小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

未曽有の大被害!!非常に強い台風21号通過後 母島

2019年10月25日 | 母島 日常 日記
■小笠原に未曽有の被害を及ぼした、今回の台風21号。
小笠原に移住して17年。

ここまで甚大な被害を及ぼした台風は初めてでした。

写真はスナックとして親しまれていた「みち草」の屋根が飛んだものです。

台風のもの凄い力をまざまざと見せつけられました。


島の人々は言います。「これは昭和58年台風17号(1983年)以来の被害だ!!」と。
そう、島の先輩たちが忘れもしない大被害を起こした伝説の台風です。
ここまで直撃したのも3年振りだったと思います。


近くの車は飛んできた破片で窓ガラスが割れてしまっています。

我が家は停電こそ2日間したものの、
家自体は無事だったので、この2日間はボランティアで集落の復旧作業に追われました。

2日間、ずっとチェインソーと怪力仕事の連続だったので、ヘロヘロです(笑)。
しかし、住んでいる家の屋根を失っている人もいるほどなので、
文句などいう気になれません。

そんな中でも大きなけが人や人命にかかわる事がなかった事が幸いです。

母島島民の記録として、これからの災害認定の材料として、この記事を書こうと思いました。
そのくらい母島の被害は発信しないと伝わらないと思いました。
被害のたった一部ですが、自然の力の壮絶さが伝わると思います。

色々停電で連絡がつかない中、心配して下さった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
無事です!!


■台風最接近の10月24日朝7:00
非常に強い台風21号ブアローイは小笠原最接近時は950hPaでした。
10月24日の朝から強風が吹き荒れました。
父島では52.7m/sの強風を記録しました。

友人から頂いた経路図によると、母島は直撃、父島はわずかに西にそれているんですね。

どちらも暴風圏には入っていますが、母島の被害の大きさを見ると、このわずかな差が大きかったのかも知れません。
19号から2週間後というのもあるかもですね。

動画は朝7時前に自宅の窓から撮影しました。

凄まじい暴風雨でこのあと台風の中心に近づくにつれて、撮影はできない状況となりました。
雨戸を閉めて、じっと耐えます。

まだ停電はしていないとFacebookに投稿した直後、母島全域が停電となりました。
その後、翌日の午後まで停電は続きました。

そとでは轟音が続いています。
閉めた雨戸や家の壁に色んなものが飛んで当たっているのが分かります。

友人から「雨戸を閉めていて、その内側の窓ガラスが割れた!!」と電話が入り、
慌てずに状況を見極めて、お話ししました。

雨戸を閉めて、窓も閉めるとその間の空間が、
台風の気圧の変化に追い付かず、窓ガラスを割ることがあるからです。

案の定、台風接近時は耳がトンネルに入ったように、気圧の変化で痛かったです。


■台風の目に突入 8:30
さっきまでの風がピタッとやみました。
雨戸をあけて外を見ると、空が明るくなっていました。

台風の眼です。

サイズと速度から見て1時間弱程度は収まっていると感じました。

外に出て、唖然としました。
都住のガス庫の屋根がはがれていました。

このトタンは石膏の様なモノでできていたので、塊では飛ばず、バラバラだったのが幸いしました。

外はみんな停電でクーラーが使えず、周囲を確認する人がチラホラ。
この段階で、集落は幾つかの被害が確認できました。

診療所の車庫の屋根も飛んで落ちています。
どこにも当たらなかったのが、幸いでした。


網の門は壊れ、中の柑橘の木も倒れています。


子供達の通学路である「B線」は倒木だらけでした。


B線横に植えられたタコの木は校庭側に落ちてしまっていました!!


診療所は停電の為、自家発電の機械が稼働していました。さすがです。
役場や支庁出張所など重要なインフラは自家発電施設を併設しています。


様々な備蓄が蓄えられている防災倉庫。
これにお世話になるかもしれません。

台風の目のうちに、さっと自宅の飛びそうなトタンをロープで抑え、
車に乗って、一気に畑に行きました。
ヤギと鶏、家畜の餌やりと様子を見に行く為とチェインソーを持って来る為でした。

あとの通過後に書きますが、ここでも集落の様々な損害を目の当たりにしました。
しかし、これはまだ序の口でした。


道は様々な木が倒れています。

無事、畑のほとんどの木が倒れているのをさっと見て、家畜に餌をあげていたら、
にわかに風が強くなってきました。

台風の眼の終りを感じました。
急いで帰宅します。

帰り道もモノが散乱しています。


■強烈な吹き返し 9:30~
この瞬間から音がまるで変わりました。
色んなものが飛び交っています。

しかし、家の中ではまた別の異様な光景が(笑)。

そう、次女がトランプやUNO、将棋をやり終えて、ついにペーパークラフトを出してきました。
なんと島の暮らしを支える共勝丸のものです。

これを今やらずにいつやるのか!?と言わんばかりです(笑)。


この時もそうですが、今回の台風の停電でとても役に立ったのが、
手回し発電機能付きのLEDライトでした。
ラジオもソーラーもUSB充電機能も付いている優れもの。

去年の大々的に行われた防災訓練をきっかけに買った防災ツールのひとつでした♪


次女と二人で一生懸命に作り、
気付けばもうお昼になっていました(笑)。

ジャジャーン!!

