小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

「我が闘争」(アドルフ・ヒトラー)

2015-11-28 09:20:23 | Weblog
「我が闘争」(アドルフ・ヒトラー)

「大衆は、愚かであり、いつの時代も、必ず間違う」

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フィギアスケート

2015-11-27 22:59:48 | Weblog
秋篠宮佳子さまは、子供の頃から、フィギアスケートをやっていたが、You-Tubeでは、小学生の時の動画しかない。

やめてしまったのだろうか?

フィギアスケートは、別に、レオタードのような、セクシーな恰好で、やらなくては、出来ないものではない。

短パンでも、ジャージでも、出来る。

その格好で、神宮のスケート場で、滑れば、客が入って、それで、日本のGDPを上げるということも、出来ると思うのだが。

イギリスでは、結構、皇族が、経済的活動をしている。

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バッティングの理論3

2015-11-27 18:19:17 | Weblog
3年くらい前たったと思うが、バッティング・センターで、無考えに打っていた時。その時には。打つ球は、必ず、引っ張る方向に飛んでいた。私は、左打ちなので、ボールは、必ず、左に飛んでいた。何も、意識して、引っ張っていたわけではない。自然と、引っ張り気味のバッティングになっていたのである。その理由は、わからなかった。しかし、わかった。

バッティング・センターでは、ボールが飛び出す瞬間が、投げられる前から、わかる。
なので、振り遅れるのを、おそれるから、スイングの開始は、早くなりがちになるのだ。だから、結局、引っ張ることになってしまうのだ。

その後、3年くらい、バッティングをやらない期間があって、再開したら、カンが鈍っていて、ボールに、当たらなくなったのである。それで、ボールに当てる方法を考え、工夫しだした。

それで、やっているうちに、気づいたのだか、ボールの位置(高さ)を良く見て、バットの握りを、微妙に、調性することによって、ヘッドを動かして、ボールの位置に合わせるようにしてみたのである。すると、当たるようになってくれた。こうすると、ボールが、ほとんど全部、真正面、つまり、ピッチャー、センター方向に飛ぶのである。そして、打った後、視線が残るのである。これは、当たる瞬間を意識しているから、ボールがバットに当たる瞬間には、バットは、ピッチャーに対して、横向きになっているからである。だから、センターに飛ぶのである。

さて。これで、飛距離を出すには、どうすればいいか。

当たってくれるようになると、次は、飛距離を出したくなってくる。

それの一つの方法として。インパクトした時、もう、それ以上、振らないで、バットをギュッと握って、スイングを、止める、という方法がある。
バット(グリップ)を、ギュッと握って、スイングを止めても、スイング動作に入った時からの、バットのエネルギー(慣性モーメント)が、バットには、あるから、バットは、回転する。そして、手首が、かえるのである。つまり、フォロースルーである。
こういう、打ち方も、一つの方法である。

テニスでも、同じ原理で、ボールが当たった後、肘を止める、という方法がある。
現代テニスでは、その打ち方である。
肘を止めると、前腕が回内し、プロネーションが起こるので、自然に、ドライブ回転が、かかってくれるのである。
中級者では、強引に、ラケットをかぶせることによって、ドライブ回転をかけている人もいるが、水平にラケットを振り出し、肘を止めることによっても、ドライブ回転は、かかってくれるのである。

ただ。プロ野球選手のバッティングを見ていると。
プロは、木製バットなので、ボールは、飛びにくいし。ホームランになるほどの飛距離をだすには、この打ち方では、無理だろう。

また。子供のバッティングでは、子供は、力が無いから、この方法では、長打は出来ないだろう。

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バカな松岡修造

2015-11-25 01:07:56 | Weblog
世間では、松岡修造は、熱血漢と思われているようだが。

私は、彼を、バカというか、アホだと思っている。

(私は、100億人がYES、と言っても、自分の考えが違えば、NOと言う性格の人間である)

氏は、やたら、「世界、世界」、と言って、世界のレベルでなければ、無意味で、逆に、世界のレベルに達した人を誉め、(というか、へつらっているが)私は、氏とは、価値観が正反対である。

スポーツは、何も、世界のレベルでなくても、いいじゃなかい、と思うのである。

基本の技術が、しっかり、身についていれば、それで、私は、十分だと思うのである。

世界とか、プロとかに、なると、肉体を極限まで酷使するから、世界記録(や金メダル)の獲得と、怪我の、繰り返しの毎日になるのだ。

実にバカげている。

水泳なんか、たった、0.1秒の差で、金メダル、銅メダルの違いになる。

もう一度、やれば、そんな、勝ち負けは、簡単に、ひっくり返る。

たった、0.1秒の差で、勝ったことが、そんなに、価値のあることなのか?

