小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

安倍晋三は、コロナウイルスの発生を喜んでいる

2020-03-27 06:58:13 | Weblog
安倍晋三は、コロナウイルスの発生を喜んでいる。

なぜなら、新型コロナウイルスの、予想外の感染拡大に、日本、に限らず、世界中で、新型コロナウイルス対策が、一番の、政治問題になっているからである。

とうとう、今年の東京オリンピックまで、新型コロナウイルスのため、延期することになった。

経済も、大打撃である。

前代未聞のことである。

国会では、限られた時間で、一番、重要な、問題を論じるから、今は、新型コロナウイルスの討論ばかりである。

安倍晋三は、新型コロナウイルスの発生を、喜んでいる。

これは、立派な犯罪である。

なぜなら、新型コロナウイルスの、おかげで、「桜を見る会」、の問題追求、より、「新型コロナウイルス」が、一番、重要な、政治問題になってしまったからである。

新型コロナウイルスの、おかげで、「桜を見る会」、の追求は、二の次になってくれたからである。

これは、立派な犯罪である。

安倍晋三は、そんな、人の心まで、ゲスの勘繰り、を、するな、そんな事は、仮に事実だったとしても決して犯罪ではない、と怒るだろう。

しかし、それは、大間違いである。

悪い事を思っただけで、犯罪を犯さなくても、犯罪なのである。

今の日本では。

なぜなら、安倍晋三は、「共謀罪」、を、強行採決で、法制化したからである。

「共謀罪」、とは、「悪い事を思っただけで、それは、犯罪である」、という法律である。

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絶対、儲かる方法

2020-03-19 14:17:15 | Weblog
絶対、儲かる方法。

それは、今、株を買うことである。

新型コロナウイルスで、世界は、株価が下がってきている。

しかし、世界中、の国々で、コロナウイルス対策をしている。

発祥の中国では、対策を徹底したから、今は、おさまる方向に、向かっている。

しかし、SARS、と、同じで、やがて、新型コロナウイルスも、収束していく。

東京オリンピックが、開催される頃には、収束していく、と、政府は見ている。

だから、経済は、やがて、いつか、そう遠くないうちに、回復する。

だから、今、下がっている、株を買っておけば、新型コロナウイルスが、収束して、経済が、元に戻った時、株価は、必ず上がる。

その時に、株を売れば、儲かる。

また、今、株を買っておけば、今の世界の株価の下落を、抑える効果もある。

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小児科医 (上)(小説)