これは初心者向けバージョンで、さらに上級向けにも挑戦し始めていたのですが、
外が暴風圏を過ぎて、落ち着いてきていたので、困っている所はないか周る事にしました。

とにかく吹き返しはもの凄い風でした。


■台風通過後の惨状 13:00~
台風通過後の集落の惨状は言葉を失うほどでした。

島の一番古い民間アパートの屋根が飛んでいました。
あまりの惨状に言葉を失いました。


すっかり屋根の張りが見えてしまうほどです。


ここには友人がたくさん住んでいるので、様子を見に行きました。


なるほど、玄関の上部分は綺麗に飛んでいます。


室内もガラスが散乱し、部屋によっては雨戸ごと飛んで無くなっている部屋もありました。

避難所に避難していたものの、このあとどうしたらいいのか唖然としている状態でした。
ひとまず、できる限りのフォローをして、
僕は独居の高齢者の所を周りました。

最終的にはこのアパートは台風通過の翌日にはブルーシートの屋根になっていました。


閉めた雨戸を開けたり、話をしたり聞いたり、入り口の倒木をチェインソーで切ったりどかしたり。


集落の商店の倉庫も倒れてしまっていました。
言葉になりません。

どれだけの損害になるのでしょう。
これは立派な被災です。
どうか、様々な制度で保障されることを願うばかりです。

もうすでに多くの人や業者さんが作業に当たっていました。

僕は業者さんが手の届かない所などをチェインソーで切ったりなど、
復旧作業を続けました。


場所によってはミラーが飛んでいたりします。



人に当たったりしなくて本当に良かったです。


駐輪場も壁がめくれてしまったり、


トレーラーハウスの屋根がはがれてしまったり。
何から手をつければいいか分からないほどでした。


川には沢山の部材が落ちて、小舟まで落ちていました。


消防車庫も天井と壁部分が吹き飛んでいました。

横から丸見えです。

以前の台風で壊れて更新したばかりのシャッターは無事でした。


りっぱな菩提樹の木が倒れてしまいました。


物置類も壊れています。

これはもう人が立ち入れないレベルです。


畑のバナナはまさにドミノ倒し状態でした。


村民会館も幾つかガラスが割れてしまい、

園庭にもこんな張り紙が。

とにかく、今回は川沿いの被害が酷かったようです。
大谷から吹き上げる風が尋常ではなかったのでしょう。

集落の目途が少し経ったので脇浜のカヌーの様子を見に行きました。
すると、凄まじい光景が…

強風で休憩所が吹き飛び、残る2つもグラグラ揺れています。
危険なので、遠目で見るだけにしました。

またカヌーも養生で縛っていたのですが、風でずれてしまい、横の杭にぶつかって、
僅かに亀裂が入ってしまいました。

村にこれだけの損害をもたらした中、補修してなんとかなりそうな亀裂で済んだのは不幸中の幸いだったかもしれませんが、
もっとできたこともあったと思うので、今後の課題となりました。


今回の台風21号はなんとっ屈強な養生中の漁船ですら何隻か傾かせました。
船体も何隻か傷んでしまったそうです。


■今回の台風21号はとにかく小笠原直撃コースで、あっという間に過ぎ去っていきました。
しかし、それがもたらす被害は20年に1度の規模と言われています。

出来る限りに備えて、養生していても、雨戸や屋根が飛ぶのを目の当たりにすると、
やはり自然の力の強大さを感じられずにはいられません。

停電のお蔭で私達の住むエリアは水も止まってしまいました。

普段からあまり家電のない暮らしなので、電気自体はさほど困らなかったのですが、
水にはやはり不便さを感じました。
しかし、屋根が飛んだ家の事を思うと、なんてことはない問題だと思いました。

また、電気は停電の翌日夜にはほとんどが復旧しました。
[復旧時刻 農協周辺24日24時頃  他商店、新都住付近:25日昼過ぎ 旧都住、脇浜15時過ぎ  学校より奥エリア 19時]  

これは本当に有難いことです。
夜通し復旧作業をしてくれた東電の皆さんに感謝です。

電気が通った時、どんなに有難いと思った事か。
他にも当たり前の大事さに沢山気付かされるきっかけとなりました。

避難所を開設し、水の管理、さらに充電場所なども作ってくれた役場、
すぐに道路を通れるようにしてくれた行政や土建、農業者の皆さん、
自身が被災しているのにゴミ回収や商店の営業など、人の為に動く皆さん、
その他ほんとうに多くの人々のお蔭で、
もの凄い台風被害のあとでも、一筋の“島の逞しさ”というものを垣間見させてもらった気がします。


停電の最中、保護されたクロアジサシ。
強風とびしょ濡れで飛べないでいました。

電話が通じなくとも、電気が来なくても、
困った野生動物を助けようとする人の優しさに救われました。

翌日の昼に浜に行ったら元気に飛んでくれて、
何故かこちらがすごく力を頂きました☆




番外編として、台風養生の帰りに見た台風接近前の夕陽はあまりに美しかった事、
台風で全戸停電していた母島の夜は、真っ暗で星が美しく、とても静かな夜でした。

これからも復旧をしていきますが、
1日も早く、被災した皆さんが普通の安心した日常をおくれますよう、復旧を祈ります!!


母島、念願の初キッズカヌー大会開催!!

2019年10月19日 | アウトリガーカヌー
■今日はここ数年、ずっと実施したかった母島キッズカヌー大会を開催できました♪
荒天や台風で延期し続けて3度目の正直での無事の開催!!
ほんと正直に嬉しいです♡

母島のキッズカヌーは母島のサッカークラブ、「FCフォルサ母島」がカヌー部門として今年の春にできました。
名前はフォルサ ヴァア チーム。
代表のかんさんには、日々色んな事を学ばせてもらってます。
ほんと感謝です!!

