わーい今日はお祭りだー。
というわけで今日見てきたのはこれ!
祝祭
が
はじまる
夏至と言えばこの作品。もはやこの日にこの作品を見るのは恒例行事と言えるでしょう。
日常の喧騒を離れて向かうのは、9日間に渡る白夜のお祭りを行う伝統ある村、ホルガ。
マヒシュマティ王国になったり大洗になったりシタデルになったりと忙しい塚口サンサン劇場ですが、今回はホルガ村と化しており、白い服に花かんむりを装備した人たちが集まっています。
そして今回はこんなものももらいました。
なんだか不吉な気もしますが、今日はお祭りの日なので多少のことには目をつぶりましょう。
そもそもこの作品自体、前述した通り日常を離れてお祭りを楽しむという癒やしの映画ですよ?
楽しいドライブから村人からの歓待、美味しい食事、神秘的な儀式、かわいいクマ、小さな恋の芽生え、アツいダンスバトル、最後にはキャンプファイヤーと充実の内容となっていますよ?
それに本作はなんといってもビジュアルが美しい。陽が沈まないホルガ村の大自然、建物に描かれた神秘的な絵画、色とりどりの花々などなど、見ているだけで癒やされます。若干赤みが強い場面もあるにはありますがそれも含めてとってもカラフルで癒やされるビジュアルです。
え? なんか背景がウゾウゾうごめいてる? 定期的にラリってる? 3時間近くずーっと不安を強いられる?
うっせぇつべこべ言うなお前も祝祭に参加するんだよ!!!(イチイの木から採れた薬を口に突っ込みながら)
いや実際この作品は癒やしの作品だというのはほんとだと思うんですよね。おい目をそらすな俺は正気だ。
この作品がハッピーエンドだというのは初っ端の絵でいきなりネタバレされてるんですよね。ほーらみんな幸せそう。というかこの絵、最初から最後まで完全に本編のネタバレしてるんだよな。
そしてこの導入部分の重さと言うか気まずさよ。ダニーの抱えている問題はもはや彼女や彼女のパートナーであるクリスチャンだけでどうにかできるような規模ではなくなっているのに、二人はそれを抱え込んでしまってて関係は破綻寸前。
ぱっと見ではクリスチャンが相当なクズ野郎に見えますが、クリスチャンもダニーを支えようとはしてるし、ダニー自身も大きな問題を抱えているので完全に彼氏がどうこうできるレベルではなくなってます。まあホルガ村に着いてからはクリスチャンのアレな部分がどんどん出てきてて「あーやっぱりこいつはクズ野郎だな」と思いはしますが、まだ常識の範囲内のクズ野郎だとは思います。
この作品はなんだかんだで何回か見てるんですが、そもそもダニーの抱えてる問題(彼女自身の特性や家族周辺の問題も含む)が作品スタート時点で非常に大きく、なおかつ適切な対応がなされていないのでいわゆる詰みの状態になってるんですよね。先述の通りそれだけ肥大化した問題には彼女やクリスチャンという個人単位ではとても対応しきれない。
そこに、友人・ペレによるホルガ村への招待はまさに渡りに船といったところ。日常から切り離された場所での歓待は間違いなくダニーの心の癒やしになるはず……と思いきや、そこでもダニーは疎外感を覚えずにはいられません。このへんの、「あからさまに疎まれてたり直接的に暴力を振るわれたりしているわけじゃないけど、周りから腫れ物扱いされている」描写が見ててとても辛い。
だからこそダニーがホルガ村に受け入れられていく=取り込まれていくのは間違いなく救いなんですよね。
前述の通り、ダニーが抱えている問題はもはや個人単位で対処できるものではない。ではどうすればいいかというと、個人でだめなら集団で。つまりコミュニティへの所属なわけです。
そして本作におけるコミュニティへの所属とは、「個の喪失」にほかなりません。そもそもカルト的なコミュニティにおいては個の喪失は一種のイニシエーションであると言えます。ホルガ村も当然、村人のすべてが村の掟に定められたとおりに生まれ、育ち、そして死んでいくという文化が根づいています。そうしたホルガ村にとっては、自分を主張できず自罰的で周囲に流されがちなダニーはまさにぴったりの人材だったと言えるでしょう。作中でダニーらをホルガ村に連れてきたペレを「人を見る目は完璧だ」と評するシーンがありますが、それってそういう意味だったのかよ……。
また、この「個の喪失」で印象的なのが村の女性たちがダニーと一緒に一斉に泣き叫ぶという場面。あれ致命的かつ決定的ですよね。本来もっともプライベートで個人的な領域であるはずの「感情」を集団で共有するという。ラストシーンでも同じ描写があります。
本作においてダニーが抱える問題は、解決したと言うよりコーヒーの中に溶けていく砂糖粒のようにホルガ村というコミュニティの中に溶けて消えていったというのが正しいでしょう。
……という展開をやっておきながら、ラストで燃やされる神殿の中で自ら志願して生贄になったはずのホルガ村の男性が悲鳴を上げるというシーンで、これらコミュニティの信仰に一抹の疑問を植え付けて物語を閉じるというこの展開よ。
「みんなが不安になるといいな☆」とは本作を制作したアリ・アスター監督の言ですが、本作はほんとに最後までバリエーション豊かな不安を煽られる作品でした。でもハッピーエンドで癒やし作品であるということは間違いないと思いますいやマジで。俺は正気だ。