2020-03-15 22:41:49 | 小説
「小児科医」
という小説を書きました。
ホームページ、浅野浩二のHP目次その2
に、アップしましたので、よろしかったら、ご覧ください。
(原稿用紙換算147枚)
小児科医
岡田由美子さんの父親は、大阪市内で、内科医院を開業している。
彼女は、江戸時代から、代々、続いている、医者の家系である。
岡田さんは、物心ついた時から、岡田医院に来る患者を診て、そして白衣姿で、患者を診療する父親を見て、育った。
「由美子は、将来、何になりたい?」
と、小学校に入った時、父親に、聞かれたが、由美子は、即座に、
「私。お父さんと、同じ、お医者さん、になりたい」
と、苺ケーキを、頬張りながら答えた。
由美子は、性格が素直、で、優しかった。
そして、優しく、医者の仕事に、熱心な父親を尊敬していた。
なので、由美子が、そう思うのは、無理もないことだった。
小学校の時の、国語の授業で、「将来の夢」、と、題する作文を、書かされた時も、由美子は、「私は、将来、父と同じように、医者になりたいです」と、書いた。
由美子の父親も、将来は、由美子に、医者になって、岡田医院を継いで欲しいと思っていたので、父親にとっても、嬉しかった。
子供の時の、由美子の目には、医者、以外の、歌手とか、女優とか、スチュワーデスとか、は、全く、関心がなかった。
優しい父親で、親身に、病人を診療している、父親の姿を、身近に見れば、医者とは、素晴らしい仕事、と思うのは、無理もないかもしれない。
優しい、温かい、両親に、見守られて、由美子は、すくすくと、育っていった。
親に勧められて、塾にも通った。
医学部は偏差値が高く、医学部に入るには、しっかり、勉強しなれば、入れない。
なので、由美子は、真面目な性格から、精一杯、勉強した。
由美子は、記憶力が、並外れた、超秀才、というわけではなかったが、性格が真面目だったので、親に言われずとも、勉強し、成績は、クラスの中でも、上位だった。
しかし。
由美子は、ガリ便なだけではなく、明るく、友達も多く、友達とも、よく遊んだ。
こうして、由美子は、すくすくと、健全に育っていった。
由美子には、反抗期というものが、起こらなかった。
父親が、趣味で、テニスをしていたので、由美子も、幼い時から、父親と同じ、テニススクールに入って、テニスを、やった。
休日には、テニススクールの、コートを借りて、父親と、テニスをした。
学校でも、部活では、テニス部に入った。
県の大会でも、シングルスで、上位に入った。
母親と、ヨーロッパに海外旅行にも行った。
由美子は、ドイツの伝統的な家並みの美しさ、や、地中海の、美しさが、一目で、好きになった。
そうして、由美子は、小学校、中学校、と、上位の成績で、過ごした。
高校は、北野高校に入った。
北野高校は、関西では、進学校で、偏差値が高い。
由美子は、そこでも、成績優秀だった。
高校も、三年になると、由美子も、大学受験を意識して、本格的に、受験勉強に打ち込んだ。
駿台予備校の模擬試験の成績から、由美子は、十分、国立の医学部に、入れる偏差値に入っていた。
由美子は、大阪大学医学部を、第一志望として、頑張って勉強した。
由美子の父親が大阪大学医学部出だったからである。
由美子の父親も、由美子が、阪大医学部に入ってくれることを、希望していた。
父親は娘に、それを直接に言ったわけではないが、由美子は、父の希望を、感じとっていた。
大阪大学の医学部なら、家から、通うことも出来る。
それで、夜遅くまで、一生懸命に勉強した。
一日、13時間、は勉強した。
そして、由美子は、大学受験で、大阪大学医学部を受験した。
由美子は、両親が、好きだったので、自分のプライドの、ため、というより、父親の喜ぶ顔を見たいため、大阪大学の医学部、を受験したのである。
手ごたえはあった。
しかし、残念なことに、合格者の掲示板に、由美子の受験番号は、なかった。
駿台予備校の模擬試験での成績も、大阪大学医学部は、ギリギリ、合格の可能性アリ、の判定だった。
賭けだった。
それで、仕方なく、第二志望で、合格した、奈良県立医科大学に入学した。
そもそも、受験生は、浪人して、もう一度、第一志望の大学を受験したからといって、入学できる保証は、ないのである。
大体、受験勉強というものは、現役の時に、学力が、ピークに達して、もう一年間、浪人して、勉強したからといって、学力は、ほとんど、上がらないのである。
ましてや、由美子は、真面目なので、阪大医学部に入るため、毎日、夜遅くまで、精一杯、頑張って、勉強した、ので、自分の、学力の限界を感じていた。
奈良県立医科大学は、阪大医学部に比べると、偏差値的に、楽勝だった。
そもそも、日本の国立医学部では、東大医学部、京大医学部、阪大医学部、の順で、日本で、三番目の難関校である。
奈良県立医科大学は、公立大学である。
公立の医学部というのは、県の税金で、運営されているので、国立とは、ちょっと違う所がある。
大学としては、卒業したら、当然、奈良県内にある、大学の関連病院で、働いて欲しいと思っている。
大学の関連病院は、何も、奈良県の中だけに、あるのではなく、近畿地方、や、中国地方にもある。
これは、公立医学部に限らず、どこの大学医学部でも、そうであり、自分の大学医学部の、縄張り、というか、テリトリー、というか、勢力を広げたい、と思っているのである。
なので、公立医学部は、入試においても、住所が奈良県だと、住所が別の県の受験生より、有利であると、本にも、書かれてあり、医者同士の会話でも、そういう会話がなされていて、これは、半ば常識のように、思われている。
大学としては、そういう差は、決して、つけてはいない、とは、言っているものの、はたして、実際のところは、どうなのかは、わからない。
奈良県立医科大学の入試は、センター試験と、二次試験の、二つの、合計点で、決める。
面接や小論文は無い。
なので、得点が、ほとんど、同じ受験生なら、やはり、大学としては、住所が奈良県の受験生の方を、合格させたい、という感情が、働きかねないだろう。
誰しも、地元、故郷愛というものは、あるものであり、卒業したら、地元で、働きたい、という思いはあるものである。
公立大学医学部は、県の税金で成り立っているので、大学としては、その県に住所のある受験生が、有利と言われている。
そのため、どうしても、ある公立大学医学部に入りたい、と思っている受験生は、受験前に、住所をその県に移して、受験する人も、いるのである。
そして、その県に住所を移して、受験したら、合格した、という、ケースもあるのである。
しかし、由美子は、大阪大学医学部に、入れるほどの、学力があったので、奈良県立医科大学は、余裕で合格できた。
大学としては、優秀な人材が欲しいから、圧倒的に、学力の差が上であれば、住所が何処、などということは、意味がないのである。
ともかく、奈良県立医科大学に合格できたので、お祝い、というか、残念会、というかで、親子三人で、高級フランス・レストランに行った。
「由美子。阪大医学部に入れなくて残念だったな」
と、父親が言った。
「お父さん。ごめんなさい。阪大医学部に入れなくて」
と、由美子が言った。
「いや。試験は、水物だからな。オレだって、余裕で、阪大医学部に入れたわけじゃないんだ」
と、父親が言った。
「奈良県立医科大学を卒業したら、阪大医学部の医局に、入れば、いいじゃないの」
と、母親が言った。
「はい。そうしようと思います」
と、由美子は、小さく言った。
大学を卒業したら、その大学医学部の、医局に入らなくてはならない、という義務はないのである。
別の大学医学部の医局に入局することは、本人の自由なのである。
出身校と、医局が違う医者は、結構、いるものなのである。
出身校が、ダメと、引きとどめる権限はないし、入局を希望している、大学の医局、や教授が、認めれば、医局は、別の大学医学部に入っても構わないのである。
母校でない、別の大学医学部の医局に、入局を申し込んでも、まず、入れる。
断る理由がない。
どの科でも、入局者が、少なかったら、医局としても、困るので、他の大学からの、入局希望者は、大歓迎なのである。
「ともかく、阪大医学部に入れなかったから、といって、くさっちゃ駄目だぞ」
と、父親が言った。
「はい」
と、由美子は、返事したが、これは、不要な忠告だった。
由美子は、真面目で、どんな集団に入っても、一生懸命、精一杯、努力する性格だったからである。
こうして、由美子は、奈良県立医科大学のある近くにある、橿原市内の、マンションに引っ越すことになった。
家賃5万の、わりと広いマンションだった。
親と離れて、一人暮らし出来る、という点は、さびしくもあったが、初めて経験する一人暮らしの喜びもあった。
由美子は、今まで、一度も、一人暮らし、を、したことがなかった。
しかし、アパートの窓から、外を見ても、田んぼ、ばかりで、大阪のような、賑やかさはなく、少しさびしかった。
奈良県立医科大学は、終戦の昭和20年の4月に、軍医速成のために、奈良医専として設立された。
大学は、略して、奈良医大と呼ばれる。
