真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「親友の妻 密会の黒下着」(2008/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:竹田賢弘/撮影助手:海津真也・丸山秀人/照明応援:広瀬寛巳/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/制作:永井卓爾/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:田中スタジオ・SWANP《西荻窪・バー》/出演:友田真希・倖田李梨・華沢レモン・なかみつせいじ・竹本泰志・牧村耕次・山ノ手ぐり子・アキラ《子役》/Special Thanks:野村貴浩・神戸顕一・三浦純也・和久井美里)。出演者中、山ノ手ぐり子がポスターには山の手ぐり子。
 野菜を水洗ひする主演女優、来訪者を告げる玄関チャイムの音と、その旨を確認する夫との遣り取り。「ハッピー・バースデー」、客の声に合はせてタイトル・イン。
 課長職のサラリーマンにしては妙にダダッ広い戸建に暮らす、高宮聡(なかみつ)の誕生日祝ひに、高宮とはともに駅伝に汗を流した大学時代の同級生で、建築事務所に勤務する建築士の森本和彦(竹本)と、妻で人気インテリアデザイナーの美樹(倖田)が訪れる。高宮の妻・マドカ(友田)と四人での恒例のホーム・パーティー、としたところに、高宮の十才の息子・つよし(アキラ/ex.つーくん)がランドセルを背負つて帰宅。おいおいおい、一体この人等は何時から飲み食ひしてゐるのか、大体高宮は―森本もだが―仕事はどうした。さて措き幾分時間は流れ、つよしと付き合ふ森本がプレステに興じる傍ら、美樹は聞こえよがしに不倫相手からと思しき携帯に出る。森本夫妻の帰宅後、美樹の放埓に苦言を呈する高宮の母・弥生(山ノ手ぐり子=五代暁子/アキラ実母)の顔見せ噛ませ、漸く絡み初戦、コッテリとした高宮とマドカの夫婦生活。心許ない素のお芝居から濡れ場に突入した途端、俄然輝き始める友田真希の本領発揮が力強い。馴染みの店「SWANP」で高宮と軽く飲んだ森本は、その足で後々の会話から推し量るに建築事務所の同僚、であるのかも知れない不倫相手・エリ(華沢)とホテルにて一戦。要はこの夫婦、お互ひ様といつた寸法である。そんなある日、待ち合はせの風情で歩道橋に佇む美樹は、高宮の姿を見かけるや猛ダッシュで先回り、とりあへず食事に誘ふ。続いて、実はその模様を―高宮は兎も角美樹の顔は見知る―エリに目撃されてゐるとも知らず、美樹は高宮を強引にホテルに連れ込む。倖田李梨が得意とするセクシー・ダンスで火蓋を切る、高宮にとつては初めての浮気。性癖らしく、首を絞めての行為を求められた高宮は、勢ひ余つて美樹を殺してしまふ。
 牧村耕次は、美樹の幻影に怯えるのも通り越し消耗する高宮を気遣ふ、牧村(仮名)部長。蛇足気味にそのシーンを補完する野村貴浩は、最近ミス続きの高宮を離れたところで揶揄する陰口男、連れは中川大資。全く見知らぬ名前の、残るSpecial Thanks隊は多分「SWANP」のマスターと、後姿しか見せない女の一人客か。
 二十年来の親友同士、片や家庭的な妻を持つ堅物男、片や夫婦それぞれ不倫に精を出すプレイボーイ。プレイボーイは堅物男の家庭的な妻に憧れを隠さない中、一夜の最初で結果的に最後の火遊びによろめいた堅物男は、あらうことか物の弾みながら親友の妻を絞殺。死人への恐怖と官憲には脅威、家人と親友とには行為自体に関する罪悪感と、告白を巡る逡巡。生真面目が小心と表裏一体の堅物男は、忽ち追ひ詰められて行く。美樹が死亡した時点で、一体この物語はこの先どのやうな展開を見せるのか、と一旦は胸を躍らされた池島ゆたか2008年第四作。尤も以降、これは二人揃つてのことなので、恐らくは明確な池島ゆたかの演出企図があつての演技プランではなからうかとも思ふが、なかみつせいじと竹本泰志の大仰と、一方こちらは単にプリミティブな友田真希の大根がある意味苛烈なカウンターをクロスさせる、なかなかに腰も砕ける駄劇もとい打撃戦に終始する。眠れぬ夜の睡眠薬と、自殺目的に購入したトリカブト。明々白々な小道具を二つ事前に落とした上で、自首前夜に睡眠薬を持つて来るやう願ふ、この上なく立てたフラグに重ねて、懇切丁寧に起爆装置を露出してみせる、幾ら量産型娯楽映画とはいへ地下にもめり込まんばかりの敷居の低さには、別の意味で度肝を抜かれた。ある意味凄い映画だと諦めかけたのも束の間、文字通りのフィニッシュ・ブローに鮮烈を叩き込む、本領を発揮した毒婦ぶりと相手役の受けが見事な、満を持して“親友の妻”が“密会の黒下着”を披露するラストには、まんまと油断の足を掬はれたと感心した。強度不足を最後の最後で取り戻す、終り良ければ全て良し、最終的な据わりの安定感が鮮やかな印象を残す一作である。

 それはそれでいいとして、残る問題は、変な物言ひだが映画本体を観るのにかまけ、神戸顕一が何処に如何なる形での見切れを果たしてゐたものやら完全に見落としてしまつた。池島ゆたか通算百三作目となる今作が、二人が男同士で約束した―池島ゆたか監督作―百本連続出演のちやうど百本目に当たるゆゑ、当然必ず絶対に登場してゐる筈なのだが。出現ポイント―ポケモンか―候補としては頻出小道具『AHERA』誌が、高宮家か「SWANP」店内にでも紛れ込んでゐたか、あるいは気づかなかつたが格闘色に染まつた、エリの携帯画面に表示される選手の画像?


