農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

会津鶴ヶ城

2021-03-22 21:34:47 | 

会津鶴ヶ城のシンボル天守閣に上ってきました。
この天守は昭和40年に再建されたそうです。

幕末、賊軍の汚名を着せられた会津藩の末路は悲惨なものでした。
戊辰戦争では1か月におよぶ戦闘の末鶴ヶ城は落城。
その当時の砲弾でボロボロになった天守の写真が残っていますが、
なんとも哀れなでなりません。
明治維新後まもなく鶴ヶ城の天守閣は新政府の命により取り壊されています。

1384年(至徳元年)の葦名家以来、
会津を治めた歴代藩主の名前を見ると、
伊達政宗や蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明(伊予松山城から転じる)、保科正之とビッグネームが多いのに驚きます。
それだけ会津は交通の要所であり、
また優れた治水灌漑事業などで豊かな実りがあった土地だったのだそうです。

最後の藩主として入場したのが徳川家の譜代である松平家。
最後の藩主松平容保は若くして京都守護職という重責を担います。
藩校日新館で学んだ徳川への忠義。
容保の生真面目な性格がのちの悲劇を生んでしまうとは、
歴史の皮肉とはいえなんとも残念でなりません。