近鉄八木駅を最寄駅とし、奈良盆地の南東部に位置し、畝傍山・天香具山・耳成山の大和三山に囲まれていて、藤原氏、蘇我氏、聖徳太子、などの活躍した、古の飛鳥時代の歴史の町である。
しかし、歴史の散策のため、観光として行くのなら、いいが、盆地特有の内陸性の気候であり、夏は暑く、冬は寒い。
ともかく、さびしい所である。
由美子は、入学式の前に、大学に行ってみた。
単科大学であるために、キャンパスもなく、大学の建物も、隣接する、附属病院も、大阪大学に比べると、規模が小さく、旧くて、さびしそうだった。
入学式の日になった。
父親も母親も、仕事が忙しく、入学式には、来なかった。
由美子は、初めて、グレーのスーツを着て、出席した。
今まで、学校の制服で、スーツなんて、着たことがなかったので、何だか、急に、大人になった、ような気がした。
講堂で、国歌を斉唱し、新入生の名前が、一人ずつ、読み上げられ、学長による式辞が行われ、あらかじめ配られたパンフレットを見ながら、校歌を斉唱した。
新入生は、100人で、女子は、30人だった。
その後、新入生は、二台のバスに乗って、石舞台古墳と、飛鳥寺を見てから、大きな広間で、昼食となった。
昼食の時、一人ずつ、名前が呼ばれて、簡単な自己紹介をした。
由美子は、
「岡田由美子と言います。北野高校から来ました」
とだけ、挨拶した。
大体、みんな、名前と、出身校を言うくらいだった。
奈良県の進学校である、東大寺学園とか、畝傍高校出身の生徒が多かった。
あとは、大阪の、進学校出身者が多かった。
北野高校出身は、由美子一人だけだった。
昼食と、自己紹介が終わると、また、バスに乗って、大学にもどった。
そして、学生・職員食堂に、一列に並んで、座らされた。
食堂には、100人くらい、上級生たちが、ズラリと並んでいた。
目の前には、食べ放題の、御馳走が並んでいた。
現役は、18歳だから、まだ、酒は、法的に、飲めないはずなのに、酒も用意されていた。
ここでも、また、一人一人、皆の前で、自己紹介をさせられた。
ただ、司会の上級生の、「入りたい部活を言って下さい」、というのが、つけ加わった。
昼間の時の、自己紹介と、同じように、みな、名前と、出身高校と、そして、入りたい部活、を述べた。
「入りたい部活」を、述べると、先輩たちが、「おおー」と、大きな声を出した。
要するに、部活への、勧誘だった。
由美子は、
「部活は、何に入るかは、まだ決めていません」
と、穏当な発言をした。
由美子の前に、そういう発言をする生徒も、少なからず、いたからである。
「高校の時はテニス部でした」、などと、安易に、言ってしまうと、その後、テニス部の、先輩たちから、モルモン教への入信勧誘、以上の、しつこさで、勧誘される、というか、つきまとわれる、からである。
まあ、しかし、それも無理はない、といえば無理はない。
大学は、総合大学ではなく、単科大学で、医学部しかなく、一クラス、100人である。
その割には、クラブの数が多い。
体育会系では。
野球部。サッカー部。ラグビー部。硬式テニス部。軟式テニス部。スキー部。水泳部。相撲部。バスケットボール部。バレーボール部。卓球部。柔道部。剣道部。弓道部。空手部。合気道部。自動車部。バトミントン部。ヨット部。陸上部。ゴルフ部。二輪部。ハンドボール部。
文科系のクラブでは。
軽音楽部。アンサンブル部。ギター部。写真部。社会医学研究部。茶道部。聖書研究会。文学部。
である。
大学の部活の予算は限られている。
部員が少ないと、人数の少ない部活の、予算配分も、少なくなる。
たとえば、野球部で、部員が、一人になってしまったら、たった、一人の部員のために、ユニフォーム、から、グローブ、ボール、バット、まで、用意するわけには、いかない。
そもそも、一人では、野球の練習も試合も、出来ない。
部内で、試合をするためには、最低18人は、いてくれなくてはならない。
剣道部だったら、剣道の、面から、防具、袴、竹刀、を、用意しなければならない。
しかし、剣道は、部員が、二人いれば、二人で、練習も、試合も、出来る。
そこが、野球部と、違う所である。
ともかく、部活の入部者が、一人もいなくなったら、当然のこちながら、廃部となってしまう。
なので、部活の勧誘は、部活の死活問題なのである。
そういうことを、総合的に判断して、限られた予算が配分されるのである。
なので、ともかく、どの、クラブも、部員の獲得に必死なのである。
新入生は、受験勉強で、頭を酷使しつづけてきているので、そうなると、体を動かしたくなるのである。
また、医学部の勉強は、膨大な医学の知識の、詰め込み勉強なので、上級生も、やはり、体を動かしたくなり、体育会系の、クラブの方が、人数的に、圧倒的に多いのである。
部員が一人もいなくなってしまったら、廃部となってしまう運命となる。
そんなことで、上級生の、部活の勧誘は、すさまじいのである。
由美子は、いささか、騒々しさに、ついていけず、途中で、退席して、アパートに帰った。
そんなことで、入学式の一日は、終わった。
由美子は、いささか、疲れて、ベッドに、ゴロンと横になった。
教養課程の、授業が始まった。
大きな教室の中で、当然のごとく、男は、男で、まとまり、女は、女で、まとまって座った。
教養課程の、1年の授業は。
哲学。統計学。物理学。化学。生物学。数学。英語。ドイツ語。体育。人類学。美学。法学。心理学。歴史学。
だった。
大学の授業は、高校の授業と違って、アカデミッシェ・フィアテル、と言って、教授、や、講師、は、時間通りには、来なくても、よく、始業時間より、15分、遅れて来てもいいのらしい。
このことの、何が、アカデミック、なのか、由美子は、さっぱり、わからなかったが、日本は、明治維新で、ドイツから、文化、を、そっくり、そのまま、輸入して、真似したので、単に、ドイツの大学が、そうしていた、というだけのことである。
医学部の、一学年は、大体、100人で、教室は、100人、入れる、大きな教室だった。
日本人は、シャイなので、ほっておくと、男子は、男子同士、女子は、女子同士、と、まとまった。
大学は、高校と違って、自分の席というのが無い。
どこへ、座っても、いいのである。
しかし、教授から、質問されるのを、おそれてか、あるいは、内職をするためにか、あるいは、友達とお喋りするためか、で、生徒は、あまり、前には、座りたがらない。
しかし、英語、の授業、では、あいうえお順に、教室の、左前から、指定の席に、座らされた。
なぜか、大学は、英語に力を入れていて、あいうえお順に、4人が、1グループとなって、英語の、リーダーを、翻訳してきて、発表する、という、授業形態をとっていた。
しかし、大学生は、中学校3年間、と、高校3年間、合計、6年間、英語を勉強してきているので、英語の授業は、新鮮なものでは、なかった。
それに、大学の、英語の、リーダー、は、大学受験の、英文解釈の英文と、くらべて、より難解な文、というわけでは、全くなかった。
なので、退屈な授業だった。
どこの医学部でも、最初の、2年間の教養課程は、医学と関係の無い、学問である。
医師として、医学知識だけではなく、幅広い教養を身につけて、人間性を涵養する、という建て前、では、あるが、そもそも、多くの、科目の授業は、教授、や、講師、が、早口で、まくしたてるだけで、つまらないもの、が多かった。
4人の、英語の授業の、グループ、で、岡田由美子は、岡本恵子、という、女生徒と一緒になった。
彼女は、由美子に、聞いてきた。
「ねえ。岡田由美子さん。あなたは、どのクラブに入るの?」
「まだ、決まっていません」
「ふーん。そうなの。でも、どこかの部活には、入っておいた方が、絶対、いいわよ」
「それは、どうしてですか?」
「大学の試験なんて、教授は、毎年、同じ問題しか、出さないからよ。過去問題と、その答え、が、ないと、どんなに、勉強しても、授業にちゃんと出ても、単位は、取れないわよ。クラブに入っておけば、先輩から、過去問題を、もらえるし、進級に関する、色々な情報が、聞けるから、すごく、有利なのよ」
「そうなんですか」
「ええ。そうよ。私。テニス部に入ったの。あなたも、よかったら、入らない?」
由美子は、瞬時に、この人は、上級生から、頼まれて、部活の勧誘をしているのだと、思った。
その日の、放課後、由美子は、岡本恵子に誘われて、テニス部の部室に行った。
テニス部員は、男10人、女10人、くらいだった。
「こんにちはー」
由美子が、挨拶した。
「君。テニス部に入ってくれるの?」
上級生の部員が聞いた。
「い、いえ。まだ、決めていなくて」
由美子は、言葉を濁した。
「なんだ。岡田由美子じゃないか。何を迷う必要がある?」
一人が、言った。
彼は、二年生で、今宮高校卒で、五十嵐健二、といい、高校時代、県の高校のテニス対抗試合で、北野高校のテニス部で活躍していた、岡田由美子の試合を、何回か、見て、知っていた。
彼は、二年生だが、テニス部の主将だった。
もちろん、五十嵐健二、も、今宮高校の、テニス部員で、相当な腕前だった。
「由美子は、県の、高校テニス大会で、優勝したこともあるよ」
と、五十嵐健二、が言った。
「ええー。そうなの?」
