小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

母島と同じくらい大好きになった島(青ヶ島滞在記②)

2020年02月28日 | 青ヶ島 滞在記
①の続き
■「今まで、どこに行っても一番母島がいいと思っていたけど、
 今は母島と青ヶ島が同じくらい一番と思えたんだ~♪
 早くまた青ヶ島に行きたいなぁ~!」
1か月の青ヶ島滞在を終えて母島に帰って来た、次女の言葉です。
母島小学校の青ヶ島発表の時間でも言っていました。

※次女が母島小学校で青ヶ島の説明をする場面。
驚きました。
そんな言葉を聞けるなんて、なんていい時間を過ごしたのだろうと思います♪
母島のみんなの前でも言えるなんて…
本当にみんなに大事にしてもらったと思うし、
共に過ごした家族、友達や学校、青ヶ島の皆さんがとても優しく、素晴らしかったのでしょう♪


■そんな言葉に集約されるような青ヶ島滞在。
多くの人に支えられて、次女にとって初めて降り立つ青ヶ島の生活が始まりました。
ホームステイを受け入れてくれたお宅にお邪魔し、
慣れない土地での生活。

なんと青ヶ島に着いた翌日は、
青ヶ島小中学校のロードレース大会。
次女は前日夜に初めてコースを車で回って見ただけでの出場。
多くの島の人に応援されながらのロードレースだったようです。

※僕が青ヶ島で密かに好きな島唯一の商店「十一屋」に続く景色。ここを走っていたようです。

50時間以上も船で揺られ続けた次女さん。
母島では同学年7人中、1番でしたが、青ヶ島では3人いる中での最下位。
とても悔しがっていたそうです☆
レース後に先生の「満足できた人!」にひとりだけ手を挙げなかったそうです。

大人や先生から見ると、
ほぼコースも分からない、ぶっつけ本番で臨んだ割に、いいタイムだったと思うのですが、
本人は納得いかなかったようです(*^_^*)
いい経験ですね~

青ヶ島小学校から母島小学校へ次女の走る写真が送られてきました(*^_^*)
本当に有難いです☆

そんなこんなで青ヶ島生活のスタートを切りました。
青ヶ島が大好きな妻も、次女のチャレンジを応援するために敢えて2泊で島を離れました。

それから迎えに行く1ヶ月間、一切次女の声を聞くことはなく、
ホームステイ先から時々送ってもらえる写真やメッセージで様子を知る程度でした。

時々聞く様子からは、本当に貴重な体験を沢山してもらっているなぁと感じました。
母島に帰って来てから教えてもらったことですが、
実は親と離れて2晩くらいは寂しくて泣いていたそうです。

10歳で親元を離れてのチャレンジ。
ほんとよく頑張っていたのだなぁと思います。

そんな次女を暖かく受け入れてくれた
青ヶ島の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。


※尾山展望台から集落を望む。

■有難いことに、ホームステイでお世話になったファミリーに
沢山の青ヶ島の場所に連れて行ってもらったようです。
世界的にも貴重な2重カルデラが見える絶景の尾山展望台や大凸部。

地熱を利用したサウナや、

地熱を使って調理できるひんぎゃあ釜。

※僕も行ったときは肉まんとソーセージを蒸して、超おいしく頂きました♡

色んな観光スポットもですが、
何よりも青ヶ島の日常にお邪魔させてもらっている事が、
言葉にできない、何よりの経験だと思います。


保育園の先の道路の上を渡り廊下が橋渡す、すごく素敵な青ヶ島小中学校。
母島の小中学校より大きいですね(#^.^#)
すべての教室から海が見えて、とても気持ちのいい教室ばかりです♪


滞在の終盤には小学校の自然体験学習として、
島の方の案内で、幻の大杉に連れて行ってもらったそうです。

そこの御神木までの道のりは、
たどり着くまでの過程のすべてに、
青ヶ島が重ねてきた年月と培ってきた風土文化が眠っているそうです。

青ヶ島の焼酎「あおちゅう」の麹に使われるオオタニワタリの群生地を抜けて大杉に向かいます。

大杉に行くまでのプロセス、学習、姿勢にとても大事な意味があり、
ただ大杉を見に行くだけでは全然、意味がないと案内の方が言うほど神聖な場所に連れて行って、
学習させてもらった事、本当に有難いことです。

次女がひとり増えた事で、みんなが楽に手を繋いで大杉を取り囲むことができたと、喜んでいました♪
本当にありがとうございました!!