「ヴァア(Va'a)」とはタヒチの言葉でカヌーの事を言います。
 ※ハワイ語ではワァ (wa'a) 、マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka)

事の発端は、3年前の母島のカノー大会に遡ります。
僕も所属していますが、母島のカノー倶楽部で毎年カヌー大会を開催しています。

3年前、母島の小学1年生がなんとステア(舵取り)で出場し、
とても見事なステアリングを魅せてくれたのです。

小学1年生の小さな体で見事な舵取りを見せつけられ、
ダイヤの原石を見た気がしました。

これは、もっとちゃんと島の子ども達にカヌーに触れ合える場を作らなければ!
と痛烈に思わされる出来事でした。

そこからキッズクラスを作る事とキッズ大会を行うことが目標となりました。


■Dukeさんと漕いでも、父島母島横断で漕いでも、
僕自身のパドリングもステアもまだまだ課題だらけと思っています。

そんな僕が子供に指導してもいいのか?という疑問もありますが、
子供達と一緒にカヌーに触れ合い、共に向上させていければいいかと思うようになりました。

子供達に伝えていきたい事は技術以外にも沢山あるのです。

・石器時代に小笠原にあったカヌー
・江戸時代にハワイから伝わって今に至る
・日本で一番最初にアウトリガーカヌーが伝わった小笠原
・カヌーを漕ぐ気持ち良さ
・みんなで呼吸を揃えること
・違う価値観のメンバーと合わせること
・海とみんなで触れ合える機会
などなどです。


■今回は初開催ということもあり、色々事前にスタッフ内でも様々な試行錯誤がありました。
一番はメンバーの決め方です。

仲間外れは作りたくないし、
バランスも良くしていきたい。
想定外のメンバーと組んで、色んな事に気付いてほしい。
これには一番悩まされました。

結局はくじを使ってメンバーを決めました。

総勢21名の9歳から15歳の多様な子供達。

最初に身長順に並んでもらい、そこからステアの出来る人間をチョイス。
そのステアマンがくじで自分と異なる体格の二人を決める方式を取りました。

小学4年生~中学生までのフォルサ・ヴァアチーム。
さらに丁度父島、内地からも小学生が数名参加。
実に多様なチームが出来上がりました♪

その中でベストを尽くして頑張っていたと思います。

力持ちが一人いるよりも、
息を合わせて漕げた方が速いのがカヌーの醍醐味です。

子供達はそれぞれ即興のチームで色んな学びがあったと思います。
個人で好きに組んで出場するのはカノー部主催のカヌー大会でやって、
キッズではもっと色んな部分をは何でほしいと思い、くじで組むことに決めました。

色んな力や考え、がいるメンバーの中で、
自分がどう工夫すればみんなの息が揃うか。

意外な発見があったり、納得いかない事もあったり、嬉しかったり、哀しかったり、悔しかったり。
それらすべてが子供にとっても、大人にとっても学びだと思います。



■今回の頑張った子供たちへの賞品は、トロフィーや賞状ではなく、アイスにしました(*^_^*)
1位はハーゲンダッツ
2位はクーリッシュ
3位はガリガリくん
他は参加賞として一口アイスでした(笑)!

ハーゲンダッツを告知した時の子ども達の歓声は忘れられません(*^_^*)

結局、多くの子ども達は楽しんでカヌーに親しむことが出来たと思います。
本当に良かった。

恐らく、母島で一番カヌーを漕いでいるうちの次女さんのいるチームは、
見事、優勝!!
すごいなぁ!頑張った!
カノー大会で混合2位を獲得しましたが、なんとキッズで優勝とは!!

生まれて初めて食べるハーゲンダッツは、とても美味しかったそうです♪

蓋は記念にとっておくそうです(笑)。

くじで決まったメンバーにもとても優しくしてもらえて、
凄く気持ち良かったようです♪
良かったね!

また一方ではメンバー内でうまくいかない場面も見られ、
子供達それぞれ、そして大人にとっても色んな学び、課題を見付けれるいいチャンスとなりました。

キッズカヌーは技術はもちろん、カヌーと親しむも大事ですが、
一番は精神性の成長を狙ってやっている気がします。

大人でも言えることですが、
違う価値観、違う人間と一緒に合わせて一つのカヌーを漕ぐという事の意味を知ってほしいのです。

そのカヌーは今漕いでいる船だけではありません。
島そのものであっても、
会社や学校、組織であっても、
地域や国であっても、
ひとつの地球であっても、
価値観や感覚の違う者同士が息を合わせようとすることの大事さを知ってほしいのです。

否定したり、排除したり、揚げ足を取ったりするのではなく、
一緒に気持ち良く漕ぐためにどうしたらいいかを考える、感じる、学ぶ。

父島の尊敬する友人が言ったのですが、
「とにかく一緒にカヌーで漕ぎ続けること。
 何度も不満が出たり、文句や、やる気を失うこともあるだろう。
 でもみんなでカヌーを進めなければはじまらない。
 その時、どうしたらみんなでちゃんと前に進めるかを考える。
 次第に呼吸が揃っていくだろう。
 何かを画策するよりも、何かを意見するよりも、
 ひたすらみんなでカヌーを漕ぎ続ければいいと思う。
 2人乗りのカヤックですら、普通にペア同志ぶつかることがある。
 より大人数のカヌーはもっと大変だと思う。
 でも、カヌーの面白さは、やはりそこにあると思う」

僕はまさにそこの部分を子供たちに伝えたいと思っている気がするのです。
だから、カヌー漕ぎ続けると思うのです。
そして、子供たちとも。

■運営も今回初めての試みで不慣れや、至らない点もあったかと思いますが、
子供達に怪我人を出すこともなく、無事に初のキッズカヌー大会を終える事が出来て本当に良かったです。

沢山の反省もありますが、まずは大成功に終わったと思います。

保護者の皆様、参加してくれた子供達、一緒に運営してくれたスタッフの皆さんに感謝です!
最初と最後にカヌーを運ぶのに手伝ってくれた島の皆さんにも感謝です!
今日はどうもありがとうございました!!

