世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

このページは大量の誤字脱字の提供でお送りしています。orz

過大評価と過小評価

2011年09月30日 | 世の中あれこれ

 東京はさほど揺れていなかったので気がつかなかった(1)&緊急地震速報の判断(東北各県と群馬・東京を除く関東)は東京は低い予想だったので東京ではならなかった29日の地震。幸いにして東日本大震災のような広範囲に大きな揺れ(最大で震度5強)というのはなかった(とはいえ、近くにある県に緊急地震速報が出ているのなら油断は禁物)のだが、こういう過大評価というのはストレスはたまるかもしれないがまだましだと思う。というのも、東日本大震災の本震の場合は、東北5県に出ていただけで過小評価をしていたせいで大惨事に発展したわけで、けっかいろいろな問題の引き金にもつながってしまった感がある。実際の震度に当てはめてかんがえると「北海道・東北・関東・甲信越・東海」という訳のわからない表示になってもおかしくなかったもの。こっちの過小評価は今になって思えば勘弁してもらいたかったような。

 前にも言ったけどついでに。地震の震度というのはその地域の一転でも強かった場所の震度がその地域(市や町などの単位。速報の段階だと地域全体)が採用されるので、別に震度4がなかったというわけではない。ある地震のNHKの速報なんか見ると局地的に震度6弱があってそのほかが3だったりという地震があるぐらいだし。それに後から調べたら震度が変わっていましたなんていう言うこともざら。東京・杉並と石巻はそれで震度評価が一つ上がった。今回の地震もいわき市内の中で震度4があったのだが、そのほかの地域ではそこまでは観測されず。東日本大震災の余震ではあるものの局地的な地震とも言えなくはない。さらについでに。NHKでチャイムが鳴った瞬間=震度6弱以上がどこかで出たと覚えておいた方がいい。(チャイムなしで強いという表記が出ている場合は5弱以上確定)。(ピロピロとなり出すと津波警報発動)


 どこでどうやって処理するのか提案ぐらいしてみろ>岩手の瓦礫の撤去で都がその一部を受け持つことになったのだが、 予想通り放射能という言葉に犯されてようなクレームが入っているとこのこと。そう言う人たちにはどうやって処理するのかを聞いてみたいものだが、元々岩手の場合は当日からの風向きから言っても関東ほど放射能の影響力を受けたとは考えづらく、さらに関東の方が本来なら敬遠される確率が高かったというのが頭に入っているのかと聞いてみたい。(放射能漏れの事故との気にさんざん風向きのことを言っているんだから、覚えている人は言えるかもしれないが)そもそも、当方の復興が進まない要因なのは瓦礫が未だにかたづかないことも一因になっているし、いつまでもおいていると二次災害惨事災害の可能性だって出てくる。そう言う意味では放射能の影響あるなしにもかかわらず早めにどけてしまった方がいい。放射能に犯されているからダメだと思い込んでいる連中がいるののがこの問題の最大の原因だが、逆にそう言う言葉に頭の中が犯されているんじゃないかと思ってしまう。電気の問題だって「自分たちの使う電気ぐらい自分で作ってから文句を言え」という話だし。反対しまくって逆に現地に人から限りなく白い目で見られてもいいというのなら文句は言わないが、そうでなければたんなるモンスタークレーマーにしか見えないと思われても仕方ない。


 レアステーキ=たたきだと思えばいいような気がするのだが>生肉ユッケ問題。その一つの解決策として生肉として出す肉に規制の網をかけることに。これにより生肉として出せるコストが急上昇して2000円になるとの試算が。元々この問題と手食べる方の姿勢が大問題になっていたことに報道がなされていないだけに店の方に問題ばかり集中しているのがいやに気になる。たしかに生肉を食べたいという人がいるのは多いのだが、それに見合う恐怖以上のリスクを感じることが出来ない発言が多く目立つような気がする。安全策をとってレアステーキだって食べないという人はいるわけだし、食べ物を普通の人では食べられないぐらい辛くして食べる人(これも相当のリスクがついて回るのでやめた方がいいという)がいる。要は食べるの方の人間がどれだけの知識を持っているのか、どれだけに危険性を認識しているのかというのが最大の問題のはずで、そのための報道や教育がなされていなかったような気がする。ブレーキなし自転車の一見だってそう。一般道に存在するだけで違反扱いになるモノなのに、なんでおもしろがって乗っているのだが。ただでさえ自動車に継ぐほどの路上の邪魔者になりつつあるのに。それだって結局は教育とかそう言うのはなされていないと思う。人体にマイナスの影響を与えそうなのはちゃんとリスクを表記する。食べた人間もある程度の覚悟をしておく。それいやだったらちゃんと火を通せとしか言えないのがつらいところなのだが……