■次女が入って小学生6人、中学生5人の青ヶ島小中学校。
次女が着いてさっそく、みんな一緒に遊んでいたそうです。
たった11人の子どもの世界。
次女ひとりが増えることはとても色んな影響があったと思います。

その中で、みんなに暖かく迎えてもらった事は
私たちにとって、ずっと忘れられない宝物になっていると思います。
本当に感謝してもしきれません。

1ヶ月後にお迎えとして初めて僕も青ヶ島にお邪魔した訳ですが、
道行く人、出逢う人みんなからその暖かい気持ちを感じました♪

「もう、あんたとお子さん、ずっと島にいることになってるから(笑)」
と何度声をかけてもらったことか(笑)。
嬉しい限りです(*^_^*)

※青ヶ島には色んな所に神社があり、祀られています。

僕は次女のお迎えで2泊するつもりでしたが、
熾烈(しれつ)なヘリのチケット争いで手に入れたのは、
たった1泊の滞在(行きと帰りの両方のチケットを取れないと成り立たない)でした。

しかし、そのたった1泊でも溢れんばかりの島の人の愛を沢山感じることができました(*^_^*)
次女はなんて素晴らしい時間を過ごさせてもらったのだろうと思います。

次女を送るときに同行し、青ヶ島に2泊した妻から、
青ヶ島の学校の先生方の熱意や素晴らしい姿勢を聞いていたので、
僕自身、この初めての青ヶ島訪問をとても楽しみにしていました。


■生まれて初めて親元から離れた1ヶ月を過ごした次女。
1ヶ月ぶりの再会は招待を頂いた小学校の5時間目。
次女のお別れ会の授業でした。
会ってすぐに彼女の成長が分かりました♪

濃密な日々を過ごしたのが伝わってきます。

その③に続く→

次女の大チャレンジ!!(青ヶ島滞在記①)

2020年02月26日 | 青ヶ島 滞在記
■2月中旬。ここは伊豆諸島の最南端の島、青ヶ島。
世界でも珍しい二重カルデラ地形の島です。

島の唯一の空路でもある、ヘリポートの上で愛らんどシャトルというヘリコプターに乗っています。
離陸しました。
さっきまで確実に地球の重力にいたことを体感できる浮遊感。

僕の隣には溢れる涙を堪えきれずに大泣きしている次女がいます。
その窓の向こうにはお世話になった青ヶ島のすべての子供たち。
暖かい笑顔で手を振る青ヶ島の人達が見えます。

さっきまでのお別れ会ではさっぱりとしていて、
涙一つ見せなかった小学4年生の次女。

親からみて、意外とドライなんだなぁ、
まあそれが次女らしいかと思っていたのが嘘のように、
ヘリのプロペラの轟音にかき消されながら八丈島に渡る約20分間、
彼女はずっと泣き続けていました。

八丈空港に降り立って、
「青ヶ島に帰りたい…」
そう言ってまた大泣きする次女を見て、僕も目頭が熱くなります。

人生において、出逢いというかけがえのない宝物を頂けたんだなと思いました。
心から青ヶ島の皆さんに感謝します。


■小学4年生の次女は1月中旬から2月中旬にかけて、
伊豆諸島の青ヶ島にお邪魔させてもらいました。
人口450人の母島から、人口170人の青ヶ島へ。

10歳で親元を離れて、1ヶ月間違う土地で生活し、学校に通う。
彼女がそれにチャレンジすることを決めて、早急に準備を進めました。

人見知り、場所見知りをする次女にとって、もの凄い挑戦だと思います。
そして青ヶ島にとって他の島の子どもが1か月滞在し、
学校に通うということは前代未聞のことだったようで、
本当に多くの方々に事前の調整をお願いすることになりました。
慣れない手続きで本当に大変だったと思います。
快く対応してくれて、本当に有難かったです。

そして、10歳の子どもを1か月間もホームステイを受け入れてくれるファミリーがあって、
受け入れてくれる青ヶ島の学校、地域、役場の皆さんの協力があって初めて実現したものでした。