みなが、驚いた。
「じゃあ、ちょっと、打ち合い、してみない?一度、君とテニスをしてみたかったんだ」
と、五十嵐健二、が誘った。
由美子は、「嫌です」、とは、言えず、仕方なく、コートに行った。
「じゃあ、いくよー」
と、言って、五十嵐健二、は、由美子と、ラリーを始めた。
初めは、ゆっくり、遊びの感覚だったが、由美子は、フォームが、きれいで、基本が、しっかり出来ているので、五十嵐健二の打つボールは、すべて、返した。
五十嵐健二は、だんだん、本気になっていって、全力で、速い、ショットを打つように、なっていった。
しかし、由美子は、それを、全て、返した。
由美子も、だんだん、本気になっていって、全力で、速い、ショットを打つように、なっていった。
五十嵐健二も、由美子も、強いドライブ回転が、かかっているので、ボールが、ワンバウンドした後、グーン、と、伸びるのである。
由美子は、両手打ち、の、バックハンド、だったが、五十嵐健二は、片手打ちの、バックハンドだった。
五十嵐健二と、由美子の、テニスの実力は、ほとんど、同じくらいだった。
ともに、上級者のレベルだった。
「由美子さん。すごーい。上手いね」
と、みなが、驚いた。
「い、いえ・・・」
とは、言いつつも、由美子は、褒められて、恥ずかしがっていた。
「西医体の時は、由美子に出てもらおう。今年は、結構、優勝できるかもしれない」
と、テニス部主将の五十嵐健二、が言った。
西医体、とは、医学部だけの、リーグ戦で、西日本の、医学部の運動部の部活、が、リーグ戦で、戦う、試合である。
関東では、東医体、と言って、東日本の、医学部の、部活、が、リーグ戦で、戦う、試合である。
由美子としては、テニスが、好きだったので、大学に入っても、テニスをしようとは、思っていた。
しかし、由美子は、色々と、拘束のある、大学のテニス部、ではなく、テニススクールに入って、やりたい、と、思っていたのである。
しかし、ともかく、こうなってしまった以上、由美子は、テニス部に、入らざるを得なくなってしまった。
その日、テニス部員、が、ファミリーレストラン、で、由美子の、入部歓迎会を行った。
歓迎会が終わって、帰りは、五十嵐健二が、車で、由美子を、家まで、送った。
「テニス部、に、強引に誘ってしまって、ゴメンね」
と、五十嵐健二が謝った。
「い、いえ」
と、由美子は、手を振った。
五十嵐健二は、ちゃんと、由美子の気持ち、を、わかっている、思いやりのある人だと、思った。
そんな、五十嵐健二に、由美子は、好感を持った。
「由美子さん。よろしかったら、つきあって頂けないでしょうか?」
五十嵐健二、は、真剣な口調で言った。
「ええ」
由美子は、頬を赤くして、答えた。
そういうわけで、五十嵐健二、と、由美子は、単に、同じ、テニス部の、部員、というだけでなく、時々、一緒に、喫茶店で、話したり、食事を一緒にするように、なった。
3回目の、デートの時。
「由美子さん。もしも、よろしかったら、将来、僕と結婚していただけないでしょうか?」
と、五十嵐健二、は、由美子に、告白した。
「え、ええ。でも、私たち、まだ、学生ですし、卒業して、医者になってから、にしませんか?」
と、由美子は、言った。
実を言うと、由美子も、将来は、五十嵐健二、との、結婚を考えていたのである。
「ええ。構いませんよ」
と、五十嵐健二、は、言った。
「では、それまでは、恋人、ということで、時たま、会ってくれませんか?」
と、五十嵐健二、は、言った。
「ええ」
それ依頼、二人は、セックスレスの、清潔な、付き合い、を、学業に、差し障り、が、ない程度に、ほどほどに、した。
教養課程の授業は、概して、つまらなかった。
英語なんて、大学受験のために、勉強した、原仙作の、「英標」より、レベルが低かった。
1年で学ぶ科目は。
哲学。統計学。物理学。化学。生物学。数学。英語。ドイツ語。体育。人類学。美学。法学。心理学。歴史学。
である。
物理学。化学。数学。人類学。法学。統計学、などは、短い二年間で、大学というアカデミズムの権威の、もったいづけ、のために、レベルが高く、難解で、しかも、講師が、学生の理解など、どこ吹く風と、早口でまくしたてるだけで、さっぱり、わからなかった。
しかし、部活の友達から聞いた、過去問題の解答を、わからないまま、そのまま、書けばいいとのことなので、そうすることにした。
物理学。化学。数学、は、高校の、それの延長ではなかった。
高校の勉強は、中学の勉強の延長であり、中学の勉強は、小学校の勉強の延長である。
しかし、大学は、いやしくも、「学問」、なので、高校の勉強の延長ではなく、レベルが高かった。
わかって、面白いものといえば、ドイツ語、と、哲学、くらいだった。
中学生から、英語しか外国語を学んでいないので、新しく学ぶ、第二外国語は面白かった。
哲学は、カントとか、ヘーゲルとかの、いわゆる、西洋の、難解な、体系的哲学ではなく、奈良医大の哲学教授の書いた、「医の哲学」、という、本が教科書で、医学、医療に関する、様々な、考察であって、読んで、かなり、わかるもので、面白かった。
医学に対して真面目な、由美子にとっては、とても勉強になった。
初めの頃は、授業に出ていた、学生たちも、過去問題を丸暗記すれば、通って、単位が取れる、と、わかると、どんどん、授業に出なくなっていった。
授業に出席する人数は、最初は、100人だったのが、50人、から、20人、そして、ついに10人へと、どんどん、減っていった。
そこは、一般の大学と同じで、大学生は、授業に出ないで、アルバイトや部活の友達とのお喋りに励み、単位は、友達から借りたノートと、過去問題の、一夜漬けの勉強で、通る、という構造が、医学部でも、教養課程では、同じだった。
そして、みんな、自動車教習所に通って、運転免許を取得していった。
由美子は、本当に授業に出なくても、大丈夫なのだろうかと、思って、五十嵐健二、に聞いてみたが、五十嵐健二、は、「ははは」、と笑って、
「教授の心理を考えてみなよ。教授としては、生徒に、絶対に、理解しておいて欲しい、要点というものが、あるから、結局、それしか、出さないのさ。重要でない、枝葉末節な、ことを、試験問題として、出題する気にはなれないものさ」
と、軽くいなされた。
由美子は、そんなものか、と、思うと同時に、「なるほど」、とも、思った。
しかし、由美子は、真面目だったので、全ての授業に出た。
そして、由美子は、優しかったので、出席する生徒が、数人しかいなくて、教室が、ガランとしていると、講義している講師が、可哀想に思えて、そういう理由でも、出席した。
教養課程で一番、重要な科目は、生物学で、これを落としたら、基礎医学の三年に進級できない、らしかった。
医学部で、生物学が重要なのは、言われずとも、わかる。
あと、レベルは、低くて、つまらなかったが、英語も、学校側では、重要と考えているらしかった。
そういう、重要な科目や、出席を厳しくとる科目では、全員が出席した。
一年生から二年生へは、どんなに成績が悪くても、全員、進級できる。
一年の夏休みが、終わった後の、中間試験と、冬の期末試験は、あるが、一年の時、単位を落としても、二年の、中間試験と、冬の期末試験で、追試験をやるので、その時、単位を取れれば、三年には進級できるのである。
一年の時の、生物学の、中間試験は、TCA回路を、完璧に書いて説明する、というのが、教授が毎年、出している、問題で、今年もやはり、その通りの問題が出た。
「TCA回路について説明せよ」
という、問題だった。
なので、由美子は、過去問題の解答をそのまま、書いた。
数日後に、生物学の、成績が教室に貼り出された。
由美子は、100点だった。
なので、由美子は、テストは、過去問題と、その解答を、覚えれば、単位は取れる、ということを確信した。
教授が、定年退官して、別の教授に変われば、新しい教授は、自分の問題を作るから、過去問題では、通用しなくなる。
しかし、過去問題は、その科目の、重要な要点、の問題であることには、変わりはないので、過去問題を持っていると、何かと有利なのである。
いきなり、分厚い、医学書を、最初のページから、読んで、全部、覚えようとすると、大変な労力がかかってしまう。
そういう点、過去問題は、重要な要点なので、過去問題は、教授が、代わっても、持っていた方がいいのである。
由美子は、入学した時から、女子の中で、友達が出来ず、一人ぼっちでいる生徒を、前から気にかけていた。
彼女は、授業には、出ているけれど、クラブには、入っていない生徒だった。
いつも、教室で、ポツンと、人と離れて座っている、おとなしい生徒だった。
彼女は、生物学、や、その他の科目の単位を落としていた。
「こんにちは。私。岡田由美子っていうの。よろしくね」
「あっ。よろしく。私は、黒田輝子っていいます」
「地元は、どこですか?」
「和歌山県です」
「兄弟はいますか?」
「いえ。一人っ子です」
「お父さんは、お医者さんですか?」
「いえ。サラリーマンです」
「サラリーマンですか。どうして、医学部に入ろうと思ったのですか。よろしかったら、その理由を、教えて貰えないでしょうか?」
