小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

大人になって失ってしまうモノ~子どもの世界

2021年07月27日 | 母島 暮らし 子供
■「やっほ~!!あ” あ” あ”~!」
大きな声で叫んでみる。
普段とは違う反響する空間。

「ダン!!」
大きく足踏みをしてみる。
ビックリするくらい大きな足音の大人。
それに負けじと小さいながらも一生懸命、足踏みをする。

島に来ていて1か月ちょいの2歳の男の子に時々遊んでもらっています♪(もうすぐ内地に帰ってしまうそうで、寂しい…)

先日は一緒に北港にドライブがてら、色んな所に寄り道したのですが、
冒頭は長浜トンネルでのひと時。

いつもだと大声を出して遊ぶ程度で、通り過ぎてしまうトンネルも、
2歳児と一緒だと、とっても楽しいワンダーランドに早変わり♡

内地とは違い、
車が全くと言っていいほど通らない島のトンネル。(時々は通りますよw)
排気ガスとか、騒音とかとは無縁のその世界を、
幼児は存分に楽しみます(*^_^*)

時にはごろんと寝っころがってみる。
「じゃいあんも ねてみてよ」
可愛いお誘いに乗って、ひんやりとしたコンクリートが心地良い♪
新鮮だなぁ(^^♪

トンネルに限らず、
いつもは30分で通り抜けてしまういろんな場所を、
子どもは大人では想像もできない目線で楽しんでしまうのです。
石ころひとつ、小枝だって最高のおもちゃになってしまう(*^_^*)

頭の固くなってしまった大人にとって、
あまりにも柔軟で素直な子供のアタマはとても新鮮に映ります♪
小さい子どもと共に過ごす時間は、
いつもの景色をとても新鮮に描き出してくれる夢の時間になります。

あの、永遠にも感じた様な子どもの頃の夏休みの様な時間の感覚。
大人になって、色んなモノが画一化されて、失ってしまうんだなぁと再確認させられると同時に、
小さな子供と過ごす事で、またその時間を別の目線で味わって楽しめるひと時を頂けるのだなぁと感動しました。

■たった2歳で、島みたいな海がない中で育って、
いきなり島に遊びに来て、真っ黒に日焼けして、
最初は怖がっていた海も、存分に楽しめるようになって、
終いにはSUPに乗って足のつかない海すら楽しめる成長…

子どもの好奇心とか、進化とか、成長とか、
大人のそれとはレベルが違うその世界に圧倒させられます。

自分が若く22歳で父親になった時、
ゆったりとした島の暮らしの中で、
存分に子供から学ばされた事を味わう時間があったことがとても幸せに思います。

みんながそうだとは限りませんが、
内地で僕が家族を持っていたら、
きっとなかなか仕事ばかりで家に帰れずに、
一生懸命働いて家族を養っていたと思います。

もちろん、子どもや妻を安心できる生活の為に働くわけだし、
生きていくためには違いないのですが、
子供の成長をタイムリーに味わいながら暮らすのは、
僕にとっては島暮らしだからできた事だと思います。

二人の娘と一緒に過ごしてみて、
共に味わえる時間はほんの少しであることに気付かされました。

とってもピュアな感性の時期なんて、
実はあっという間に過ぎ去ってしまうのです。

女性は妊娠と出産で強制的に暮らしの世界が変わるのに対して、
男性はその子育て期こそが仕事のバリバリ期に重なる場合が多いと思います。
核家族の多い日本社会において、
なんかそこはとてもバランスが悪いように今は思えます。

職場で家庭から離れて、さらには休憩時間とか得られる男性に比べ、
女性は永遠に感じれるほどの幼児との時間、家事に追われる日々。
若いママと、
ほんの些細な息抜きがあればいいのにねと話していました。

子どもや家庭から少しだけ離れて、
美容院に行ったり、好きな買い物をしたり、
島であればフラッと海に行ったり、飲みに行ったり、
色んなフォローがあって、心にゆとりができると、
子どもの世界を味わえる余裕が出来てくる気がします。

