小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

結婚して15年。有難い日常☆

2018年06月20日 | 大切にしていること
■今年の6月で結婚して15回目の結婚記念日を迎えました。
二人の子宝にも恵まれて、
こうして無事に15年も過ごせてこれたことに感謝の気持ちでいっぱいです♪

もちろん、赤の他人と暮らすわけですから、
そりゃもう山あり、谷あり、吊り橋ありの日々ですが(笑)、
この家族に出逢っていなければ、
どんな人生だったのか想像がつかないほど、
共に充実した日々を過ごしてきていると思います。

至らないことばかりの僕ですが、
いつもいつも本当にありがとう♪

そんな節目の事を思っていたら、
当たり前のこの母島での家族との暮らしの日常が
とても有難いものであると感じます。


ここは母島の道路の一番北部にの終点にある「北港」。

戦前は大きな集落があり、栄えたこの地も今は誰も住んでいません。
しかし、この静かな海の中は竜宮城のように美しく、
我が家にとって大のお気に入りの海なのです♪


素晴らしく発達したサンゴに沢山の魚たち…


小3の次女もだいぶ潜れるようになってきました!


中3の長女は海はすっかりお手の物☆
次女と遊んでくれつつ、
見事に美しい潜りを魅せてくれました♪


■先日は返還祭の駅伝大会があり、
荒天で沖ノ鳥島に行けなかった悔しさを「行きたかった!沖ノ鳥島チーム」を結成して臨みました(笑)。


留年しなければ(笑)、母島生活が今年最後の長女。
中学になってろくに練習もしなくなった長女ですが、
最後に信じられないダッシュをして(笑)、見事自己ベストを更新しました!

次女は毎日練習し、去年のタイムを30秒も縮める頑張りを見せてくれました♪
駅伝の後はもちろんみんなで海に飛び込んで、浮島で遊びまくるのが母島流です(#^.^#)

長女はあと10か月もすれば、この母島から巣立たなくてはいけません。
そんな時に、この当たり前の日常をどう感じるのでしょう?

■毎年恒例の母島フェスティバルでは太鼓や南洋踊り、農作物の販売などがありますが、
僕にとっての目玉はこれです!!

「アオウミガメの煮込み」
これ、小笠原の伝統食で戦前から貴重なたんぱく質として重宝されたもの。

僕はこのカメ煮が島で一番好きな食べ物です♪
爬虫類がこんなに美味しいとは夢にも思いませんでした♡


■畑の方もローゼルがしっかりと大きく育ってきています!

こちらは母島ローゼル。
もう50cmを超えています。
今季の収穫はこれからの台風にかかっています。
どうなることやら!?


去年から栽培を始めた、葉を使うローゼル「ルビーローゼル」。
これだけは1年で枯れず、春から新しい葉を茂らせている唯一の多年草ローゼルです。


去年大豊作だったオクラは今年は不調で、
代わりにモロヘイヤはぐんぐん育っていて、食卓に上がるようになってきました♪
栄養価がとにかく高くて、夏バテにはこれが一番です♡


■しかし、畑の周囲で新たな外来種が見つかり、少し問題になっています。
アジアベッコウマイマイです。

2年前に近くの圃場で発見され、駆除されていましたが、今年はすごくよく見かけます。
繁殖力がとても強く、固有のマイマイとの競合や農業被害が心配されています。
恐らく沖縄からの苗木などに混入してきたのだと思います。

自分たちの分布を拡げるために、
人間の暮らしを利用するとは、さすがです!!

外来種が良く騒がれていますが、島にとって一番影響の大きな外来種は、
間違いなく私たち人間だと思います。

その人間がいつも偉そうに他の外来種を駆除するだ、固有種は大事だというのにいつも違和感があります。
でも、今その対策をしなければ、
その種がこの世から確実にいなくなってしまうというのは分かります。

