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介護に正解は無い

2022-03-25 11:06:50 | 自宅介護

親の介護を卒業して10年近くなり、そろそろ自分が介護される事を考えなくちゃと・・😢

 

自宅での介護を今思えば、腹が立ったこと・笑った事・悔しかった事・悲しかった事、、、全てが・・・思い出です

今は介護・葬式・法事を経験した事で、それらに初めて直面する人から相談を受けたりします。

親が亡くなった後の行動は一般的な方法でほぼ解決しますが、介護が進行中の人に答えるのは難しいです。

 

介護される人10人が居たら、その人が求める最良の方法は10種類。

それに、介護する方が10人は居る訳で、その人達がベストと考える方法が10種類。

それぞれが絡み合い、その中からベストな方法を見つける可能性はほぼゼロです。

結局は両者が不満足な妥協点を見つけるしかありません。

 

介護の専門家が色々と良い方法を言っていますが、介護をする人がその内容を教科書の様に正しいと信じ過ぎると大きな間違いを起こします。

自分は正しい事をやっているのに、親がそれに沿ってくれないので、親の方が間違っていると感じてしまうのです。

その結果、ストレスを余計に感じてしまいます。

 

親が完全な寝たきり状態とか、完全な認知症状態になれば、介護と言う考え方は捨てた方が良い。

その状態になれば「扶養する」 「扶養しない」 この判断だけです。

※ちなみに、、、民法877条で「直系血族」と「兄弟姉妹」。民法7582条で「夫婦間」で、扶養の義務を定めています。

義務と言う言葉の前段階で解決するのがベストなのは言うまでも有りません。

 

寝たきりとか認知症はある意味において状態が安定するので、判断するのは要介護者に対して同じ方法を継続できるかどうかだけです。

日々、最良の方法が変化していく介護とはその点で大きく違います。

 

介護で一番難しい点は親の状態が安定するまでの長い期間です。

 

寝たきり状態の方は見た目で判断できますが、認知症の方は判断が難しい。

半年程度でティッシュペーパーを食べてみたりして、ボケの進行が一気に進む人の場合は簡単ですが。

多くの老人はゆっくりと悪化して、何処で「見切り」を付ければ良いか解らない。

脳の写真を撮って隙間が大きくなっているとか、認知症の専門医でテストして判定されても、その人によって症状に差があり、最終的には介護をしている人が判断しなくてはなりません。

医師や介護の人がなんだかんだ言っても、最後は医学や介護の素人が判断するのです。

 

親のもとに行き。

髪の毛が伸びているので 

「明日、散髪屋さんに行こう。私が迎えに来て連れて行くから。」

親・「ああ、頼むな。」

こんな会話が有り、帰り際に 「それじゃあ、また明日ね。」と言うと、、、

親・「明日も来てくれるん。遠いのにそんなに来なくても大丈夫。」というのです。

1つ1つの会話は相手(子)に気を使い、間違った事は無い・・・。

※記憶力が弱くなっただけです。

 

背もたれの有る立派な椅子を買って

「コタツで横になるとなかなか起き上がれないし、オムツもずれてしまって尿を漏らしてしまうので、この椅子に座ってテレビを見たりしてね。」と、、、

親・「コタツの方が横になって寝る事が出来るので良い。」と

「それだと尿をもらして汚くなってるでしょ。誰が掃除するの・・」と、少し強い語気に・・・

数日後に行くと、全く椅子を使った形跡がない。

※その形が高齢者にとって最良の形なんです。正しい事の押し付けは問題発生の原因です。椅子の方が楽だと感じるまで根気よくやるしかない。親が、、子供が心配してやってくれてるのだから仕方ない、嫌だけどそうするかと思うのには時間がかかります。若い時は頑固じゃなかった親でも、体力が落ちると新しい形は何倍も辛いのです。

 