 こっちでは一応最初になるG1予想。とにかくこのレースに来る香港勢のレベルが高すぎるのと、それ以上に日本では世代交代の並の真っ最中という状態なので、予想自体が難しいかもしれない。本命はセントウルステークス2着のラッキーナイン。気候の問題が出てきそうだがこれぐらいだったら問題はないだろうし日本滞在を継続しているのがプラス材料。対抗はカレンチャン。短距離重賞を3つも一気に制して、実力がついてきた。大本番の経験こそ無いが、かつチャンスは十二分にあり。大本命と言われるロケットマンは弱冠危ないか。前走は一般戦なのだが、芝ではなくダート。関係なく走る馬なので問題はなさそうだが、日本の芝に対する適正のほうが気になるので穴止まり。ダッシャゴーゴー、エーシンヴァーコを押さえに。コレといった馬がミられない分、ロケットマンが去年のスノーフェアリー(都落ちだと思ったら、大復活した上に一流馬に成長したでござる)のようなことになる可能性もあるのだが……


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69曲目

2011年09月30日 | クラシック

 ハンス フォン ビューロー 「ダンテのソネット『気高く、あまりに誠実に』」 (リスト編曲)(ナデージダ・ヴラエワ )

 

 成立年代 1874年(リスト編曲版)

 時代区分 後期ロマン

 形式 不明(探しきれず)

 形態 ピアノ曲

 アレンジ これ

 ピアノを引いている人には、触ったことがあるかもしれないクラーマー=ビューローの編纂者であるビューローです。今回はリストが編曲をしたものになります。リスト生誕200年ということでリストの弟子の一人での扱いとしての紹介ですが、功績はリストとなにも遜色がなく、むしろ現代の音楽会にとってはそれ以上のものを持っています。それまで作曲家がタクトを振ることが多かった指揮者という立場をそれ以外の人物による専門職化したのが彼で、これがきっかけで様々な解釈を持つ演奏が誕生していきました。

 彼は指揮者である以前に超絶技巧を持つピアニストでした。最初に門を叩いたのは食らうシューマンの父親のところ。そしてリストの賞賛を経て、法律の道を捨てて演奏家の道へ。もともとピアノだけで食べていける腕はありましたが、本格的な指揮者のもちと平行して勧めワーグナー派の一員として活躍をしていました。妻としてリストの娘コジマを得て順風満帆と行くところでしたが、コジマはワーグナーと通じていて結局これが元で離婚。ビューロー自身もワーグナーから離れ、対立するブラームスの方に近づくことになります。

 彼は色々なエピソードがあります。代表的なもので言えばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。これは最初ニコライ・ルービンシュタインに捧げられたものですが、当のルービンシュタインが演奏不可能と断じてしまったために埋もれる危機がありました。しかし少し手直しをして、ビューローにこれを渡して、ビューローはそれに答えるように見事に演奏してしまいます。これで世に出ることが成功した曲はさらにクライバーンを経て、世界中に広がっていくわけです。

 色々と論議を呼ぶことの多いビューローの言動ですが、その中の一つにドイツ三大Bという言葉上がります。これはドイツを代表する3人の頭文字からとったもので、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの3人の作曲家を指します。バッハとベートーヴェンに関してはそれぞれ平均律をピアノの旧約聖書・ベートーヴェンのピアノソナタを新約聖書と評しているように、今では重要なものの一つに名が上がっています。おそらくこの時期だとすればブラームス派に転向した時期なんでしょう。3人目にブラームスをあげています。ただこの3大**というのは、3つめの物を売り出したいがために名付けること(たとえば世界三大美女の中に小野小町が入ってくるようなもの)が多く、今のような名声を対立の中心にいたブラームスが持っているとは限りませんし、ましてや時代はそれからかなり離れていることもありますので、どうもブラームスの知名度を持って広げたくて言っているのかなあと邪推させてしまいます。