私たちは「これが絶対に正解だ!」と断言できなくても、
「こうするのがベストではないだろうか」と悩みながら、
動いていくしかないのだと思います。

でも大切にしたいのは、
この自然に対しての畏怖の念です。

いつも私たちはこの自然にお邪魔させてもらっているという気持ちを忘れないようにしたいと思います。



■初めて妻と結婚した15年前、
こんな考えですら知らなかった22歳の自分。

それから一緒に過ごし、
様々な場面で色んなことを学んできています♪

そして、これからも過ごしながらいっぱい学んでいくでしょう。
その傍らで、小さな幸せを感じながら、
ゆったりと共に過ごしていければと思います。

どちらが先に死んでしまうか分からないけど(笑)、
これからもどうぞよろしくお願いします

行きたかった沖ノ鳥島ツアー中止!! 色々調べてみました♪

2018年06月09日 | 島のイベント
■ツアーに申し込んでから、当選の返事があり、
とても楽しみにしていた、初めての沖ノ鳥島ツアー(6/8~6/10)、
やはり台風5号の影響で、
出発2日前に中止との連絡がありました(防災無線のみ!)。
とても残念です!

沖ノ鳥島ツアーが中止となり、
悔しかったのですが、
今夜はその船上で講演会してくれる予定だった東海大の山田吉彦先生の講演先生が
「沖ノ鳥島の国家的役割」について講演してくれました(母島はTV会議)。

結構、政治色が強くて、
貴重な鉱物資源の話もワクワクしとても面白いお話でした!
ありがとうございました♪


出典:海上保安庁ホームページ

沖ノ鳥島は日本の最南端で、
日本では唯一の熱帯気候の島です。

この島は東京都心から約1,700km離れた南の海に位置し、
ホノルル(ハワイ)とほぼ同じ緯度にあります。

父島からは910km離れています。
遠いですね~!
グアムの方が近いんですから(#^.^#)

出典:国土地理院ウェブサイト


■沖ノ鳥島ツアーは過去に2回のツアーが組まれていましたが、
どれも中止になっています。

2013年10月のツアーは台風の影響で中止。
2014年4月のツアーはその年の3月に発生した事故の影響で中止。

またも今回も台風で中止!
呪われているのかな~と思ってしまいます。

正直、悔しいです!!
でも自然の天候だし、これはある程度予想していました。
これで決行されて揺れまくるクルージングじゃ行きたくなかったです。
目指せリベンジ!!

中止と決まれば返還祭の駅伝大会に出れるし、
駅伝に出る子供たちの応援もできるわけです!!
沖ノ鳥島行けなかったメンバーで駅伝チームを作り(笑)、駅伝に参加することにしました!!


■さてさて、せっかく行くつもりになった沖ノ鳥島について、色々調べてみました♪

沖ノ鳥島はリーフに囲まれた中にある、
2つの島で構成されており、
それぞれ北小島、東小島と命名されています。

これは東小島です。

出典:海上保安庁ホームページ
二つの小島を合わせても広さは畳6畳分しかないそうです。

国連海洋法条約では大潮の満潮時に水没しなければ、
大きさを問わず「島」というそうです。
満潮時、
東小島は6㎝、
北小島が16㎝、
の高さしかありません♪

現在は波浪での浸食を防ぐためにコンクリートで周りを囲まれています。
住所は東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地と2番地だそうです。




■周囲に島のない絶海なぜ沖ノ鳥島が生まれたのでしょう?

海底にある九州・パラオ海嶺と呼ばれる海底山脈(3000㎞)で唯一海面上に姿を現しているのが沖ノ鳥島なのだそうです!
遠く離れていても九州と沖ノ鳥島は繋がっているんですね♪

沖ノ鳥島の周囲はすぐに水深4000~7000mの深い海で、
水深1500m地点から上はサンゴ礁が成長してできた部分だそうです。

この島は
1543年 スペインのサンファン号によって「アブレオホス(目を開いて見よの意味)」と名付けられ、
1639年 オランダのエンヘルス号が「エンヘルス礁」と呼び、
1789年 イギリスのイフィジェネイアが船長の名「ダグラス礁」と呼び、
1890年 イギリスのアンフィヨン号が測量を行っていますが、
飛行機も無線も発達していない時代において、
絶海の孤島に領有を宣言するメリットがなかったらしく、どこも宣言していなかったそうです。

しかし、大正時代に入ると沖ノ鳥島は国益に繋がると考えられ、
水上飛行機の基地として考えられたようです。

1922年 第1次世界大戦後に赤道以北の南洋諸島を委任統治するようになり、
南洋諸島と沖縄の中間地点の沖ノ鳥島は安全保障上、航海の安全上、重要と考えられたようです。