「はい。私は、本当は、医学部は、気乗りしなかったんです。私。性格が、おとなし過ぎて。医者って、精神的にも、肉体的にも、元気満々の人でないと、勤まらないと思うんです。でも、奈良医大に、入る学力があったもので、高校の進路指導の先生にも、また、両親にも強く勧められて、受験したんです」
「人の勧めを、断れないというのも、おとなしそうな性格の、あなたらしいですね」
「え、ええ」
「では、あなたは、本当は、どんな、学部に入りたかったんですか?」
「文学部です」
「そうですか。何となく、あなたらしいですね」
「文学部志望というと、文学書を読むのが好きなんですね?」
「ええ。クライですよね」
「そんなこと、ありませんわ。すごく、知的な人という感じがします」
「あのー。あんまり、立ち入ったことを聞くのは、失礼になるのじゃないかと、思うんですが、趣味は、どんなことでしょうか?」
「読書です。それと、少し、小説も書きます」
「小説を書くのですか。すごいですね。私にとっては、小説って、読む物であって、自分が、書こうなどと思ったことは、今までに、一度もありません」
「あっ。このことは、人には、言わないで下さいね。たいした小説じゃないので・・・」
「ええ。言いません。じゃあ、黒田輝子さんは、将来は、小説家志望なんですか?」
「小説家って、そんなに、簡単になれるものじゃないので。でも、出来たら、小説家になりたいと思っています。夢ですけれど・・・」
「では、どうして、文学部ではなく、医学部に入ったのですか?」
「それは。文学部を卒業したからって、小説家になれるわけではないし。その点、ともかく、医学部を卒業して、医師免許を取っておけば、収入には、困らないからって、言われたからなんです。私も、それには、同感しているんです。だから、医学部を受験しました」
「黒田輝子さん。よかったら、私と、お友達になってくれない?あなたとなら、相性が合いそうな気がするの」
「嬉しいわ。私も、岡田さんと、お友達になりたいわ」
「私なんか、親が医者だから、子供の頃から、自分が医者になって、父の後を継ぐ、ことが、私の人生だと、それ以外のことは、考えたことがないの。だから、あなたのように、夢を持って、自分で、考えて、生きている人って、すごく魅力的に見えるわ。自分にない、ものを持っている人だから、だと思うの。色々と、教えてね」
「ところで、あなた。クラブは?」
「入っていません」
「どうしてですか?」
「文芸部に入りたかったんですが、部員が一人もいなくなってしまって、廃部になってしまったので・・・・」
「クラブには、入っておいた方が、絶対、いいわよ。クラブに入っていないと、過去問題が手に入らないから、単位、取れないわよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。あなた。よかったら、テニス部に入らない?」
「入れていただけるのですか?」
「もちろんよ」
「でも、私。運動、苦手だから・・・」
「部活なんて、全然、疲れないわよ。名目で、部活に入っているだけで、いいのよ。部活なんて、部活の活動なんて、しないで、お喋りしているだけの人も、いるわよ。よかったら、私が、テニスを教えてあげるわ」
「じゃあ、入れていただけますか?」
「ええ。大歓迎よ」
こうして、黒田輝子は、テニス部に入ることとなった。
由美子は、面倒見がいいのである。
二年になった。
二年の一学期は、生物学、化学、物理学、の実習、が、あった。
当然、実習には、全員が出席した。
化学や、物理学の実習は、はたして、これが、医学に、関係があるのか、と疑問を持つような、ものであったが、生物学の実習は、違った。
生物学の実習では、フナ(魚類)、カエル(両生類)、ネズミ(哺乳類)、の、解剖をした。
麻酔をかけて、それらを、解剖する。
そして、内臓を剖出する。
そして、それを、スケッチして提出する、というものだった。
医学生は、全員で、100人だったが、医学部の勉強というのは、実習が多く、すべて、名前の、あいうえお順に、並ばされ、4人、か、5人づつ、一つの班になって、勉強することになる。
なので、実習は、大学というより、ほとんど、小学校の、授業みたいなものである。
岡田さんの、前と、後ろ、は、男だった。
なので、これからの、実習は、すべて、彼らと、一緒にすることになる。
岡田さんの前後の男子生徒が、
「うわー。これから、卒業まで、クラス一の美女の、岡田由美子さんと、一緒に勉強、出来るなんて、最高に幸せだな」
と、言った。
後ろの、男も、
「オレもだよ」
と言った。
由美子は、照れて、顔を赤くした。
恥ずかしかったが、由美子は、そんなに、気にもしなかった。
しかし。
「由美子さん。ポーズをとってくれませんか?写真を撮りたいので」
と言われた時は、さすがに、恥ずかしかった。
「あんまり見ないでね」
と言って、由美子は、彼らの要求に応じて、ポーズをとって、被写体となった。
しかし、実習で、一緒の、机で、勉強するので、前後の生徒は、一生の友達になることもある。
こうして、由美子は、2年の単位を、追試を、一度も受けることなく、全部、取った。
由美子は、3年に進級した。
3年からは、教養課程の校舎から、少し離れた、基礎医学の校舎に移った。
3年は、解剖学と、生化学と、生理学、の、三つの授業だった。
生化学と、生理学は、講義だけだったが、解剖学は、講義と、実習があった。
いよいよ、本格的に、医学の勉強、となった。
生化学は、人間の体は、一時たりとも、休むことなく、化学反応を起こしていて、その学問だが、それ以外にも、遺伝子やら、何やらで、量が多かった。
生理学は、生理学Ⅰと、生理学Ⅱ、の二つがあって、生理学Ⅰは、神経生理学で、生理学Ⅱは、赤血球は、どうだの、呼吸の原理は、どうだの、と、いう学問だった。
生理学Ⅱは、ともかく、やたら、覚える量が多かった。
解剖学は、系統解剖学と、部分解剖学と、に、別れていて、系統解剖学は、骨、血管、神経、などの、学問で、部分解剖学は、内臓の臓器、の学問だった。
それと、解剖学の中に、組織学、というのが、あって、これは、人体の各臓器を、1mm以下の薄さに、切り取って、染色して、プレパラートに固定されているものだった。
人体のほとんどの、臓器は、HE染色、といって、ピンク色に染められている。細胞の、核だけが、紫色に染まる。神経細胞は、鍍銀染色といって、特殊な染色液を使うのだが、ほとんどは、HE染色である。
実習は、まず、組織学と、骨学、から始まった。
組織学では、人体の、臓器のプレパラート、を顕微鏡で、見ながら、スケッチした。
骨学では、死んだ人の、骨を、見て、これを、全部、スケッチするものだった。
骨の、色々な名称は、ラテン語で、書いて覚えなくてはならなかった。
日本語の名称もあって、日本語の名称を書いても、いいのだが、ラテン語での、名称も書かなければ、ならない、ところが、アカデミックな感じだった。
骨学では、何と、人間の体が、無駄なく、合理的に、出来ているものだと、由美子は、感心させられた。
三年の二学期からは、解剖実習が始まった。
午前中は、基礎医学の講義だが、午後は、全て、解剖実習だった。
解剖実習の手引書、があって、それに従って、解剖していった。
人体の全ての、神経、血管、筋肉、内臓の臓器を、半年かけて、剖出していく。
由美子の班の、遺体は、おばあさんで、幸いなことに、痩せていて、神経や、血管が、出しやすかった。
太っている遺体だと、脂肪をとるのに、一苦労なのである。
ある班の遺体は、内臓逆転症の遺体だった。
「症」といっても、病気ではない。
内臓が、全て、正反対になっている人である。
1000人に一人もいない。
つまり、完全な、鏡面構造で、心臓が右にあり、肝臓が、左にあり、内臓が全て逆転しているのである。
教授は、
「極めて珍しい症例だ」
と言って、喜んでいたが、生徒にとっては、迷惑な話である。
通常の人体の構造と、逆なのだから。
解剖実習というと、死体を解剖するのだから、怖い、と、一般の人は、思っているのかも、しれないが、ホルマリン漬けにされて、カラカラに乾いていて、死んだ直後の人間とは、全く違う。
ミイラのような、感じなので、全然、怖さなどはない。
ただ、解剖実習は、結構、疲れた。
どこの班でも、頭のいい、ブレーンの生徒がいて、その生徒が、一人で、テキパキと、やってくれるので、残りの、生徒は、見学的な学習となる。
由美子の班の、ブレーンは、もちろん、由美子だった。
「いやー。岡田さんが、いるから助かるよ」
と、由美子の班の、男子生徒は言った。
由美子としては、解剖学は、しっかり、勉強しておけ、と、父親に言われていたので、また、由美子も、解剖学は、大切だと思っていたので、解剖実習の手引書を、前の日に、しっかり読んでいた。
腕、足、内臓、と、剖出していって、人体の、ほとんどの、主要な、血管、神経、筋肉、臓器、などを、剖出していった。
最期に、頭蓋骨を開けた。
脳は、硬い頭蓋骨に覆われているので、内臓と違って、非常に、きれいな、形をとどめていた。
その、脳の中も、詳しく、解剖していった。
こうして、半年の、解剖実習も、無事、終わった。