 次回はフランク。全音のピアノ楽譜(中高難易度)に名前が出てくる人。


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気分が落ち込んでいるときこそ落ち着きたい

2011年09月29日 | 世の中あれこれ

 たまには本編から離れての曲紹介。シューベルトの幻想曲からOpが3桁の方の3番目。

 主題だけだったらソナチネアルバムの1巻の副教材としてついているので知っているかもしれないけれど、幻想曲とありながら形式は変奏曲。シューベルトらしい曲だと思う。シューベルトの幻想曲と楽興の時は指定難易度(全音だと上級・音楽之友社だと中級から上級)は高いんだけど、ツェルニー30番レベルも多いので、曲選びに詰まったら手を出してみるののいいかも。

 うん、典型的なカルトだね>熊本。治療&悪魔払いと称した虐待行為によって処女が死亡。僧侶御父親が逮捕されるものの、父親に関して言えば既にカルトに囚われすぎて前後不覚状態になっている感じがする。前にも夫に殺された妻が、カルトにはまって家族を壊していたなんて話もあると、やはり日本には宗教そのものが合わないような気がする。もともと日本の文化というのは他の文化と違って独自の文化(各文化の終着地という意味合いとそれらを独自うまく混ぜていった結果でもあるのだが)を持っているために、明治以降の文化流入もうまく受け入れた分、おかしな部分も受け入れてしまったような気がする。それ故に宗教的統制がうまく取れていないのでは思ってしまうことも。今回もそのケースの一つだし、同様のケースとしてホメオパシーなんてものもある。日本ではメジャー団体だと思われている団体でも、その一部はカルトのようなお花畑に変化しているものある。害を与えるものを得としてしまう行為自体は規制対象というよりも、禁止対象にするべきだし、そもそもこの親に関して言えば「典型的子育て失敗例」を認めたくなくてこういう行為に走らせてしまうということでしか思えない。自分自身と向きあうということから子育てというのは始まるようなきがするのだが、それすらできていないまま子供を産んでしまう連中が最近では急増しているように思う。だから虐待とかが減る気配を感じさせないわけで……


 またか>ALCで韓国のサポーターが「大地震をお祝いいたします」という横断幕を出したことが大問題になっている。先にベルギーで川島に対してフクシマと言ったことが大問題になったように、当然ながら大問題に。はっきり言えば2002年の韓国対ドイツ戦でやってくれたようなことをまたやっている段階で、こいつらまったく成長していないなあと言うのが見て取れる(日本にも同じようなバカがいるので、あまり人のことが言えないのだが)し、もっと大問題になって大炎上レベルになってもおかしくない話。川島の一件の場合は相手クラブの会長が早く動いた分ましな結果になったのだが、今回の場合もクラブが動かないといけないレベルの問題。ましてや日本のクラブの場合でもそうなのだが、こういう手の話はたいていは相手を怒らせて永遠に対戦できなくなる可能性だって出来なくなってしまう。現実問題先の誤審問題でイタリア・スペインを起こらせているだけにいっそうの孤立をよんでしまっている感が否めない。やらかしたことの重大性を考えるとスポニチのやったこと(問題サポの顔出し)というのは効果がある(クラブがかばおうモノなら、この段階で癒着が疑われてもおかしくはないし)んだろうけど、問題そのものは世界中で起こっている問題なのも事実。そう言う意味ではクラブだけの責任という問題になるというケースではないような気がするのだが。


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10のうち5つもランキングに入る異常な大会

2011年09月26日 | 世の中あれこれ

 何故からんま1/2が実写化確定という記事が。乱馬+らんまは二人一役。あかねにはガッキーという配役なのだが、伊東美咲版「めぞん」級の地雷と化す予感が今からするのだが。

 旧ユーゴ以下になっているからなあ>2002のワールドカップでトンデモ審判をしていた元審判が逮捕される。罪状は麻薬。FIFAが招いたのだからその段階でまではちゃんとやっていたのだろうが、韓国戦での買収を受けたのと、その後国内リーグでは日本のダメ審判がかすむぐらいのダメ審判(ロスタイム10分以上)というのを考えると、栄光が一瞬にして終了してしまった感じに。そこからの転落人生素ざま辞意のだが、ワールドカップでの10大誤審のうち二つに入ってくる審判(6位と7位)を信用しろと言う段階で無理な話だとわかるわけで、早く言えば長大ロスタイムの前に引退しておけば今のような転落は避けられたような感じがする。で、一方の韓国に至っては最初(招致)の段階からこの手の疑惑がつきまとっていたこと、事前の練習試合でジダンを壊してしまったこと、イタリア・スペインにたいする洒落にならない誤審(8位・9位がスペイン戦。もっともブラジル・ベルギー戦も3位に入る大誤審だったことを考えるとFIFAのやり方自体が間違っていたとしか思えないのだが)を引き起こしたことが代償となって、海外サッカーにおける韓国の地位は思いっきり低下している。それまではリードしていた東アジアトップの地位もパクチソンの引退で奪われてしまった形に。汚すぎた代償は、当時以上に重くのしかかっている。こういう国でオリンピックを開くというのはどうなのかと思うのだが。

