地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

介護疲れで殺人

2015-06-27 22:06:23 | 自宅介護
介護をしている人が、その相手の命を奪ってしまう。
理由は色々とあり、それぞれの事件で違う理由があると思います。

共通しているのは「自宅介護」と「一人で介護」と「女性が男性を殺す」

まぁ、女性(妻)が男性(夫)を殺すのは、平均的な寿命の違いもあり、
そういう状態が多いので一概に女が男を・・・と言う事は出来ません。

それと、もう一つ肝心な共通点が有ります。
それは事件が起こるのが、介護の期間が短い時期と言う事です。

自宅での介護は無理をしなければ成り立ちません。
その覚悟がしっかりしていないと悲劇の原因になります。

不慣れな介護生活を始めて、ある時期になるとストレスが最高潮に達します。
その期間を乗り越えると、、、、それなりにこなして行けるのです。

これは母親と父親とを別々にそれぞれ約10年、合計20年・・・世話~介護を一人で経験しての結論です。

その種の事件を起して判決の結果のニュースを見ると
その殆どが執行猶予付きです。
刑の執行を猶予するのですから、一般人にとってはほぼ無罪と同じなんです。

チョット話しが外れますが・・・
猶予刑は再犯の可能性の低い人でなければ、その判決は出ません。
しかし、その考え方と違った方向から見ると、再犯の可能性のある常習犯の窃盗なんかの場合の方が、その(再犯の)予防にはなりそうです。
懲役5年・執行猶予5年と常習的な窃盗犯に科すると、その人間はかなり考えます。
つぎにやって捕まると・・・その犯罪にプラス5年ですから、10年以上かぁ・・・と。
常習者に反省を求めるより、次にやると長期の刑になるぞと言うプレッシャーの方が効果がありそうです。

話は元に戻りますが・・・
例えどのような理由があろうとも実刑が良いのでは・・・と感じています(正当防衛は別です)。
介護疲れ・・・殺人の動機としては同情しますが、、、、

弱りきって抵抗できない人の命を取る事は人としてある一線を越えている。
介護をしている時には、、、正直なところ、そんな考えが頭の中を走ることも有ります。
しかし、考えるのと実行するのでは、、、途方も無く大きな壁があって当然と思うのです。

その壁を低くしてしまって良い訳ない。

今後はますます自宅介護が増えると思います。それも、仕方なく自宅介護になってしまっていると言う状態が増えます。
それと共にその種の悲しい事件も増えることでしょう。

その解決を国や地方の自治体に頼っても・・・・残念ながら無理な状態です。

自宅介護の可能性が有る人、介護を一人でしなくちゃならない状況の人。
現実にその状態になる前から、何度も何度も覚悟をしてください。
繰り返し自分自身に無理をしなくちゃなしえない事なんだと言い聞かせてください。
・・・今のところ、、、それしか方法が無い

野菜の収穫

2015-06-24 11:11:39 | 日記


雑用が飛び飛びにあり、しばらく家庭菜園の畑に行く機会が無かった。
その間は地主のお婆さんが適当にやっててくれると勝手に信じて

久しぶりに行くと・・・
やはり農家のお婆さんは親切です。草も抜いて畑はきれいな状態でした

私の家庭菜園は・・・収穫のみ。

キュウリ・ナス・トマトなど、タイミングの良いのを見つけては収穫です。
毎年ですが、やはり実がなった最初のころが一番楽しいですネ

勿体無い話しですが、かなりの量の野菜が収穫しないままになります。
誰かにあげれば良いんだけど・・・それも正直な所、チトめんどくさい感じになります。



お婆さんの畑のトウモロコシ・・・今年の出来は悪いし、去年と品種も違ってる。
・・・と文句を言いながら、、、頂いた。
帰ってすぐに湯がくので外側はその場で取り除きます、コレを家でやるとコミの山になるし、
なんか家では見た事の無い虫がウロウロするんです。

生態系を破壊してはいけない(笑)と虫は畑に残しておきます

自宅介護・6 母の死

2015-06-23 21:36:26 | 自宅介護
(内容は自宅介護5の続きです)

母親が72才の時に階段から落ち、それが引き金となり一年後にはほぼ完全な寝たきり状態。
そこから四歳年上の父親が中心となり自宅介護が始まりました。

その間にも色々と問題はありましたが、なんとか問題のたびに考えては解決と言う綱渡りです。
介護する対象者がどんな状態になるかで、介護の内容が変わるので・・予測は出来ても予定は出来ません。