島暮らしの場合、
映画館も、地下鉄も、ショッピングモールもないけど、
当たり前の人間らしい暮らしがあって、
みんな長い休暇もあって、
お互いがお互いを労う気持ちがあって、
そんななかで子育てできるのが、
とても有難くて幸せなんだなと再確認できました。

仕事三昧で一生懸命になってしまう気持ちはわかりますが、
ぜひ子供の小さい時期を存分に楽しめる環境を意識すると楽しいのになぁと感じるのです。


■ある夕暮れの母島診療所の外。
ドクターや看護師さん達がみんなでメジロの巣立ち雛を眺めていました。
聞くと、みんなでもう30分以上眺めているというのです(#^.^#)

実は車が通る道のすぐ脇に、
メジロが巣を作り、抱卵していたのです。

車の接触で、巣が揺さぶられない様に心配したスタッフが連絡をくれて、枝を選定したのが2週間前。
それから、あっという間にヒナが孵化し、巣立ちまで無事に見守られていました。

日々、新型コロナなどに精神をすり減らして、
島の医療を支えてくれている診療所スタッフにとって、
「このメジロの可愛い雛たちが、最高の心の癒しだ」と笑っていて、
なんだか僕も嬉しくなりました♡

先日も島のレジェンドに、
早朝4時に南崎に通う時も、
夜に帰って来る時も、
飼っていた犬が送ってくれたり、迎えてくれたりと、
すごい可愛かったと最高の笑顔で語ってくれて、
鳥や動物たちが人を癒してくれる効果は凄いなぁと感じました。

■今の母島は夏休み。
去年はコロナ禍でほとんどの家族が夏休みに内地に行くのを避けていましたが、
今年はワクチン接種も終えたからか、8割くらいの家族が内地に行っていて、
島から子供の数が圧倒的に減っています(*^_^*)

島暮らしは多くの場合、
ほとんどの職場で2週間以上の長期休暇を取る事が出来ます。

なかなか島の外に出れないアクセスの悪さがもたらす、
最高の恩恵ですね(*^_^*)

なので、通常は夏休みは島の子供と家族の人口がグッと減るのが通常です(*^_^*)
内地で、色んな経験をして帰って来るのが、
とてもいい刺激になります。

我が家もコロナ禍直前まで、
バリカナダハワイ、インド、青ヶ島などなど色んな経験をさせてもらいました。

今はコロナ禍で内地に行く事も、
留学中の長女が島に帰って来ることも自粛していますが、
そんな時は島の小さな子供や小さな命から、
新しい発見を沢山頂いています。

身近な身の回りに実は新鮮な発見が潜んでいます。
今回はとても小さな命にそれを教わりましたハート

毎日のその全てがギフト。

自分の気持ち次第で、
ただの日常がワンダーランドになります♪

たった2歳の先生に、
40歳のおやぢは沢山教わっています(*^_^*)

どうもありがとう♪




母島返還祭Tシャツと娘たち

2021年07月17日 | 母島 暮らし 子供
■「えっ?ほんと!?やった!」
去年はコロナ禍で中止だった母島返還祭。
今年はできる事だけでもやろうということで、駅伝とゲートボール大会、花火、Tシャツ作りを実施することになりました。

その中で、駅伝とゲートボールは残念ながら中止になってしまいましたが、
花火とTシャツは実施する事が出来ました♪

冒頭の一言は実行委員会から今年の返還祭Tシャツのデザインが、
次女が書いたものに決定したという連絡を受けてのものでした(#^.^#)

胸の部分には母島返還祭第47回のロゴが付いています。

この数字には色々理由があります。
母島は父島と同時に昭和43年(1968)6月に返還されましたが、
当時の欧米系住民が住む父島と違い、完全に無人島でジャングル化しており、人が住むまでに5年の歳月を費やしています。

なので、返還53年の今年は本来であれば「第48回」のロゴが付くはずです。
しかし、去年コロナ禍で一切の実施を中止にしたので、今回のロゴは「第47回」となり、その数字となりました。

母島はその返還5年後から毎年返還祭を実施しており、
その頃から住民からデザインを募集して、実行委員会の投票で決めてきました。

今回は、次女が応募した何点かのイラストの中から、見事に選ばれた形になるのです(#^.^#)