今年のキッズカヌーはこれでおしまいになりますが、
また来春から始めれればと思います。
どうもありがとうございました☆

表彰式のタイミング、後ろを通り過ぎる共勝丸。
この写真は今日の朝の共勝丸入港の写真でした♪

小笠原母島 台風19号(ハギビス)の爪痕

2019年10月12日 | 母島 日常 日記
■10月10日~11日、今年最大規模の台風19号(ハキビス)が小笠原諸島を通過しました。
ここ3年、ことごとく台風が直撃してこなかった小笠原。
今回の台風19号は直撃せず、暴風圏がわずかにかすった程度でしたが、
もの凄い強風が島を襲いました。

島の再接近時の台風の勢力は915hPa。

中心から約400km離れていても、これだけ吹くのだから、
これが直撃だったらと思うと恐ろしくなります。

12日現在も強風の風鳴りが聞こえています。
10日の夕方の撮影した映像(最接近前の日没時)は、幾つかのTV局から映像提供の依頼がありました。

やはり、遠く離れている小笠原はなかなか来れないので、
少しでも台風本土上陸の備えに使ってもらえたらと思います。


■台風19号は強い勢力で今は伊豆諸島を暴風圏に包み、
これから本土上陸に進む予報です。

※気象庁のホームページより

小笠原接近時より勢力は衰えているとはいえ、風速40m/s以上の暴風圏が上陸の予定です。
充分に備えと養生をして、安全な場所に避難して下さい。

今回の台風19号は超大型でなんと南北で2000㎞にもなり、
Yahooニュースでは「地球史上最大級か?」と書かれていました。

AP通信によれば、「ハギビス」と呼ばれている19号は
大西洋上で発生するハリケーンの規模を示すカテゴリーでは最大級の「5」。
米国内の気象専門家からは「存在しない6に相当する」という意見もSNSなどで出始めている。

と書かれています。


※気象庁のホームページより
恐ろしいほどくっきりと見える、台風の目。

先日、伊豆諸島や千葉に甚大な被害を及ぼした、台風15号以上の台風上陸となります。
充分に気を付けて下さい!!

都道北進線は通行止めとなりました。
沢山の倒木があるようで、通過後の今もまだ開通には至っていません。

■台風19号通過後に色々パトロールに出かけました。

道路に散乱しているモノやゴミを片付け、倒木を切ったり、どかしたり。


道路は一面緑の絨毯です。


幹が30cm以上もある木が途中で折れていたりしました。

電線や電話線に折れた枝がぶら下がっている箇所も幾つもありました。

これはさすがに対応できないので、
管轄の部署に連絡し、対応してもらいます。

避難所の開設もそうですし、停電に備えての発電所の皆さん、
多くの人が台風被害に備えて構えてくれています。
私達がこうして自然の猛威に晒されても、
ほぼ不自由なく暮らせるのは、こうした人たちの努力があってこそです。
本当に感謝しなければなりません。

そして、できる限りは自分たちの周りのフォローをできればと思います。

本当に有難うございます!!

バナナはドミノ倒しの様に倒れています。


大きなココヤシが根元から倒れていたりしました。

恐ろしいですね。

鮫が先展望台は見事にシュロ葉の屋根が吹き飛んでいました。

周囲には残骸が散乱しています。


そもそも、島の国有林が森林生態系保護地域というものに制定されてから、
島のシュロ葺きの休憩所は一気に廃れてきていました。

そんな中でこの台風。

トドメを刺された様な気分です。

北進線のとある休憩所は根元がポッキリと折れていました。



■心配していた脇浜に置いてあるカヌーは無事でした。

養生しておいて良かった!

島のお店もしっかりと養生してあります。

シャッターの下の土嚢袋は強風でめくれるのを防ぐ役目があります。

島の漁船はすべてが陸に揚げられ、厳重に縛られています。

島の人間は漁師さんたちの養生具合を見て、自分たちの養生のレベルの参考にします。
今回は「厳重に」でした。

今回の台風19号はもの凄い大きさと勢力でしたが、
小笠原は直撃を免れたお蔭で大規模な建物の被害などはなく、母島は停電すらありませんでした(父島は少しあったらしい)。

最近は地球温暖化のせいか、島より内地の方が台風被害が多い気がしますが、
やはり亜熱帯で台風馴れしてはしているので、養生や備え、心構え、
当たり前に学校も仕事も休みになる土壌はとても意味があると思います。
(もちろん、それを支える役場や発電所、警察、消防の皆さんなどの存在はほんと有難いです!)

400㎞離れていても相当吹いたので、これが直撃だったら…と島のみんなが思ったと思います。
これからの本土上陸がとても心配です。
充分に備えと養生、そして非難を!!

