
恩賜庭園?恩賜って何だ?

天皇から賜ったって言う意味よ。

サッカーの天皇杯みたいなもんか。

ちょっと違うと思うけどね。

サッカーとラグビーなら同じようなもんか。

まあ、どちらもワールドカップがあるほどの世界的競技ではあるけどね。

しかし、知らなかったなあ、南アフリカでラグビーのワールドカップが開かれていたなんて。

しかも、ネルソン・マンデラが深くかかわっていたなんてね。

そのへんの事情は、クリント・イーストウッド監督の新作「インビクタス 負けざる者たち」を観るとよくわかる。

アパルトヘイトで27年間投獄されていたネルソン・マンデラが解放されて大統領になったらラグビーチームを強くして国をひとつにしようとする。

ところがそのラグビーチーム、アパルトヘイトの時代には白人社会の象徴として黒人たちからは忌み嫌われていた。

白人に迫害されていたマンデラだからまさかそのチームを存続させるとは思わなかったのに、存続させるどころか、国民の気持ちをひとつにするために強化する。

「白人になくて我々にあるのは寛容だ」とか言って黒人たちを巻き込んでいく。

そう、マンデラが目指しているのは、白人の国でも黒人の国でもなく、両方の尊厳が保たれる国なのよね。

白人たちに27年間も投獄されていたのに、恨みのひとつも吐かず、たいしたもんだ。

大統領を取り巻くSPにも、黒人と白人の混成チームを配したりして自ら融和をはかる姿勢を見せる。

彼らが、最初は反目しあっていたのに、最後は肩寄せあってラグビーチームを応援するようになる。

そして、国民全体も、黒人も白人もなく、祖国のチームを応援し始める。

やっぱり、オリンピックとかワールドカップになると、みんな一丸となって自分の国を応援しちゃうもんなあ。スポーツの力ってすごいよなあ。

それをわかってたマンデラがまた、すごい。あの信念は、やっぱり迫害の歴史の中で培われたものかしらね。

で、それをこういう映画にしたイーストウッドがまたすごい。

あ、ようやく監督の話になってきた。

あれだけの偉人を描くのに、イーストウッドの演出はいつものように淡々としたものだ。

決して、感情に溺れたり、話がぶれたりしない。ただ物語ることをきっちりと物語っていく。

だから表面的な伝記映画にはならない。血の通った人間のドラマになる。

サスペンスを撮ろうが、戦争映画を撮ろうが、隣近所の話を撮ろうが、こういう政治やスポーツの話を撮ろうが、すべて傑作にしてしまうというのは、どういうことかしらね。いい意味で、あいた口がふさがらないわ。

天才監督というのは、スタンリー・キューブリックのように美術に凝ったり、フランソワ・トリュフォーのように題材が恋愛に偏ったり、みんな独自の映像スタイルを持っているんだけど、イーストウッドには、そういう独特のスタイルがあるわけでもないんだよな。なのに、撮る映画、撮る映画、みんな傑作になってしまうのが凡人には信じられないところだ。

結局、映画の基本に忠実だっていうことかしらね。

それ以上、へんな色気を出さないことで、かえって映画に色気が出てきてしまうのかな。

ファーストシーン、道をはさんだ右と左で、ただ黒人たちはサッカーをして、白人たちはラグビーをしているだけのシーンなのに、それで映画のテーマをすべて感じさせてしまう、とかね。

これで年齢は79歳だぜ。怪物だ、怪物。

いま、世界の映画監督に天皇杯をあげるとしたら、ぶっちぎりでイーストウッドしかいないわね。

いない。

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さっそく訂正しました。
「ン」はだいじです。
これがないと、監督名も
「クリト・イーストウッド」になってしまいますね。