三年では、組織学、骨学、血管、生理学Ⅰ、生理学Ⅱ、生化学の、単位の試験があったが、岡田さんは、追試を受けることなく、最初の試験で、みな、通った。
「いいなあ。岡田さんは、頭よくて」
と、何度も追試を受けても、通らない、生徒たちから、うらやましがられた。
4年になった。
3年も、忙しかったが、4年は、もっと、忙しくなった。
4年では、基礎医学、で、さらに、病理学、細菌学、薬理学、免疫学、寄生虫学、公衆衛生学、などの講義が加わり、それらの実習も、加わった。
3年では、人体の構造を学ぶ、といっても、人体の正常な構造を学んだが、4年では、異常、つまり、病気の原理を学ぶこととなった。
また、生化学や、生理学の、実習も、やらなくては、ならなかった。
病理学では、講義と並行して、病理組織を顕微鏡で見て、それをスケッチした。
薬理学では、実験用の犬を仰向けに固定して、頸静脈から、色々な薬物を入れて、血圧の変動を観察したりした。
実験に使われた犬は、実験が終わった後は、殺されて、心優しい岡田さんは、犬を可哀想に思った。
細菌学では、アイスクリームや、市販の生の肉、などの、大腸菌を調べたりした。
生理学の実習も、忙しく、脳波を調べたり、神経の伝導速度を調べたり、人間の感覚、触覚、や、嗅覚、などの、実習をした。
実習は、しっぱなしで、いいものではなく、当然、実習のレポートを書かされた。
4年では、講義を聞いて、理解して、覚える勉強と、実習での、レポートの提出とで、ものすごく忙しかった。
しかし、岡田さんは、四年の、期末試験でも、単位を全部、無事にとった。
こうして、岡田さんは、5年に進級した。
5年からは、臨床医学である。
教室も、臨床の教室に変わった。
臨床医学とは、まさに、病気の患者の診断、や、治療を学ぶ学問だった。
由美子は、やっと、病人を診る医学を勉強できるようになった、ことを実感した。
医学部に入ってから、教養課程、基礎医学、と、長い四年間だったと、感じた。
臨床医学は、医学の、全科目を学ぶ。
内科学第一(心臓・腎臓)。内科学第二(呼吸器)。内科学第三(内分泌疾患・代謝性疾患)。神経内科学。外科学第一(消化器)。外科学第二(脳外科)。外科学第三(心臓)、整形外科学。産婦人科学。眼科学。小児科学。精神医学。皮膚科学。泌尿器科学。耳鼻咽頭科学。放射線医学。麻酔科学。病態検査学。口腔外科学。腫瘍放射線学。救急医学。
である。
それと、法医学、である。
科目は、多いが、臨床医学は、勉強しやすかった。
それは、基礎医学では、分厚い医学書を、買って、それを教科書として、勉強しなければならなかったが、臨床医学では、卒業前に、医師国家試験があり、医師国家試験のための、教科書や、問題集で、勉強できたからだ。
医師国家試験は、大きく、内科、外科、産婦人科、小児科、公衆衛生、が、主要科目と呼ばれていて、あとの、整形外科学。眼科学。精神科学。皮膚科学。泌尿器科学。耳鼻咽頭科学。口腔外科学、などは、マイナー科目、と、呼ばれていた。
内科と、外科は、イヤーノート、という、一冊の、分厚いが、小さく、持ち運びできる、コンパクトな、教科書で、勉強する、ということを、由美子は、先輩から聞いていた。
別に、イヤーノート、以外の教科書で、勉強してもよく、イヤーノート、で、勉強しなければならない義務は、ないのだが、イヤーノート、が、一番、よく、まとまっており、医学生は、全員、イヤーノート、で、臨床医学を勉強した。
ただ、イヤーノートだけ、読んでいても、理解できるものではなく、医師国家試験の、過去問題集を、解きながら、白血病なら、イヤーノートの、白血病、の項目を見て、イヤーノートに、印をつけていく、というのが、医師国家試験の勉強方法だった。
イヤーノートは、いわば、内科、外科、の、要点を、まとめた、ものだった。
由美子は、5年になるなり、すぐに、イヤーノートを教科書にして、医師国家試験の過去問題をやり、医師国家試験対策の勉強を始めた。
5年の1学期は、臨床医学の講義を聞くだけの授業で、割と楽だった。
5年からは、臨床医学の勉強だが、医学部の教授が、教える臨床医学は、医師国家試験の勉強とは、違うのである。
医学部の教授は、たとえば、眼科学なら、眼科学の、最先端の事を教える。
そして、教授の、教えたい事を教える。
しかし、医師国家試験の勉強は、イヤーノート、という教科書を使って、過去問題を解く、というものであり、医学の基本、を理解する、という勉強なのである。
なので、大学で、臨床医学の講義を聞いて、勉強していても、医師国家試験には、通らない。
医師国家試験に通るには、医師国家試験対策の勉強をしなくては、ならない。
なので、大学の、臨床医学の講義を、サボって、医師国家試験の勉強をする生徒も出てくる。
それは、ちょうど、法学部に入れば、法学というものを、学んで、法学を理解していくが、それだけでは、決して、司法試験には、通れない、のと同じである。
司法試験に、通るには、司法試験対策の勉強をしなくては、通れない。
それと、同じようなものである。
5年の1学期が、終わって、2学期になった。
2学期から、大学病院での、臨床実習が始まった。
臨床実習は、ポリクリ、とも、言われている。
あいうえお順、に、5人ずつ、1グループとなって、内科、外科、産婦人科、など、全ての、診療科を、大学病院で勉強するのである。
一つの科を、二週間やる。
二週間、つづけて、やる科もあるが、一週間やって、のちに、もう、一度、一週間、やって、合計で、2週間やる、という科もある。
これを、6年の、2学期まで、1年間、やるのである。
臨床実習で、やる勉強は。
入院患者、と、外来患者の、教授回診の見学。
手術見学。
ミニレクチャー。
そして、大体、どの科も、入院患者の一人、を、あてがわれて、その患者の、レポートを書いて、提出するのである。
これを、朝9時から、午後5時までやる。
その後は、皆、医師国家試験の勉強、である。
5人1グループなので、グループの中に、女生徒がいると、男子生徒は、喜んだ。
しかも、その女生徒が、可愛ければ、なおさら、である。
女生徒がいなくて、男だけの、グループは、さびしいものである。
しかし、グループの中に、女生徒が、2人、いると、少し、困るのである。
なぜかと言うと、1つのグループに、女生徒が、2人、いると、2人は、女同士で、くっついてしまうからである。
1つのグループに、女生徒が、一人の、紅一点、だと、女生徒は、嫌でも、グループの、の男子生徒と、話さなくてはならない、からである。
臨床実習では、大学病院は、個人クリニックでは、対応できない、難治性疾患を、クリニックの院長が、大学病院に紹介するため、個人医院では、医者が一生、お目にかかれないような、1万人の一人、の、難治性疾患が、多く入院していた。
大体、みな、臨床実習を半年くらい、やった頃に、自分が、何科の医者になるか、を、決めるようになる。
岡田さんは、小児科医に、なろうと思った。
彼女は、一人っ子で、弟が欲しい、と、子供の頃から、思っていたからである。
なので、小児科を回った時、可愛い子供たちの、患者を、見て、即、小児科医になろうと、決めたのである。
子供が可愛い、という、単純な理由で、小児科を選ぶ、女子医学生は、結構、多いのである。
だが、内科系の科は、診断が、難しく、勉強が好きで、なければ、ならない。
それに対して、外科系の科は、内科系の科と、比べて、診断は、そう難しくない。
頭を使うより、手術を、たくさん、こなして、手術の腕を上げることの方が、重要なのである。
しかし、岡田さんは、勉強が好きだったので、小児科を選ぶ、ことに、何の抵抗も感じなかった。
しかし、男の医者よりも、女医の方が、メリットもあるのである。
というのは、小児科、特に、幼い、まだ、言葉を話せない幼児は、大人の患者のように、患者から、症状を聞くことが出来ない。
なので、言葉が話せない、幼児の場合、母親から、子供の症状を聞くことになる。
小児科では、子供の体を診察し、母親から病状を聞いて、診断しなければ、ならない。
幼児は、痛い注射は、もちろん、体を、色々、調べられる、病院という所や、大人の医者の診察を、こわがって、泣く子供も多い。
この時。
男は、武骨なので、子供を、あやすことが、苦手だが、女は、子供と一体になって、子供と遊ぶことが出来るので、子供に、優しい言葉をかけて、子供をあやしながら、診察することが出来るのである。
子供にしても、不愛想な男の医者より、女の医者の方が、良いだろう。
やがて、6年も、秋になって、1年間の、臨床実習も、終わった。
あとは、医師国家試験の勉強だけである。
岡田さんは、医師国家試験の模擬試験の結果から、十分、ゆとりで、合格の判定が、出ていた。
なので、医師国家試験に、おびえることは、なかった。
それでも、一日、13時間は、医師国家試験の勉強をした。
やがて、冬になり、期末試験が、行われた。
岡田さんは、全科目で、上位の成績で、最初のテストで、全科目、通った。
追試を、受けることは、なかった。
やがて、年が明けた。
皆、医師国家試験の勉強の、ラストスパートをかけていた。
やがて、2月となり、医師国家試験が、行われた。