寝たきりの母親・・83才
介護をする父親・・87才

父親が良い方に予想外の元気だったので、なんとかやってくる事が出来ました。
それでも、もうソロソロ限界だろうと・・・
私は大阪から両親の近くに引っ越してきました。

実際にはかなり無理をしたのですが、、、無理をしなきゃ親の面倒なんて見ることは出来ません。

それまでの約10年間はあくまでも介護の手助けの感じが強く、私が責任を持ってやっていた訳ではありませんでした。
しかし、引っ越した時に仕事も整理したので時間はかなり自由になり、
介護はもちろん母親の話し相手もかなり出来るようになりました。

私が親の元に帰ってから数ヶ月後に母親の誕生日があり、姉夫婦や孫も来て祝ってくれました。
母親は、少しはしゃぎすぎと思えるほど上機嫌でした。

姉は一泊し、母親の誕生日の翌日のお昼頃に帰りました。
その帰り際に母親は「車の運転は気をつけなヨ」と姉を送り出した。

私は自分の家に・・・

それから、、、、30分も経たない間に父親から私の携帯に電話が・・・。
私「なにぃ~」
父「お母ちゃんが死んだ。帰ってきてくれ・・・」

さっきまで元気だったのに・・・
急いで車に乗って実家に向かったが、運転中は涙が溢れて止まらなかった。
この時に人生で初めて嗚咽(オエツ)を経験した。

家に着くと、すぐ近くにある病院の先生が来ていた。その横で気の抜けた父親が・・・・。
十年余り寝たきりの母親の介護をしてきた老人の父親、そのまま息をひきとるのじゃないかと感じるほどの状態でした。

父親が私に
「姉ちゃんが帰った後、喉が渇いたと言うので水を飲まそうとしたら、こっちを向いてそのまま動かなくなった。」
「それから・・・お前、後のことをすべて頼む、、、、。」

コレだけ言うのがせぇ~一杯だった。

兄・姉達に連絡して、、、親戚にも、、、
通夜・葬式などの段取りで忙しい事が私の悲しみを一時的に抑えてくれる。

しかし、、、、私の介護と言う怪物との戦いは母親の死が介護開始のゴングだった。





自宅介護・5

2015-06-21 22:01:10 | 自宅介護
(内容は自宅介護4の続きです)

母親が自宅で寝たきり、父親が病院に入院ではさすがに私一人ではどうにもならない。
姉にSOSです、月に一週間のペースで自宅で介護に当っていた姉が・・父が退院するまで助けてくれる事になった。

姉にしてみれば親の事だから当然と言いますが、その裏では義兄(姉の亭主)の理解が不可欠です。
義兄は姉が実家に行きやすいように 
「親の事を弟にまかせっきりなんて駄目だ」と姉に強く意見していたのです。

父の入院中の出来事ですが、、。
父が尿意を訴えたので、私が身体を起し、姉がベットの横で尿瓶を用意していた。
ベットの端に座らせて用を足すんです。

父親は我慢が出来ないのかあわてていた。
自分でチンチンを尿瓶の口に入れようとしているのだけど、なかなか上手く入らない。(見えないんです)
父親は小便が出そうになったのか 「あっ・・・」と言った。
その瞬間、間髪を居れず姉が父親のチンチンをつまんで尿瓶の口に差し込んだ。
・・・・・親父は沈黙。

娘にチンチンをつままれた親父の心境や・・・いかに。
息子に股を開いてオムツ交換をしてもらう母親とはチト違う感じかな???


自宅介護・4

2015-06-20 22:34:07 | 自宅介護
(内容は自宅介護3の続きです)

母親の介護や父親の世話から離れ、久し振りの正月をしていた。
嫁の作ったおせち料理に日本酒・・・人並みの正月だと2人でゆっくりしていた。

この後は大阪の住吉大社に初詣です・・・。

そんな時に家の電話が鳴った。
誰かから新年の挨拶かと思い受話器をとると・・・聞き取れないようなかすれた小声がする。
「だれ!!!」・・・・「どちらさんですか???」

すると「〇〇かぁ~」と私の名前を・・・親父だ。

どうしたんだ????
父親がまさしく蚊が鳴くような声で 「昨日から身体がだるくて動けない。お母ちゃんのご飯も出来ん。」

事情を詳しく聞くと、日頃、色々と迷惑をかけているし、元旦早々だし、かかり付けの医者にも遠慮して電話をしていない。
ヘルパーさんも大丈夫だろうと大晦日と元旦は断ったらしい。