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 「半熟売春 糸ひく愛汁」(2008/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/原題:『小鳥の水浴』/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/演出補:田中康文/監督助手:内田芳尚・田中圭介/撮影助手:種市祐介/照明応援:広瀬寛巳/協力:スワット・スターダスト・鎌田一利/メイキング演出・撮影・編集:森山茂雄/挿入曲『愛しのピンナップレディ』詞・曲・歌:大場一魅/出演:日高ゆりあ・野村貴浩・田中繭子・篠原さゆり・牧村耕次・なかみつせいじ・銀治・山ノ手ぐり子・田中圭介)。出演者中、山ノ手ぐり子がポスターには山の手ぐり子。
 看板を抜く類の明示は別にされないが、阿佐ヶ谷スターダストの閉店風景。この店で働き始め半年になる鳥本すみえ(日高)と今日からの綿貫健一(野村)とが、すみえが一方的にどぎまぎする遣り取りを交し、一足お先に日高ゆりあは一旦捌ける。初日の綿貫に戸締りを任せるのは、不自然に思へなくもないが。残された店内、「僕も楽しかつたよ」と綿貫が投げた、すみえに面と向かつていへばいい台詞に続いてタイトル・イン。
 すみえの母親で売春婦の真理子(田中)と、常連客である進藤(牧村)との濡れ場。真理子が娘に客を取らせ始めたことを聞きつけた進藤は、すみえを買ふことを強く求める。のは、実は劇中過去時制。本作が、前日深夜から翌朝五時四十八分までの要は概ね四分の一日の推移に、諸々の過去が重層的に挿み込まれる体裁を採つてゐることに漸く気付き驚かされたのは、遅れ馳せるにもほどがある後述する本間との初戦も経ての、二度目の過去時制明け。己の節穴も棚に上げておいて何だが、過去パートへの入(はい)りのノー・モーションぶりには、正直不必要に眼を眩まされた。殊に、1.5回目の現在復帰も含めての、綿貫の書架からすみえが手に取る、スーザン・フォワード著『毒になる親』の単行本・ここは些か非常識にも、招いたすみえを待たせシャワーを浴びる綿貫の尻・壁に吊るされたセーラ服、といふ短い3カットの畳み込みは、よくいへばアヴァンギャルドにも過ぎまいか。なのでといふのも我ながらぞんざいな便法ではあるが、登場順に配役を整理すると、意外といつては失礼だが綺麗な御御足を大胆に披露する山ノ手ぐり子(=五代暁子)は、真理子とは付き合ひも長い同業者・ナンシー。お互ひ寄る年波から商売も厳しくなる一方故、真理子に沖縄への転居を持ちかける。話に乗つた真理子はその軍資金の為に、未だ処女のすみえに売春を強要する。篠原さゆりは、綿貫の元恋人で社長令嬢の和美。作家志望の綿貫を事実上養ふ間柄にあつたが、在り来りなすつたもんだの末に破局する。和美の出番は計三回、徐々に痴話喧嘩がエスカレートして行く強靭な構成は見応へがある。なかみつせいじが、現役女子高生を偽らされた―挙句に中卒の―すみえの破瓜を散らす、ポップな好色漢・本間。演出部からの増員で田中圭介は、木村ミユキが娘で小学生のミナコを悪魔が憑いてゐると殺害した悲惨なニュースと、後にもう一件尊属殺を伝へるTVアナウンサー。藪から棒にMr.オクレのやうな造形の銀治は、剃毛したすみえの秘裂に驚喜する真鍋。真理子のことだ、絶対に事前にオプション料金を取つてゐるに違ひない。
 変則的なクレジットで開巻する「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(新東宝/脚本:後藤大輔/主演:日高ゆりあ・牧村耕次)に即して、あるいは逆算していふならば“池島ゆたか監督100本記念作品(パート1)”。即ち正真正銘の、記念すべき池島ゆたか監督百作目である。尤も、ジャスト百作目にも関らず、その点に関しては本篇・ポスター何れも贅沢もしくは奥ゆかしくも一切触れない。そこは別に、晴々しく謳つてみせて当然のやうにも思はれるのだが。兎も角今作は、今作に於けるすみえと綿貫がそれぞれヴェルマとフランキーとなる、米人劇作家レナード・メルフィ作の戯曲『小鳥の水浴』を、池島ゆたかが自ら翻訳したものの更に翻案である。今映画化に先立ち、『小鳥の水浴』はかわさきひろゆき率ゐる超新星オカシネマでも様々な組み合はせのヴェルマとフランキーで舞台公演を重ね、目下、池島ゆたかの演出による里見瑤子×なかみつせいじ版の紐育逆輸入も企画されてゐる。さうはいへ、その辺りの事柄は改めてお断り申し上げるまでもなく当方清々しく門外漢につき、ここは潔く通り過ぎる。その上で、正しく絶望的な環境の中激しく傷つき終には壊れた魂に捧げられた、美しい文字通りのレクイエム。さういふ趣向自体は、小生のやうなレナード・メルフィの“レ”の字も知らぬ間抜けにも、ヒリヒリと届く。届くことは確かに届くのだが、主演女優の分の悪さ、より直截には役の不足も感じざるを得ない。幾ら望んで産んだものではなくとも、実の娘を精神的のみならず性的にも虐待するクズ母を凶悪に演じ抜くのは、現代ピンクきつての大女優・田中繭子こと佐々木麻由子。因みに一時的な田中繭子への改名期間は、出演作でいふと公開順に「物凄い絶頂 淫辱」(2007/監督:深町章/脚本:後藤大輔/主演:華沢レモン)から、「不純な制服 悶えた太もも」(2008/監督:竹洞哲也/脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:Aya)までの計六作。こちらは「さびしい人妻 夜鳴く肉体」(2005/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/主演:倖田李梨)以来となる電撃銀幕復帰を果たす、主には前世紀終盤に活躍した伝説の怪女優・篠原さゆりはそれはそれとして判り易い修羅場を、衰へぬ突進力で凄絶に展開する。映画を背負ふ以前にこの二人を向かうに回すのは、日高ゆりあには些かどころではなく荷が重からう。元々さういふ演出であつたならば元も子もないが、台詞が、一々劇が板の上で執り行はれてゐるものかのやうに芝居がかつて聞こえることにも躓く。但し、その心許なさはヴェルマだけのものでは決してないのかも知れない。都合三度目の過去時制明け、すみえがまるで自分に言ひ聞かせるやうに、「お母さんきつともう寝たわね」と綿貫にはどうでもいいことを独り言つ際の、日高ゆりあの瞳の輝きは尋常ではない。話を戻して最終的に残されるすみえの弱さは、そもそも今回の場合ヴェルマを援護する格好となる、フランキーに起因する部分も大きいといへるのではないか。綿貫は綿貫なりに惨めな境遇にあることは酌めるのだが、そこから、わざわざ自作の詩を捧げ、しかも世間一般的には危ない橋を渡りすみえを救済し受け容れようとするエモーションまでには、唐突な距離も感じた。池島ゆたかの気迫といはんとするところは判るものの、ビリング頭二人が開けた穴に、真の傑作への道を遮られた一作といふ印象が強い。

 本筋とは全く関らないところで、メモリアルな側面も踏まへるとなほのこと解せないのは、池島ゆたかにとつて盟友と呼ぶに相応しい神戸顕一の不在。言ひ訳すると物語に引き込まれ、画面の片隅を探ることを忘れてた。監督作百本連続出演を誓ひ合つた仲―コメント欄を御参照頂きたい―としては、三作後の2008年第四作「親友の妻 密会の黒下着」(主演:友田真希/未見)までは何が何でも如何なる形であれ、その姿をスクリーンに載せておかねばならない筈なのだが。例によつて、鳥本家か綿貫宅に御馴染み『AHERA』誌がコソッと見切れてゐる可能性も当然ありつつ、少なくとも、クレジットにその名前は無かつた。