事前に下見というか、2年前に妻が1週間お邪魔し、
青ヶ島を知り、とても気に入ったのも、
このチャレンジを実現するのに大きな意味をもたらしました。

青ヶ島の小学校の最後の授業、お別れ会で、
ヘリポートでみんなが歌ってくれた青ヶ島の見送りの歌「旅ゆく君へ」。

その傍らで僕は聞いていると、みんなが本当に大事に次女に接してくれていて、
本当に愛されていたのだなぁとひしひしと伝わってきました。

それが本当に有り難くて、僕自身も涙を堪えることはできませんでした。
母島に帰ってきた今も、この曲を聴くと、涙が溢れてきます。
あの時の情景が浮かんできてしまいます。
本当にありがとうございます♪


■遡る事、今から1ヶ月前、
1月中旬のおがさわら丸が3週間のドック入りするタイミングで妻と次女が母島を発ち、
青ヶ島に向かいました。

海が時化る冬の大海原。
おがさわら丸はなんと3時間遅れになるほどの大荒れでした。

青ヶ島に渡るには、一度八丈島に渡る必要があります。

しかし、竹芝桟橋から八丈島に向かう橘丸はなんと
2晩連続で条件付き運行(船は運航するが、港に接岸できずに折り返す可能性がある運行)でした。

簡単に渡れる空路ではなく(チケットは争奪戦ですがw)、
敢えて大海原を船で渡って青ヶ島の遠さを知って欲しいという願いから、
妻は海の道にこだわりました。

しかし、冬の海は困難を極め、2晩とも橘丸は八丈島に接岸できず、
残念ながら竹芝桟橋に戻ってしまいました。

3時間もかかったははじま丸、27時間の大揺れのおがさわら丸、2晩続けて乗り続けた橘丸。
次女と妻が乗った船旅はなんと60時間を超えるまでになってしまいました((+_+))

このまま頑張ることもできたのですが、
電話で聞こえる声からは母子共に疲労困憊は否めませんでした。

僕は母島から羽田→八丈島のフライトを勧め、
最後は空の便を使いました。

あれだけ困難を極めた八丈入りですが、
拍子抜けするほど無事にあっという間に八丈島にたどり着きました(笑)。

八丈島にたどり着いて、友人の家から送られてきた妻と次女の写真は、
とてもリラックスした顔で、心底ホッとしたのを覚えています。


■揺れることのない八丈島で1泊、骨を休め、いよいよ翌日は青ヶ島です。
八丈島→青ヶ島もできる限り船で渡りたい!
そう願う妻の想いが伝わったのか、
1週間欠航を続けていたあおがしま丸は、翌日運行する事ができました。

次女にとっての初めてのあおがしま丸は、
意外にもははじま丸と同じ顔ぶれの船員さんたちがいました(笑)。

そう、ははじま丸と同じ伊豆諸島開発(株)が運行しているのです。
船員さんたちが「クジラでも見に来たの?」と声をかけてくれたそうです。

そんな報告も、どこか僕をホッとさせてくれました。

まずは辿り着くだけでもこんなに困難を極めました。

航空路こそありませんが、
年間の就航率が90%を超える小笠原の航路に比べて、
青ヶ島のあおがしま丸の就航率は50%。

海の悪い冬だと、週に1度接岸できればいい方だそうです。
小笠原は元々週に1度のアクセスですが、台風がない限りは欠航はありません。
青ヶ島はなかなか予定通りにいかない船と、チケットが取りにくいヘリのみのアクセスの島。
その点が、大きく違う部分と思います。

そんな青ヶ島で、一体どんな新生活が待っているのか?
これから次女は生活する舞台も変わり、
青ヶ島小学校生活がスタートします。

その②へ続く→

以心伝心

2020年02月16日 | 母島 日常 日記
■今年の冬はとても暑いです(笑)。
暖冬どころのはなしではありません。
今日だって25℃を越えて、汗ばむ陽気の2月です(笑)。
普段は、ぼくですら長袖を着る2月なのですが…


昨日、次の日の船で島を引き揚げる友人のお別れカヌー・ポヤージングでした。

よく一緒にカヌーを漕いでいて、これから外国にチャレンジしに行く彼女。
「最後にカヌー漕げるといいね~」
と話していたのですが、まあ毎週末の海の悪いこと(笑)。

予想に反して、出発の前の日に素敵な凪の日が現れました!(僕もおがさわら丸に乗る前の日!)
内地に行くので色々仕事をかかえていたのですが、
凪となったらカヌーを漕がないわけにはいきません(笑)。
忙しい予定の隙間を作り、カヌー部のみんなに声をかけたら、
丁度6人が揃い、ベルーガを出す事が出来ました♪