しかも、世界一になった、ということは、その時代に、その人、以上の実力のある人がいなかった、というだけに過ぎない。

ウサイン・ボルトは、明らかに、世界一の実力があり、何度、やっても、彼が一番になるだろう。

あれは、すごい。(私も彼は、すごいと思う)

そして、そもそも私は、オリンピックの金メダルなんて、くだらない、と思っている。

なぜなら、オリンピックは、選抜競技だから、相手(敵)との、比較で、金メダルは、決まるのだから、相手が、失敗したり、怪我したりしたり、してくれたら、自分が、金メダルをとれるのだから、相手の失敗を、願うようになってしまう。

実にバカげている。

相手を蹴落として、合格して、喜んでいる、受験生と全く同じである。

そして、世界一になるには、自分の一つの競技の訓練だけが、人生の全てになってしまう。

特に、幼少の頃から、一つのスポーツに専念した人は、上達の理論や、プロセスが、チンプンカンプンのバカになってしまうのである。

幼少の、一つのスポーツの、天才少女とか、天才少年とかは、例外なく、単なるバカである。一芸を仕込まれた、猿回しのサルに過ぎない。

それを、とったら、何も残らない。

特に、女子体操などは、柔軟性、や、体の軽さ、から、10代で、選手生命のピークに達し、それを過ぎたら、人生、終わりである。

それ以上、歳をとると、勝てないからである。

あとの、残りの人生は、お決まりの、おまけの、後進の指導、か、有名人であることから、芸能界の、バラエティー番組の出演者の人生である。

もう、10代で、金メダルをとって、人生の目的を果たしたら、その後は、死んだ方がいいんじゃないの。

これは、私の考えでも、あるが、ちゃんとした、スポーツ論でも、述べられていることでもあるのである。

「スポーツ上達の基礎理論」(自由現代社)でも、述べられていることである。

要するに、怪我と勝利のためのスポーツ。か。健康と生活向上のためのスポーツ。か。という問題である。

三島由紀夫は、「スポーツはバカがやるもの」、と言っているが、その考えには、私は反対である。

スポーツには、ちゃんとした、理論があるのである。

しかし、それをのぞけば、私は、三島由紀夫の、スポーツ観に、ほとんど共感する。

以下、三島由紀夫の「実感的スポーツ論」を抜粋する。


「私は目下、剣道をやっており、やっと最も自分に適したスポーツを見出して、そこに安心立命の境地を得た感じがしている。私の師は吉川正実七段だが、氏の人柄に惹かれて、私は氏の転勤先へついてまわり、それまでの東調布警察署から、渋谷警察署へ移ってきた。氏のまわりには、つねに人の和があり、剣道家にありがちな小うるさい空威張りを、氏ほど免れている人はめずらしい。実際、剣道家独特の臭味、妙に様子ぶった、妙に謙虚ぶった、あるいは剣道臭の強い、あるいは事大主義のつよい・・・そういうもろもろの臭味がイヤになって、剣道そのものが嫌いになってやめていく人も多いのである」


「もう一つは、社会人のスポーツの問題である。社会人のスポーツというと、見るスポーツだけ、行うスポーツはゴルフだけ、というのが現状であって、三十代で、早くも老化現象を起こす人達がますます増加する。皮下脂肪の沈着が、あるいはコレステロールを増し、あるいは心臓を弱める。多飲が肝臓障害を惹き起こし、神経の酷使が胃潰瘍を招来する。それを防ぐために、薬屋の店先で、薬壜からストローを啜っている姿は、情けない眺めである。スポーツが、これらのものをみんな救うことは目に見えているのに、社会人は、暇もなければ、その機会もない。三十代のスポーツがいかに必要であるかは、私が身をもって体験したところである」