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 「悦楽の性界 淫らしましよ!」(2011/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:中山敦介/撮影助手:末吉真/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協賛:ウィズコレクション/出演:西野翔・藍山みなみ・津田篤・西岡秀記・山口真里《愛情出演》・亜紗美)。
 店名不肖の飲み屋、細木数子の携帯占ひサイトを見るOLの三沢百々(西野)は、その日が天中殺から始まり、しかも十三日の金曜日で仏滅の三隣亡、おまけに大殺界などといふ、複雑で厄介なコンボを決めてゐるのにポップな悲鳴を上げる。遅れて、百々の同僚、兼婚約者の圭介(津田)が来店。キャバクラばりに胸の谷間も豪快に、天使の扮装で店の名物カクテル「天使のKiss」を注文する前から圭介に持つて来る、友情ではなく愛情出演の山口真里は、店のママ・マリちやん。圭介は百々のそこそこ以上にあるらしき預貯金を無心し、会社を立ち上げる夢を熱つぽく語る。「幸せにするからな」といふ頼もしいのだか薄つぺらいのかよく判らない圭介の言葉に、百々が浮かべた複雑な表情を押さへてタイトル・イン。
 ひとまづ入念に婚前交渉をこなした後、百々は衝撃的な告白を何気なく切り出す。病院の検査の結果、何やら難しい病気で半年の余命だといふのだ。かといつて、特段嘆き悲しむでなく、相変らず臆面もなく自身の貯へに汲々とする圭介の姿に、地金を見た百々は見切りをつける。男運のなさを嘆き、児童公園で黄昏る百々の前に、ゴス系のメイクにアグレッシブな黒尽くめの服装に身を包んだ、その割には案外愛想は悪くない兎も角奇怪な女・悪魔子(亜紗美)が現れる。観音折の無闇な名刺には“地獄推進委員会セールス担当”とある悪魔子は、自分は文字通り悪魔で、百々の魂と引き換へに、何でも悩み事を叶へてやらうといふ。尤も、常識的にはおいそれと呑み込める話ではなく、まるで噛み合はずに一旦悪魔子は姿を消す。再びマリちやんの店、取らぬ、どころではなく取れぬにも関らず、百々遺産の皮算用に相変らず余念のない人でなしの圭介に、悪魔子が接触する。百々とは異なり、圭介と悪魔―子―との契約は脊髄で折り返して成立。赤い照明が色んな意味で判り易く扇情的な一戦を繋いで、『AERA』ならぬ『AHERA』もとい『AEGI』誌を手に取つた百々は仰天する。表紙をマイクロハード社の社長に就任した圭介が飾り、加へて秘書が悪魔子であつた。頃合をジャストに見計らひ、悪魔子再登場。とはいへ、家族関係に恵まれず幼少期より不幸続きの百々の願ひといへばさゝやかな幸せで、一方悪魔子は、悪魔なので幸せだとかポジティブな言葉を聞くとそれだけで蕁麻疹が出てしまひ、矢張り折り合はない。死後の不名誉を鑑み、百々は間もなく遺品となるであらう身の回りの品々を整理する。慌ててゴミ袋に放り込んだバイブに続けて手に取つた、ボール紙製の金メダルに百々は目を細める。それは高校時代、最後の大会でも最下位になつたダメ陸上部員の百々に、絵に描いたやうな情熱家の顧問・有田(西岡)が贈つて呉れた物だつた。かういふ、一山幾らの他愛ないシークエンスに際しても、キチンと観る者の心に強い情動を叩き込めるのは、映画監督渡邊元嗣の決して馬鹿には出来ぬ、確信を伴なつた強さに違ひない。定番が定番たり得る所以は、ひとへにそのエモーション喚起の確実性の高さによるものにほかなるまい。娯楽映画にとつて最も肝要な論理と技術の神髄は、そこにこそあるとするならば、徒にツボを外すことに腐心し、新奇といふ名の珍奇を求める作家性と称した心性は、単なる器量の矮小さに過ぎないのではなからうか。話を戻して、これは正直一度観ただけでは清々しく判り辛いが、愛人の美里(藍山)から、別居中の妻・美穂(全く登場せず)との離婚届を冷たい顔で突きつけられもした有田に、百々は意を決して今生の別れに会ふだけ会ひに行く。少なくとも百々の前では、有田は感動的にまるで当時のまゝだつた。
 正月第二弾、の中でも更に第二弾の渡邊元嗣2011年第一作は、中盤までは全く完璧であつた。徹底して幸薄く、しかも僅か半年後には終る儚い生涯にも関らず、健気さと可愛らしさを失はぬ百々と、悪魔にしては随分と人の好い悪魔子が繰り広げる軽妙な遣り取りは、正統派アイドルとして十二分に通用しよう魅力を湛へる西野翔を、コメディエンヌとしての地力も誇る亜紗美が頑丈に牽引し、抜群に見応へがある。有田絡みのエピソードも、陳腐極まりないものながら、それでも思はずグッと来させられる。有田が悪魔子のナビゲートで百々の現住所に辿り着き、主演女優の濡れ場を二度目に見せるところまではひとまづ磐石。ところが、百々の文字通りの徹頭徹尾の悲運を表現するために、戯画的な熱血漢といふ相の影で、実は有田が―百々が元々入つてゐるといふ描写は一欠片たりとて見当たらない上で―死亡保険金の入手を目論む卑劣な好色漢であるだなどといふ、恩師の薮蛇な素顔を悪魔子が百々に晒してから以降が、俄に雲行きと、軸の所在が怪しくなつて来る。ここで大絶賛三番手の藍山みなみの絡みは、そんな有田に、美里が如何にも毒婦然と寄り添ふ形で仕出かされる。ここはいつそのこと清々しく木に竹でも接いでみせた方がまだマシで、下手に三人目の女優の裸をドラマの進行に取り込まうとして失敗した分、いふならばピンク映画固有の論理に負けてしまつたといへよう。なほも変化の窺へぬ、何処までも純粋な百々をそれでは最後の手段だと、悪魔子が黒百合の花咲かせ篭絡する展開は転じて正方向にジャンル的で麗しいものの、その後の着地点が逆の意味で見事にちぐはぐ。百々はAKB改めOPB48のメンバーにスカウトされ栄華を極めつつ、予定通りの一生を終へる。そこから、渡邊元嗣の抑へ切れなかつた趣味性の発露と捉へれば微笑ましくあるのかも知れないが、直截には蛇足感を爆裂させるエピローグとの間に挿まれた、そこだけ切り取れば超絶の一幕。雑踏の中、物憂げな悪魔子が空に消え行く赤い風船を捕まへ、煩型らしいゴッド担当の寿命を曲げる真のラスト・シーンは劇的に美しいのだが、ただこれでは前後を、OPB48の人気投票で一位を獲得し冗長にはしやいでゐるだけの百々は綺麗に何処吹く風。ヒロインの座が何時の間にか、藪から棒に改悛した悪魔子に横滑りしてゐる。幾ら要所要所は決まつてゐるとはいへ、如何せんこれでは流石に物語が形にならぬ。傑作の前髪を何度か掴みかけたとは思しき、何度も掴みかけたのに画期的に惜しい一作。牽強付会気味に繰り返すが、勝敗の分かれ目は、有田の変心まで含め無理して西岡秀記と絡ませた藍山みなみの起用法に求められるのではないか。さう考へた時、それはそれで潔いが、女の裸を銀幕に載せることにのみ全力を注ぐ裸映画、ではなく。女の裸ばかりに囚はれるでなく、裸込みの裸の劇映画といふ志向、より理想的には女の裸によりより加速される劇映画、でもなく。端的には女の裸に足を引かれた劇映画、といふ評価が相当するやうに思へる。


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 「痴漢電車 濡れ初めは夢心地」(2006/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:伊藤一平/監督助手:中川大資/撮影助手:海津真也/照明助手:広瀬寛巳/現場応援:田中康文/出演:日高ゆりあ・星沢マリ・結衣・津田篤・世志男・竹本泰志・野村貴浩・本多菊次朗・牧村耕次・樹かず・なかみつせいじ・横須賀正一・神戸顕一)。出演者中、横須賀正一がポスターにはしょういち。
 大蔵商事営業三課勤務のOL・東条(東城か東條かも)明日子(日高)と、二年間の不倫関係にある上司・船越シュンスケ(竹本)との情事で順当に開巻。事の最中は頻りに妻との離婚を口にしながら、二人の息子・フミヤとマサトシ(スナップ写真でのみの登場、子役不明)を溺愛する船越は、事後に至るや口汚く手の平を返すと、挙句にそのままトンズラするかの如く大阪に転勤してしまふ。傷心を抱へつつ、そこは勤め人の悲しい性よ、明日子がそれでも揺られざるを得ない通勤電車。ここで早くも、乗降口上方に貼られた『AHERA』誌車内広告といふ形で、神戸顕一が見切れを果たす。ラフな本多菊次朗と、淫具も用ゐる熟達したテクニックを誇るダンディな牧村耕次などといふ、端役にしては贅沢過ぎる痴漢AとBを経て、その日の明日子に、アキバ系の青島清貴(津田)が電車痴漢・ジェット・ストリーム・アタックを目出度くもなく完成させる。しかも青島が明日子の体に触れるのは、一週間前と三日前に続く、三度目のことだつた。本多菊次朗と牧村耕次を連破した、明日子が度々露にする敵意も込めた不快感をものともせず、なほも青島は体を離さない。終に堪忍袋の尾を切らした明日子が青島の手を取り声を荒げた瞬間、電車が激しく揺れ、清水正二の手によるハチャメチャなCGと共に、明日子は郷里で過ごした高校時代に放り込まれる。メガネにおさげ髪と、地方在住女子高生のアイコンを可憐に具現化する女学生ver.の明日子は、町内相撲大会を見据ゑ特訓に励む初恋相手の和彦(世志男)に、祖母の戒めに従ひ将来的には結婚を前提とした上で処女を捧げる。ところがそんな和彦を、あらうことか姉のみずえ(星沢)に寝取られる。挙句に悪びれもせず嘲笑する二人に明日子が逆上した次の刹那、現在の姿の明日子は再び、電車内に揺り戻される。とはいへ何故だか他の乗客の姿は消えた車内では、けばけばしい扮装のみずえが如何にもチンピラ風のケンジ(野村)と、痴漢プレイに戯れてゐた。衝撃を受ける暇もなく、色男を台無しにした車掌(樹)を噛ませて、明日子は今度は墓地に飛ばされる。後に家出して上京し、職を転々とするみずえは悪い病を患ひ、早死にしてゐた。フと見やると腕時計は針がグルグル早回り、まるで用を成さぬ不思議な空間の中で、古時計を抱いた時計男(横須賀)が静かに明日子を見守る。今作限定の話だが、横須賀正一は少し目方を増してゐるやうにも見える。
 配役残り結衣は、更に条理を超えた遍歴を重ねる明日子の前に現れる、基本タチの百合担当・雅美。この期にいふのも随分では済まない間抜けさではあるが、この手の一般的な蓋然性には必ずしも囚はれぬ幻想譚にあつては、任意の形で三番手濡れ場要員を実に投入し易い。作劇の特色を利した、素直なファイン・プレーといへよう。順番的には終盤に至つて最後に登場するなかみつせいじは、事件の現実的な真相を街頭ビジョンにて伝へるニュースキャスター。スタジオから現場に上手く繋がらなかつた為、なかみつせいじが仕方なく振つたコマーシャルに際して、「神戸印のたこやき」CMで神戸顕一が珍しくも再登場。序盤の、実誌ではなく『AHERA』の広告バージョンといひ、このたこやきCMも、初めてお目にかかつたやうな気がする。その他乗客要員が、十分に潤沢に登場。少なくとも、出演者枠にはクレジットされない。
 『銀河鉄道の夜』かはたまた『不思議の国のアリス』か、超常的な往き来の末に最初の和彦と最新の船越だけでなく、これまで終始男運の無かつたヒロインが、終に運命のお相手に出会ふまでを描いたファンタジック痴漢電車。冷静に検討してみるまでもなく、最終的な始終の強度は決して万全ではないのだが、厳密には残る詰めの甘さを初めから規定された六十分といふ尺にギュッと凝縮して押し込めると、勢ひで観させる陽性娯楽映画の良作である。封切りは晦日前々日、即ち2007年正月映画らしく、女の裸数以外には全く豪華なキャストは、端々まで賑々しく全篇を飾る。明日子が現実地平に帰還するラスト直前に差し挿まれる、みずえらから「人生は紙一重」だと、前向きに自らの手で幸せを掴み取らせようとする応援歌的なメッセージも、木に竹を接ぎ気味のベタであると同時にだからこそ尚更、結果的には的確な段取りとして最終段の推移に磐石さを付与する。ランダムな明日子の時空移動と同様、軸足を失した映画全体も漫然としておかしくはないところが、案外安定した一作。不可思議な物語を描いた、不可思議な映画である。とまでいふのは、作為的な牽強付会に過ぎるであらうか。兎も角オーラスを穏やかに締め括る日高ゆりあの満ち足りた笑顔は、最早細かな野暮をいふ無粋など失せさせる。