親の介護が必要かなと感じた時に、、、

・親の経済力、、親の収入がどれくらいなのか。

・自分の現状、、介護の時間をとれるのか、自分の家庭にどれほどの負担をかけるのか。

・物理的な状況、、親の住む家との距離はどれくらいあるのか。

正しい判断をして事前に解決しなければならない事も多い。

 

介護はどうしても人間関係の近い夫婦だったり親子の間で行われる事がほとんどです。

それだけに遠慮が無くなり、相手に対する要求が厳しくなります。

 

介護に関する問題はこれからがピークで、人口の多い世代が後期高齢者となり、施設も箱だけでなく人も不足してきて、今までの様に「もう手に負えないから・・」と言って介護施設にお願いしても、直ぐには入れない事も発生するようになるでしょう。

その結果、自宅介護を余儀なくされ、介護を受け持つ人は逃げ場が無くなり、より苦しい状態に追い込まれます。

先に言ったように介護に正解な方法は有りません。

ただ介護をする人がどう思って介護をするかで、その人が受ける苦痛が少なくなる方法は有るかも知れません。

 

年齢を重ね、介護が必要な状態になると、本人の兄弟姉妹の葬式にも欠席するようになります。

親よりも、子供よりも長く付き合ってきた兄弟姉妹。仲が良くても葬式に行けず、子供に代理を頼んだりします。

そして、葬式が行われていると感じる時間に、家で一人で涙するのです。

老人は色々と理由を言います。

私の様に不自由な人間が行くと相手に迷惑がかかるとか・・・

でも本心はその場に移動するのが厳しいのです。車や車いすで補助してくれても厳しいのです。

それくらい身体を動かすことが辛いと言う事を解ってあげて欲しい。

そこを理解すると親に対しての日々の不満が小さくなり、自分の為にもなります。

 

片腕がない人が相手なら、その事で粗相が有っても腹は立ちません。

それと同じなんです、ただ精神的な事は目に見えないので理解がしにくく、頑張っていないとか自分の話を聞いてくれないとか思ってしまうのです。

 

仮に10の部品が身体に有ったとして、その内の1つか2つが故障しているだけ。残りの8つ9つは正常なんですから、その1つや2つで全てを否定してしまっては・・・それは間違いです

1つ故障しているだけで全てが故障していると判断するのは、要介護者と介護する人が同性の場合に起こりやすい。

父親を娘が介護する時は受けるストレスが少ないのに、母親を介護する時は大きなストレスを感じてしまう。

私の知る範囲の話ですが、どうしても女性の方が長生きし、自宅で介護するのも女性の方が多く、ストレスの多い組み合わせが多いと感じます。

 

ある一例ですが・・・

母親はディサービスに週3で行き、他の日に2人の娘がそれぞれ2度ほど母親のもとを訪れ、1週間を回していました。

毎日誰かが母親と接して、一人にはしない方法をとっていたのです。

それが母親にとり、娘たちにとり最良の方法と考えての行動です。。。

ところが、、、

最近は母親がディサービスに行った日に家に行き、掃除・洗濯・ベットの調整・食べ物の作り置きをやっている。

何故、そんな風に変更したのかを聞くと、答えは即答でした。

「母親の顔を見ると喧嘩になるから。」

そんな状態に変更するまでには色々な事が有ったのでしょう。

それは理解できるのですが、孤独な高齢者と会って話をするのも大事な介護です。

 

貴女のやってる事は介護じゃなく、チョットした世話をやいてるだけ。

もう二度と親の介護をしているなんて言うな

内心、厳しく言い過ぎたとは思うのですが、今の状態を乗り越えないと、本当に厳しい介護はこれからです。

親が亡くなって後悔しないように、逃げずに自分から向き合ってほしい

かなり腹をくくらないと人間の介護なんて簡単にできるモノじゃない。

 

私はもう介護に関わる事はないと思います。

これから、もしくは今介護をしている人にほんの少しでも役に立てば良いんですが・・・