「スポーツは行うことにつきる。身を起こし、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの快さについて、かつてマンボ族が流行していたころ、「このシャワーの味はマンボ族でも知らねえだろ」と誇らしげに言っていた拳闘選手の言葉を私は思い出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている」

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バットに当てるには

2015-11-24 23:09:20 | Weblog
さて。バッティングの続き。

バッティング・センターで打つ時は、ボールの芯をとらえて、ライナーを、打てばいいのである。

私は、野球をしたことが、小学三年の時に、ちょっと、あるだけで、それ以後は全くない。

試合だと。ボールの芯をとらえて、ライナーを、打っても、ライト正面だと、簡単に、捕られてしまって、外野フライということになる。

試合の場合は、野手の間を抜かなくてはならないのである。

打ち損じでも、野手の間に落ちてくれれば、ヒットになるのである。

また、試合なら、フライより、ワンバウンドさせて、ゴロにした方が、バッターの足が速かったり、ワイルドピッチで、ヒットになることもある。

ヒット、エンド、ランをかけるときには、むしろ、ワンバウンドさせた方が、安全である。

それは、試合の場合である。

しかし。バッティング・センターで打つ時は、ボールの芯をとらえて、ライナーを、打てばいいのである。

それが、一番、気持ちがいいからである。

さて。ボールをバットに当てるには。どうすればいいか。

まず、構える時には、下半身(脚)に力を入れる。こうすると、上半身や、手の力が、抜けてくれる。

バットは、ゆるゆる、にして、力を入れて、握りしめなで、ただ、バットが落ちないよう、支えているだけの、脱力状態にしておく。

ゆるゆるに、握っておいても、バットは、880g程度で、1kgもないから、バットの握りを、ちょっと、動かせば、ヘッドは、容易に動かせる。

バッティング・センターのボールでは、インコース、アウトコースの、左右の、乱れはない。それは、ピッチング・マシンの性能からである。

ただ、ピッチング・マシンの性能からして、上下には、一定に来ない。高い球もあれば、低い球もある。

これに、対処して、球を打つには、どうすればいいか。

それは、スイングの始めは、脱力して、バットを握っているが、球の高さを、予測できたら、バットの握りを、動かして、それによって、ヘッドの位置を、調整して、球の高さに合わせるのである。

(これは、私、個人の、今の段階の考えであるが)

つまり、ギリギリまで、ボールをよく見て、バットのヘッドの位置を調節することによって、ボールがバットに当たってくれるようにすることである。

バットの握りは、インパクトの時も、脱力したままでもいいが、飛距離を出すには、インパクトの時、グリップを力強く、ギュッと、握りしめると、パワーが出る。しかし、これも、必ずしも、絶対の法則ではない。

硬式は、知らないが、軟式の場合は、そして、ボールのスピードにもよると思うが、バットにボールが当たった瞬間から、グリップを力強く、ギュッと、握りしめて、力を加える、ということも、出来る。のである。

そこで気づいたことであるが、(思い切り打つより)当てることを、最優先にすると、ボールをギリギリまで、見ようとするから、ボールを打った後でも、視線が、残るのである。

テニスでも、野球でも、打った後までも、当たった所に、視線が残る、というのは、スイングにおいて、非常に良いことなのである。

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バッティングの理論2

2015-11-24 01:26:12 | Weblog
前回の続き。

さて。バッティング・センターには、大人用の、長い重い、バットと、子供用の、短い軽いバットが置いてある。

大人は、もちろん、大人用の、長い重い、バットで打つ。

子供用の、短い軽いバットで、打つと、いわば、暖簾に腕押し、で、力が入らない。

だから、当然、大人は、もちろん、大人用の、長い、重い、バットで打つ。

大人は、子供用の、短いバットでは、力が入らない、と頭から思い込んでしまっている。

しかし、大人でも、子供用の、短いバットでも、打てるのである。(大人用のバットほどには飛距離は出にくいが)