ザトウクジラが沢山いる冬の母島の海。

エンジンがないとはいえ、クジラになるべく影響がないように舵を取ります。
小笠原にはホエールウォッチングの自主ルールがあり、それに合わせてアプローチしています。

カヌーも漕ぎ続けるとくたびれるので、時々休憩をします。
冬の風のない海の上でプカプカ浮いていると、突然凄い音のクジラのブロウ(潮吹き)や、ブリーチ(ジャンプ)、
テイルスラップ(尾びれ叩き)が近くで見れることがあります。
気が付くと周囲をクジラが囲んでいることもしばしばです。

その大きさに「おお~~~っ!」と歓声が上がります。


カヌーは14mあると言っても、クジラからすれば小さなもので、
クジラに簡単にひっくり返されたり、壊される危険もはらんでいるので、とても緊張します。

メイティング・ポットと呼ばれる、交尾集団のときは、
向こうは興奮して大暴れしているので、とても怖いです。

大自然の海にお邪魔している気持ちを忘れずに、接していきたいものです。

カヌーを停めてぷかぷかしていたら、突然海の下に白い大きなヒレが見えます。
慌ててカメラを海に突っ込んで撮ってみたら、可愛い子供連れの親子が写っていました。

ベタ凪の海の上で、周りにクジラの気配を感じて、ぼーっとしている空気感。
エンジンもないので、ひたすら波の音とクジラの気配のみ。
これは動画にも写真にも表現できないのですが、
本当に気持ちのいい時間なのです♪

島を離れる彼女にとっても最高のギフトになりました。
この幸せなひと時をずっと忘れずにいて欲しいものです(#^.^#)

クジラさん、ありがとう。
海と自然、ありがとう。
ベタ凪をありがとう。
一緒に漕いでくれる仲間ありがとう。
それを支えてくれる家族、ありがとう。

■そして2/14はバレンタインデー。
今年は母島で僕ひとり。
長女はカナダの高校。
妻は内地よりずっと遠く(笑)。
次女は親元離れて、プチ転校のチャレンジ。

なんてバラバラな家族なのでしょう(#^.^#)

そんな中、内地からの郵便でチョコが届きました。

妻からの信玄餅チョコ♡

ひとり暮らしの圧倒的な気楽さと、自由さに少し飽きてきて、
寂しくなっている僕にとってはとても心温まるギフトでした☆

母島には飲める仲間も友達も、
一緒にバンドできるメンバーもいますが、
やはり家族がいるといないは、こんなにも景色の彩りが違うのだなぁと思いました。

離れた事で気付く、有難み。
これはきっと、みんな以心伝心なのではないでしょうか。

裏南京に咲くハマウドの花を眺めながら、
ふとそんなことも考えたりします。

これから僕は船に乗り、1週間ばかし、内地で色々と活動します。
初めて行く島も幾つかあり、
色んな事を体験し、学んで来れればと思います。

1月に亡くなったヤギの「なつ」のお墓の横に彼女が着けていた首輪がかかっています。

今頃、どんな気持ちで見守ってくれているかな?
これとも、もう生まれ変わっているのかな?

世界を少しずつ平和にする方法

2020年02月09日 | 大切にしていること
■2月8日、帰宅したのが22時過ぎ。
ようやく、先ほど入港の郵便&宅急便配達が終わりました。

さすが3週間のドッグ明け、怒涛のような物量でした(笑)。

そこに追い打ちをかける様に横殴りの雨と強風。
屋外の小さな屋根しかない母島の仕分け場ではこんな時、
荷物が濡れてしまう場合があります。

届ける時に、精一杯謝るのですが、
島のみんなは
「こんな天気で遅くまで、お疲れ様!大丈夫だよ!」
と暖かく声をかけてくれて、凄く励まされます♪


■そして、台風21号で屋根が吹き飛んだ、郵便の仕分け所。
ここはまったく復旧していません。

そんなところを使えるわけもなく、
現在は郵便局の狭い窓口前でなんとか仕分けしています。

しかし、ドック明けの
いつもの3倍以上の郵便を仕分けるのは途方もない状況でした。

そんな中でも、夜の9時半過ぎての配達になってしまいましたが、
そこでも温かい労いの声を頂きます。

本当に有難いです。
人はこうやって支え合って、
平和が維持できるんだなと思いました。

内地でも外国でも、チェーン店でも何でも、
人の為に動いている人に、
お互いに、
そっと労いの言葉をかける。
これだけでも、世界は平和にもっと近づく気がします。

そんな事を考える事が出来た久々の入港日の夜でした♪
さすが天国の母島(笑)。
みんなありがとうございます(*^_^*)


