みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #303

2018年12月26日 | コーヒーブレイク
エペソ4章18節
彼らは
物の考え方が暗くなり
彼らのうちにある無知故に
頑なな心の故に
神の命から遠く離れている

病む心は、神の光が思いの中へと入り込むことを拒む。

ついには心が死んでしまい、異邦人と同じ状態へと堕ちてしまう。

そうならないために、ローマ12:2の実践が極めて重要。

日々上へと新たにされますように。

アーメン




Coffee Break, #302

2018年12月26日 | コーヒーブレイク
エペソ4章18節
彼らは
物の考え方が暗くなり
彼らのうちにある無知故に
頑なな心の故に
神の命から遠く離れている

異邦人(かつての我々)の場合の頑なな心と、信徒の場合の頑なな心では意味合いがかなり異なる。信徒の場合は霊とみことばとの結合が内にあるために話がより複雑。

心が病んでいる信徒の特徴について、具体化しておきたい。

聖書に書かれている事柄、例えば洗礼を無意味であると一蹴する者。心が病んでいるため、他人の言うことを聞こうとしない。口先では、主よ、従いますと言うが、兄弟の忠告には一切聞き従おうとしない。

自分の信念や実践と異なるメッセージを聞くと、とにかく断罪しようとする者。神に正否を聞こうとしない。特に、動機が不純なケースでは、聖書を盾に取って持論を展開しようとする。聖書は六法全書と化し、相手を打ち負かすための道具でしかない。

自己中心的で主観が過ぎる者。思いにおいて神の光が遮断されている。心は平静さを失い、ついには思いも堕ちていく。エバが堕落したのは善悪を知る知識の実を食べたからではない。それ以前にすでに心に隙があった。サタンに誘惑される前に、神に対する忠誠心がすでに朽ちつつあったから。主イエスとの決定的な違いはここにある。

年がら年中思いを馳せている者。毒を撒いたり、泥を跳ね飛ばしていることが分からない。心が病んでいるために、他人の会話に土足で侵入してくる。思いが常にぐるぐる巡りしている場合は、心がかなり病んでいる証拠。自己正義、自己確信、偏見のために、修正が効かない。他人の忠告どころか、みことばすら聞こうとしなくなる。

やはり、ローマ12章2節に尽きる。