こんな通知が届いたときには、じんわりと喜んでいました。

子どもらしいタッチで、
満天の星空に流れる天の川。
静かな夜の海に感じるクジラの息吹、亀、渡り鳥…
それを見守るタコの木…
母島の風景を子供の目線で描いた素敵なデザインです♪

大人にはなかなか書くのが難しい、
子どもの発想と絵のタッチ。

そんなエッセンスも選ばれる母島返還祭Tシャツ、嬉しい企画ですね♪

島民の方からは
「過去で一番のお気に入りデザインだよ!」と言われて、嬉しそうでした(#^.^#)


■色のパターンは3色あり、生地の色が白、灰、紺があります。
紺は密かに次女が希望して叶った色であり、超お気に入りです♪

サイズは子どもサイズがMとL
大人サイズはS,M,L,LL
がラインナップ。

9月以降くらいには島内の注文から余った分が少し役場で販売されるかもしれません(#^.^#)



■思えばちょうど10年前、長女が描いたデザインが返還祭Tシャツに選ばれたこともありました。
母島の特産品でもあるパッションフルーツのイラストです。

長い返還祭の歴史の中で、
パッションフルーツが描かれたのはこれが初でした。

文字に遊び心があるのは姉妹共通です(笑)。

これは妻が気付いた事なのですが、
長女の時は2011年で東日本大震災の年、
次女の時は2021年でコロナ禍パンデミックのオリンピックの年に選ばれたことになります。

歴史的にも色々忘れがたいTシャツになりそうです(#^.^#)



■さてさて、実は僕も所属しているふるさと検討会で、
素敵な展示会を企画し、現在絶賛展示中です(7/20まで)。

これはなんと平均年齢86.3歳の島のアーティストの作品を展示したものです。

圧倒的な鉛筆による繊細な絵画の安部さん
沢山の物語を織り成す、斉藤さんの木彫り、
ユーモアとアイディアの茂男さん(99歳)の段ボール動画工作、
どれも素晴らしい作品ばかりです。

その年齢にも驚きですが、
それ以上に作品の素晴らしさが圧巻です。

7/20(火)まで実施していますので、ぜひ覗きに来てください(*^_^*)

■そして7/16は母島にとって初の聖火ランナーが走った日でした。
僕は介護の仕事場から観戦しました。

その部分のランナーは島出身の中学生の鮎川琉生君でした☆

島のレジェンドの皆さんもタンバリンなどを鳴らしながら応援しました♪
その後は前田豊さん小林舞波さんにバトンが渡されていきました☆

個人的にはこの状況で実施するオリンピックに今も疑問はありますが、
こうして3人にとっても、島にとっても貴重な経験になったと思います。

TVカメラは残念ながら父島までで、母島は記事のみで、
少しがっかりしている人も多かったようですが、
まあ母島あるあるですね(#^.^#)

関係者の皆さん、ランナーの皆さん、お疲れ様でした(*^_^*)


■島に住んでいると、その暮らし全てがコンパクトで、
内地に住んでいた頃には関われなかったもの、見れなかったものに沢山出会えます。

聖火ランナーに関わる事でも、
その為に何十人も来る警察や関係者、島側の準備など、色んな背景を見る事が出来ます。

島の電気を作る発電所の重油だって、
島に届く物資、
捨てられるゴミ、
内地や父島に送る産業廃棄物やゴミ、
様々な職種や年齢の人の暮らし…

議会に立候補する議員さんや村長さんの暮らしや人柄…
大人数ではなく暮らしだからこそ、見えてくる良さもあると思うのです。

そしてそれがそのまま感謝に繋がるし、
自分もそれに関わって行こうと思えます。

僕が母島に住んでいて、とても気にっている点は実はこの把握できる小ささにあるのかもしれません♪


旅について

2021年07月10日 | 旅行記
■とある日の夕暮れ。
アウトリガーカヌーを漕いで、夕陽を見にベタ凪の海に浮かんでいました。

そこには
最近、屋久島と八丈島を拠点にしていて、
今回、小笠原に1ヶ月程度滞在している若者ふたりが一緒でした。

一緒にあまりにも美しい夕陽を見ながら、
なんとその二人が偶然にも同じ便のおがさわら丸で来島していたことが判明して、
なんと帰る便まで偶然に一緒ということが分かって、ビックリしました(笑)。