それには、どうすればいいか、というと、インパクトの時、手首を、体から離して、伸ばして打てば、いいのである。

野球のスイングは、バットの遠心力によって、打っている。

この、遠心力は、バットの長さ、だけによって決まる、と勘違いしているからである。

あとは、バットのヘッドの遠心力を、速くするためには、体重移動や、腰の回転、が遠心力を出す要素だと思ってしまっているからである。

しかし、手首を、遠くに伸ばすことは、いわば、腕を、バットの長さの、一部にしているようなものなのなのである。

大体、バッティング・センターでは、プロ野球選手と同じように、出来るだけ、ホームベース寄りに、近づいて、打つ。

なので、近づきすぎて、インコースにボールが来てしまうこともある。

そういう時、どうすればいいか。

一つには、古田敦也氏が言っているように、前の肘を曲げて、打つことである。

しかし、もう一つの方法がある。

それは、インコースだと、分かったら、体を後ろに倒すことによって、ボールに近づきすぎないで、ボールとの距離をわざと作って、打つ、という方法である。

バッティング・センターの、120km/h程度、の球なら、この打ち方で打てる。

テニスのボレーでも、一番、打ちにくいのは、自分の、真正面に来た、スピードボールである。

自分の、真正面に来た、スピードボールは、まず、フォアで、打つか、バックで打つか、で、迷う。

まあ、真正面に来た、ボールは、バックで、打つのだが、正面だと、力が入りにくいから、わざと、体を横にずらして、ボールとの距離を作って、打っている。

それと、同じ理屈である。

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バッティングの理論

2015-11-21 00:38:28 | Weblog
私は、他人のスポーツを見ているより、自分で、する方である。その方が面白い。

バッティングで、気づいたことがあった。

スホーツでは、頭で考え回すのではなく、反復練習が大切である。感覚が大切である。

練習の中で、何か、上手く行った時に、その、打ち方を、積極的に、試してみる、といい。

私が、最近、気づいたことなのなのだが、バットのトップを、体に近づけて、構え、打つ時、ヘッドを、遠くに出すと、カキーンと、芯に当たって、遠くに飛んでくれる。ということだ。

これは、打っている時に、たまたま偶然、感覚的に気づいたことである。

しかし、後で、考えてみて、その原理が分かった。

これは、テニスのスイングと、同じ原理である。

テニスのスイングでは、今は、インサイドからアウトサイドへ、水平にスイングする、打ち方である。

昔のテニスの打ち方は、薄い握りで、ラケット・ヘッドを下げていき、それから、徐々に上げていき、インパクトの時、ラケット面が垂直になり、その後、フォロースルーでは、ラケットを、上に上げることによって、ドライブ回転をかけて、打っていた。

