平成30年9月6日午前3時過ぎ、
北海道胆振地方を震源とする大地震が起こりました。
のちに命名された北海道胆振東部地震です。
震源地に近い厚真町は震度7の猛烈な揺れ。
北海道で起こった地震では初めて震度7が測定されました。
その厚真町で地震を体験した友人から話を聞いてきました。
初秋の夜明け前、
ほとんどの人々はまだ布団の中だったはずです。
最初は体が持ち上がるほどの強い縦への衝撃、
その後この世の終わりかのような激しい横揺れがしばらく続きました。
「死ぬかもしれない」
命の危険を強烈に感じて、思わず悲鳴を上げたそうです。
倒れる家具、散乱する生活用品。
足の踏み場もないめちゃくちゃの状況で、
茫然自失の日々が続きました。
北海道全域が停電したのは報道の通り。
厚真では電気が復旧するまで4日がかかりました。
これがもし暖を取るために電気がかかせない冬だったら
もっと犠牲者が増えたかも知れないと言います。
ライフラインでは水道の復旧に10日も要しました。
その間支援物資が配られたり、
また檀家さんがポリタンクで届けてくださったりしたそうです。
食料はカセットコンロで煮炊きしたりしながら、
有るもので食いつなぎました。
友人はお寺の住職。
倒壊こそ免れたものの、本堂の被害は甚大でした。
窓ガラスのほとんどが割れたため外壁はブルーシートで覆われ、
内部の柱という柱には、補強材として筋交いが打たれています。
ご本尊は庫裏のほうに移動してありました。
これらはあくまでもこれ以上損傷を進ませないための応急措置。
本堂の再建には莫大な費用が掛かるため、
今のところ復旧の見通しは立っていません。
隣接する公園には仮設住宅が立ち並び、
入居者の皆さんが初めての冬を過ごしていました。
大規模な土砂崩れが発生して
住宅家屋を飲み込んだ吉野地区に行ってみました。
背後は山だけれど、目の前には収穫を控えた黄金色の美田が広がっていたはずです。
倒壊した作業小屋から覗ける農機具の残骸。
同じ稲作農家として思わず目頭が潤んで手を合わせてきました。
地震から4か月経過して、町は日常の生活を取り戻しているように見えます。
しかし大地震に遭遇した心の痛みは、まだまだ癒えることはないでしょう。
幸い余震の頻度は少なくなっているようです。
これからの厚真の皆さまの暮らしが平穏無事でありますように祈ります。