 ついでにそのFIFAの10大誤審は以下の通り(出たのはかなり前ですので、日本対オーストラリア戦の誤審は入っていません)。赤字は2002の韓国戦

 1,マラドーナの神の手/2・アメリカ大会でのドイツの選手の反則行為にノーホイッスル/3・日韓ワールドカップでのブラジル・ベルギー戦のウィルモッツのゴール取り消し/4・78年のジーコのゴール未認定/5・スペイン大会でのロジェミラノゴールがオフサイド扱い/6・トンマージのゴールデンゴール取り消し/7・トッティがシュミレーションの反則をとられ退場/8・モリエンテスのゴール取り消し/9・別なモリエンテスのゴール取り消し/10・チリ大会でのガリンシャの退場

 国別に分けると(前者利益をもらった方+後者は被害者)

 韓国(4+0)/ブラジル(2+1)/イタリア・スペイン・ベルギー(0+2)/アルゼンチン・イングランド・ドイツ・スゥエーデン・カメルーン・ペルー 1

 いかに日韓ワールドカップが何から何まで異常な大会だったのかわかるような気がする。 


 逆な話も考えられるのだが>公務員宿舎に関して色々と文句を言っている件。たしかにこの時期に公務員宿舎を立てるのはおかしいと思う声があるのだが、それ以前の問題としてそれまでの公務員宿舎の建築年数が40年越え(耐震基準からすると、今ほど厳しくなっていない頃に建てられたもの)というのもあるらしく耐震性という点からすれば建て替えもやむなしという感じがする。もちろん周辺の環境を整えるというお題目もあるのでそれをしっかりやってもらという条件がつくのだが、これに反対をしてしまうと逆に財政再建が進まなくなる可能性が出てくる。というのも、周辺の一般の家の家賃を考えたときにどうしてもその費用の分だけ上乗せせざる負えなくなる可能性だって出てくるし、新しい公務員宿舎を利用するのであればそれだけの家賃は押さえられる。務めている場所さらには務めている部署によっては、住むところでさえ固定しなくてはいけない場所というのが存在する。そういうことを考えると問題なのはなぜもっと近い場所ではなく朝霞なのかという話だと思うのだが……将来に対するという視線がかけている報道や考えが多くなってきているような気がする。(そうじゃないとギリシャのようになってしまうのは自白の名だし……)


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68曲目

2011年09月26日 | クラシック

 またミスをしてしまい未完成のものをあげてしまいました。申し訳ありません。

 ラフ ピアノ協奏曲 ハ短調 (指揮、リチャード・カップ+ピアノ、ミッチェルポンディ+ハンブルグ交響楽団)

 第1楽章

 第2楽章

 第3楽章

 成立年代 1873年

 時代区分 後期ロマン

 形式 ピアノ協奏曲

 形態 ピアノ+オーケストラ

 アレンジ なし

 沢山の曲を作曲をしながらも、教育者の方の功績ばかりが目立ち過ぎていたために、埋もれた作曲家の一人になってしまったのですが、最近になって再評価の気運が高まったラフの作品です。その作品の幅というのはかなり広くて管弦楽からピアノエチュードまで多岐にわかっています。リストの助手として雇われた彼はフェリックス・メンデルスゾーンやビューローなどと交流があり、特にビューローとの交流では、彼の数少ない理解者の一人となり、生涯の友としてのつきあいがありました。そのため作風はリストと言うよりもフェリックスに近く、決め込まない構成力を持った作品が多くあります。

 元々スイスの人で、リストがバーゼルに来たときに演奏を聴いてそのままリストと一緒にワイマールへ。そこで助手として才覚を現したラフでしたが、そのときに作った歌劇はそこまでの評価がありませんでした。後にリストの元を離れスイスに戻った後に作られた作品が高評価を受ける形になってようやく作曲家ラフが認められるようになりました。その後はフランクフルトの音楽院の教鞭を執る傍らその学校のレベルアップにも尽力。教師の一人としてクララシューマンを招くなど、工場に勤めていましたが、作曲のスピードは鈍ってはいませんでした。代表作と飛ばれる者はほとんど、認められたから20年という時期に書かれたもので、その中には後の作曲家に大きな影響を与えるものもありました。また編曲もしていてバッハのシャコンヌのピアノ番なんかを編曲しています。