1922年、1925年と日本の調査船「満州」によって測量が行われ、
島の現状が明らかになり、
1931年 「沖ノ鳥島」と名付けられました。

この時点で他国が領有を宣言していないのが確認され、
正式に日本の領土に編入されたそうです。

1939年には灯台と気象観測所の建設工事が始まりましたが、
3年後に第2次世界大戦が勃発し中断することに。

その後、
1968年に小笠原諸島と共に沖ノ鳥島も日本に返還されました。
1987年に気象観測所が設置、浸食保全の為の工事、
2007年には灯台も設置、
工事開始から70年でようやく完成と至ったようです。



■沖ノ鳥島は日本の排他的経済水域(EEZ)をとても広く確保してくれる存在となっています。
排他的経済水域とは、
国連海洋法条約で定められた、沿岸国に権利のある水域の事で、
沿岸から200カイリ(370km)以内は漁業権、鉱物資源などの調査、開発、保存する権利、
そしてそれらの資源と環境を管理する義務も担っています。

小笠原村は陸地面積こそ小さいですが、
沖ノ鳥島、南鳥島も合わせて、
日本の排他的経済水域の31%を持っている凄い村なんだそうです(笑)!
(ちなみに伊豆諸島を入れると41%!東京の島すごい!)

また、沖ノ鳥島も含め、小笠原諸島の周辺は海洋鉱物資源の宝庫なのだそうです。

コバルト・リッチ・クラスト(深海底に存在する鉱物資源)や
リチウム(蓄電池の材料)などレアメタル資源の宝庫なのだそうです。
日本近海は海底熱水鉱床というマグマと海水の反応でできる鉱物の取れる地点も多いそうです。

メタンハイドレードという、次世代の化石燃料と期待されている天然ガスの仲間も、
日本は豊富にあり、うまく運用できればエネルギーの自給も夢ではないほどだそうです。

2014年に報道もされた小笠原諸島に現れたサンゴ密漁と言われた中国の船団、
本当の狙いはサンゴではなく、海底資源だったという見方もされています(ー_ー)!!



簡単に言うと、
沖ノ鳥島は結構遠いけど、
漁業資源としても、
海底資源としても、
気象観測所としても、
排他的経済水域確保としても重要な島ということが分かりました。

でも、いつも思うのは、
この世界・資源は本来どの国のものでも、
誰のものでもないということ。

「この土地は最初に見つけ、最初に宣言した人のもの」という概念はいつも疑問です。
インディアンが白人の言う土地の所有というものになかなか理解ができなかった様に…
(先住民にとって土地は大いなるものであり、個人の所有という概念があり得ないという考え)
領土問題という側面も考えさせられます。

いつか、またツアーが企画されることを願ってやみません。
個人的には島の風景と、そこまでの外洋性の鯨類、海鳥に会えるのも結構楽しみなんです♡

参考資料:国境の島を発見した日本人の物語 藤岡信勝・著、海上保安署ウェブサイト、国土地理院ホームページ



島の子供たちに伝える機会

2018年06月01日 | 大切にしていること
■私達が住む小笠原諸島。
この地域も多くの人の活動で支えられています。

島に住んで16年。
有償、無償を問わず、日々様々な仕事をしています。
そんな中、年に数回、母島の学校で子供たちに色んな事を伝える機会に恵まれてきました。

それは島の自然保護の仕事、消防団に関わる授業です。


元々、人にものを教えるのは得意ではないし、
教えれるほどのスキルを持っているとは思えないですが、
これからの世界を羽ばたいていく子供たちに伝えたいことは、
いっぱいあります。

最近、よく思うのは、
将来何になりたい、どんな仕事に就きたい、
いわゆる現代的な「夢」を持ってほしいわけではないのです。

やりたい事なんて、多感な感性の時期はどんどん変わると思います。
頭が固くなって、既存の価値観や先入観でしか物事を判断できない大人とは違い、
子供たちはとても柔軟で逞しいと思います。

自分なりの価値観を持って、
今、その瞬間興味があることに対して全力をつぎ込んでほしいと思っています。

「何になりたいか」ではなく、
「どう生きたいか」を見据えて生きていって欲しいと伝えていきたいと思っています。

授業以外でも子供会やKWNビデオコンテスト参加などでも、
色んな場面で島の子供たちと密に関わる機会があります。
それが僕にはとても有難いのです。


■自然保護の仕事では普段行っている、野ネコの捕獲と母島の海鳥の調査の仕事です。
この仕事について詳しくは「小笠原ネコプロジェクト」というHPがあるのでそちらを参考にしてください。