しかし。今は、ラケットの性能が良くなり、ガットも、フレームも、弾きのいいのが出来た。

今のテニスでは、ラケットのヘッドを、少し、遠くに出した方がいい。

それは、ムチ(棒でも同じ)を振るのと、同じ原理である。

ムチは、短いのより、長い方が、先端の遠心力が、大きくなる。

今のテニスては、ラケットの、遠心力の力で、打っている。のである。

それが、バッティングでも、同じ原理なのだと、気づいた。

ただ、あまり、腕を遠くに、伸ばし切ってしまうと、バットコントロールが出来にくくなる。

なので、腕は、伸ばし切らず、少し、曲げていた方がいい。

感覚で、上手くいったことを、後で、物理学の原理、や、You-Tubeの動画で、確かめるといい。

原理が分かっていれば、スランプには、なりにくい。

スポーツ選手で、スランプになるのは、原理がわかっていないからである。

一体、どうして、打てなくなったのか、自分でも、訳が分からなくなってしまうからである。

内川聖一選手は、トップを、体から、かなり離して構えている。それで、打っている。

私には、あの打ち方の、原理は、分からない。

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内部留保に対する課税

2015-11-20 23:10:10 | Weblog
企業の内部留保に対して課税する、というのは、おかしい。

内部留保は、色々な面があるが、企業が、倒産しないための、安全資金でもあるはずだ。

また、新規事業をするためや、経営拡大を考えていて、そのための資金としている企業もあるはずだ。

企業の、プロジェクト・チームが怒るぞ。

企業の自由な、自主的な、活動を、政府が、介入するというのは、おかしい。

まあ、するとすれば、課税の割合を、極めて低くして、1%、課税する、というのなら、悪くはなく、むしろ、いいだろう。

だから、重要なのは、課税の、割合い、である。

しかし。政府の税収を上げるには、もっと、まともで、公平な、やり方など、いくらでもある。

個人の場合で、そんなことしたら、キチガイ沙汰である。

個人が得た収入を、何に使うか、消費に使うか、貯蓄に回すかは、個人の自由である。

貯蓄に回したら、貯蓄に課税するなどと、したら、キチガイ沙汰である。

個人と企業は、もちろん同じではないが、類似点も、当然、ある。

マイナンバーにせよ、政府は、国民も、企業も、全て、政府が管理しようとしているように見受けられる。

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江戸時代と現代

2015-11-20 20:21:43 | Weblog
江戸時代と現代は、たいして、変わりないように思える。

江戸時代は、「百姓は、生かさず殺さず」。

であり。

現代は、「国民は、生かさず殺さず」

の観がある。

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侍ジャパン負け

2015-11-19 23:31:38 | Weblog
対、韓国戦で、侍ジャパンが負けた。

ジムでトレーニングした後、小説を書いていたので、試合は、見ていないが。

私は、韓国を応援する、などと、言ったが、やはり、日本に勝って欲しかった。

そもそも、韓国の選手で知っている選手など、いない。

韓国というより、イ・デホに好感をもっているだけに過ぎない。

まあ、どっちが、勝とうが、負けようが、そんなことは、私には、他人事で、どうでもいいこと、な、だけである。

しかし、イ・デホは、デブなので、デブだと、デッドボールを受けても、脂肪が、クッションになり、体に当たっても、怪我をしにくい、というメリットがある。

いわば、肉のプロテクターをしている面がある。

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山本太郎議員の牛歩

2015-11-19 16:49:17 | Weblog
安保法案の時の。山本太郎議員の、牛歩について。

You-Tubeでの、彼の行動の評価は、「子供っぽい」、とか、批判的な見方が多い。

確かに、私も、感覚的、というか、反射的には、つい、そう思ってしまう。

しかし。少し、考えてみると。

私は、彼の、牛歩の行動を、完全肯定する。

確かに、ゆっくり、というか、ノロノロ、歩いたって、結果は同じである。

しかし、一秒でも、一分でも、いいから、採決を遅らせたい、という、意志の、象徴的行為としての影響は、かなり有効だと思うからだ。

実際、あの動画は、これから先も、無くなることがないだろう。

まあ、牛歩より、わざと、つまづいて、転んで、「痛てててて。どうやら、捻挫か骨折してしまったみたいだ」、と言って、座り込む方が、もっと、いいと思うのだが。

ただ、生活保護を、手厚くしてしまっては、いけないのである。

精神病院の入院患者は、サラ金→自己破産→生活保護、というパターンの患者が多い。

日本国憲法第25条第1項では。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。

この、「最低限度」という言葉が大切なのである。

もし、生活保護が、ゆとりのある、満足のいくものだったら、フリーターとか、生活に苦しい人、下手をすると、日本人の半分近くが、生活保護になりたがってしまう。

「生活保護なんて、つらくて、嫌だ、就職したい。働きたい」、と思うような、生活でなくては、ならないのである。

ただ、私は、生活保護になるくらいなら、野垂れ死にする。方を選ぶ。

国家に食わせてもらう、なんてのは、私のプライドが、許さないからだ。

また、山本太郎議員は、衆議院に立候補する時の、300万円の供託金を悪いと言っているが。

それは、違うんじゃない。

供託金0円、で立候補できるとすると、誰でも、簡単に立候補できてしまう。

本気で、議員になりたいと思っていない、売名行為のために、立候補する人も出てきて、立候補者が、無数に出てきて、選挙が、メチャクチャになってしまう。

供託金0円、で立候補できるんなら、私だって立候補するぞ。(当選したいとは、さらさら思わないが。面白そうで、一度、やってみたい、という、遊び感覚から)

ある程度の供託金を払わなければ、立候補できない、というのは、立候補者が、本気で、議員になりたい、と思っていることを確かめる目的もあるのだ。

供託金の300万円が、高いか、どうかは、問題にする価値はあるけど。

私は、供託金、300万円は、高いとは思わない。

500万にしたら、高すぎる。

そもそも、300万円ていどの、貯蓄も無いような、やる気も覇気も無い、無名の、フリーターやニートが、立候補したって、当選するばずがない。

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フランスでのテロ

2015-11-17 23:02:54 | Weblog
フランスで、イスラム国によるテロが起こった。

イスラム教は、今の、サウジアラビアで、710年に、起こった宗教だが、ヨーロッパと、中東(イスラム圏)では、キリスト教と、イスラム教の、争いが、十字軍の頃から、続いている。