話していく中で、
屋久島の宿で働く彼女と、
八丈島で伝統的な牛飼いを学んでいる彼女の間に、
幾つもの共通項があって、
なんだか世界は広いようでほんと狭いなぁと思う瞬間でした。

ふたりともこんな光景の中で、
夏以降のお互いの予定を話し合っていて、
なんだかとてもピースフルな七夕の夕暮れのひと時でした(*^_^*)


■そんなこれからにワクワクしているふたりを眺めながら、
僕は旅について考えていました。

思えば僕も19歳で初めて小笠原に来る時、
本当にお金が無くて、
トラックの運転手さんに乗せてもらって仙台~東京までの旅費を浮かしていました。

なんとその時の運転手さんとは、今も年賀状やFacebookで繋がっていて、
とても嬉しいご縁でした♪

それから小笠原で出逢った人、
翌年に行った西表島。
そこの目的地に向かうプロセスでも沢山の出逢いがありました。

最初の小笠原の訪島時に出逢った、自転車で日本一周していた村ちゃんは、
その夏に僕の仙台の家にも泊りに来てくれて、
今でも覚えている一言を残してくれました。
「旅って、乗り物の速度で出逢いの数が変わってくると思うんだよね。
 チャリダーの俺もこうして出逢えて、お世話になってるけど、
 徒歩ダーなんて、もっとゆっくりで大変だけど、
 それだけ多くの人に出逢えてる。
 これがバイクの旅だと、出逢いは自転車よりも減って、
 車で旅するともっと出逢えなくなるんだよ」


ふ~む、確かに。
車なんて、宿にもなるし、悪天候に強いし、鍵もかけれるから圧倒的に便利だけど、
それに引き換えて失うものもあると。

思えば僕はずっと公共交通で飛行機ではなく、
なるべく電車やバス、船を使うスタイルでした。

20歳の頃、西表に向かう時も東京~奄美~沖縄本島と船でした。
家族3人で1年間かけた、日本中の自給自足を学ぶWWOOFの旅も飛行機は使いませんでした。

小笠原に住んでいて、長い船旅には慣れていましたし、
やはり船旅での出逢いも、とても重要でした。

その旅の途中で出逢った方達とは今もご縁で繋がったりしています♪

目的地に辿り着くだけでなく、その過程に実は重要な要素が詰まっていると思うのです。
僕はそんな旅が大好きです♪


■そんな旅をした20年前。
当時も携帯電話はあったけど、
スマホとインターネットが復旧した現代とはまったく違うものでした。

旅の情報源は基本的に本だったし、
時刻表も分厚い電話帳のようなものとにらめっこしていた記憶があります。
駅員さんなどにもよく質問した記憶があります。
スマホやネットに頼らず、色んな人に話しかけるのも出逢いになるし、
確実に旅のスパイスになっていた気がします。

僕が若い頃に宿として、職場として利用してきたユースホステル。
ユースは料金が安く、寂しがり屋の一人旅の人が集まる場所です♪
旅先で色んな多様な人との出逢いを求めるには、最高の環境です☆

近年は世界中で発生していることだそうですが、
ユースでもみんな談話するよりもスマホばかりいじっている時代になっていて、
それを嘆いている声を聞きます(#^.^#)

僕がスマホではなくガラケーにこだわる理由もそこにありますが、
旅でなく、日常も少しデジタル機器に触れない日や時間というのが大切な気がします。

現代はコミュニケーションの頻度は増したけれど、
コミュニケ―ションの深みは浅くなったと思うのです。



■そんな僕なので、すべて予定を組まれたツアーの旅よりも、
自分で大雑把に行き先を決めて、あとはその先で行き当たりばったりで予定を変えていくスタイルが好きです。

しかし、その上のレベルを行くのが妻の旅スタイル。
家族で海外旅行する時ですら、事前に宿を決めて予約せずに、当日に探して飛び込むスタイルなのです。

僕は一人旅ならそれでいいけれど、子どもを連れた旅の時はさすがに宿くらいは前日に決めたいタイプであることが判明しました(笑)。
いわゆる行き当たりばっ旅・保守派です(*^_^*)