先週の母島沖港は何ともいえない美しい凪の景色でした。夜の帳が迫る海に、道しるべとなる灯台の明かり。
ああ、ここが好きだなぁと素直に思える景色でした(*^_^*)


■そんな事を思っていたら、2年前に行ったカナダ帰りのことを思い出しました。
カナダの市街地でものすごく色んな人に優しくしてもらって帰国しました。

すると、日本ではどこもかしこも余裕のない顔ばかり。
電車はみんなスマホで活き活きとした顔をなかなか見れないし、
空港から乗ったバスの荷物を運ぶ人もイライラしています。

カナダとは何が違うのか?と考えていました。

そして、長女と「すき家」に入ったのです。(長女がすき家が大好きなんです♪)
そこで、いい事を思いついたのです!

店内は数人のお客さん。
店員さんは2名の中国人かな?

みんな食べた後はぶっきらぼうにレジでお金を払って出ていきます。
これは都会じゃ普通の光景ですね。

僕は長女に話します。
「見て、お客さんのオーダーを取ってるとき、
もう厨房では画面を見てその注文の品物を作り始めてる。

ファーストフードって、添加物とか薄利多売で低賃金労働とか色々問題はあるけど、
このシステムを作ったのは凄い発明だと思うし、
何よりたった二人でこれだけ美味しい料理を一瞬で用意するって、凄いことだよね?
しかも、二人は恐らく日本人じゃない。
慣れない国と文化と言葉の中で、こうやって頑張ってる人にうちらは何ができるだろうか?」

長女は
「そうだよね!これは凄いことだよね!!
 私、お勘定の時に、『ご馳走様でした!美味しかったです♡ありがとう♪』って言うことにするよ!
 みんな、ご馳走様も言わないんだね。あんなに頑張ってるのに。
 それじゃあ、働いていても楽しくないよね!」
と言いました。さすが愛と真心の娘です(笑)。

そして、お会計の時に僕らはそれを実行に移しました。
最初は店員さんもびっくりしていましたが、
嬉しそうな笑顔で「ありがとうございました♪」と言い返してくれました♡

それから、コンビニに入った時に「いらっしゃいませ、こんにちは。」と義務的に言ってくる店員さんに、
「こんにちは~!」と返事を返すようにして、
お買い物の会計時にはこちらも「ありがとう♪」と意識的に言うようにしました。

最初は面食らう様ですが、やっぱり嬉しそうにしている場面も多い印象です♪


■先日の怒涛の入港配達の時もそうなのですが、
相手の笑顔や労いの言葉、挨拶でこんなにも人の気持ちは豊かになれるのです。

お客様は神様、お客もやってもらって当たり前。
これじゃあ、社会はどんどん窮屈になると思うのです。

どんな時もお互い様と謙虚な気持ちを忘れずに、
お客としてもお金ではなく、もてなしてくれてありがとうと伝える。

些細な事ですが、
この小さな行動から世界は平和にちょっとだけ近づいていく気がしたのです。

こんな些細な事ですが、
これを日本のみんながやったら、
余裕がなさそうに働いている人も、
とても辛い作業をしている人も、
みんな少しだけ幸せを感じれる気がするのです。
忙しい日常に彩りが加わる気がするのです。

役所だって、学校でだって、
病院でだって、どこでだって、
感謝の気持ちを持って言葉にするだけ。
とても簡単です(*^_^*)

島の生活では当たり前にみんな挨拶するのですが、
内地に行ったときにもこんなチャレンジをしてみると、
世界は確実に平和に近づくと思うのです♪

あなたもぜひやってみませんか?
お勧めですよ~

魔法の言葉「ちょうどいい」

2020年02月04日 | 大切にしていること
■世の中には言霊という言葉があります。
言葉そのものが大きな力を持っているという意味と僕は捉えています。

去年の10月に出会った場活堂でのワークショップで、
どんな時でも「それはちょうどいい!」の一言から次につなぐという場面がありました。

普通なら「どうしよう」「困った」「やめようか」なんて言ってしまいそうな状況の中、
「それはちょうどいい!」と言えることがどんなに前に進める起死回生のアクションである事か!!

