小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

哲学患者

2008-04-28 04:05:27 | 医学・病気
哲学患者
研修病院で統合失調症の患者で、理解が難しい患者がいたので、その事を書いておこう。
その患者は、妄想もなければ幻聴もない。無気力の陰性症状もない。一見すると治療の必要がないようにも思われる。それでも薬を飲んでいる。ベテラン医も彼の病理がわからなかった。私には、わかったので書いておこう。
彼は、ユーモアがあって、難しい本、哲学書まで読むのが好きである。彼は、色々な事に興味を持っていて、特にトニー谷が好きだった。トニー谷は、赤塚不二郎の、「イヤミ」のモデルである。彼とは仲がよくなり、色々と話した。哲学書まで読めて、また、読みたがっていて、妄想もなけれは、幻聴もない人が、どうして患者なのか。
統合失調症の患者の症状に、話が飛ぶ、という症状がある。その程度がひどくなると、言葉のサラダ、という、症状になる。だが、言葉のサラダにも、程度があって、何を話しているか、意味がわかる程度のものもあるが、程度が重くなると、支離滅裂になり、全く何を言っているのか、わからなくなる。彼がトニー谷の本を進めるので、興味は無かったが、彼の病理を知ろうと、秋葉原へ行った時、トニー谷のCDがあったので、買ってみた。それで、それを聞いて、ああ、なるほど、とわかった。トニー谷作詞の歌も、ちょっと話が飛んで、内容がまとまっておらず、滅裂なところがある。程度は軽いが。というより、トニー谷は、彼の感性から、そういうふうな詞をつくってしまうのだ。それが彼の感性と合っているのだ。彼の場合、薬を飲んでいるから、一見、普通の人と変わりないように見える。だからといって彼に薬を中止しては、いけないのである。彼の病理の基本は、言葉のサラダである。もし、薬を中止したら、言葉のサラダの症状になってしまう危険があるからだ。私は彼が入院した時は、見ていなかったが、カルテに、入院した時は、話が支離滅裂と書いてあった。

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妄想が変わる患者の原理

2008-04-28 03:50:00 | 医学・病気
姫路城つくった、の妄想の原理
研修病院にいた時、難しい症例の患者をよく任された。
私は、人の心理を分析して得意になろう、などという性格の人が大嫌いである。
ドラマにせよ、漫画にせよ、小説にせよ、私は、そういうのは見ない。そもそも精神科は薬理学であって、心理学ではないのである。フロイトの精神分析は一昔前のものである。だが、世の人は、精神科医というものを、非常に素直に誤解されておられており、精神科医は人間の心理を分析する医者と思っておられるので、その神秘性から面白がり、そういうドラマはこれからもいくらでも、つくられつづけるだろう。
そもそも、私は、精神科はラクだから、という理由でなったに過ぎない。
ただ、多少、役に立つだろうと思う事は書いておきたい。
まず、精神科は、統合失調症の患者が、9割りをしめた。だから、精神科医になるという事は、統合失調症に、詳しくなる事である。特に、患者にあった薬の選び方を知る事が大切である。
統合失調症の患者では、ICD10分類で、色々なタイプに分けられている。
だが、大きく分けて、幻聴型と妄想型に分けられる。
もっとも、妄想と幻聴は、ほとんどの場合、つながっている。だが、妄想だけ、の患者もいるし、妄想は軽度で、幻聴が強い患者というのもいる。
また、妄想の内容にしても、一つの事だけの患者もいる。こういう患者は、医者からすれば、わりと対応しやすい。また、こういう患者は、一見したところ、普通の人とかわりない。また、病院を退院して社会復帰可能な場合が、多い。医者も、その人と、話していても、その人が妄想を持っているとは、わからない。妄想の事を聞きだして、やっとわかる場合が多い。
しかし、多くの場合、妄想は一つだけではない場合が多い。いくつもの妄想を持っている患者が多い。妄想の内容はガッチリと患者の頭の中で固定してしまっていて、容易にとれるものではない。薬で、妄想がとれたり、軽減されるケースもあるが、薬が効かない治療抵抗性の患者も多い。
研修病院で、色々なタイプの患者を診たが、その中で、一人、興味深い患者の事を書いておこう。その人は、かわっていて、妄想の内容が、ころころ変わるのである。特定の妄想というのは無く、毎回、違った妄想を訴えるのである。昨日、「姫路城は私がつくった」かと言えば、今日は、「自分は江戸時代の与力だった」などと言うのである。明日は、また違う妄想を言うだろう。妄想の内容がユーモアなものなので、ベテラン精神科医は、患者の妄想に合わせて、「ああ。そうなの」と、ユーモアで対応していた。
私は、なぜ、この患者にこういう妄想が起こるのか考えてみた。
私は書く事で考える事が、多いので、患者のカルテは、ほとんど私の考察文になってしまった。この患者の私の考察を書いておこう。そして、それは、おそらく当たっていると思っている。
統合失調症の患者には、色々な精神の症状が、あるのだが、その中で、identityの喪失という症状がある。自分が自分でないような感覚である。自分が一体、何者なのか、わからなくなる感覚である。これは、患者にとっては、非常につらい症状である。
彼は自分のidentityがわからない、という症状が根本にあるのである。そして、それがわからない精神状態というのは、非常に不安なものである。彼は、その不安から、のがれようと、自分のidentityを、求めているのである。彼は、色々な物事に対して、とらわれてしまう。「姫路城は誰がつくったのか」という、問題意識が、起こると、それにとらわれて、そればかり考えてしまう。わからない、という事は、自分のidentityだけでなく、何事にしても、すっきりしないものである。彼は、その疑問に悩まされる。彼は歴史を、しっかり知っている人ではなかったが、仮に歴史をしっかり知っていても同じだろう。歴史を知っている人でも、「自分は天皇である」とか、自分は歴史上のある人物である、という妄想は、多くの患者に起こる妄想である。そういう妄想は、どう丁寧に説明しても、とれるものではない。精神科医が疲れるのも、こういう妄想を強く訴える患者に対してである。
さて、彼は、「姫路城は誰がつくったのか」という疑問にとりつかれ、悩まされる。そして、必死に考える。だが、答えは見つからない。そこで、「姫路城は誰がつくったのか、わからない」という結論になる。そこで彼の自分のidentityを求める気持ちが、その疑問と結びついて、確固たる一つの結論が出来るのである。「姫路城をつくったのは、自分である」という結論である。わからない疑問が解消されると同時に、自分とは、姫路城をつくった人間なのだ、という自分のidentityが生まれ、二つの疑問が無くなって、精神が落ち着くのである。
ただ、彼の妄想は弱く、一晩たてば、忘れてしまうので、妄想が、ころころ替わるのである。彼は、基本的にいつも、identityが、わからない不安に悩まされていて、絶えず自分のidentityを求めており、また、観念奔放もあって、色々な事に疑問を持って、それにとらわれてしまうので、こういう変わった症状が起こるのである。こういう患者は極めて少ない。

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