しかし、妻は「それでは旅の意味がない」と断念し、基本的にその時の出逢いと流れを重視します。
前もって予定を組んでいないので、色んなイレギュラーにも対応可能です☆

例えなのですが、母島の南崎遊歩道に行くのに送ってはもらうのですが、
帰りの迎えはお願いしないのです。
送った宿のご主人は勝手なおせっかい(親切!)で、
夕方などに心配になって迎えに車を出すのですが、
いくら待っても遊歩道から出てこない。

そんな時、実は妻は蓬莱根でカヌーで来ている島の人に出逢い、
カヌーで母島の属島(無人島)周りにちゃっかり連れて行ってもらい、
えらい楽しんだ挙句に、カヌーで集落に帰って来たりしているのです(笑)。

その為にはあとの予定が決まっていない不安感を払拭する必要性と
ある程度自分の荷物を常に持っていなくてはなりませんが、
旅の自由度は増すのです(#^.^#)

彼女はそのスタイルで数年前、
式根島から新島までいきなりカヌーで渡ったりしているんですから、流石過ぎますね(*^_^*)


■今、カナダにいる長女も高校を卒業したら色んな所を旅をしたいと言っていました。
彼女はどちらかというと妻の旅のスタイルが合っているようです。

もちろん荷物はスーツケースではなく、バックパック。
これで悪路もへっちゃらです。
旅のスタイルだけでも、旅にどう向き合っているかが見えてきます。

長女は英語が自由に話せるので、
さらに世界を存分に味わえるでしょう。
お金がなければ現地で住み込み仕事をしながら旅をすればいいし、
圧倒的に時間はあります。

よく、「お金がない」「時間がない」と言って諦める人の話を聞きますが、
それはただのいい訳で、本当にやりたいのであれば、
どんな方法を使ってでも実現できると思います。

自分の子供には、学校の勉強よりも、
そうした「生きる力」を身に付けて、
沢山色んな世界を見て欲しいなと思います。

言い訳ばかり、やれない理由ばかり探す人にはなってほしくないです(*^_^*)

長女は今年18歳。
こんな親父なので全国に色んな友人知人がいますが、
娘にはそれには一切頼らず、
自力で出逢って楽しんで行ってほしいと思っています。


■我が家にも少しステイした彼女は、昨日母島を発ちました。
母島で色んな新しい事に挑戦して、
色んな刺激をもらったと思います。

僕もついおせっかいをしてしまい、
無意識に人の成長を妨げる事をしてしまいがちです。
時には見守る事も大事ですね。

母島で近い年齢の友達もできて、
その友達がまた自分にないものを沢山持っていて、
とてもいい関係に慣れる気がします(*^_^*)

これからが楽しみですね♪



■今年の七夕前日は満天の星空過ぎて、
天の川はわかるけど、正座がわからない状態でした(笑)。

北斗七星とさそり座、
夏の大三角らしきのだけ分かりました。

八丈から来ている彼女も感激の夜空でした♪

七夕の織姫と彦星。
今年も離れ離れの二人は再会できているのかな?

星の神話って、色々ロマンにあふれていて、
TVもネットも電気もない時代は、
この満天の夜空を見ながら、
色々想いを馳せていたんだろうなと思います。

母島に住んでいても、
わざわざ星を見に行くのは年に数回しかないけれど、
何千年も変わらない同じ景色を、
どれだけの人が眺めてきていて、
この瞬間も誰かが見ているともうと、
なんだか世界の広さと狭さが、
あまりに不思議に思えてきます。




旅について考えた時、
母島に来て10年ぶりにドラムを叩いたCARAVANの曲を思い出しました。

僕にドラムの声をかけてくれたびっちさんが、
島を巣立つ中学生たちに贈ろうと選んだ曲です。

子どもの頃の近所の旅、
成長にするにつれて、少しずつ行動の範囲が広がりますが、
いつも新しい世界や価値観に触れる、刺激的な旅。
やはり旅は良いものです。

色んな旅を考えるひと時でした(*^_^*)

ついに母島に夏が来た!!夏と一緒にトランジションがやってきた☆

2021年07月02日 | 母島 日常 日記
■今年は時化や台風のお蔭か、
例年より梅雨明けの雰囲気が遅れましたが、
6/29は完全に海の色と空の色が違いました!!