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小児科医 (下)(小説)

2020-03-15 22:38:21 | 小説
医師国家試験は、二日がかりで、試験会場は、近畿大学だった。
岡田さんは、近畿大学に、近いホテルに、泊まった。
医師国家試験は、A問題(100問)、B問題(100問)、C問題(25問)、D問題(50問)、E問題(50問)、の五つである。
一日目、が、A問題、B問題、C問題、で、A問題、と、B問題、は、一般問題で、C問題は、臨床問題、である。
二日目は、D問題、E問題、で、ともに、臨床問題である。
岡田さんは、二日の試験が終わった時、十分、手ごたえを、感じた。
ので、試験が終わったら、もう、合格した感覚だった。
試験が、終わった帰り道で、国家試験予備校の人が、試験の解答を配っていた。
岡田さんも、それを、受け取り、自己採点してみた。
岡田さんは、8割、以上、正解で、もう、合格は、間違いなかった。
やがて、3月になり、卒業式が行われた。
女子医学生の皆が、そうであるように、岡田さんも、振袖を着て、卒業式に出た。
そして、学長から、卒業証書を受け取った。
そして、卒業式の後、クラス全員、と教授たちが、大阪の、ミナミに、繰り出して、大きなホテル、で、食べ放題の、立食パーティーの謝恩会が行われた。
その数日後、医師国家試験の合否判定が発表された。
もちろん、岡田さんは、合格だった。
試験は、十分、合格できる、自信はあったが、やはり、はっきりと、「合格」、の、事実を知ると、肩の荷が降りて、ほっとした。
もちろん、医者は、一生、勉強の人生だが、それは、自発的な努力の勉強であって、国家試験のように、振るい落とされる、ということは、もう、無いのである。
医師国家試験、と、卒業式、が、終わって、4月からの、研修開始までの、一カ月が、医者にとって、唯一、休める時だった。
岡田さんは、黒田輝子と一緒に、ヨーロッパ旅行に行った。
黒田輝子は、眼科に入局が決まっていた。
岡田さんは、奈良県立医科大学を卒業したら、大阪大学医学部の医局に、入学当初は、入ろうと思っていたが、奈良県立医科大学で、6年間、勉強しているうちに、奈良県立医科大学の、小児科の医局に入ることにした。
6年間の医学部生活で、親しい友達も、たくさん、出来たし、居心地もいい。
小児科の教授も、やさしい。
医学生は、卒業すると、8割、は、母校の、どこかの科の医局に入る。
2割くらい、の生徒は、特別な理由があって、他の大学医学部の医局に行く。
理由は、人によるが、どうしても、他大学の、ある科で、学びたい、という理由、たとえば、九州大学医学部は、心療内科が、日本一で、どうしても、心療内科を専攻したい、と思っている生徒は、九州大学医学部の心療内科に、入局する。
あるいは、地元の医学部に入りたかったのだが、入れず、第二志望で、地方の医学部に、入った人は、やはり、地元に戻りたい、という、願望が強い人が、非常に多いから、大学卒業と、同時に、Uターンして、第一志望で、入りたかった、医学部の医局に、入る、ということも、よくあることである。
しかし、岡田さんの、地元は、大阪で、奈良は、隣の県で近いので、Uターンという思いもない。
ともかく、こうして、岡田さんは、奈良県立医科大学の小児科に、入局した。
朝、の、カンファレンス、午前中の、外来診療、午後の入院患者の診療、受け持ち患者の疾患の、論文検索、など、それなりに、忙しい、研修生活が、始まった。
しかし、研修医は、まだ、診断、も、治療、も、出来ない。
医師国家試験は、やはり、ペーパーテスト、であり、医師国家試験に通ったからといって、即、実地の医療が、出来るわけではない。
第一、静脈注射が出来ない。
静脈注射、というより、皮下静脈に、針を入れる、ルート確保である。
これが、出来ないと、話にならない。
気管挿管も出来ない。
傷口を縫う、縫合も出来ない。
なので、研修医は、指導医のもとで、実地の医療を学ぶのである。
研修医と指導医の関係は、徒弟制度的なのである。
特に、外科は、その傾向が、強い。
脳外科、や、心臓外科、で、一人前になるには、指導医に、手取り足取り、教えてもらわなければ、一人前には、ならない。
それは、外科だけでなく、内科、でも、そうなのである。
岡田さん、の指導医は、五十嵐健二だった。
「いやー。岡田さんの、指導医になれて、嬉しいよ」
五十嵐健二は、照れることなく、本心を言った。
「私も、五十嵐さんに、指導してもらえるなんて、嬉しいです」
と、由美子も、本心を言った。
岡田さんは、指導医である、五十嵐健二、の指導のもとで毎日、採血、点滴、注射、患者の病状把握、薬の選択、カルテへの患者の病状記載、患者、や、家族への、病状の説明の仕方、ナースへの指示の仕方、など実地の医療をおぼえていった。
研修医と指導医の関係は、徒弟制度的なのである。
なので、研修医は、すべての事を、指導医の、真似をして、実地の医療を覚えるのである。
指導医の研修医を指導する気持ちといったら。
研修医を育てることは、楽しいのである。
指導医は、自分は、一人前で、何でも知っている。
研修医は、医者の卵であり、実地の医療は、まだ知らない。
なので、研修医は、すべて、指導医の、言う事を真剣になって、聞き、指導医の真似をする。
指導医の喜びは、幼い雛鳥を、一人前の、成鳥に、育て上げる喜び、と同じであり、自分が、一人の医者の卵を、一人前の、医者に育て上げた、という、満足感の喜びなのである。
岡田さん、は、五十嵐健二の指導で、どんどん、小児科医としての、実力を身につけていった。
二人は、指導医と研修医、という関係だけではなく、仕事が終わった後でも、二人で、喫茶店に寄って、話をした。
「いやー。由美子さんは、真面目だから、教えがいがあるよ」
五十嵐健二が言った。
「いえ。五十嵐先生の指導のおかげです」
と由美子は、言った。
「今度の、日曜、若草山に、ドライブに行かない?」
五十嵐健二が聞いた。
「ええ。行きます」
と、由美子は答えた。
「あの。由美子さん」
五十嵐健二は、あらたまった口調で、真剣な顔になった。
「はい。何でしょうか?」
「僕と、結婚してもらえないでしょうか?」
初めて、五十嵐健二は、正式に、由美子に、プロポーズした。
医学部に入った最初の頃にも、五十嵐健二、は、由美子に、プロポーズしたことがあって、由美子も、それを、受け入れたが、その時は、まだ、ずっと先の事という感覚だったので、今回が、正式のプロポーズだった。
「はい。喜んで」
由美子も、即、承諾の返事を返した。
「由美子さん、の、御両親に、会いに行かなくてはなりませんね。いつにしましょうか?」
五十嵐健二が、聞いた。
由美子は、学生時代中に、五十嵐健二、を、数回、家に招いたことがあった。
「五十嵐さんの、ことは、以前から、両親に話してあります。両親は、五十嵐さんを、私の、またとない、結婚相手、と、気に入ってくれています。ですから、いつでも、構いません」
と、由美子が言った。
「それを聞いて安心しました」
五十嵐健二の顔が、ほころんだ。
「では。結婚式は、いつにしましょうか?」
五十嵐健二が聞いた。
「そうですね。私としては、小児科医として、もっと、実力を身につけて、一人前になってから、結婚したいと思っています」
と、由美子が言った。
「そうですか。それでは、いつ、結婚するかは、由美子さんが、決めて下さい。そして、由美子さんの方から言って下さい。僕も、別に焦っているわけでは、ありませんから。今は、勉強を優先したい、というのなら、僕は、それを、尊重します」
「有難うございます
こうして、二人は、その週の日曜日に、若草山に、五十嵐の運転で、ドライブに行った。
小児科、には、色々な、疾患の子が入院してくる。
先天性心疾患、とか、口唇裂、とか、先天性内翻足、とか、外科手術をするために、入院してくる子は、先天性心疾患、なら、心臓外科、が、手術し、口唇裂、なら、口腔外科、が、手術し、先天性内翻足、なら、整形外科が手術する。
つまり、手術の目的で、入って来る子は、その疾患の外科で、手術する。
小児科の病棟は、術前、術後の、患者の管理である。
小児科医が、治療するのは、白血病とか、若年性関節リウマチ、とか、SLE(全身性エリテマトーデス)、とかの、服薬治療、や、放射線治療、で、治療する、内科的疾患の患者である。
外科手術目的で入院する子は、手術が済むと、大体、治って、退院していく。
しかし。
内科的疾患では、治っていく子もいれば、なかなか、治らない子もいる。
自己免疫疾患の患者の場合は、ステロイド、の内服の治療なのだが、ステロイドは、副作用が、強く、顔も、ステロイド顔貌に、変わってしまい、骨も、脆くなり、視力も低下する。
しかし、ステロイドを使わないと、腎不全を起こして、死んでしまうので、ステロイドの副作用が、どんなに強くても、ステロイド治療をするしか、ないのである。
そんな子を、見ていると、岡田さんは、どうにも、やりきれない気持ちになった。
「この子は、どうして、苦しい人生を送らなくてはならないんだろう?」
という、根本的な疑問である。
岡田さん、は、きれいで、優しいので、子供の入院患者には、人気があった。
岡田さん、は、病気の治療だけでなく、受け持ち患者の、子供と、トランプをしたり、絵本を読み聞かせてやったりした。
そうすると、子供は、喜んでくれる。
笑顔も見せてくれる。
しかし、病気の子供の、本当の気持ちまでは、わからなかった。
子供が、本当の自分の本心を打ち明けられるのは、やはり、親だけである。
嬉しい感情、は、本心を医者に見せることは出来るが、つらい事、弱音、泣き言、を、遠慮なく言えるのは、やはり、親(特に、母親)、にだけである。
岡田さんは、勉強熱心であり、半年もすると、かなり、自分で、診療することが出来るように、なった。
ある日の、仕事が終わった後、五十嵐健二、と、岡田由美子は、いつもの喫茶店に入った。
「あの。五十嵐健二、さん。私も、小児科医として、自信がついてきました。これも、すべて、五十嵐さんの、おかげです」
「いやー。そんなことは、ないよ。岡田さんが、真面目で、勉強熱心だから、習得が早いだけだよ」
「ところで、五十嵐さん」
「はい」
「よろしかったら、今週の日曜日、私の家に来て、両親に会ってもらえないでしょうか?結婚式の日にち、を決めたいので」
「やっと、決断してくれましたね。有難うございます。喜んで行きます」
「父も母も、五十嵐さんに、会いたくて、以前から、来るのを、待っています」
「そう聞くと、嬉しいです」
その週の日曜日、五十嵐、は、岡田由美子の家に行った。
「いらっしゃいませ」
由美子の両親は、温かく、五十嵐健二、を迎えた。
