みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

聖書比較考第5回

2012-05-22 16:22:10 | 聖書研究・信仰

使徒3章26節
υμιν  πρωτον  ο  θεος  αναστησας  τον  παιδα  αυτου  απεστειλεν  αυτον  ευλογουντα  υμας  εν  τω  αποστρεφειν  εκαστον  απο  των  πονηριων [υμων]
聖書A(Westcott/Hort)

υμιν  πρωτον  ο  θεος  αναστησας  τον  παιδα  αυτου  ιησουν  απεστειλεν  αυτον  ευλογουντα  υμας  εν  τω  αποστρεφειν  εκαστον  απο  των  πονηριων  υμων
聖書S(Textus Receptus)

聖書Aではιησουν(イエスを)が欠落。


KJV with Strong's
Unto you first God having raised up his Son Jesus sent him to bless you in turning away every one of you from his iniquities

この英語訳で面白いのが‘his Son Jesus’という訳出です。

Son(息子)と訳された単語はπαῖςで

παις:
Perhaps from G3817; a boy (as often beaten with impunity), or (by analogy) a girl, and (generally) a child; specifically a slave or servant (especially a minister to a king; and by eminence to God): - child, maid (-en), (man) servant, son, young man.

男性名詞、単数で使用されているので、直訳すると「息子」まさにson。これは、τον  παιδα  αυτου  ιησουνとιησουν(イエスを)が明示されているのでこの訳出しかない。

一方、ιησουν(イエスを)がないと、新改訳のように

使徒3:26a
神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。
(新改訳)

という訳出もありということになってしまう。「そのしもべ」の「その」は問題で、これは「彼(神)の」と訳すべき。

この聖句では、息子という意味でよく使われる単語υιοςではなく、しもべという意味と子供という意味を併せ持つπαιςという単語が使われているのが大変興味深い。 ちなみにしもべという意味を持つ単語はδουλος。

最後のiniquitiesですが、冠詞はυμωνで、「あなたがたの罪」と訳出すべき。上のKJV with Strong'sでは his iniquitiesと訳されているが、これはυμωνが欠落している場合の訳出方法で、良い訳とは言えない。

使徒3:26
あなたがたのために、初めに、神は、御子イエスを立て上げ、
あなたがたひとりひとりが罪から立ち返り、あなたがたを祝福するために
彼を送った
(直訳)

 

追記:文字化けを修正しました。今後文字化けを見つけたら以下のサイトへ飛んで、原典を確認して下さい。

http://biblos.com

宜しく。

 

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聖書比較考第4回

2012-05-21 16:05:57 | 聖書研究・信仰

マルコ9章44節
文章欠落
聖書A(Westcott/Hort)


οπου  ο  σκωληξ  αυτων  ου  τελευτα  και  το  πυρ  ου  σβεννυται
聖書S(Textus Receptus)

新改訳聖書ではマルコ9:44は欠如、新共同訳では

マルコ9:44
地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。
(新共同訳)


where their worm is not dying, and the fire is not being quenched.
(YLT)

新改訳の場合、欄外注を見ても44節欠如の説明がなく、何か恣意的な印象あり。

上の新共同訳だと分かりづらい、原典では蛆(ウジ)には所有格 theirが付いている。
「彼らの」あるいは「奴等の」。


そこでは、彼らに湧いている蛆虫が死に絶えることも、火が消されることもない
(直訳)

 

 

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聖書比較考第3回

2012-05-17 16:04:17 | 聖書研究・信仰

マタイ5章44節
ἐγὼ  δὲ  λέγω  ὑμῖν  ἀγαπᾶτε  τοὺς  ἐχθροὺς  ὑμῶν  καὶ  προσεύχεσθε  ὑπὲρ  τῶν  διωκόντων  ὑμᾶς,
聖書A(Westcott/Hort)


εγω  δε  λεγω  υμιν  αγαπατε  τους  εχθρους  υμων  ευλογειτε  τους  καταρωμενους  υμας  καλως  ποιειτε  τους  μισουντας  υμας  και  προσευχεσθε  υπερ  των  επηρεαζοντων  υμας  και  διωκοντων  υμας
聖書S(Textus Receptus)

以前にも何回か考察した聖句です。

聖書Aでは

ευλογειτε  τους  καταρωμενους  υμας  καλως  ποιειτε  τους μισουντας  υμας
bless those cursing you do good to those hating you(YLT)

των  επηρεαζοντων  υμας  και
those accusing you falsely(YLT)

の2箇所が欠落。

聖書S&A
but I--I say to you,
Love your enemies,

聖書Sのみ
bless those cursing you,
do good to those hating you,

聖書Sのみ
and pray for those accusing you falsely,

聖書S&A
and (pray for) persecuting you


単に、「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」、ではなく

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛なさい。あながたがたを侮辱している者たちを祝福しなさい。あなたがたを憎んでいる者たちに善いことをしなさい。あなたがたを貶めている者たちのために祈りなさい。あなたがたを迫害している者たちのために祈りなさい。

となります。

さらに具体的で高度な内容ですが、そのまま受け入れるしかありません。

御霊に従って歩むことができるように、只々主に祈るのみです。

 