■台風通過後の11日は大時化の海を見に行きました。

確認は安全に十分配慮し、
風当たりがましな場所、高波の当たらない場所を選んで撮影しました。


離れていても大きな海鳴りが聞こえて、風鳴りが轟いています。

普段の海とは全く別の姿がそこにありました。

こちらが普段の綺麗な前浜です。


それがここまで姿を変えてしまうのです。

自然の力はもの凄いです。

かすかに太陽が見えて、すこし嬉しかったです。

動画でも撮影してみました。

※絶対に台風接近時、通過後の大時化の時に防波堤など危険な場所には近づかないで下さい!
 撮影は波の届かない高い位置、風向きを読んで慎重に行いました。
 自主責任ですが、迷惑をかけるわけにはいきません。


■そして、言葉にならない畑の惨状です。

まずはただ今絶賛収穫期のローゼル。

そのほとんどが倒れていました。
台風接近直前の10日の段階で強風で倒れていました。
がっかりです。

枝の幹元で避ける様に割れている箇所も多くありました。

こういう個所は風が落ち着いたら縛って、樹形を元に戻します。
勢いは衰えますが、なんとか収穫は継続できます。

こちらは幹がボキッと折れています。

こういう個所は手の施しようがありません。

事前に主さのある実を収穫し、ある程度の剪定は行いましたが、
今回の台風はそれ以上の勢力でした。

まともに立っているローゼルは皆無でした(ToT)/~~~。

本来は内地からの予約の多くは13日便での発送を予定していました。
しかし、その船は欠航となり、台風の襲来。
これは予約を受けた通りに次便でちゃんと発送できるか微妙な所です。

一応、現段階での予約受付はストップとしました。
楽しみにしてくれていた方には申し訳ないのですが、
とても残念です。


毎日の食卓を飾るモロヘイヤもご覧のとおり。

さらにこれからは潮風による塩枯れですべての葉っぱが落ちると思います。
今年はとても調子が良かったので、とても残念です。

島オクラもすべての株が倒れました。

こちらはローゼルほど実を多く付けた状態ではないので、折れる事はありませんでした。

オクラもローゼルも木に粘りがあるので、倒れてもまた起こせばリカバリできる場合が多いです。
柔軟性の大切さを教わります♪

葉ローゼルのルビーローゼルも軒並み倒れています。

今年は摘芯をして樹高を抑えたので、さほど酷い倒れ方はしませんでした。

こちらの晩生品種のうちなーローゼル。

まだ実すら付けていないので、こちらも少し傾いた程度で済んでいます。

10/10からははじま丸は欠航。

農協売店もお休みです。↑密かに字が可愛い♡


■台風というものは私達人間が、自然界において本当にちっぽけな存在と思い知らされます。
多くの被害を産みだし、困ることも多いのですが、
必要なことだってあるのです。

島の山は冬の極寒の寒さがないので、いつまでも枝葉を青く伸ばし続けます。
台風はそれらの剪定とリセットの役目を持っています。

台風通過後は山が一気に枯れますが、その後見事に新緑に包まれます。
その光景を見にしたときに、ああ台風のお蔭なんだなと思い知らされるのです。

また、台風は島の水不足の解消にも役立っています。
この3年、まともに台風が来なかった小笠原。

お蔭でこの2年は年明けから渇水で苦労してきました。
ここにも台風の意味があったのです。

そして、海の潮で山にミネラルを戻すという役目も見逃せません。
雨で海に流れていく一方の山の栄養を、海から還元する役目もあると思うのです。

他にも荒れた海は海中に酸素や二酸化炭素を取り込んでくれます。

台風接近時は家の周りを片付けるので、整理整頓の意味合いも出てきます(笑)。
子供達に至っては学校が休みになり、家でゴロゴロできるので、楽しみでもあるほどです(*^_^*)

こういうときに自然に対する人の驕りにも気付かされたりしますね。

困ったことも多いですが、こうして必要な事も多いので、
時々は台風が来てほしいと思ってしまうのです。
ほどほどでいいのですが(笑)!!

本場ハワイのアウトリガーカヌー(ハワイ旅行記⑤)

2019年10月05日 | ハワイ研修(SHIP)
■この春に行ったハワイの記事です。
まだまだ書ききれていないうちに、どんどん次の日常が発生するので、永遠に追いつけないかもです(笑)。
もう半年も前のことなので、なんとか記憶を掘り起こしてます(*^_^*)

今回は本場ハワイで見てきたアウトリガーカヌーを紹介したいと思います。


まずハワイ島のコナ空港に到着し、一番初めに泊まったコナでの宿(キングカメハメハホテル)のすぐ脇に沢山のカヌーが並んでいました。

さすがハワイ。
数も壮絶ながら、絵になりますね~

青い空に白い砂浜とヤシ、そしてカヌー!!

小笠原とほぼ変わらない素材なのですが(笑)、
ハワイはやはり圧倒的にスケールが大きいです。

オアフ島ではなく、ハワイ島なので人の数は思ったよりも少なくて良かったです☆

日本では道路を運ぶ都合上、14mのカヌーは3つに分解できるものばかりですが、
広いハワイはみんな1発作りで繋がった大きなカヌーばかりでした。


ハワイ島のマウナケアを背景にカヌーを漕ぐ光景。
カヌーが普通に日常にある感じが嬉しかったです♪

カヌーの種類だけで言えば、父島の方が勝っている気はします(*^_^*)


■そしてコナでの練習風景!
コナでは朝晩に練習が行われていました♪

主に夕方は大人や学生が漕いでいました。
朝方は仕事前の大人でしょうか?
もの凄いスピードで何艇も沖に消えていきました。


こちらは夕方の学生の漕ぎの練習風景です。
始動する大人がヤク部分に座り、指導していました。

20分サイクルくらいで何度も遥か沖まで漕いで、
フリ(転覆)練習もしていました。


やはりみんな漕ぎが揃っていて、グングン進んでいくのが見ても分かります!