どんなピンチの時でも、それをチャンスに変えることのできる、
素晴らしい言葉だと思いました(*^_^*)

「それは有難い!」にも置き換えれる「ちょうどいい」は、
遥か13年前にも出逢っていたのです。

■これはうちのトイレに貼ってある「丁度よい」という詩です。
「丁度よい」良寛

お前はお前でちょうどよい。

顔も体も名前も姓も、
お前にそれは丁度よい。

貧も富も親も子も息子の嫁もその孫も、
それはお前に丁度よい。

幸も不幸も喜びも、
悲しみさえも丁度よい。

歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない、
お前にとって丁度よい。

地獄へいこうと極楽へいこうと
いったところが丁度よい。

うぬぼれる要もなく卑下する要もなく
上もなければ下もない
死ぬ日月さえも丁度よい。
お前はお前で丁度よい。


僕はこの詩に信州高遠にある自給自足のフリースクール「フリーキッズヴィレッジ」で出逢いました。
ちょうどそこでもトイレに貼ってあった気がします。
その7年後、長女はそこに山村留学したわけですが(笑)。

これは作者が良寛さんとなっていますが、
石川県野々市町の真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路(みつじ)さんが、
月に一度発行する寺報「法友」の82年2月号に掲載されたものでした。
最初の題は「仏様のことば(丁度よい)」。
「仏様の声が頭の中に聞こえてきたので、そのまま書き取りました」という
ことのようです。

中々、当時の僕の心にも響きまくったのを覚えています。
これが長い月日を経て、具現化した感じです。
今は口癖のように色んな場面で「それは丁度いい!」は使わせてもらっています。


■人が生きてく上で、色んな困難があります。
僕なんて、それこそ色々アクティヴに動いていますが、
基本的にはやりたい事しかやっていません。

自分自身でもよく自覚しているつもりですが、
本当に意思は弱くて、やりたい事以外はよっぽど追い込まれないとやらないタチです(笑)。

そこを無理に心を奮い立たせて、
ストイックにやれるのが本当にすごい人と思うのですが、
僕の場合は修行僧の様に頑張るよりも、
その状況を楽しめるようにもっていくのが、
好きなやり方の様です。

そんな僕にこの「丁度いい」は魔法の言葉なのです。



■先日、都道最南端の南崎ロータリーから北港までの約14キロを
みんなで走る&歩くという素敵な企画に参加させてもらいました♪

もお、こういうお馬鹿な企画は大好きです♡

アップダウンの激しい母島のロードをみんなが走る&歩く!!

最速はなんと1時間20分で到着!

膝を痛めていた僕は歩きで参加し、
2時間55分で辿り着きました♪


朝から帰りの為の車を配置したり、
途中には水分補給のステーションを準備してくれたり(そこに書いてある一言が面白いw)、
打ち上げでは全員に素敵な賞状を用意してくれたり、

とても素敵な愛のある運営の皆さんのお蔭での大成功でした(#^.^#)

先に着いて2時間も寒い北風の中、待ってくれてありがとうございました☆

一度も止まらず、歩かず、ずっと走って、
しかも北港に着いてからさらに折り返して走って戻る猛者もいて、めちゃくちゃ感動しました!

膝を痛めているけど、
みんなでワイワイ歩いて北港まで歩けたのは、ほんと丁度良かった♪
どうもありがとうございました!!


■先日、あまりに星が綺麗だったので、旧ヘリポートに行って、
星を撮ってみました。
星があり過ぎて、どれが星座か分かりにくいという(笑)。
オリオン座、分かりますか?

14kmの都道最南端のラン&ウォークに参加して、
改めて母島に暮らせることの有難みを再確認しました♪

現在、
家族が遠くはカナダ、
飛騨高山、島など
みんな面白いほどバラバラで(笑)、
あっと言う間に2週間が経ち、
そろそろ少し寂しくなってきました(*^_^*)

最初は圧倒的な自由感で嬉しいもんだったんだけどなぁ~(笑)

季節の行事を大事にする妻がいないと、
節分ですらスルーしてしまい、
その有難みを噛みしめています(*^_^*)
ホントにいつも有難う♪

みんなそれぞれで頑張っているので、
俺も頑張ろうと思います!