 筆の根も乾かぬ内に改めて。何となく調べてみたところ、オーピーは2004年から2008年の「痴漢電車 夢うつろ制服狩り」(2007/監督:友松直之/主演:亜紗美)まで、五年続けて正月番線を痴漢電車で戦つてゐる。その中で池島ゆたかが登板するのは、最初の「痴漢電車 誘惑のよがり声」(2003/主演:愛田美々)に続き二度目。2005、2006の残り二年は連続で出来栄えは大きく上下させ、「痴漢電車 いゝ指・濡れ気分」(2004/主演:愛葉るび・なかみつせいじ)と、「痴漢電車 エッチな痴女に御用心!」(2005/主演:飯沢もも・真田幹也)の渡邊元嗣が務める。

 誤りに気付いた付記< 何時ものことだが迂闊にも、明けてからの公開を無視してゐた。何と凄まじいことに、少なくとも大蔵映画時代の1990年から毎年毎年延々毎年、オーピーは迎春決戦兵器に痴漢電車を走らせてゐる。


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 「保健室の誘惑 先生、お願ひ!」(2007『痴女教師 またがり飲む』の2010年旧作改題版/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:新居あゆみ・江尻大/撮影助手:海津真也・種市俊介/照明助手:広瀬寛巳/スチール:津田一郎/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:大沢佑香・結城リナ・春咲いつか・牧村耕次・樹カズ・竹本泰志・野村貴浩・津田篤・山口慎次・石動三六・木の実葉・リカリカ・ひとみ・JP・だいさく・840・中村勝則・マツ・もりもり・あきら・岡本氏・桜井明弘・神戸顕一)。出演者中、木の実葉以降は本篇クレジットのみ。
 清水正二の手による、よくいへばハンド・メイド味溢れるCGで、ピンク色の雲がスモッグのやうに流れる東京の空を、黒い傘と白い羽根が舞ふ。直截にいふならば、商業映画としての水準に、決して達してゐる代物ではない。
 デリヘル嬢・コスモスこと斉藤ユイ(春咲)と、常連客・神崎(樹)のプレイ。中卒で社会に出たものの、思ひ直して今現在定時制高校に通つてゐるといふ神崎に対し、感心してみせるユイはといふと実は高校を中退してゐた。事後街を歩くユイの手元に、先刻の白い羽根が降つて来る。何か吉兆でもあるかのやうに、喜んだユイは羽根をバッグに挿し持ち帰る。一方、とある定時制高校の門前に落ちた黒い傘の影からは、トランクに横たはつた真鶴ショウ子(大沢)が姿を現す。部屋の中でも開いた傘を手放さないのに副校長の斎藤(石動)からは閉口されながらも、ショウ子は代休教師として3年B組の担任と、国語の授業の担当に当たることになる。バラエティに富む3Bの面々は神崎のほかに、父親の死後、デリヘル嬢・ダリアとして一家を支へた過去も持つ久保田レイナ(結城)。中学時代は不登校で過ごした中村(山口)、長らく肉体労働を勤めて来たが、事故で下半身の自由を失ひ、再就職のためにも高卒の資格を目指す車椅子の篠崎(牧村)に、金髪ヤンキーの美川(津田)ら。その中でも中村はコロッと、ショウ子の色香に魅せられる。神戸顕一以外の木の実葉(ex.麻生みゅう)以降の出演者と更に助監督勢は、その他生徒と、教職員の皆さん。一瞬オバサンかと見紛つた、デブのホモ教師はあれは一体誰なのか、チョイ役にしては無駄に映えるキャラクターでもあつたのだが。
 ポップ過ぎるダニ感を爆裂させる野村貴浩は、客上がりのユイのヒモ・坂口。袋小路の中で坂口に抱かれるユイに対し、白い羽根は恐らくテレパシーで警告を与へる。竹刀を常備する竹本泰志は、ショウ子を狙ふブルータルな体育教師・小松。第二教員室にて、ショウ子にセクシャル・ハラスメント全開で言ひ寄る小松は、黒傘を通して繰り出される不思議な力で弾き飛ばされる。事態を呑み込めない小松の顔に逆さに被さる、『AERA』ならぬ『AHERA』誌の表紙を、飾るのが勿論神戸顕一。この期に思ふのだが、色々な人のバージョンの『AHERA』誌を作つてみるのも、隠しギミックとして面白いのではなからうか。たとへば港雄一版とか、首を縦に振つて呉れるのかどうかは知らんけど。
 魔法といふ方便で途中の段取りは大胆に端折りつつ、突入した濡れ場濡れ場を経て迷へる生徒達の心の影を、ショウ子が晴らして行く。性的なエモーションをストーリーの展開に直結する展開はピンク映画として完璧に相応しい限りではあるが、夢精でオトした対ショウ子戦後の中村が空気と化すフェイド・アウト気味に最も顕著なやうに、僅か六十分の尺の中で整理されない登場人物がなほかつ多過ぎて、物語全体にしつかりとした軸が通らない印象は強い。ドラマのピークを春咲いつかと石動三六とに委ねる蛮勇は一旦さて措くにせよ、そのカットに於いて牧村耕次の顔左半分が隠れてしまつてゐるのは大いに考へもの。どれだけ陳腐なシークエンスであつたとて、そもそも定番とはさういふものである。といふならばそれはそれで全く構はないが、定番である以上、ミスも許されないのではなからうか。力技で纏め上げられた起承転結に不足もなくはない反面、オーラスを締め括る、艶やかな黒髪とハーフの容姿、そして白い衣装とが超絶のコラボレーションを奏でる大沢佑香(現:晶エリー)の、滅茶苦茶をいふやうだがまるで本物にしか見えない<天使>ぶりの麗しさは、瑣末はこの際兎も角映画を素晴らしく綺麗に着地させる。ラスト・ショットよければ全てよし、ピンクに限らず時に映画は、さういふ思考放棄で全然構はないやうに強く思へる。