終わった後はみんなで台車に載せて、
元の場所に戻します。


今回、特に気になったのは双胴(ダブル・ハル)のカヌーです。

練習でも使われていましたが、12人で一気に漕ぐと信じられないスピードで、
水平線の彼方に消えていってしまいました(笑)。

ステアマンは右側の一番後ろの人一人に見えました。

ヒロの高校生とはカヌーを一緒に漕ごうと誘われてまでいたのですが、
残念なことに一緒に漕ぐ時間はありませんでした。
この部分は今でもちょっと後悔しています。

またいつかハワイで漕げる日を夢見ています(*^_^*)


■気になるリギングも色んな種類がありました。

こちらは母島のベルーガと同じような巻き方。
まるで神輿の様です☆


左側の立てに飛び出た気の部分に高く積んで結ぶ方法。
これは、その気に部分に負荷がかかり過ぎるのでお勧めしないとデュークさんに教わりました。


こちらはお手軽なガッチャベルトで留めるタイプ。
お手軽ですが、やはり沖でウネリで船体(ハル)と浮き部分(アマ)がねじれる時に綱でやったものよりも、
遊びが少なく、損傷を招く方法と教わりました。


■滞在のほとんどを過ごしたハワイ島の東海岸、ヒロにも沢山のカヌーが置かれていました♪


どれもバリバリの現役で、よく使われているのが分かりました。


木造のモノはフェンスと屋根で厳重に保管されていました。
しかし、バリバリに使われている感はありました!

こういう伝統的なものを守る人達も残っているのを感じれたのが嬉しかったです♡

ヒロで朝早くに出かけて男3人でカヌーについて語る朝は、
最高の朝日でした♪



■最初に泊まったキングカメハメハホテルには、なんと伝統のハワイコア材を利用して作った木製のカヌーが保管されていました!!


1番シートの前にある波がシートに入るのを防ぐ部分です。

今まさに漕いでいる母島のOC6・ベルーガと同じ形しているのが、震えるほど感動しました♪


アマ(浮き)部分。
この存在が洋上での素晴らしい安定感を生み出します。
現代のと違ってヤク(船本体と浮き部分を繋ぐ木)がまっすぐに近いですね。


波を割って進む船首部分です。
こちらもきちんと現代のモノと変わっていないことに感動を覚えます。


リグ(結び)部分も同様です。
何か古代と現代の繋がりをカヌーで感じているのが当たり前になってきました♡


みんなでグルグルと観察します。
カヌー好きの僕と一海は細かい所までつぶさに観察しました(笑)。

展示されていた絵です。

古い時代の木造の船ばかり。
その頃にもダブルハルのカヌーはあったようです。(ホクレア号もダブルハルです)

う~む、ダブルハル、セーリングのカヌーも含め、気になります。


これはキラウェア火山の事務所に飾られていたパドルです。
比較的丸い感じですね!


■最後に本場ハワイでカヌーを見て、やはり小笠原に伝わってきたルーツを再確認する事が出来ました。
そして、こんなにも日常的にカヌーが当たり前にある風景に感動しました。

それをみんなで目の当たりにして、色々な事に想いを馳せました。

小笠原の先史時代を今に伝えるのはカヌーを掘った石器です。
これらは伊豆諸島とマリアナ諸島のものが混ざって類似しているそうです。

そして一度、小笠原の人の暮らしは途絶えてしまいますが、
ポリネシアではきちんと続いていってます。

そして現代。
日本で最初にアウトリガーカヌーがハワイから伝わった小笠原に住んでいる私達。

今夜あるフラの祭典フラオハナが象徴するように、
ハワイ文化が現代の小笠原にも根付いています。

今そこに住んでいるという現実。


小笠原に住んで17年。
ルーツはサバニを漕ぐ文化の沖縄です。
出身は仙台。

長女は様々なご縁があり今はカナダの島で留学しています。
カナダにも別のタイプのカヌーがあります。

何故にこんなにも海に縁のあるものばかりなのでしょう?
不思議だけど必然を感じます。

そんなハワイと小笠原どころか太平洋の島々を感じるハワイのカヌー報告でした(*^_^*)


2019年 母島産ローゼル販売&予約開始!!

2019年10月02日 | ローゼル販売
■お待たせしました!
本日10月2日より母島産ローゼル予約開始します♪
明後日、4日~は母島農協にて店頭販売も開始予定です!
※台風19号の被害により、予約受付を一度締め切ります。

もちろん今年も無事に無農薬・無化学肥料栽培ができたローゼルです(*^_^*)

今年は涼しい印象で、
春以降の生育が悪く、不安でしたが9月に入ってメキメキと成長してくれました♪

去年は色んな背景があり不作の年となりました。
今年は比較的順調ですが、
一番の作付け時期に島を留守にしていて、若干2年前よりは収量が少なめの印象です。

そんな状況ですが、約一ヶ月間の超短期作物のローゼル。
旬のこの時期の限られた美しいフレッシュ(生)ローゼルを存分にお楽しみください♪


■島で母島産ローゼルをお求めの方へ
 母島農協の売店にて10月4日(金)から販売予定です。
 父島の方は父島の農家さんがすでに販売しているようです☆

 予約の際は農協か直接、宮城までご連絡ください。
 
★予約の際には
 ・小袋 約100g(250円)
 ・中袋 約250g(600円)
 ・大袋 約500g(1200円)
 ・無選別 袋なし 1㎏~(2100円~)
  ※今年も無選別・母島内限定袋なし量り売りでお届けもできます☆(ちょっとお得です!)