来た来た来た!!!!夏が来た!!!!
この日を待っていましたっ(*^_^*)

湿気が高く、
曇りや雨の時期が過ぎて、
雷の気配と共に、
ある日突然やってくる、
海と空の色が一気に青くなる日。

この明確に梅雨明けした!っていう日があるのです。
僕はその瞬間がいつも大好きです♪

小笠原は梅雨ではなく、雨季とかなんとかはどうでもよくて、
とにかく大好きな夏の到来!!

最近は便利屋さんの外仕事が続いてヘトヘトですが、
もちろん可能な限り、昼も夕方も海で泳いでます(*^_^*)


■昨晩は「トランジション・タウン講演会」というとても興味深い事を学ぶ機会がありました。
近年、色々と地域の課題を考え、母島部活堂などで活動していた所ですが、
まさにこのトランジションタウンというのが実践していて、
さまざまな参考になるものでした。

トランジションタウンは2007年イギリスの南部、トットネスという地域で産声を上げたそうです。
現在、神奈川県の藤野で活動している、今回講演をして下さった榎本英剛さんが
当時イギリスの有名なエコビレッジ、フィンドホーンに家族で生活していた時に学ぶ機会があり、
鳥肌が立つほど「これだ!!」と思ったそうです。

今回、
「僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる
 トランジションタウンという試み/ 著・榎本英剛(地湧の社)」

という本を出版して全国を回って活動しているそうですが、
この本がまた興味深いのです(*^_^*)

詳しくはHPや本を参考にしてほしいのですが、
【持続可能なコミュニティ(外部にしかない資源に過度に依存した状態)】

【持続可能なコミュニティ(市域に元々ある資源を活用している状態】
にシフトする活動がトランジション・タウンなのだそうです。

本来、トランジション(transition)という言葉は「移行」「変わり目」「過渡期」の様な意味があるそうです。

そしてキーワードとして「脱依存」「レジデンス」「創造(想像)力」があるそうです。

■小笠原は過度に外部資源に依存して暮らしています。
食料は95%は内地や外国に依存していると言われています。
そして、近年は世界遺産になり、生態系保全の予算や活動は活発になってきていますが、
人間の生活、地域力などは年々低下している状態だと感じています。

母島では人口の4分の1が65歳以上となり、
少子高齢化が進んで来ています。
次世代不足も各分野で顕著になってきており、
都住の新規募集が実質約10年間停止という衝撃の方針が合って、
若者の定着が難しい現実に直面しています。

今まさに過渡期なのです。
そんなタイミングでトランジションタウンと出逢えたことはとても画期的でした(*^_^*)
※実は10年前くらいにも聞いてはいたのですが、ピンと来ていませんでした☆

■そんな榎本ひでさんが話す講演の中で、
とても興味深かったのが[大事にしてきたこと]でした。

それは
・やりたい人が、やりたい事を、やりたい時に、やりたいだけやる
 (自分たちが楽しんでやる、自発的にアイディアがでてきている)
・そこに熱意があるのか?

・[自分たちにできないかも]を[自分たちにはどうにかできる]に発想を変える

・3人以上、同じおもいの仲間を見つける
でした。

ふ~む、興味深いですね。

父島のメンバーからは、
「過去に色々実施しても、なかなか継続できなかったが、最近は自然と流れが出来て、
こうして多様な人がこの話を聞きに集まって来ていて、機が熟して来ていると感じた」
「実際にミニソーラーシステムを実践しているので、興味のある人は声かけて」
「経済が大事と思っているので、この活動をはじめて振り回されて終わりでなく、
 いかにしっかりと定着して、丁寧に地域の身になる活動にしていくかが大事だと思う」
などの声があがりました。

僕は最近、
入港の宅急便の配達、共勝丸の物資のINとOUT、ゴミ回収の仕事を通じて、
島のものの出入りに関わる機会が多くなり、
実際に母島で毎週捨てられるゴミの量や、大量のペットボトルのことをもっと島の人に知ってもらう機会を作りたい」
と話しました。