 そんな中、物語の本筋には全く絡まない枝葉とはいへ今作中最も面白かつたのは、生徒をスパルタンにシゴき倒す小松が、ランニングの集団から遅れた篠崎を、目上であるにも関らず情け容赦なく蹴散らす不毛なシーン。「し・の・ざ・きィ!」と鬼の形相で叫びながら小松が、しかも車椅子の篠崎に飛び蹴りを喰らはさうとする無体な雄姿には、竹本泰志のアグレッシヴネスが上手く活かされてあらう。


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 「萌え痴女 またがりハメ放題」(2008/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:新居あゆみ・合津貴雄/撮影助手:海津真也・種市祐介/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/現場応援:田中康文/協力:鎌田一利・内藤和之/出演:若葉薫子・山口真里・倖田季梨・なかみつせいじ・野村貴浩・牧村耕次・池島ゆたか・神戸顕一・田中康文・中川大資・新居あゆみ)。出演者中、神戸顕一は本篇クレジットのみ。
 もくもくスモークの焚かれる中、若葉薫子が自慰に耽る。その模様を映写される映像として注視してゐた池島ゆたかが、スクリーン越しに雷を落とす。顧客ではなく社長が神様なのか「天国株式会社」の人事課長・ザビエル(池島)は満足な功績を果たせない天使課のウテナ(若葉)に、死神課への異動を命じる。正しく地上に堕とされたウテナは小鳥、のオモチャのティアラ(アテレコ主不明)を案内役に、仕方なく行動を開始する。結果的にティアラは特段の働きを見せる訳でもないゆゑ、さうなるとのうのうとチープな玩具をキャラクターとして劇中に登場させ、ピンク映画のレス・ザン・バジェットぶりを馬鹿正直に曝け出すよりは、寧ろ別にゐなくとも良かつたやうな印象は残らぬでもない。ウテナに与へられた任務は、指定された二人のターゲットのうち、何れかを実行―即ち、その対象者は死ぬ―し、もう他方は今回は見送るといふもの。当惑するウテナの前に、工藤俊作のやうなヴィジュアルの死神課凄腕大先輩・ミッシェル(牧村)が現れる。ミッシェルは鬼のやうにカッコいいのだが、ただもしも実際に工藤ちやんのセンを狙つたのであれば、シャツの襟は上着の上には出さないべきだ。ミッシェルが目下抱へる標的は、坊主頭にサングラス、といふコンセプトで統一したところ、背格好が変わらないため遠目には識別不能のヤクザ者二人組(田中康文と中川大資)。ひとまづウテナはオタク街にて、キャップの上から更にパーカのフードを被つたカメコの夏川誠(なかみつ)に接触してみる。撮影を乞ふフリをして近づくと、天使の特殊能力でホテルにチャッチャと瞬間移動。濡れ場がてらウテナが覗いてみた誠の頭の中身はオタク嗜好に完全に占められ、社会への参画意思はまるで感じられずウテナは閉口する。二人目の候補者は、内縁の妻・洋子(山口)と暮らす振り込め詐欺師の高志(野村)。ほぼ夫婦生活を経て洋子が何事か打ち明けようとするのを、再びかゝつて来たカモからの電話が遮る。今度はダイレクト極まりない逆ナンを装ひ、ウテナは高志にコンタクトする。モノの大きさとテクニックは素晴らしかつたが、高志は高志で頭の中身は、洋子への愛情も感じられなくはないものの、金と色の低劣な欲望に塗(まみ)れてゐた。
 新居あゆみは近未来の2038年、ナースロボット2028の「みらい」(倖田)の修理に、老年に差しかゝつた誠の下を訪れるオーバーオール姿のエンジニア。168チップの不具合を直したみらいを再起動させると、体を壊した誠がナースロボット2028を本来の用途以外に、セックス・アンドロイドとしても使用してゐた恥づかしい事実が露呈してしまふ。
 何がどう転んでこんな羽目になつたのだかよく判らない、根本的に仕出かした木端微塵である。ウテナが、触れた相手の人間性を、脳内メーカーの如きイメージで把握することが出来る能力を持つといふ設定の説明から足らない上、“実行”の判定を下すのは誠と高志の果たしてどちらなのかといふ決断に関しても、それぞれとの絡みを一通りこなすと次の場面では、コマダ(田中)がパクられる原因となつた下手を打つたのを理由に、高志はいきなり兄貴分(中川)に撃ち殺されてしまふ。これでは要は、少なくとも編集の結果としてウテナは殆ど迷つてゐない。その後死神課から金融担当に転籍、更に天国清掃係への降格もちらつかされながらの死神課再異動、2038年の第二次誠篇に際しては、的は一人きりで選択肢は実行のみと来ては、単に現場担当のウテナがモタモタ逡巡するほか物語の膨らみやうがない。意味が判らない、わざわざ主人公の選択可能性をゼロにしておいて、それで果たしてドラマが成立するのか。母親の死後、唯一の親戚である誠に養子として引き取られ育てられたつよし(野村貴浩の二役目)と、同僚の藤本さん(こちらは山口真里の二役目)との恋の芽生えも、メガネを蔑ろにした言語道断も断じてさて措けないがそれはここは兎も角、つよしが高志と洋子の間に生まれた息子である旨を何故だか明示しない、あるいは展開の中で有効に消化してゐないため、時空を超えたロマンティックな巡り逢ひといふよりは、単に頭数を並べられないピンクの安普請が先に立つ。泉由紀子と望月梨央を足して二で割つたやうな若葉薫子の、二次元のやうに伸びやかな手足がてんで活かされない、不足ばかりの顛末をとりあへず通り過ぎたその先で爆発的に木に竹を接ぐ、何故か薮からに誠とみらいのラブ・ロマンスに着地してみせる別の意味で驚天動地の結末には、かなり大きな衝撃を受けた、逆の意味で。何時ウテナは死神から、青の妖精に転職したのか。それ以前に、演出の責なのか演者の限界なのかロボット演技が学芸会な、しかも終盤に突入して漸く登場して来た倖田季梨に、唐突にクライマックスを担はせてのけるのは到底通らぬ相談、エクス・マキナぶりにもほどがある。池島ゆたかが、終始正方向の志向を以てして当たつてゐたであらう節は勿論窺へる反面、それでゐて、どうしてかうまで壊れ果てたのかが感動的に解せない一作。強ひて評するならば、ちぐはぐ大作。基本的に、デフォルトで六十分に限定された尺に比して、脚本が過積載であつたのではあるまいか。

 油断してゐたつもりは決してなかつたものの、映画を観るのに普通に熱中し途中まで忘れてゐて、順番は前後して又しても神戸顕一が何処に如何なる形で見切れてゐたのかロストしてしまつた。振り返つてみると可能性としては、高志の部屋の卓袱台近辺が本命候補か、とは思へるのだが。

 地元駅前ロマンでの再見に際しての付記< 開き直る訳でもなく、拙稿を改める要は特にも何も清々しく認めない。ただ問題は、確かに本篇クレジットには名前の載る神戸顕一。相変らず確認出来なかつた以前に、よくよく考へてみると前作「親友の妻 密会の黒下着」(オーピー/主演:友田真希)で既に、悲願の神戸顕一池島ゆたか監督作百本連続出演を何が何でも達成した以上、そもそも無理から捻じ込む必要が発生しない。