外ズラの良い人だけに日頃迷惑をかけているので、年末年始位は休んでくださいと考えたらしい・・・。

仕方なく  「今から行く、昼過ぎには着くと思うので暫くそのまま寝ていて。」
少し酒を呑んでいたので外に出てランニング、帰って風呂、、、そして、もう一度ランニング、そして風呂。
これで酒が抜けるわけじゃないが、幸いにも銚子一本に満たない程度だったので、感覚的には大丈夫と判断。

翌日から仕事のある嫁は待機で、私一人で帰ることに。
大阪の自宅から徳島の実家までは殆どが高速道路、約二時間で着く。

何とか無事に実家に着き、両親が寝ている部屋に・・・。
悪臭だ・・・母親のオムツが満杯状態になってるのはすぐに解った。

父親に「とりあえずお母ちゃんのオムツを交換するから・・」 父は無言でうなずくだけだ。

私はこの時が一人でオムツ交換する最初でした。
心の中で「新年早々に母親のオムツ交換かぁ~」
白髪だらけの女性器・・・母親の。   それもひどい臭いだ。

ふと母親の顔を見ると・・・私以上に辛そうなな顔をしていた。
確かに、末っ子の男の子に下半身をさらけ出してオムツ交換をしてもらう母親・・・
身体の調子は悪くても、頭はしっかりしている状態だけにどんな気持ちなんだろぉ~。

やっとの思いで母親のおむつ交換が終わり、次は父親の状態確認です。
微熱があり、一見は風邪の様に感じた。
高齢者の風邪はなかなか治らない場合が多い。
雰囲気的に悪化しそうな感じでなかったので様子を見ることにして、、、。

2人の食事の用意だ。

さぁ、、、寝たきりの母親と風邪で寝込んだ父親、しかも2人とも高齢者。
どんな物を用意すれば良いのか・・・・。

とりあえず米を炊く、そしてお粥にして。オカズはおせち料理として買ってあった物から柔らかいタマゴなどと梅干。
寝たきりの母親の方が食欲は普通にあったので一安心だ。

しかし、今はなんとかしのげたが・・・これは少なくとも数日はかかる。
姉達に連絡して助けてもらおうか、、、、悩んだが連絡はしなかった。

その時に私は・・いつかはこう言う時が来る、その時の為に練習だと思うことにした。

両親の食事が終わり、私は自分の食事と買い物の為に外に出た。
大型のスーパーは年中無休だ・・・助かる。
それは良かったのだが、、、、私はあの悪臭が鼻に付いて吐き気がして食欲がゼロ・・・ビールで空腹をごまかした。

結果的に父親は4~5日で元気になり、私は介護から開放された・・・やっと正月だ。
医者やヘルパーさんから 「なんで言ってくれなかったんですか。」と言われたが・・
新年早々で、私にも遠慮が有ったのかも知れない。もちろん、ある程度は自分で出来ると言う判断も有った。

その後、大きな問題もなく老老介護と姉と私の担当もそれなりにこなしていた。
私もオムツ交換・身体をキレイに拭く・食事の用意と少しづづ経験をつむようになって行った。

父親は80才になっても元気に介護に明け暮れる。
本当に「子供孝行の親だ」、、、と。

ところが・・・私が実家に居てる日に、父親が胸を押さえて苦しみだした。
顔は苦痛でゆがんでいる。良く顔を見ると・・顔色が悪い。
なんか黄疸が出ているような感じがした、、、これは手に負えない、すぐに医者に来てもらった。

かかり付けの先生は 「もしかしたら、イシが動いたのかもしれない」
父親は胆石を持っていたんです、ただ、動かなければそのままで・・・と言う状態だった。
それが動いたのだろう・・・すぐに総合病院に行き検査です。
案の定・・・小さなイシが胆管の出口で詰まっているのが解った。
それが原因での激痛と、胆汁が流れなくなり黄疸の症状が出ていたのです。

医師は高齢なので麻酔などのショックとか手術に耐える体力が・・・・・と言ったが
そんな事を言っても放置は出来ない状態です。
私は即答で 「何が有ってもかまいません、全責任は私がとります、手術をしてください。」

今考えると、よくまぁ勝手に言ったもんだ。
本人や他の子供たちに何の相談もせずに勝手に判断したのですから・・・・。

医師が了解してから、兄弟たちに連絡です。
手術が上手く行っても、暫くは入院です。

家では寝たきりの母親、そして父親は病院に入院。
なんて言う状況なんだ・・・。