みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#61 基礎教理 Ask, and it shall be given you, NO.7

2024年05月09日 | 基礎教理

Prayer: Guaranteed to Succeed! - Charles Spurgeon Sermons

35分58秒から42分14秒まで。


◇◇

祈る時、その祈りがシンプルであればあるほど良い祈りです。

言いたいことを表現するのに、最も平易で、かつ素朴なことばを用いるのがベストです。

次に大事なことは、探すということです。

探すことに難しさはありません。

次に大事なことは、探すということです。

探すことに難しさはありません。

見出すことはなかなかだが、、探すことは大したことはない。

例えで、お金をなくした婦人は、ろうそくに火をともして、なくしたお金を探しました。

彼女がかつて大学に通っていたかどうか、女医としての免許を持っていいたのかどうか、優れた才能ある女性として学校の理事会会員だったのかどうか、私には分かりません。

しかし、彼女は探すことができた。

そうしたい人なら誰でも探すことができる。

男であれ、女であれ、子どもであれ、誰でも。

そうしたいと思う勇気のために、何か特別な哲学的要素がある人のためだけに、その約束が与えられるのではありません。

もっと単純に、探す者は見出すのです。

そして、叩きます。

これも難しいことではありません。

そして、叩きます。

これも難しいことではありません。

子どもの頃、よくドアと叩いたものです。

時に近所迷惑になることもありました。

大きな音を出せない場合でも、別の方法がありました。

石を使ったり、靴のかかとを使ったり。

叩くためにはいろいろな方法がありました。

しかし、子どもの方法は、私たち大人を超えることはありませんでした。

このように、私たちのすべきことはキリストご自身によって与えられます。

祈りのために、学士号、訓練、才能、知性は必要ありません。

求めよ、探せ、叩け、それだけです。

そうすれば、約束は、そのような祈りの方法を用いる万人に与えられています。

あなたはその約束を信じますか。

その約束を与えて下さるのはキリストです。

彼の口から嘘が出ることはなかった。

彼を疑ってはならない。

祈っているなら、祈り続けなさい。

いままで祈ったことがないというなら、神が助けて下さいます。

今朝の3番目のポイントは、祈りは聞かれるという事実をイエスご自身が証言していることです。

祈りは聞かれるという事実を、イエスご自身が証言しています。

約束を与えて下さり、主は次のように付け加えます。

この約束が成就することをあなたは確信している。私が語ったということに加えて、この約束が永遠に真理であるからだ。

明朝太陽は昇ると人が言う時、私たちはそのことばを信じます。

何故なら、太陽はいつも昇るからです。

主は議論の余地のない事実を私私たちに告げます。

時代を超えて、真の求めは必ず受ける。

このことを語った人は知っていました。

有限の人間として言える範囲内で言うなら、確かに、目の届く限りにおいてそれは正しい。

しかし、キリストの目の届く範囲に限界はない。

ご自身に捧げられたあらゆる真の祈りを、主は聞いておられる。

祈りは、最も高き神、御父ご自身に受け入れられます。

キリストの傷を通して、御父のもとに来なさい。

主なるイエスキリストは、ご自身の知識において話して下さいます。

主は、祈りは聞き入れられたと宣言します。

求めた者は受け、探した者は見出しました。

しかしながら、通常の常識によって考えられる限界を理解する必要があります。

それは、聖書によって成される常識でもあります。

軽率に求めたり、悪意をもって求めたり、求めるふりする人が、求めるものを得るとは限りません。

通常の常識や、聖書によって書いてある内容によって、なされる限度があるということを知らなければなりません。

軽率に求めたり、悪意をもって求めたり、求めるふりする人も、求めるものを得るとは限りません。

新生していない人の愚かで、怠惰な、無遠慮な要求を神は聞かれません。

加えて、聖書に書いてあることが限度です。

神に求めないから得られないのです。

求めても得られないのは、間違った動機によって求めるからです。

欲望のために良い事々を食い尽くそうと求めるなら、決して得られません。

私たちの善にならないようなことを求めても、受けることはありません。

そのようなことでなければ、主の言っておられることに制限はありません。

求める者は誰でも受けます。

不敬虔な者や悪人が神に求めても得られることがあります。

苦悩の中で神の求めた時、そのような者に神はお答えになります。

これはおかしいと言う人がいます。

神は未信仰者の祈りにはお答えにはならないと。

しかし、神は答えると聖書には書いてあります。

アハブの祈りは聞かれました。

主は言われました、「アハブは私の前でどのようにへりくだったのか知っているのか。彼はへりくだったので、私はこの災難を彼の時にもたらすことはない。しかし、彼の息子の時に災難をもたらす。」

 

 

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