19日追記
何回となくこの山上の垂訓を見ているが、どうもすっきりしない。

我々の敵とは誰か。
我々を侮辱している者たち、憎んでいる者たち、貶めている者たち、迫害している者たちとは誰なのか。

これが分からないから何回読んでも躓いてしまう。

まず、「我々の敵」とはサタンでないのは間違いないだろう。

当時のイエスや弟子たちに激しく敵対していた者たちは、パリサイ人であり律法学者であった。パウロはイエスの教えに従う者たちを迫害することが神の命であると信じて疑わなかった。

して見ると、

この者たちとは、今はお互い敵対し合っている同胞者たちのことではないか。

我々の敵、我々を侮辱している者たち、憎んでいる者たち、貶めている者たち、迫害している者たちをパリサイ派パウロと置き換えてみる。

そうすると、実に良く分かる。

神は博愛主義者の父ではない。あくまでも、御子イエスに聞き従う者の父である。

我々に対して好意的に接している者たちが我々の同志とは限らない。

 

 

 

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聖書比較考第2回

2012-05-15 17:42:22 | 聖書研究・信仰

ローマ8章1節
Οὐδὲν  ἄρα  νῦν  κατάκριμα  τοῖς  ἐν  Χριστῷ  Ἰησοῦ.
(聖書A:Westcott/Hort)


ουδεν  αρα  νυν  κατακριμα  τοις  εν  χριστω
ιησου  μη  κατα  σαρκα  περιπατουσιν  αλλα  κατα  πνευμα
(聖書S:Textus Receptus)

この聖句において

聖書Aでは

μη  κατα  σαρκα  περιπατουσιν  αλλα  κατα  πνευμα
not walking according to flesh but according to spirit

が欠落。

前回考察したコロサイ1:14と同様に

コロサイ1:14
主の中で、私たちは、主の尊い血潮によって
罪の赦しのみならず救いをもすでに得ている

つまり、罪の赦し、すなわち救いを得るためには、「主の中に」いることだけでなく、それに加えて
「主の血潮」を通る必要があるというのが上の聖句の意味と思われます。


わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
(新共同訳)

とあるように、主の中にいるだけで罪の赦しを得ているのではないのか、という疑問が当然湧いてきます。

どうなのか。

前節を見ると

コロサイ1:13
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、
愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
(新改訳)

とあります。

よって、コロサイ1:14の文頭εν  ω(=in whom)とは、「愛する御子の支配の中で」という意味になるはずです。

つまり、あまり考えたくないのですが、コロサイ1:14のウラを返すと

主の支配の中にいるのもかかわらず、主の血潮に依っていない者がいる

というふうにも取れます。

さて、ローマ8:1に戻りますが、この聖句も同じで

単に、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない、のではなく

キリスト・イエスにあって、かつ、肉ではなく霊に従って歩んでいる者

は、罪に定められることはない

と言っているのです。

やや意味深です・・・。

 

 

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聖書比較考第1回

2012-05-12 14:14:43 | 聖書研究・信仰

コロサイ1章14節

いくつかの聖書原典は、Bibloshttp://biblos.com/で見ることができます。

今回はコロサイ1:14を見てみます。Biblosからコロサイ1:14http://biblos.com/colossians/1-14.htmに移動します。

以下、配列順を変えて


ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Stephanus Textus Receptus (1550, with accents)
ἐν  ᾧ  ἔχομεν  τὴν  ἀπο λύτρωσιν  διὰ  τοῦ  αἵματος  αὐτοῦ,  τὴν  ἄφεσιν  τῶν  ἁμαρτιῶν·

ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Byzantine/Majority Text (2000)
εν  ω  εχομεν  την  απολυτρωσιν  [δια  του  αιματος αυτου]  την  αφεσιν  των  αμαρτιων

ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Textus Receptus (1894)
εν  ω εχομεν  την  απολυτρωσιν  δια  του  αιματος  αυτου  την  αφεσιν  των  αμαρτιων

上の3書が正統派聖書(今後、聖書Sと呼ぶことにする)とされる群。


ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Westcott/Hort with Diacritics
ἐν  ᾧ  ἔχομεν  τὴν  ἀπο λύτρωσιν,  τὴν  ἄφεσιν  τῶν ἁμαρτιῶν·

ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Greek Orthodox Church
ἐν  ᾧ  ἔχομεν  τὴν  ἀπο λύτρωσιν,  τὴν  ἄφεσιν  τῶν  ἁμαρτιῶν·

ΠΡΟΣ ΚΟΛΟΣΣΑΕΙΣ 1:14 Greek NT: Tischendorf 8th Ed. with Diacritics
ἐν  ὅς  ἔχω  ὁ ἀπολύτρωσις   ὁ  ἄφεσις  ὁ  ἁμαρτία

上の3書が改ざん聖書(今後、聖書Aと呼ぶことにする)とされる群。

何が違うか。

比較すれば、一目瞭然で

聖書Aでは、δια  του  αιματος  αυτου が欠落しているのが分かる。

直訳すると

彼の血を通して
through his blood

このページの中ごろにKJV英語訳が載っており

KJV with Strong's
In whom we have redemption through his blood even the forgiveness of sins

上の訳でredemptionと訳された単語ἀπολύτρωσιςは

ἀπολύτρωσις:
apolutrōsis
ap-ol-oo'-tro-sis
From a compound of G575 and G3083; (the act) ransom in full, that is, (figuratively) riddance, or (specifically) Christian salvation: - deliverance, redemption.