 日本のドラマとJPOPの質が落ちているという話題があったので、外伝の話を絡めて。最近よく言われることなのですが、ドラマも音楽も内容的に腐り始めているという話を多々聞きます。これを貫いていきますという曲を持っている人は、そのままで言っても支持はされますが、そうでないケースの場合特にアイドルなんかが歌う曲に関しては、最近では「10年後に印象に残るような曲があるのか」という皮肉まで聞こえてきます。自分の答えはノーなの(結局は自分自身の中でどれだけそれが出来るのかという話になってくるだろうし、最初に買ったものなんかはいつまでも残っていたりする)ですが、ある番組でやっていたことをそのままの言葉で言うのであれば、楽には行き着く先の壁が常に立ちふさがっているという状況がこの手の話にはつきまとうと思います。一つのジャンルが細分化されてそこから新しい枝が出てくればまだ発展の余地はあると思うのですが、その枝があまりにも多すぎてこんがらがっている状況が今のJPOPとかの、音楽性の状況だと思います。そうなると自ずとぱくりと表される音楽も増えてくるわけです。それが行きつく先には版権ゴロ同士の醜い争いを見せつけられるわけで、どんどん先細りしていく傾向に拍車をかけていくと言うことになります。とはいえJPOPの場合は20年前と比べて進化しているのかと言えば、首をひねりたくなるようなところはありますが。

 次回はビューローだけど、曲がなかったら変更も。(ただ語る話は多いんだけどなあ)


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天災と人災の年

2011年09月24日 | 世の中あれこれ

 台風関連の情報をNHKが流している中で緊急地震速報発令(日立市で震度5弱)というダブルパンチ。ただこの状況は前に一度(駿河湾地震)あったりする。

 都市計画そのものが大きく変わりそうな気がする>台風の影響で、いくつかの交通に乱れが。東京では巣鴨付近で気が線路側に倒れかかっていることから、そのために遅れが出ていたとか、NHKの生中継で渋谷では木が倒れてしまったとか、いくら対策をしても都市が災害に弱いという状況に。こうなると災害に強い街作りと言うよりも、災害対応がれっきとしている都市に変貌した方がいいのではと思ってしまう。兎に角自然の猛威にさらされているのは今年だけではないはずで、そのための処置が追いついていない上に、今回は地震・台風・さらに台風という状況で、事前の準備をしても仕切れない状況じゃあ、対処の方をしっかりした方がいい。毎年のように台風のさなかに様子を見に行って、海やら川に流されるという報道を見るとそう思うし、いくらハード面が充実していても人の方に問題がある場合は被害の拡大を防げない。被害を防ぐのであればどれだけの逃げるための知識を身につけることなのかというのが重要だと思う。東日本大震災のようにデマに踊ってしまうのはもっての他だし、それに惑わされないような情報の共有の必要になってくる。どっちにしたって災害に対する警戒心を高めなければ同じようなことはどんどん増えてくると思う。


 内患外憂がまた一つ>パレスチナが国連加入を申請したことで波紋が広がっている。中東和平の立場と対テロ支援という立場からすればアメリカは拒否権を行使してて求めてくるのは当然だし、イスラエルの反発も必至。流れ的にはアメリカが拒否権を行使しなければいいんじゃないのという感じなのだが、フェイスブック革命を考えると革命の流れのどさくさがイタリア・ドイツ・スペイン・トルコに波及するのは確実で、状況的に言えば余りよろしくはない。ただでさえ世界的に混乱をきたしている状態でさらなる混乱を招く要因を考えるのであれば今パレスチナ問題よりもシリアの方に手をかけるべきで、パレスチナの国連加入問題は先送りにしなくてはいけないレベルの問題。優先順位を考えるとトップに置くべき問題ではないし、やるとしても条件(ハマスとの決別と、介入の排除、政教分離の徹底なども)を付けるべき。いくら何でも一方的に動くというのはよろしくないことだし、それによる波乱を考えていないと言うであれば、はっきり言えば問題の先送りしかいない。状況の整理という者はイスラエルだけではなく、パレスチナにも突きつけられている問題だという認識をするべきことだと思う。アメリカにとってはただでさえ頭の痛い問題がもう一個増えたような感じになってしまったが……


