見よう見ようと思ってたらいつのまにか終映が迫ってて慌てて見に行くことが最近増えてきたので、もう少し余裕をもって見に行きたいと切に思います。
というわけで、今日が終映だったので慌てて見てきたのがこれ!
公開当時の「2001年宇宙の旅」をパロったOPにSFマインドを掴まれて、さらに予告でなんとなーくシニカル系SFもしくはメタフィクション系SFのかほりを感じたので見てみることにしましたこの作品。
わたくし人形使いは清く正しいおとこのこなのでバービーやリカちゃん人形などに代表される女の子向け人形というジャンルには造詣がないんですが、アメリカ本国では相当なセールスを記録しており、それまでお人形遊びの人形は赤ちゃんだったのを一気に覆した程度のことしか知りません。まあこの辺の知識も聞きっかじりレベルではありますが……。
バービーたちが幸せに暮らす理想の世界・バービーランド。そこに住むバービーのひとりに異変が起こります。ステキなパーティの最中に突然「死」の概念を口にしたり、太ももにセルライトができたり、昨日までは階段を使わずに浮遊できていたはずが突然落下してしまったり……。
そうしたバービーの異常の中でも特にエラいこととして描写されているのが「常にハイヒールを履いていてかかとが上がっていたのにベタ足」というのが笑えます。
バービーは、それらの異常を治すために人間界へ向かう……というのが本作の筋書き。
ケンが勝手に着いてきた以外は現実世界へはわりと簡単に到着するものの、自分が住んでいたバービーランドの理想的な世界とのギャップに翻弄されるバービー。今までバービーランドの世界しか知らなかった彼女とケンは次第に自分の存在に疑問を持つようになり……。
ってこれ要するにエクソダスじゃねーか!! エデンのリンゴを口にしたアダムとイヴじゃねーか!!
作中ではあくまでコミカルさが失われないように大げさに描写されてはいるものの、バービーランドと現実世界での女性の扱われ方のギャップに翻弄されるバービー、一方で今まで知らなかった男社会の心地よさに染まっていくケンの姿は、まるで見えない病原菌に徐々に侵されているようでかなりのホラーを感じました。
バービーランドでは理想的な暮らしをしてきたバービーは現実世界での女性の社会的地位の低さにすっかり落胆してしまいます。その反面、ケンは現実世界における男性の優位性にすっかり染まってしまい、そのままバービーランドに帰還。
思想的に無防備なバービーランドに現実世界の家父長制を浸透させて、バービーランドを男性優位の「ケンダムランド」に変えてしまいます。
それまで大統領をはじめ高い社会的地位に着いていたバービーたちはメイドやガールフレンドといったケンたちに奉仕し従う立場に一転。
このケンダムランド、言うまでもなく「家父長制に支配された社会」のカリカチュアなんですが、じゃあケンダムランドが「異常な状態」であるなら、冒頭のバービーランドは「正常な状態」なのか?という疑問を感じられずにはいられませんでした。観客がこの違和感を覚えることは完全に計算されているでしょう。
話の流れ的にはバービーランドは正常、ケンダムランドは異常となるところですが、両者は結局のところ男女が入れ替わっただけに過ぎないんですよね。実際、ケンが現実世界の男性優位社会に魅力を感じて染まっていく原因は、バービーランドにてケンをはじめとする男性が軽んじられてきたからですし。
本作はフェミニズム的な観点からも注目を集めていたようですが、個人的には本作はフェミニズム的な観点の数歩外側からそうしたごちゃごちゃを冷笑的に捉えた視点を持った作品なんじゃなかろうかと感じました。
本作では、少なくとも表面的には女性=善、男性=悪として描写されています。しかしそれはあくまで表面的なものであって、それを反転させたところで男女が入れ替わっただけで同じことになるに過ぎない、というのが本作のキモなんじゃないですかね。
また本作は、「架空の存在が自意識を獲得するSF作品」として見ることもできると思います。本作におけるケンとバービーは、そもそもが「女性の理想像のカリカチュア」であり「それに付随・従属する男性像のカリカチュア」です。しかし彼女ら、彼らは終盤にて現実世界のバービーの持ち主であって現在はバービーの制作元であるマテル社の秘書をやっているグロリアとその娘であるサーシャとの交流を経て、いわゆる社会的役割に縛られない自分を獲得します。ここでバービーたち、ケンたちははじめて各々の独立した個性を意識するようになるわけですが、これは数々のバリエーションが発売されてきたバービー人形とも符合するようにも思えました。
本作の主人公であるバービーは最終的に、バービー人形の生みの親であるルース・ハンドラーの魂との交流を経て人間として生まれ変わる道を選びます。そして人間として生まれ変わった彼女が選んだ道は、「母親になること」でした。
このラスト、本作に垣間見えるシニカルさを考えると手放しのハッピーエンドとも言えない気がするんだよな……考えすぎかな……。でも、ルースの魂との交流や現実世界のグロリアとサーシャ親子の様子を通して「現実世界での親子関係は『ごっこ遊び』では済まされない」ということを知ってなおこの道を選んだってことなんだよな……そもそも現実世界で何らかの「役割」を負わずに生きていくことなんて不可能だからな……。
などなど、今回の感想はかなりとりとめのないものになってしまいました。事実、本作に込められたメッセージは作品の表面上に見えるものよりもずっと深い部分にある気がしますし、キラキラした外面からは想像できないようなシニカルな視点が込められている気がします。これ塚口あたりでもう1回くらい上映しないかな……。