 数度の再見を経て、漸く確認した神戸顕一ポイント< 高志のファースト・カット、の頭に、神戸顕一が表紙を飾る『AHERA』誌がコソッと紛れ込ませてある


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 「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:後藤大輔/原題:『NEXT』/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/演出補:田中康文/監督助手:内田芳尚/撮影助手:海津真也・種市祐介/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:内藤和之、鎌田一俊、森山茂雄、シネ・キャビン、スワット、田中スタジオ/挿入歌:『世界の果てでダンス』詞:後藤大輔、曲・歌:大場一魅/出演:倖田李梨・青山えりな・日高ゆりあ・牧村耕次・千葉尚之・川瀬陽太・なかみつせいじ・ジミー土田・久保新二・野村貴浩・樹かず・津田篤・銀治・中川大輔・岩田有司・山名和俊・春咲いつか・華沢レモン・新居あゆみ・後藤大輔・神戸顕一・中村勝則・松島好希・福原彰・佐藤吏・広瀬寛巳)。出演者中、ポスターに名前が載るのは津田篤まで。
 “池島ゆたか監督100本記念作品(パート2)”と、訳の判らないクレジットで開巻。これは即ち、一箇月余先駆けて公開されたちやうど百作目「半熟売春 糸ひく愛汁」(2008/脚本:五代暁子/原題:『小鳥の水浴』/未見)がオーピーであつたゆゑ、改めて新東宝でも、といふことらしい。因みにポスターには、おとなしく“池島ゆたか監督101本記念作品”とある。
 海岸を彷徨ふ老映画監督の高島夕景(牧村耕次)は、一人の女(日高)と出会ふ。夕景から「君の名は」と尋ねられた、女は「映画」と答へる。映画監督が出会ふヒロインの名前が“映画”と来たか!記念作に際して本気のその先にアクセルを踏み込んだ池島ゆたかの渾身が感じられ、恐るべきド直球ながら、それが些かもダサくは見えない強度が早くも漲る。これは何時もとは訳が違ふぞと、襟を正せられる。映画に導かれ、夕景は録音スタジオ(シネ・キャビン)に赴く。シネ・キャビンのちよつとした紹介もこなしつつ、一室での映画と夕景の濡れ場。カット変ると、医師(樹)と、愛人で老女優の夜半(倖田)のみが見守る病室。ベッドの上では、夕景がいよいよ死に瀕してゐた。
 フェリーニの「8 1/2」を、明確に志向したとされる今作。とはいへ「8 1/2」ほど難解といふことも全くなければ、同様に映画監督の主人公が虚構と現実の合間を往き来する、脚本を担当した後藤大輔の「妻たちの絶頂 いきまくり」(2006)のやうに、お話にならぬ支離滅裂といふ訳でもない。映画といふ戦場を懸命に戦ひ抜いた、夕景の若き日からのトレースを主軸に、いよいよ死に行きつつある、現在の夕景の姿を所々で交互に差し挿む構成は極めて論理的にも明確で、娯楽映画として客を選ぶやうなことは恐らく些かもない。池島ゆたかの記念作を祝福すると同時に参戦すべく結集した、ブ厚過ぎる支援態勢にも支へられたシークエンスのひとつひとつは正しく隙間なく強力で、恐ろしく見応へがある。夕景の映画監督としての生涯を描いた、のみの映画であつたとしても、既に十二分に良作の名に値する一本であつたのだが。
 膨大な出演陣の内、確認出来たところで登場順に。「ピンサロ病院3 ノーパン診察室」(2000/監督:渡邊元嗣)以来八年ぶりのピンク参戦となるジミー土田は、シネキャビンの録音技師・釣音。川瀬陽太は助監督の両天、津田篤は録音助手(推定)の御前崎。なかみつせいじは、男優の正午。夜半と正午の絡みのアフレコ後、実は夕景に隠れ関係を持つてゐた夜半と両天は、共にイカヅチ組の所用と称してシティ・ホテルにシケ込む。不審に思ひ後をつけた夕景と、3Pが展開される。愛人の女優を挟んで監督と助監督とがやり合ふ修羅場は、最も本題からは離れたシークエンスといへなくもないが、充実して見させる。
 病室の現在時制と海岸のショットを挿んで、若き日の夕景(千葉)を描いた青春篇に突入する。映画監督を志望しながら、夕景は劇団活動に身を投じてゐた。野村貴浩は、激昂すると山積みした灰皿を次々と夕景に投げつける演出家。華沢レモンはホン読みの際そんな野村貴浩の隣に座る、脚本家・・・?銀治・中川大輔・春咲いつか・山名和俊が劇団員。銀治は俄かに沸点に達さんとする脚本家の画面直左で、オロオロと顔色を変へる持ち芸をさりげなく披露する。中川大輔はその銀治すぐ左に、春咲いつかは更にその左で待機。三人で、演出家の散らかした灰皿を慌てて片付ける。片付けられた灰皿を、演出家はまたすぐ投げる。夕景は看板女優の東雲(青山)と恋に落ち、同棲を始める。フル・コ-ラスで挿入歌を歌ひ上げる大場一魅は、夕景・東雲らが耳を傾ける今でいふところのストリート・ミュージシャン。警察官が集まる店で女給のバイトをする東雲は、やがて当てのない夢を追ひ駆ける生活に疲れ、夕景を捨てる。ここの血肉の通つた四畳半フォークが、今作第一の頂点。青山えりなの安定感といふかいふならば土着性は、世間並みの幸せを選ぶ東雲の選択に、実に親和する。夕景に頬を張られるも、即座になほ強い力で張り返すカットは、何度観ても痺れる。当てもないまゝに突進力だけは感じさせる千葉尚之の若さといひ、配役の妙が素晴らしく発揮される。
 東雲と別れて数年後、夕景はAV撮影現場にゐた、夜半との出会ひである。撮影中同じく舞台出身といふ夜半と反目し合つた夕景は、AV監督(池島)に降ろされてしまふ。現場には広瀬寛巳と中川大資が、照明部と録音部で姿を見せる。控へ室で不貞腐れる夕景と和解した夜半は体を重ねるも、それはAV監督の仕込んだハプニング撮影であつた。世の中に冷たくされた敗北感に、夕景は打ちのめされる。映画を愛する夕景を無下に嘲笑するAV監督の姿を、池島ゆたかが自ら好演。
 夕景(ここから再び牧村耕次)は、波止場に佇む映画と出会ふ。一瞬で見初め自身のデビュー作のヒロインを映画に乞ふ夕景に対し、映画は演技が出来ぬと断りかけるが、夕景は演技など映画には必要ないと押し切る。再び病室、夕景を見守る人数は増えてゐる。カメラがパンすると、一同の中央に久保新二。後藤大輔や新居あゆみも、後の場面も含め多分病室に見切れるのか。改めて考へてみると、池島ゆたかメモリアルの片隅にも、河村栞の姿が見られないのは少し寂しいやうな気もする。デビュー作、原題「どうしてそんなに悲しいの」は完成するが、その頃、風俗嬢でもある映画は客に殺され既にこの世にはゐなかつた。釣音は、映画が何故に斯くも生き急いだのか、完成したデビュー作を通して掴まうとしたんだろ、と夕景に語りかける。ジミー土田の仰々しくはないものの、長いキャリアに裏打ちされた重さが活きる。
 夕景は死ぬ。海岸ならぬ彼岸で、夕景は「やつと見付けて呉れたのね」といふ映画と再会する。ここからの、脚本も真つ白なまゝに二人きりで映画を撮影し始めるシークエンスが圧倒的に素晴らしい、比類ないエモーショナルが轟く。ここまでで既に良作の領域に辿り着いてゐた映画は、一息に真の傑作への扉を蹴破る。思ひきりロングで画面左右に二人の距離を取ると、映画が走るシーンから撮影は開始される。演技指導を求める映画に対し、夕景は叫ぶ「お前が走れば、それが、映画だ!」。一体全体池島ゆたかはどうしたのだ。直截に筆を滑らせるにもほどがあるが、池島ゆたかといへば、役者としても映画監督としても、偉大なる大根といふのが正直なところこれまでの当サイトの認識であつた。「みんな死ぬのよ。だけど映画は生き続ける」そんなクサい台詞で、欠片の疑念も感じさせない最長不倒のエモーションを、文句なく撃ち抜ける人であらうなどとは思はなかつた。正直2008年作を観るのは未だ二本目のこの時点で、2008年ナンバーワンを早くも決定するのは足が勇むに甚だしいやうな気もするが、結果的には矢張りさうなるのかも知れない、見事な大傑作。101本中多分半分も観てはをらないだらうが、なほのこと敢ていふ、池島ゆたか最高傑作。池島ゆたかは101本目にして、百本に一本の映画を遂にモノにした。唯一の難点は、タイトル・インのCGにまるで品がない程度か。その辺りを手直しするだけで、何処に出ても戦へよう、決定力を有した一作である。