①規格の種類 小袋 or 中袋 or 大袋 or 無選別
②数量 何袋(何キロ)
③連絡先 氏名、住所、電話番号
を明記してご連絡ください。

※台風19号の被害により、予約受付を一度締め切ります。

完全露地栽培なので天候や条件で発送など前後する場合があります。ご了承ください。


★内地から注文をお考えの方へ
今年は一人最大2㎏までに限定したいと思います。

僕自身のポリシーとして、一番は地産地消であるべきと考えているからなのです。

前年も書いていますが、
発送には送料はもちろんですが、多大な流通コスト(発送、梱包、連絡etc)が発生します。

それにはお金が対価として支払われるのですが、
それでは環境負荷に対して補えないものがあると思うのです。
一番は作物はその生産地で消費することだと思っています。

現代の流通の発達のお蔭で、世界は狭くなり、大変便利になりました。
しかし、それによって失われたものも数多く存在します。

僕は持続可能な暮らし実現の為に、
意識は広く、生活活動は狭くあるべきと思うのです。
内地から沢山の嬉しい声があるのは事実ですし、とても有難いのですが、
なるべくは母島島内で消費し、加工し、循環していくのが理想だとも思っています。

なので、今年も内地向けは数量限定で、
予約は受けることはできるのですが、
船便に載せるタイミングなどで数量が足りない場合はキャンセルさせて頂く場合があると思いますので、ご了承ください。

※台風19号の被害により、予約受付を一度締め切ります。

◎内地発送ご希望の方は下記連絡先までにご連絡下さい。 

<連絡方法>下記のいずれかでご連絡ください。
 ・ブログ左欄にあるメッセージ(連絡先を記入してください)、
 ・Eメール(miyagigian-farm☆yahoo.co.jp ←☆マークを@に変えて送信してください。)
 ・Facebookのメッセージ
 ・電話や島で見かけたときにでも気軽に声をかけて下さい♪

①規格の種類:A級(250円/100g) or 無選別(210円/100g)
②数量:100g~1kg ※今年度はおひとり様 2kg未満でお願いします。
 (100gでローゼルが9~10個くらいです)
③連絡先:氏名、住所、電話番号
④発送希望船便(父島出港 10/5、13、20、27)
⑤配達希望時間帯
を明記してご連絡ください。

※台風19号の被害により、予約受付を一度締め切ります。

(内地発送は収穫期前半(~10月中旬)は常温で可能です。
後半(10月下旬~)は鮮度が落ちやすいので冷蔵で発送します)
内地向けの支払いはゆうちょ銀行への振り込みでお願いします。(発送時に別途、連絡します)

内容量は注文数より若干多めに入れていますが、
運送中に蒸散で重さが減る場合がありますのでご了承ください。

去年から内地向け発送の場合は、
ビニールに入れるより、段ボールに新聞紙で送るのが一番鮮度保持できることが分かりました。
今年もその方法で送らせて頂きます。

★また、無選別ローゼルは虫の混入、欠けなどが入っている可能性があります。
風の雨を凌いで、アリなどが中に入っているのがあると思います。
雨風を凌ぐには良い環境なのでしょうが、加工の時はちょっと困る存在です。
剥いてみて、アリがいたら、そっとベランダにでも置いておいてもらえるとそのうちにいなくなります。

また予約状況、天候、生育状況によっては予約されていてもご用意できない場合がございます。
その場合はご連絡させていただきますが、
予約はキャンセルになってしまうのでよろしくお願いします。



■ローゼルは色々使えます♡
・ハイビスカスティー
・ジャム
・塩漬け
・酢漬け
・酒漬け
・天ぷら
・ローゼルソース
・ケーキなど
・各種お菓子作りなどに、美しい真紅のローゼルをご利用ください☆
利用方法は「ローゼル加工利用」をご参照ください。

他にも何か素敵な利用方法があったらぜひ教えてくださいね♪
よろしくお願いしますm(__)m


■2年前から作っている晩生品種の「うちなーローゼル」は
今年は作付けの遅れと涼しい気候の為に少し小さめです。

晩生なのでまだ花ところか蕾ですら付けていません。
こちらは11月中旬以降に販売となる予定です。

クリスマスの飾りにもぜひ!

鮮度保持は母島ローゼルほど長く持たないので、内地は向け発送は厳しいと思います。


■今年も台風の直撃もなく、
今の所、母島ローゼルは僕の背丈(176cm)を超えるくらいになりました。

島の人にも「ローゼルって何?」と聞かれるよりも、
「ローゼルそろそろだね~」と言われるようになってきました♪

個人的にはジャムやハーブティーより、
子どものお弁当の彩りに使える塩漬けが一番使っている気がします。

父島での生産者も複数になり、
母島では子供会が返還祭でローゼルの苗木を売ってくれ、
母島中学校の授業でもローゼルは使われるようになってきています♪
少しずつ地域の秋の作物になってきたのが嬉しい限りです♡

我が家にとって忙しい秋の始まりです!
どうぞよろしくお願いします(*^_^*)

THE BOOMのMIYAが語る戦争と島唄と三線

2019年10月01日 | 戦争と貧困
■2017年2月、僕は沖縄本島のやんばるにある自分のルーツを辿る旅をしました。

これは伊江島のとあるお店に飾られてあった三線です。
この三線が作られる背景について語られた印象深い記事を見たので紹介したいと思います。

僕は小笠原に来た頃によく歌っていた曲があります。
それは20代の頃。
THE BOOMのヴォーカルMIYAこと宮沢和史さんが組んだユニット、
MIYA&YAMIのシングル、「神様の宝石でできた島」です。