 下手すると何も残らなくなるものに月10万をかけていられるほど悠長なことはやってられない>今年のゲームショーの特徴として浮かび上がってきたのはオンラインゲーム系の社長の香ばしい発言の数々。その中でも一番目だったのが趣味と同じようにオンラインゲームに金をかけた人間がいても当たり前という発言。たしかに事実そう言う人間は沢山いるのだが、そういうのは言葉を言い換えれば一人のせいで周辺に多数迷惑をかけているような連中という言い方もできるわけで、きれい事の発言と言うにはかなりの無理がある。もっと言ってしまえば、いつ不正アクセスされて全てをなくされてしまう可能性が強いものにそれだけのことがよくできるんだなあ(棒)という、ことに気がついていないのかと言いたい。ゲームのデーターの喪失(もちろん自分で消したわけではないもの)というのは何度も経験があるため、その衝撃というのは計り知れない(60年頑張っていたサカつく04の初代チームが消えていたときの衝撃と言ったら……時間に直すとしたら250時間以上)のだが、金をかけてかき集めた者が突然消えたらどうなるのかという想像力を持っているのだろうかと思ってしまう言動(作る人間も・やる人間も)もいるのも事実。こうやって虚業気味の産業って成り立っていくんだろうけど、そのために人としての価値をなくしていく物もあるだけに、マイナスという意味では問題が大きくなりそうなのだが……


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外伝

2011年09月23日 | クラシック

 ついさっきコメント→wikiで確認したので、追悼の意味を込めて予定変更です。(本来は頭痛が酷くて2日連続で休む予定でした)ただしこれは作曲家としてのカウントには含まれません。成立に関しても省略をさせていただきます。

 リスト パガニーニによる超絶技巧練習曲から 3番「ラ・カンパネラ」 (ペトロフ

 

 参考 パガニーニによる大練習曲から 3番「ラ・カンパネラ」 (フジコ・ヘミング)

 

 リストの代表作であるラカンパネラの原型である1838年版のカンパネラです。今のピアノでは弾く事自体相当つらい曲で、全音の難易度的に表せば6課程の上に表記できるような曲です。もともとは鐘のロンドと呼ばれるパガニーニのバイオリン協奏曲第1番の第3楽章に、中間部に別な協奏曲の第3楽章を入れたことで作られたのがこの曲で、さらにその部分を削り取ったとったうえでシンプルにしたのが今聞かれることの多いラ・カンパネラです。そのため楽譜は存在していたのですが、普通の人間には弾くのはほぼ不可能と言わしめ、ホロヴィッツでさえもさじを投げた(もっともこの曲よりも4番の方原因だと思うのだが)この曲集にペトロフは正面から挑み録音に成功しました。この後はプロで録音を残したのはほとんどいませんでしたが、ニコニコやようつべでアマチュアピアニストがこの曲にチャレンジをして弾けないレベルではない曲だと言うことを証明しています。

 何回もも取り上げているこの曲を今日取り上げたのが、おのピアニストペトロフが先月で鬼籍に入っていたことがわかったからです。現代を代表する超絶技巧のピアニストの一人でありながら、取り上げるのはロシアのピアニストとかの曲とか、当時無名だったカプースチンとか、誰も弾かないこの練習曲集とか兎に角風変わりな者でしたので、批判は結構ありました。しかしショパンやベートーヴェンが気軽に聞ける時代になったからこそ、こういう曲にチャレンジをするピアニストというのは多くなってきています。ペトロフはその走りにいたような人でした。たしかにこの時期からピアニストの考えというのは多様化してきましたので、ショパンでもゴドフスキーの練習曲を取り上げるベレゾフスキーや、全曲録音を残したアムラン。トリッチ・トラッカ・ポルカのシフラ編曲番をレパートリーに持つユジャワンなそ技巧を前面に出すような人も急増してきました。

 ピアニストとか演奏家というのはメジャーな人たちの曲を取り残すという反面、埋もれていく作曲家を埋もれさせないという一つの指命があると思います。たとえばフェリックス・メンデルスゾーンがマタイ受難曲を発掘するまでは、バッハは誰もが知るという作曲家ではありませんでしたし、そのバッハのメヌエットだとされていたものが、実は違う人の作品だったというのもあります(両方とも過去に紹介済み)。そう言う意味では日本の作曲家が残したクラシックの曲というのはなかなか表に出てきませんが、それを埋もれさせる個をしてはいけないと思います。今では動画サイトとがあるので永久的に残るのですが、そうでなかった時代の場合はピアニストの苦労も半端ではなかったと思います。