まずは気付き、知る事から始めて、
地域の持続可能に繋げて行ければと思うのです。

NPO法人のONE LIFEが創立当初から言っている言葉、
Tink groval.Act Local(考えは世界的に、地域活動はコンパクトに)
がすごく身に染みて大事と感じる事が出来ています。

今後も小笠原で様々な学ぶ機会、活動が増えていくと思います。
僕も積極的に関わって行こうと思います。


僕のブログをみて、今回の講演に誘ってくれた横山さん、
素敵で分かりやすい本を出版し、講演してくれたひでさん、
トランジションジャパンの小山さん、
講演に参加、企画した父島の皆さん、
素晴らしい機会をありがとうございました!!


■さて、6月下旬にやってきた台風5号。
畑、集落、港、家の周りと見回ってきましたが、
今回の台風は、目立った倒木もなく、
雨も全然降らずm
ほとんど無被害での通過となりました。

先週から時化で、水温が急激に下がり、
台風の勢力が弱くなり、
コースが少し西にそれたのが幸いでした。

結果、いわゆる
「そよ風台風」ってやつでした。

せっかくやった養生が台無しじゃん!と思いがちですが、
そんな養生して損したが一番いいのです。

2年前の台風21号の被害が忘れられません。
今年はこれで2つ目の台風でした。

島民は漁協の養生具合で、
台風養生の段階の目安にしています。

今回は船は陸揚げしたけども、
厳重にロープで縛っていたわけでもないので、
さほどでもないんだなということになります(*^_^*)

いずれにせよ、無事の通過で良かった~!


■そしてそんな台風通過後の6/27。
前日は小笠原返還記念日でした。

コロナ禍ですが、唯一実施できた花火大会。
台風5号の影響で1日延期しましたが、
久々のエンターテイメントにみんな感動していました。

港では小笠原太鼓を叩いていて、
まるでいつもの返還祭の様でした。

花火のクライマックスでは佐々木政治師匠も叩いたそうで、
関係者一同、感動の瞬間でした♪

今年は正月から島の花火師達が頑張ってコロナ禍に実施してくれ、
今回の返還祭の花火実施に繋がったと思います。

ほとんどのイベントがない中、こうしてできることを模索する姿勢は素晴らしいと思います(*^_^*)
本当にありがとうございました!

母島のナンバーワンYoutuberのミッチーが素敵な動画にまとめてくれています♪
ぜひどうぞ~



■台風通過後の先日は次女と二人で北港タイム♡
やっぱ北港は楽しいですね(*^_^*)

珊瑚も生き物の種類もとても豊富です。
個人的には身が引き締まる水温の場合が多いのが北港なので、
暑い日ほどいい感じにクールダウン&リフレッシュできます(*^_^*)

次女のバブルリングはまだ納得いく出来ではないらしいです。
親父にはこれですらできないので、尊敬の対象ざんす。

6月は過去に記憶がないほど海が悪い春でしたが、
できる限り毎日SUPしたいので、
行ける日は多少悪くても沖に出ています。

少し波乗りのコツを感じ始めているので、
少し大きなうねりがあるのはむしろ好都合(*^_^*)

どんどん楽しくなって来ています♪

最後に7月5日は東京都議会選挙です。

母島にも都議会選挙の掲示板が設置されました。
僕はどの政党でもポスターを貼るお手伝いが出来ます。

みんなに選挙に関心を持って欲しいからです☆
(世の中の現状をボヤくなら、きちんと考えて投票しよう!)
毎回、1~2枚は依頼が来ています。

ご希望の立候補者事務所の方、連絡お待ちしております(#^.^#)

トランジションタウンもそうですが、
色んな事を他人事ではなく、自分事にして、
楽しんでいく他ないと思います。

4月にターニングポイントを迎えてから、
どんどん自分の周りの動きが変わって来ました♪

僕が好きなhideちゃんの言葉、
「何にもないってことは、何でもありってこと」
ピンチを逆にチャンスに変えて、楽しく進んでいければと思います。

今日も楽しんじゃおう♡