弁済、弁償、贖罪、救い、買取などの意

さて、次は、through his bloodを形容詞句と見るか副詞句と見るかという点。

形容詞句と見れば

1.We have (redemption← through his blood)+(even the forgiveness of sins)

または

2. We have (redemption+even the forgiveness of sins)←through his blood

のいずれか。

副詞句とすれば

3.We have(←through his blood)( redemption+the forgiveness of sins)

以上3通りの解釈の仕方があります。

神学の知識が全くないので、どれが正解なのか良く分かりませんが、読んですぐにピンと来るのは3.でしょうか。


主の中にいる私たちは、主の尊い血潮によって
罪の赦しのみならず救いをもすでに得ている
(意訳)

同(比較)
この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
(新改訳)

確かに、「彼の血を通してthrough his blood」がないと文章に締まりがない。

 

 

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ホントの聖書

2012-05-10 15:44:05 | 聖書研究・信仰

富井氏のサイトに次のような記事がありました。

ネストレ版の聖書は改ざんされています !!

当ブログで参照しているJ−ばいぶるですが、その引用原典を見ると

搭載データ:新約聖書原書UBS第4版(ネストレ27版と同等)、文法解析データ(Barbara & Timothy Friberg作成1993. Ver 2.0)、ギリシャ語ミニ辞書(JCBR作)

とあり、これらのサイト情報を踏まえると、

J−ばいぶるは、改ざんされたネストレ版聖書を参考にしている

ということになる。

しかし、まあ、それが事実であったとしても、衝撃で息が詰まりそうな感じにはならない。

異本に関しては、それなりに注意を払ってきたし、岩波訳などの別訳や英語訳も参考にしている。

聖書と御霊は車の両輪であると同時に相補的な関係にあるのだから、聖書でも何でも読んでいて違和感があれば聖霊が教えてくれるはずだ。御霊の働きを無視して、聖書とそれに向き合う自我だけを意識するから問題が起きるのだ。

とは言え、無視はできないので

次回からは、上記サイトを参考にしながら、『本当の聖書』と『改ざん聖書』のちがいについて検討していきます。

 

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内需拡大

2012-04-27 17:19:28 | Weblog

今年は、GW前半は伊豆修善寺で、GW後半は強羅でゆっくりと体を休める予定です。

ん〜ん、ワクワクします。

皆さんも良いGWを!

 

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時間の使い方がヘタなのか

2012-04-16 12:59:57 | Weblog

良いことなのかどうか、最近結構忙しくて、ブログを更新している余裕がない。

・・・

先日車(中古)を購入した。

ディーラーの提示額が、なななんと666。。。円。

これには驚き呆れた。

こんなド田舎の、しかも取るに足りない小ビジネスにまで666が入り込んでいるのか、と。

世も末・・・か。

 

 

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これを共産主義と言います

2012-03-21 18:15:51 | Weblog

下の記事ですが、これを共産主義と言います。

いずれ必ず破綻するシステム。

但し、今があの頃のままであるなら共産主義とは言えなくなる。

要は、この国のココロの問題。

当たり前と思うのなら、共産主義。

有難いと感謝するなら、古き良き時代。

 

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なつかしきあの頃

2012-03-13 08:20:45 | Weblog

m3に投稿されていた『よしくるそう』先生の手記

引用開始

・・・

府内で唯一の切断指再接着医療機関に勤めていた頃、
下手すりゃ毎日、最少でも3日に一度はオールナイトの手術だった。
延々と続く手術。

朝に定期の手術が始まるまでに緊急手術が終わる時はまだ良かった。
そのままオペ場に居残り、定期のオペするだけ。
誰も代わりなんて居ない。

緊急手術の終わらない時の人のやり繰りはそれはそれは大変だった。

それでも研修医の給料は税込み4万円だった。
緊急手術代はおろか、超過勤務手当もつかない。
唯一当直者のみ9000円の当直手当がついた。

4万円弱で1ヶ月どう暮らせ言うのか?(家賃は5万3千円だった。)
明らかに憲法違反の大学病院だった。

食えない私たちは、緊急の当番で無い時に、
激しい救急病院にアルバイトに行っていた。
いつも寝不足でフラフラだった。
よく交通事故を起こさなかったものだと本当に思う。

教授の「先生は普通の人でいいの?」という言葉に奮起した時代だった。
大学院に入って、月々5万円の月謝を払って、
緊急手術の無い時に実験した。
大学院を卒業して助手になったら、初めて月給13万円もらった。

そんな時代があったから今があると思っています。

・・・

私が消化器外科教室に入局した頃と状況はほぼ同じ。

来る日も来る日も医局に15時間以上詰めてのジリ貧生活。

なつかしき研修医時代。

知っている人は知っている、『神田川』の世界・・・。

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