 次回は本当にラフで。

 

 


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台風直撃

2011年09月21日 | 世の中あれこれ

 書きかけが間違って公開状態になっていました。申し訳ありません。

 100万人パニック>台風の影響がこれまでにないほど深刻に。前の台風で崩壊ダムが出来上がった和歌山・奈良の地域もそうなのだが、今回の台風の影響で岐阜・そして名古屋がその被害の直撃を受けることに。特に名古屋は川が氾濫をして、その影響で100万人以上に避難指示もしくは避難要請が発表されることに。こういうときに名物(?)市長の存在が一気にかき消されてしまったという点ではは気になるのだが、危険な状態がさらに悪化するのはむしろこれからなので、ダムの決壊以上の事態がどこかで起こる可能性も出てきそうだ。とはいえ、今回もそうなのだが安易に様子を見に行って犠牲になるという例が後を絶たない。そういう意味では普段からの、周知徹底というのが、全く意識されていないのか、それとも受け取るほうが右から左へと受け流しているのかという嫌な話になっている。災害に対していちばんの問題は油断や間違った情報をそのまま信じてしまうことなどだが、その結果どうなったかは東日本大震災で証明済み。被害拡大を防ぐのであれば小さなところから大きなところまでなにをするべきかを考える必要があると思う。

 ついでに。自分の住んでいるエリアではある川の堤防がや決壊した時の、大規模浸水のシミュレーションのハザードマップがあってそれによると海岸部の安全なところに逃げるとあるのだが、もしそれが地震と同時に堤防の決壊が起きたらどうなるのかというが想定されていないだけに信用するのが難しい。そうなると逃げ場なしとかになってくると思うのだが……


 まだまだ先>原子力反対派の人達には朗報にならない朗報。太陽電池の効力を100倍にする技術が開発されたそうだ。タイミング的に大規模原子力反対集会が開かれたというタイミングでの報道に怪しさをかなり感じるのだが、それだけではダメだというのはわかりきっていることだと思う。作る技術があっても貯めこむ技術の大容量化+充電池(既製品はある)の低価格化+溜め込める時間の長期間化が全くといいほど進んでいないわけで、普及等レベルにまで入っていない。そういう意味ではまだまだ先なんだろうと思う。唯でさえ不安定な状況で、クリアーしなくてはいけない問題が多いエネルギーを安定というのは問題があるし、さらにそれを基軸に据えていくのなら今の体型を根本から否定しなければいけない。そうなるとこの集会の主催者の一人は自分のやってきたことすべてをすぐに全否定しなければいけないという状況になってきているというのがわかっているのかいないのか。とにかく日本ほど気候が安定しているようで安定はしない上に、暴力的な自然の活動ですべてが簡単に壊されるような国で、安定的な自然の力を求めること事態が無駄なような気がするのだが……


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お客様は神様にも悪魔にもなる

2011年09月20日 | 世の中あれこれ

 スパゲティのミートソースの本を使った簡易トマトライスをつくろうとして、うまくたけけなかった大失敗。まだ食べられただけましだと思うのだが、さっきはさっきでそれを使って、ドリア風にしようと思ったら塩を入れすぎて大失敗……なんか呪われているのだろうか。

 ある意味過剰などのサービスって、客を信用していない側面というのがあるんだけどなあ>あるアンケートで客に対するサービスが過剰だと感じる者はという項目があった。内容に関してはこっちも納得というのものあるのだが、こういう声かけサービスというのは実は防犯の意味合いの方がかなり強い。コンビニなんか経験しているとわかるのだが、死角になるような場所で万引きとかの行為をさせないために、声を客にかけるという行為が必須になるケースがある。なおさらこの昨今のモンスターカスタマーが急増している状況で常連連中の常連以外(それを入れても本当に信頼できない人というのは結構いる。たとえばある店員がやめたときに手のひら返しをする客とかはその瞬間に信頼が0になる)は、信用する事自体うーんとなってしまうケースも出てくる。そう言う意味では過剰に声をかけてくる=自分が疑われる可能性もあると言うことを覚悟しておいた方がいいかもしれない。つい挙動不審になってしまうことも出てくるし。ただこの状況を作り出したのは、他ならぬ自分たちで万引きとかに対する目が緩すぎるのが原因というケースもあるわけで、そのあたりは心の中にしまっておいた方がいいのかも。もっともいい店員というのも比較的少ないのが実情だし、本社社員が気合いを入れるなんてケースは直営系統の店か優良店以外があり得ないので、どっちもどっちというケースがほとんどになるんだろうけど。


