者たちはドミニクスの威光に恐れおののき、階段を転げ落ちるように倒れ込む。極端な仰視法で描かれた絵の中で、階段が見事な効果を発揮している。

 

 

 

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階段紀行・イタリア ヴェネツィア編⑦ 祭りの階段、暗闇の階段、歴史の階段

2021-04-06 | 階段紀行・イタリア

 トレアルキ橋。「3つのアーチ」という意味の橋名で、橋の形からこの名称になった。本土側に近い場所に位置し、かつては本土側から運ばれる物資輸送の大動脈となった運河の入口にある橋だ。

 結構高い勾配の階段がついている。この階段が最高の観覧席“祭りの階段”になる日がある。

 それが、6月に行われる長距離ボートレース「ヴォガロンガ」。このレースのメインコースになっていて、階段から1000隻以上のボートがこの橋を通る光景をつぶさに眺めることが出来る。ヴェネツィアが祝祭都市であることを強く印象付けられるシーンだ。

 私が訪れた年は天候も絶好で、レーサーも観客も一体となって楽しむ姿があふれ、街中に歓声が響き渡っていた。

 橋の外壁に、まるで祭りを楽しむかのようなこんなユーモラスなイラストが付けられていた。

 次の階段は「暗闇の階段」。フェニーチェ劇場近く。ちょっとしたソットポルティゴ(アーケード)になっている通りがあった。暗い穴倉のような場所で、すぐ前方に光の差し込む階段が見え、右側には小運河の水が、ひたひたと音をたてて流れていた。

 何となく立ち止まり、その音を聞いていたら、旅姿の女性がバッグを抱えながら足早に私を追い越していった。ただの観光客ではない、少し切迫した荒い呼吸と乱れた足音を残したまま・・・。

 標識に書かれている「ponte de le tette」とは『おっぱい橋」の意味だ。サンポーロ地区の小さな運河に架かる小さな橋。階段の数も前後6段ずつ。でもあえて取り上げたのは、その名前に歴史が隠されているからだ。

 16世紀のヴェネツィアでは同性愛が流行していた。このままでは国の宝である子供の数が減少する一方だ。時の政府は。男性に女性の関心を高めさせようと、娼館の女性たちに。おっぱいの露出による挑発を奨励した。

 その娼婦の館があったのがこの階段の前だったため、こんな名前が付けられ、今も残っているという。

 華やかなヴェネツィアの表舞台とは違った裏の歴史を刻む階段というわけだ。

 

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階段紀行・イタリア ヴェネツィア編⑥ アカデミア橋。頂点までの段数が手前側と向こう側で3段も違う不思議な橋

2021-04-03 | 階段紀行・イタリア

 次もカナルグランデ(大運河)に架かる橋・アカデミア橋。ルネサンス期ヴェネツィア絵画の殿堂であるアカデミア美術館の真ん前にあるのがこの橋だ。

1854年の建造で、1932年の架け替えの時、暫定的に木造で橋が造られたが、そのまま半世紀が経過、結局下部だけを鉄で補強した木橋のままで現在に至っている。

 美術館側からだと橋の頂点までは53段。一方ステファノ広場側からは50段しかない。つまり手前の島と向こう側の島の岸の高さが違うためにこうした現象が生まれている。橋が島と島とをつなぐ手段だったという、ヴェネツィアならではの特殊事情がなせる現象だ。

 バポレット(定期船)に乗っていると、橋通過の際、橋の下からサルーテ教会が正面に見えて来る。

 4年前の旅行の時は、この橋の近くに宿を取ったことでサルーテ教会越しの朝日を見ようと早起きして橋に出かけたことがあった。あいにくすっきりと晴れてはくれなかったが、透き通るような早朝の静寂を肌に感じることが出来た。

 次はスカルツィ橋。鉄道でヴェネツィア駅に到着すると最初に目にするのが、大運河に架かるこの橋だ。高々としたアーチ橋が「運河と橋の街・ヴェネツィア」を強烈に印象付けてくれる。

 最初の建造は1858年。現在の橋は1932年に完成したものだ。ここはどちらから昇っても階段は40段ずつ。アカデミア橋に比べて段数が少ないのは、一段の間隔がこちらの方が大きくなっているためだ。

 毎年9月の第1日曜日に行われるイベント「レガータストリカ」では、アドリア海の女王と謳われたヴェネツィア共和国時代の華やかな水上パレードが行われるが、そのスタートがこの橋付近だ。豪華で優雅なパレードを堪能することが出来る。

 

 

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