 冒頭にサミュエル・フラー「映画は戦場だ~」、オーラスにエリック・ロメール「~ルノワールに連なる楽観主義的な映画を私は信じる」、の言を持ち出すいはゆる清水大敬病に関しては、さて措けない。映画本体の出来がズバ抜けて素晴らしいだけに本家ほどには全く腹も立たないが、矢張りスマートではない、蛇足である。以前にも一度述べたが、商業監督が一々その作品の中で、映画が好きであることを表明する必要はないと思ふ。特に今作の場合、全篇を通して物語自体に映画への愛が溢れ過ぎるほどに満ち溢れてゐるだけに、なほさら余計ではないか。サミュエル・フラーやエリック・ロメールの名前に、喜ぶ人間に向けてピンクを撮る必要もあるまい。一般論としてもそのやうに感じられる以前に、そのやうな小手先なんぞ、本作には不要であらう。
 そして最後に、「今作の何処に神戸顕一は見切れてゐたのか」コーナー♪戯れにコーナー展開してみたが、最早さういふ趣すら漂ふ。AV監督の掌の上で踊らされてゐたヤング夕景が、控へ室で夜半を抱く件。二人が腰を下ろす長椅子の向かつて右隣に置かれたマガジン・ラックに、多分「婚前乱交 花嫁は牝になる」(2007)にて初登場した、神戸顕一が表紙を飾る『AERA』ならぬ『AHERA』誌が逆さまに突つ込んである。


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 「続・昭和エロ浪漫 一夜のよろめき」(2007/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:関力男/撮影助手:海津真也・関根悠太/制作:高橋亮/出演:大沢佑香・日高ゆりあ・春咲いつか・なかみつせいじ・吉原杏・山口慎次・平川直大・野村貴浩・NANA《子役》・神戸顕一)。出演者中、神戸顕一は本篇クレジットのみ。桜井明弘と大場一魅による挿入歌が一曲づつクレジットされるのだが、曲名に力尽きた。
 舞台は前作から五年後の昭和三十九年、東京オリンピックが開催された年である。東京タワーと、五輪の煙を描く五機のジェット機とを描いた、ホーム・メイド感もあんまりなCGにて開巻。どうやらこれらは、清水正二の手によるものらしい。後に纏めて採り上げることにしてひとまづさて措くと、明子(春咲)が嫁いだ後の風間家は、父・一郎(なかみつ)、母・栄子(吉原)、大学生から社会人になつた弟・茂(前作津田篤から山口慎次に変更)の三人暮らし。茂には新しい恋人の瀬戸山マドカ(大沢)が居たが、マドカは旧家出身の令嬢で二人は身分の違ひに悩むと同時に、マドカには、親同士が決めた許婚の恭助(野村)が居た。そんなある日、酒に酔つた夫・田中聡(平川)に殴られたと、大きな青痣を作つた明子が、娘・ナナコ(NANA)を連れ風間家に出戻つて来てしまふ。
 こちらも前作から連続登板の日高ゆりあは、一郎の部下・桜沢類子。茂の元カノといふ設定はギリギリ活きてゐるやうだが、前作では茂の同級生であつた筈が、今作では茂の先輩といふことになつてゐる。一郎と同じ職場といふことは、新聞記者といふ前作に於ける志望は恐らくは叶はなかつたのか。
 前作は本家公開の翌年に封切られたのに対し、今回は本家の続篇を大胆にも半年先駆けて公開された、明確にピンク版「ALWAYS 三丁目の夕日」路線を展開した、昭和三十年代を舞台としたホームドラマの第二弾である。明子の結婚問題といふ明確な映画の柱を有してゐた前作に対し、今作は茂とマドカとの許されざる恋、明子の家庭問題、更には調子のいいことこの上ない一郎と類子との不倫、の大きく三つに焦点が分散してしまひ、散漫とした続篇企画であるといふ基本的な感想は禁じ得ない。たとへば前作に於ける類子は殆ど濡れ場要員に等しい役割であつたとしても、百合子(池田こずえ)の物語は、同じテーマを抱へた明子との対比として描かれてゐた筈だ。
 大きく三つあるのは分散した焦点だけではなく、大きな穴も三つ開いてゐる。まづはビリングは大沢佑香がトップでポスターも飾るところから見ると、三つのプロットの中でも、マドカと茂との許されざる恋、といふのがメインであらうといふことになる。さうしたところで、髪をちやんと黒く染めろといふのはひとまづいはずにおくが、相手役の山口慎次が酷い、といふか稚拙過ぎる。最短距離でいふとAV嬢よりも芝居が拙い俳優とは何事か、脇にでも置いておくならばまだしも、到底映画を背負はせ得よう手合ではない。藤谷文子にかなりソックリな大沢佑香には煌きの萌芽が見られなくもないものの、これでは映画も成立しようがない。身分違ひの恋が云々、といつた主要なテーマを担ふ筈の台詞の大沢佑香を下回る棒読み具合は、シークエンスを木端微塵にしてしまふ。これが薔薇族映画であつたなら、お芝居はへべれけでも、ルックスが良ければ通る話なのかも知れないが。第二に、幕間幕間に挿入される、東京オリンピック開催を告げるアドバルーンや当時のデパート、あるいは電車等の矢張りあんまりなCG画像。バジェット云々以前の戦場でそれでもどうにかして昭和三十年代の風景を描写しようとしたつもりなのかも知れないが、それにしてもこちらも余りにも酷い。ふざけてゐるのかと思へてしまふ程にチャチく、下手糞な切り絵並みの代物である。国映風の履き違へた一般映画嗜好、もとい志向に与するつもりは勿論毛頭ないが、ピンクといふ土俵の言ひ訳に胡坐をかく訳ではなく、ピンクをピンクとして、その上で最終的には世間一般に本気で討つて出るつもりであるならば、このやうなことをしてゐてはいけない。初めから出来はしないことは潔く諦めた上で、その上でなほ、出来得る限りの正面戦を展開すべきではあるまいか。さうでなくては、これではマトモに戦へない、戦ひにならない。作家性にある程度即した、渡邊元嗣の切り絵とも訳が違ふ。更に最も壊滅的なのは、ネタも割れてはしまふが、明子の問題はそれなりに、一郎の抱へた問題はかなり等閑に処理したところで、恭助も登場しての、駆け落ちを決意し婚前交渉も通過したマドカと茂との許されざる恋物語の行く末。唐突に始まつた締めの濡れ場が、何故かマドカと恭助とのものであつたことには愕然とした。一体何がどうすれば、物語がそこに着地するのかが全く理解出来ない。展開上全く不可解といふ以前に、これでは女は分相応な相手と一緒になるべきであるといふ、パート1とは真逆な帰結になつてしまふ。破壊力すら宿したラストは、一息に今作を失敗作から迷作へと押し出してしまつた。もうひとつ小ネタに触ると、旧家令嬢である筈のマドカが、何といふこともない下宿屋に生活してゐるといふのもどういふ訳か。

 ところで。小屋で今作を鑑賞した諸兄に当たられても、判別出来なかつた方がをられるやも知れないが、キチンと本篇出演者クレジットの最後に名前を連ねる神戸顕一が、一体全体何処に見切れてゐたのかといふと。冒頭晩酌をやりながら、組合運動に熱心な聡が来(きた)る決起集会に備へてノートに鉛筆を走らせるシーン。机上に時代を演出するギミックとして中原淳一の『それいゆ』誌やビラ等が積み重ねられた一番下に、池島ゆたかの近作にて頻出する小道具、神戸顕一が表紙を飾る『AHERA』誌がそれとなく挟み込まれてゐる。さりげない遣り方自体には感心した、それ以上には敢て触れぬ。その他、広瀬寛巳や新居あゆみらが、マドカと茂がデートに使ふ、バー「スターダスト」のその他客要員に、中川大資が、風間家に出入りする三河屋の御用聞きとして見切れる。
 オーラスにひとつ与太、今作池島ゆたかが放つた危険球。偶さか一郎と栄子との濡れ場が始まりかけた瞬間には、正直肝を冷やした。