 秘密裏にやられていたらその場で愛情ゲージはマイナスになる>ある携帯アプリがマイナスの意味で大問題になっている。その内容は一言で言えば女性による彼氏の監視で、関しそのものにつながることから大問題に。開発したところはそのつもりはないと言っているが、明らかに大問題である上に、場所によってはウィルス扱いになっているところもある。それだけにやったところにはウィルス作成罪が入ってくる可能性があるのだが、別な意味での利用価値を見たという人も入る分論争が起きそうな気が。自分がやられていたら、その瞬間に同じ事を要求するだろうし、それができないというのであればその場で別れを切りだすだろうし、使えないような対策プログラムを導入する。もっとひどい事を言えばその場で携帯を変えてしまうかもしれないし、それができない場合は携帯を壊すという選択肢も出てくるかもしれない。導入する方は束縛したいという意味があるのかもしれないが、それがどういう意味にだということが分かっていない連中が多い。もちろん男による女性の束縛も同じことが言えるわけで、その結果DVに認定される可能性だってある。親が子供を守るためと言っても度がすぎれば軽蔑される状況だってある。監視社会の世の中とはいえ、こういう束縛感のあるものを作るというのは最初から問題があるとしか思えない。


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67曲目

2011年09月20日 | クラシック

 グノー(+バッハ) アヴェ・マリア (歌、キャスリーン・バトル+ギター、クリストファー・パークニング)

 

 成立年代 1859年

 時代区分 初期ロマン

 形式 歌曲

 形態 ピアノ(オーエケストラ・今回はギター)+歌手

 アレンジ ピアノソロ(ドレミのピースギャラリーにあるのは簡易版)、他の楽器+ピアノというのもある。多数。

 (*)平均律1番のプレリュードは前に紹介済みなので省略

 グノーの代表曲の一つであるアヴェ・マリアです。平均律1番のプレリュードにメロディーを乗せただけのものですが、アヴェマリアと言えばシューベルトと同じぐらい名前が挙がってくるものの一つです。伴奏に使われている平均律のプレリュードが確実に演奏できれば、教会音楽そのもののイメージがあるだけに(それだけにこの曲が入っているソナチネアルバム1番では、ちゃんと演奏するのであれば難易度は高くなると表記されている。弾くだけであればバイエルのレベルからでも可能)、これにメロディーを乗せてさらに宗教色を強めて言っています。その立場故に宗教色の強い作品ばかり作ってはいるのですが、管弦楽の「操り人形の葬送行進曲」はヒッチコックの映画で使われており、実は結構聞く機会が多い作曲家の一人に名をあげることが出来ます。

 こういう他の人の曲に乗せて他のメロディーを当てる、もしくはクラシックの音楽を他のジャンルの音楽に切り替えるというのはよくある話で最近で言えばSEAMOの「Continue」ではレーガーの「威風堂々」が曲中で使われていますし、平原綾香のジュピターなんかはまさにホルストのジュピターから「火星」の部分ですし「威風堂々」というそのままの曲もあります。展覧会の絵をロックにアレンジしてしまったELPというグループもあります。(これがきっかけでいろんなアレンジが出てくることになる。順番で言えば原曲→ラヴェルによるオーケストラ編曲→ホロヴィッツによるピアノ再編曲→ELPによる編曲→ギターの山下和仁によるソロ編曲)それだけにクラシックといえども今の音楽に直結する部分というのはかなりあると思います。ただし、それが故に別なところでは著作権問題( )が発生していて、音楽の鉱脈が掘り尽くされたなんて話を聞くことが毎日のように出てくるようになったのですが。

 グノーの後半生は彼自身が教会のオルガン奏者という職にあったので、どちらかと言えば宗教的な音楽を作ることが多かったのですが、オペラなどのジャンルの作品にも作品を出しています。有名なのは「ファウスト」で、たびたび上演をされます。この人の元にある人物が合唱団員として入団しています。その人は才能が豊かで、グノーが惚れ込むほど。グノーは彼を音楽の道に進ませようとしたのですが、彼は首を縦に振らず自分の進むべき道(このときは彼自身が陶器工場への就職を望んでいた)の方に言ってしまいました。その人の名はルノワール。後に絵画の世界では印象派の一員という超大物になるような人でしたので、もし音楽の道に進めてしまっていたら印象派の時代のよう来駕少し遅れたかもしれません。

 次回はラフ。


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