10年以上も続けて、近年は海鳥たちが少しずつ戻って来ていて、
嬉しい成果があらわれて来ています。

この取り組みを母島の小学生高学年に伝える機会。
座学をする日、校外学習として現地に行く日とあります。

色んな事に気を付けながらも、
子供たちには「外来種=悪」ではないと伝えています。
まずは命の大切さ素晴らしさを子供たちには知ってほしいと思います。

大人たちは今も悩みながら、活動しています。
今、絶対に正しいと言い切れないけど、
今、動かなければ、この目の前の希少な自然は確実に消失してしまう。
だから、頑張って、信じて活動しているのです。

でも、よく大人は間違いを犯します。
良かれと思っていたことが、その後裏目に出てしまう事は沢山あります。

でも、それを恐れずに今信じていることを頑張っている。と知ってほしいのです。

そして子供たちが当たり前に暮らしている、
この大自然に囲まれた母島の環境の素晴らしさ。
それに気付くのはきっと島を出てからなのでしょうが、
そのアカデミックな側面を超えた大自然の素晴らしさも伝えていきたいです♪

まだまだ伝えたいことは沢山あるけれど、
その時一番子供たちに伝えたいことを、
知ってほしいことを伝えているつもりです。

そして僕は、子供たちに多くの気付きを頂き、
沢山、学ばせてもらっています。

本当に子供の感性というものは凄いの一言に尽きます!


■また消防団として、学校や職場、保育園など色んな啓発や避難訓練など活動をしています。
先日は教員と中学生に救命講習を行う手伝いをしてきました。

看護師さんが主に講義を進めて、消防団員がその補助を務めます。

団員も上級救命講習の資格を持っており、
いざというときの為にAEDの使い方、心肺蘇生法を学んでいます。

多くの子供たちと関わる先生はもちろん、
これから島を離れて外の世界で活躍する中学生たちにも講義を受けてもらいました。

一番伝えたいことは、
いざ人が倒れている土壇場で後悔しない様に、
しっかりと自分に何ができるか考え、行動する人になってもらいたいという事です。
その為に救命のファーストエイド技術を伝えるわけです。
「ああ!もっとちゃんと学んでいれば、あの命が救えたのに!」と後悔しない為に!

子供たちの素直な姿勢に、
これもいっぱい教える側の私達も学ばされています♪
先生方も一生懸命講義を受けてくれていて、
本当に関わって良かったと思いました。


■他に消防団として小学生に授業を頼まれることがあります。
内地では当たり前の消防署がない地域。
そこでの消防団。
生業を別に持っている島の有志が集まって組織しています。

火災対応はもちろん、
台風警戒や、山岳救助、
日々機器の点検や訓練をしています。

島のみなさんの生命財産を守るために、日々活動しています!!

僕自身は十代の頃に海難で救助された経験があり、
その後、自分が救助していく側になることが恩返しと思って活動しています。

ここでも、もっと知っておけば救えたのに!と後悔しない為に、
訓練はもちろん、色んな事にアンテナを張っています。



■先日、またショッキングなことがありました。
それは今シーズンのウミガメの産卵が始まったばかりの母島の前浜。
上の写真のキャタピラみたいな跡がウミガメが産卵のために歩いた跡です。

学校が休みの早朝、母島の前浜で次女が何やら集めています。

よく見ると、それはたばこの吸い殻でした。

次女はこの安易に捨てられたゴミが自然に野生動物に悪影響を与えていることを知っています。
無責任なオトナの不始末を、子どもがしていることに、
同じオトナとしてとても胸が苦しい思いがします。

島の子供たちが将来大きくなって、
どこかにこうしてゴミを無責任に捨てる様になるのでしょうか?

自分の選んだ行動がどう世界に影響していくのか?
どうチョイスして生きていくのか?

これからの世界を生きる子供たちには、
大人の言うセオリー通りに生きるのではなく、
自分の感覚でシビアに見極めて、
どう生きたいのかをしっかりと感じとって行ける様に、
色んなエッセンスを伝えていければと思います。