元々は父島のおがさわら丸出港の時に、サザンクロスVという船が見送りの時に大音量で流していた曲です。

僕が小笠原ユースホステルやアンナビーチ母島ユースホステルで働いていた頃に、
毎便出港日の前の夜の宴で歌ったものでした。

大事な人の出逢いと別れに歌て来ていて、
今でも歌詞やコードは見なくてもすべて弾ける曲の一つです。


■そんな大好きなTHE BOOMのMIYAが語る戦争と島唄と三線の記事を見つけたので紹介します。

記事の内容です。


【「沖縄」を考える】島唄、三線弾けなかった一節 宮沢和史さん

「朝日新聞デジタル」2019年9月30日05時00分

 母方の祖父は硫黄島で戦死しました。
毎年8月15日が近づくと、私の母は、戦争の特集番組を流すテレビに向かって、「なんでだ」「まったくだ」とつぶやいていました。
母の怒りの矛先は敵国ではなく、どうやら「日本」。子どもながらにも、そのことが気にかかっていました。

 その意味に気づいたのは20代に入ってから。
音楽への興味から通い始めた沖縄で、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたときでした。
10代の女子学生たちが軍国教育や日本軍によって死に追い込まれていったことを知りました。
そうした死も、祖父の死も、政府と軍が選んだ誤った道の果てにあったのだと思い至りました。

 何よりも、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦という日本の歴史を、
20年以上も生きてきて知らなかったことが恥ずかしくなりました。
どうしたらいいのかと考え、僕には歌しかないと作ったのが「島唄」です。
ウージの森(サトウキビ畑)を走り回っていた幼なじみの男女が、
地下のガマで互いに殺し合ったという話も、歌詞にしました。

 〈ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら〉

 この一節です。レとラを使わない琉球音階をベースにした曲ですが、この歌詞の部分だけは西洋音階です。
琉球音階を使えなかった、三線(さんしん)は弾けなかったという方が正確です。
「日本」が彼や彼女を死に追いやったと知ったからです。

 今は辺野古の問題をめぐって日本政府と沖縄の民意が対立していますが、
沖縄の人たちの怒りの中心にあるのは、尊厳の問題なんだと、私は感じています。
同じ目線に立って話をするという当たり前のことを本土の側はしてこなかった。
日本政府の態度やものの言い方には、尊厳に対する敬いや配慮が足りない。

 僕の発言で何かが変わるとは思っていないし、こうすべきだと言うつもりもありません。
ただ、遠回りでも地味でもいいから、僕とかかわった人が沖縄について、平和について何か気づいたり、考えたりするような活動を続けたい。

 その一つとして、三線のさおの材料になるリュウキュウコクタンを沖縄で育てる活動を始めています。
育つまでに100~200年くらいかかる。僕も含めて誰も生きていませんが、
育てた木で三線が作られるなら、その間は戦争が起きなかったことになります。
(聞き手・藤原慎一)

 
 みやざわ・かずふみ 音楽家 53歳 山梨県出身。
「島唄」で知られる「THE BOOM」(解散)のボーカル。沖縄民謡の保存にも取り組む。

※写真は全て2017年の沖縄で撮影したものです。

そしてこんな裏エピソードがあったそうです。

「島唄」を発表した何年もあとに三線職人の方々と呑んでたら、
「あの歌はとっても良かった、おかげで三線もたくさんの人が弾いてくれるようになったし、俺たちも作り甲斐があるよ。
でもね、あの後から三線の棹を制作する木材、琉球黒檀が足りなくなって輸入が始まったんだよ」と。
その時には、三線職人の方も場を盛り上げるために話してくれたんだろうと思うんですが、僕的には笑えなくてね……。

三線が普及したことがいいことだけど、琉球黒檀の三線が必要な人に、届けることができないということ。
だったら植えて育てるしかないということで、色々調べてみました。

すると、黒檀という木は、三線の棹になるくらいだからとても硬い木。
なので材料として使えるようになるには、最低100年、ものによっては200年〜300年かかるということが判明。
これは、ひとりでできることではないと、平田大一さん(前・沖縄県文化振興会理事長)にお話したんです。

そしたら、数年前に読谷村の座喜味城跡の敷地内で三線を植える事業があったが、
それが終了し半ば宙ぶらりんになっているから、それを引き継がないかと。

それでスタートしたのが『くるちの杜100年プロジェクト in 読谷』です。

月に一度、草刈りをしたり、年に一度は音楽祭をしたり、おかげさまで徐々に参加人数も増えてきてます。
この木が三線になるまでには、100年以上かかりますから、いま草刈りしている人たちは、この木で作った三線の音は聴けないわけです。
でも、「子どもたちがこれで三線を作って弾いてくれるといいな」という共通の夢を持つこととができる。
浪漫ですよね。そして、もしこの木が三線になるということは、
この島には100年〜200年、戦争がなかったということになる。そういう裏のテーマもあります。



■あの大ヒットした名曲、「島唄」が沖縄の戦争について歌っていると知ったのは、
なんと5年ほど前でした。

100年以上かけて育つリュウキュウコクタン。
子どもの、孫の世代を考えて、
三線が作られる時代が続けば、
その分戦争が無かったことになる。

人として、ミュージシャンとしてのMIYAの言葉に心打たれました。

そしてなんと祖父が小笠原の硫黄島で亡くなっていたとは…
僕のひいおじいちゃんは沖縄本島の辺野古です。

沖縄と小笠原と戦争と音楽。

不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。

以前、2016年に硫黄島を初めて訪れた時の記事があります。

これは硫黄島の米軍が上陸した浜からすり鉢山を望んだ写真です。

小笠原も戦争さえなければ、
あの時の強制疎開、硫黄島の玉砕が無ければ、
今とは全く違う文化や暮らしの残る小笠原だったと思うのです。

二度とこんな哀しいことが起きないように、
私達は戦争のない世界をどうにかしてでも作り上げなければいけないのです。