日本は、江戸時代、鎖国していて、フランシスコ・ザビエルのもち込んだ、キリスト教には、悩まされたが、イスラム教は、入ってこなかった。

なのに、安保法案などを、作ってしまったから、アメリカのする、戦争に付き合わなくてはならないから、安保法案がなければ、関係のない、イスラム教、や、イスラム国にまで、敵にまわして、テロの標的にされてしまう。

実にバカげている。


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野球の国際大会

2015-11-17 22:57:12 | Weblog
野球の国際大会で、あさって、日本は、対、韓国戦である。

たいして、興味はないけど、私は、日本ではなく、韓国を応援するぞ。

私は、韓国人ではなく、純粋の、日本人だけど。

こういうと、「売国奴」、と言われるのだろうが、そんなの、かまわんぜよ。

(別に、個人一人が、どっちを応援しようと、日本の国益を売りとばす行為には、ならないと思うのだが)

「売国奴」なんて、言葉を、頻繁に使うヤツこそ、全体主義、ファシストが多い。

ハイル・ヒットラーと、同様、ハイル・ジャパンと、言わないと、非国民と、言われるのだ。

なぜ、私が、韓国を応援したいか、というと、今の、韓国は、財閥がのさばっていて、政治も汚職まみれで、(セウォル号がいい例)、日本より、若者の就職が厳しく、そういう苦境の中から、何とかして、幸せになりたいと、思って、必死で、頑張ったヤツが、韓国のプロ野球選手になれるからであり、だから、韓国は、強いのであり、私は、苦境の中から、必死に、頑張るヤツが好きだからである。

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遠山の金さん

2015-11-17 01:04:25 | Weblog
「遠山の金さん」、も、「水戸黄門」と同じように、おかしい。

「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」と、遠山の金さんが言っても、悪人どもは、「さあ。知りません」、「記憶にございません」、とか、「桜吹雪の入れ墨をしている人は、たくさん、います」、とか、「あなたの、桜吹雪の入れ墨は、いつ彫ったんですか?」

とか、聞けばいいのである。

ああいうテレビドラマばかり見ていると、確実に、バカになるよ。

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奈良県立医科大学の同窓会

2015-11-16 17:01:48 | Weblog
昨日、奈良県立医科大学の、同窓会があった。

シェラトン都ホテル大阪、の、中華料理、四川、という所で、行われた、ようだ。

「ようだ」、と書いたのは、私が、間違って、今月の19日(木)と、カレンダーに書いておいた、からだ。

だから、私は、出席していない。

確か、二ヶ月、くらい前に、同窓会の、知らせ、が来た。

行くか、行かないか、で非常に迷った。

同窓会は、卒業した時の、クラスで行われる。

私は、大学四年の時、病気で、一年、休学した。

だから、卒業した時の、クラスでは、友達がほとんど、いない。

入学した時のクラスでは、(友達、とまでは、言えないかもしれないが)話せる相手は、たくさんいた。

顔と、名前は、ほとんど、全員、知っていた。

しかし、留年して、卒業した時の、クラスでは、知っている人は、ほんの少ししか、いない。

私は、卒業してから、一度も、母校に行ったことが無い。

行くか、行かないか、で非常に迷っていた。

なので、作戦として、出席する、と、通知しておいて、その間に、じっくり、考えて、やはり、やめようと思ったら、やめにしよう、と、思っていた。

結局、出席しない方が、いいと、昨日、決断した。

6年前に、母校の自由学園の、高校の同窓会があったが、あれは、迷うことなく、出席した。

高校時代のクラスは、「オレと、お前」、の関係だったからだ。

実際、同窓会の後では、誰とも会っていないし、おそらく、これから、一生、会うことも、ないだろう。

奈良は、ともかく、遠い。

近くの、横浜市立大学医学部に、入れなかったことが、私の人生の、最大の、とまでは、いわないが、非常に大きな失敗である。

私は、奈良県立医科大学にしか、入れなかった、ということに、劣等感を持っている。

模擬試験の結果から、合格できて、当たり前だったからだ。

だから、合格を知っても、たいして嬉しくなかった。

まあ、その劣等感が、私のエネルギーの源泉には、なっているが。

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