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 「性欲診察 白衣のままで」(2007/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/撮影助手:海津真也・関根悠太/監督助手:新居あゆみ/現場協力:田中康文/出演:結城リナ・星沢マリ・銀治・津田篤・野村貴浩・牧村耕次・なかみつせいじ)。出演者中、ポスターでは結城リナに“(新人)”特記。
 老医師・大坪(牧村)の内科医院に通ふ、高校教師の中津(なかみつ)、フリーターの田辺(津田)、弁護士の南野(銀治)。中津は下痢を、田辺は倦怠感と咳、南野は頭痛を訴へるが内科の所見としては三人に何処にも異常が見られず、大坪は首を捻るばかりであつた。他方大坪の医院に勤務する、白いナース服の落合真奈美(結城)と、青いナース服の木村可奈子(星沢)。何れ菖蒲か杜若、二人の美人看護婦に夢中な三人の患者は、現実との境目もおぼろげな淫らな妄想の渦に溺れて行く。
 結城リナと星沢マリとのツートップ、余計な三番手女優は潔く排したタイトな布陣を敷いた時点で、今作の勝利は確定。待合室にて田辺、中津、南野が同時に見る白日夢の中で、真奈美と可奈子は大坪の性奴隷と化す。可奈子役の星沢マリが下から持ち上げるやうに揉み込まれた決して大きくはない乳房に、長い舌を伸ばして自ら乳首を舐めるショットに、私は完敗を認めた。以降の展開に中身があらうとなからうと、妄想の無限連鎖が何処かしらに着地しようとしまいと、最早どうでもいい。衣装換へも含め見事に多彩な濡れ場濡れ場の乱れ撃ちは、実に、実に、実に。実に見応へがある。間違つても映画として傑作、といふ訳ではないが、桃色リーサル・ウェポン。炸裂し放しの美しく淫らな破壊力に素直に身を委ねてゐるのは、全く快い。寧ろ、一応の帰結を見せる芸の足りないラストが、余計にすら感じられる程である。池島ゆたか御当人の弁によれば今作はブニュエルを志向してもゐるらしいが、ブニュエル?伝説のピンクス・故極狂遊民カチカチ山さん主催の16mm上映会で何本か観た覚えがあるやうな気もするが、オラそんな高尚な名前知らね。
 中津は痴漢の汚名による、生徒からの授業ボイコットに悩んでゐた。といふことで同じく池島ゆたか監督による、「ザ・痴漢教師」シリーズとの関連も連想されたが、苗字が異なる故詳細は不明。無人の教室に独り佇む中津の前には、勿論女子高生姿の真奈美が登場する。論理的では必ずしもなくとも、映画的な要請をキッチリ果たす蓋然性が鮮やかである。中津を罵る生徒が三人登場。クレジットなしカメオ出演の日高ゆりあと春咲いつかに、男子生徒役は中川大資。春咲いつかは凄まじい映りやうで、軽くショックを受けた。
 同じくクレジットされぬままに、神戸顕一が前作「婚前乱交 花嫁は牝になる」同様、『AHERA』誌の表紙として登場。左から中津、田辺、南野の順に座つた待合室。三冊用意された『AHERA』誌を、三人が三人共顔を隠すかのやうに高く持ち上げ読んでゐる。野村貴浩は、南野の事務所の若い衆・諸星。彼女との海外旅行の為の有休を申し出、背が低く彼女が居ないことに強烈な劣等感を滾らせる南野を、狂ほしくやきもきさせる。南野の妄想の中での、諸星と彼女との絡み。ツートップ体制につき、首から上は巧みに回避するフレーミングで結城リナが彼女役を代打、決して柳田友貴の大先生撮影ではない。
 一応伏線も貼つてあるとはいへ南野の<サイコ>ネタには、流石に余りの無茶振りに震へさせられた。別に映画監督が映画が好きであることを、一々映画の中で表明する必要はないと思ふ。

 以下は再見時の付記< 中津と真奈美との教室での濡れ場は都合二回、一度目は、真奈美はナース服で出撃してゐる。
 再々見時の付記< 南野は診察中で、中津と田辺が二人並んで座る待合室。背中だけ見切れる女の外来患者は新居あゆみとして、受付の奥に見える白衣を着た男は誰だ?南野の相手をしてゐる、大坪では画面(ゑづら)的にもない。


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 「婚前乱交 花嫁は牝になる」(2007/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/企画:福俵満/撮影・照明:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:江尻大/撮影助手:海津真也・関根悠太/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/スチール:津田一郎/挿入歌『にはか雨』・『夜を引き裂いて』 詞・曲・歌:桜井明弘/出演:日高ゆりあ・仲村もも・美咲礼・本多菊次朗・野村貴浩・山口慎次・ムーミン・吉原あんず・池島ゆたか・北川明弘・神戸顕一)。出演者中北川明弘と神戸顕一は、本篇クレジットのみ。
 判り易く訳アリな風情で東京の地に立つマリカ(日高)が、高級ホテルの一室に宿を取る。マリカは自室に、一年前まで不倫関係にあつた上司の宇田川(本多)を招き入れる。完全に主導権を握り、マリカは宇田川を貪る。日高ゆりあといふ人は俗にいふところの下つきなのか、宇田川に跨りパイパン設定の観音様を口唇愛撫させるシーンに際しては、かなり際どいラインまで無修正で見せる。宇田川に続き、今度はマリカは三年前に付き合つてゐたミュージシャンの尚也(野村)をホテルに招く。
 ミステリアスな狙ひの割には、どういふつもりなのだかタイトルが全てを割つてしまつてもゐる、要はさういふ物語である。中身の薄さはこの上ないが、進境著しい日高ゆりあの映画と思へば、まあ観てゐられなくもない。
 配役残り、登場順に美咲礼は宇田川の妻・ゆりえ。少し痩せたやうだがこれ三上夕希だよな?と思ひながら観てゐたところ、改名したとのこと。ただでさへ閉鎖された、情報の頗る得難いフィールドにあつて、この改名といふ奴がまた厄介である。仲村ももは、尚也の現在の彼女・エミ。ロングの黒髪、背丈もマリカと似通つてゐる。幼児体型の日高ゆりあよりは少し細いが、もう少し、タイプの全く異なつたキャスティングは出来なかつたものか。ムーミンは尚也に続いてマリカが喰ふ、花屋の洋介クン。池島ゆたかと吉原あんずが、式を直前に控へ不意に姿を消した娘に気を揉むマリカの父母。山口慎次はマリカの婚約者・和彦。いはずもがなな北川明弘が、大阪で大ブレイク(苦笑)といふ設定の尚也先輩・桜井。尚也が部屋でDVD(かビデオ)を見るカットに加へ、対洋介戦を控へマリカがウィッグを選ぶところからゲーセンでプリクラを撮る件にかけて、延々曲が流れる。どういふ訳なのだか知らないが、池島ゆたかが自作の連続出演記録に固執してゐる神戸顕一(ただ本人は現在実家に帰つてゐて、現場には参加出来ないらしい)は、マリカ父が読む雑誌『AERA』ならぬ『AHERA』誌の表紙に登場、わざわざ作つたのか。この『AHERA』誌の出来はよく、登場の仕方もわざとらしくもないゆゑ、アイデアとしては悪くないと思ふ。
 桜井明弘といふ人は、昨今池島ゆたかが大のお気に入りのインディーズのミュージシャン。音楽的には、判り易くもいい加減な説明をすると歌謡フォークな頭脳警察のエピゴーネンか。完全に浮いてゐるこの人の曲使用、徒に固執する神戸顕一の自作連続出演。池島ゆたかには、娯楽ピンクの王道を志向してゐる割には、そして当人は恐らくはそれを果たせてゐると思つてゐるであらうにしては、どうにも商業作家として徹し切れてゐない隙のやうな部分が散見される。加へて五代暁子以外の脚本で撮らない、あるいは撮れない点も個人的には最終的にこの人の大成を阻んでゐる所以、とみるものではある。さういふ隙が憎めない、といふ諸兄に対しては、敢て異を唱へるつもりはない。
 ただ一応伏線は張つてあり、なほかつ不可避な大人の事情もあるとはいへ、ラストの和彦とゆりえの濡れ場は。あるいは三番手の濡れ場で映画を締めてのける構成は、日高ゆりあの映画と思つて観るほかない今作を、壊してしまつてゐると難じざるを得まい。


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