五十嵐健二、は、ソファーに座って、由美子の両親と対面した。
母親が、紅茶を出した。
「お父様。お母様。どうか、由美子さんを、下さい」
と、五十嵐、は、昔ながらの、古風なセリフを言った。
両親は、一も二もなく、
「ええ。喜んで」
と、言って、五十嵐の、申し出を快諾した。
結婚式は、一カ月後にすることに、決まった。
そんな、ある日のことである。
町の、内科医院から、一人の子供が、大学病院に、紹介されて、送られてきた。
医局長に、言われて、担当は、岡田さん、になった。
紹介状から、その子は、腎芽腫(ウイルムス腫瘍)、で、発見が、遅れて、両側の肺にも転移していて、余命、半年、と、診断されていた。
治る見込みが、無いので、大学病院の方針として、放射線治療は、行わず、飲み薬、アクチノマイシンD、の抗がん剤の、治療をするだけに、とどめることになった。
岡田さんは、「はあ」、と、ため息をついて回診に行った。
「はじめまして。山野哲也くん。私が、担当になった、岡田由美子、と言います」
「こんにちは」
と、山野哲也は、挨拶した。
山野哲也は、岡田先生、と、すぐに、仲良くなった。
岡田先生は、山野哲也と、トランプをしたり、児童書を読み聞かせてやったりした。
山野哲也も、岡田さんに、笑顔で接するようになった。
そんな、ある時。
「先生。僕、もうすぐ、死ぬんでしょ?」
と、山野哲也が聞いてきた。
岡田先生は、顔が、真っ青になった。
「そんなこと誰から聞いたの?」
咄嗟に、大声で反応的に、言ってしまった。
言って、岡田さんは、後悔した。
その発言自体が、答えを、示しているからだ。
「それは、誰も言ってくれないよ。でも、ある時、僕、お父さん、と、お母さん、が、話しているのを、聞いてしまったんだ。僕の病気は、腎臓のガンで、肺にも、転移している、って。放射線治療など、積極的な治療をしても、治療の副作用の、つらさ、の方が、大きいだけだから、積極的な治療は、しない、って」
「・・・・・」
岡田先生は、何も言えなかった。
人間の、「死」、に対しては、どう、なぐさめることも、出来なかった。
「哲也くん。何か、私に出来ることがある?」
岡田先生が、憔悴した顔で聞いた。
「個室に入りたい。お父さんも、お母さん、も、きっと許可してくれると思う」
「わかったわ」
哲也の両親は、哲也を個室に移すことに、賛成した。
こうして、哲也は、個室に移された。
岡田さんは、特に、哲也に、入れ込むように、なった。
まだ、小学6年生の子供なのに、余命、半年、なんて、可哀想すぎる。
仏教聖典に、「仏は、どんな子供でも平等に愛するが、その中に、病気の子供がいると、仏の心は、ひときわ、その子にひかれていく」、という言葉が、あるが、岡田さんも、その例外では、なかった。
岡田さんの心にも、仏性が宿っていた。
山野哲也は、明るく振る舞っているが、哲也の笑顔を見る度に、岡田さんは、「この子は、何で、死ななくてはならないのだろう」、という思いが起こってきて、余計、やりきれなくなった。
ある日の、回診の時である。
岡田さんは、山野哲也の、個室に入った。
「先生。この前、MRI撮ったでしょ」
「え、ええ」
「転移はあったの?」
「は、肺に二ヵ所・・・」
「僕。あと、どのくらい、生きられるの?」
「半年くらいです」
「そう。あと半年か」
哲也は、ため息をついた。
「死んだら、どうなるの?」
哲也が聞いた。
「もちろん。哲也君は、天国に行くわよ」
「どうして、そんな事がわかるの?」
「そ、それは・・・・」
岡田さんは、答えられなかった。
「天国って、どういう所なの?」
「そ、それは・・・・」
由美子は、答えられなかった。
軽はずみに、きれい事を言ってしまったが、由美子は、人間は、死んだら、精神は無くなると思っていた。
子供の頃は、親の教えによって、死んだ後は、天国、か、地獄、の、どっちかに行くものと思っている子供もいる。
由美子も、小学生の時は、そう思っていた。
しかし、高校生くらいになる頃に、人間は、死んだら、土に還る、と思うように、なった。
天国とか地獄とかは、人間の想像力が、産み出した、ウソだと確信するようになった。
「哲也くん。何が欲しい。欲しい物を言って。何でも、買ってあげるわ」
「じゃあ。百億円、欲しい」
「そんな大金、何に使うの?」
「世界の、貧しい子供たちに寄付したいの。だって、生きている間に、何か良い事したいよ」
「・・・」
由美子は、答えられなかった。
「ははは。先生。冗談だよ。自分の力で、働き出した、お金なら、そういう慈善事業もいいだろうけど、人にタダで貰った、お金で、そんなことしたって、意味ないもんね」
と、言って哲也は、笑った。
「それに、研修医である、先生の、給料じゃあ、年収300万円くらいでしょ」
由美子は、黙っていた。
「じゃあ、別のお願い、聞いてくれる?」
哲也が言った。
「何。何でも聞くわ」
「先生の裸、見たい」
突然の発言に由美子は、驚いた。
「僕。本物の女の人の、裸、見たこと。一度も無いんだ。写真でしか、女の人の裸、見たことが無いんだ。だから、一度、本物の女の人の、裸、見てみたいんだ」
「わ、わかったわ」
そう言って、由美子は、部屋のカギをロックした。
そして、山野哲也の前に立った。
由美子は、白衣を脱いだ。
白衣の下は、ブラウス、と、スカートだった。
由美子は、ブラウスと、スカートを脱いだ。
由美子は、白いブラジャーと、白いパンティーだけの姿になった。
豊満な乳房を納めている、ブラジャー、と、大きな尻と恥肉を、納めて、モッコリ、盛り上がっている、パンティー、が、露わになった。
「うわー。セクシーだ。こんな、きれいな、女の人の、下着姿、初めて見た」
哲也は、感動した口調で言った。
「私の体なんか、そんな、たいしたものじゃないわよ。モデルさんの体のプロポーションの方が、すごく奇麗よ」
と、由美子は、謙遜したが、由美子は、テニスで鍛えた、引き締まった、理想的な、プロポーションだった。
「先生。もっと、近くに来て、くれない?」
哲也が言った。
「ええ」
由美子は、哲也のベッドに膝か触れるほど、近づいた。
哲也の目と鼻の先に、由美子の、モッコリ盛り上がった、パンティーがあった。
「先生。触ってもいい?」
哲也が聞いた。
「いいわよ」
由美子が言った。
哲也は、自分の顔の前にある、由美子の、パンティーを触った。
「ああっ。すごく良い感触だ」
そう言って、哲也は、由美子のパンティーの上から、恥肉をつまんだ。
由美子は、恥ずかしさも、ためらいも、無かった。
なぜなら、目の前の、この子は、余命半年なのだから。
由美子は、出来る限り、この子の、喜ぶことを、してやることにのみ、意識が行っていた。
「哲也君。お尻も、触る?」
由美子が聞いた。
「うん」
哲也は、二つ返事で、答えた。
由美子は、クルリと、体の向きを変えた。
パンティーに納められた、大きな尻が、哲也の前に現れた。
「うわー。すごく、大きな、お尻。先生。触ってもいい?」
哲也が聞いた。
「いいわよ。思う存分、触って」
由美子が言った。
哲也は、パンティーで覆われた、由美子の、大きな尻を、思う存分、触った。
「幸せだ。こんな、きれいな、女の人の、お尻を触れるなんて。生まれて初めてだ」
哲也が、興奮しながら言った。
「哲也君。でも、私を触った、ということは、言わないでね。本当は、こういうことは、してはならないことなの」
由美子が諭すように言った。
「わかっているよ。この事は秘密にするよ。だって、こんなことが、病院の人や、僕の両親に知られたら、先生と、プライベートな付き合いが、出来なくなっちゃうもん」
と、哲也は言った。
「哲也君。よくわかっているのね」
由美子は、哲也に尻を触られながら、言った。
「先生。先生の、大きな胸も触りたいなあ」
哲也が言った。
「いいわよ」
そう言って、由美子は、また、クルリと、体を反転させ、哲也の方を向いた。
そして、膝を床につけて、膝立ちして、胸が、哲也の目の前に来るようにした。
「うわあ。大きな、胸だ」
哲也は、手で、由美子のブラジャーの上から、由美子の、胸を触った。
子供の哲也には、それは、刺激が強すぎた。
山野哲也は、ハアハア息を荒くしながら、由美子のブラジャーの上から、由美子の、乳房を揉んだ。
「うわあ。柔らかい。温かい。最高の感触だ」
哲也は、歓喜の声を上げた。
由美子は、哲也に、触られるがままに、身を任せた。
「ねえ。哲也君」
「なあに。先生?」
「よかったら、私、哲也君のベッドに乗ってもいい?そうした方が、哲也君も、触りやすいでしょ」
由美子が聞いた。
「ええ。いいですよ」
哲也が答えた。
「それじゃあ、失礼するわ」
そう言って、由美子は、ブラジャーとパンティーという、下着姿のままで、哲也のベッドに、仰向けに、横たわった。
由美子は、人形のように、手足をダランと脱力した。
それは、自分が、生きた人形になって、哲也に、自分を弄ばせるためだった。
「うわあ。幸せだ」
そう言って、哲也は、由美子の体の、あちこちを触った。
哲也は、ブラジャーで、覆われた、由美子の、乳房を、ブラジャーの上から、触った。
「わあ。柔らかい。温かい。最高の感触だ」
哲也は、感動をあらわして、由美子の、大きな胸を揉んだ。
「先生。先生の、おっぱい、吸いたいです。ダメですか?」
哲也が聞いた。
「いいわよ。全然」
そう言って、由美子は、ブラジャーのフロントホックを外した。
ブラジャーの中に、収まっていた、由美子の、大きな、乳房が、プルンと弾け出た。
「うわあ。すごい」
哲也が嬌声をあげた。
由美子の、大きな、乳房の真ん中には、二つの、乳首が、尖って立っていた。
哲也は、由美子の片方の乳首に顔を近づけて、チュッと吸った。
それは、大人の男が、ペッティングで、女の乳首を、巧みに、舌で転がして、女を興奮させようとするのとは、違って、赤ん坊が、母親の、母乳を、一心に吸おうとする行為だった。
「あはっ。くすぐったいわ。哲也君」
由美子は、微笑して、言った。
「ねえ。先生。おっぱい、は、出ないの?」
哲也が聞いた。
「出ないわ。女は、子供を産むと、母乳が出るようになるけれど、子供を産まないと、母乳は出ないの」
由美子は、そんな説明をした。
「ふーん。そうなんだ。知らなかった」
哲也は、感心したように言った。
「先生。おちんちん、が、硬くなってきちゃいました」
哲也が言った。
「じゃあ、いいこと、してあげるわ」
そう言って、由美子は、寝ていた体を起こした。
「哲也君。パジャマを脱いで。そして、パンツも脱いで」
由美子が言った。
「えっ?」
と、哲也は、とまどった。
「どうして、ですか?恥ずかしいです」
哲也が聞いた。
哲也は、まだ、セックスというものを、知らない。
子供は、セックスというものを、知る前から、女に対して、性欲は、起こるが、それは、男が、女の裸を見ることなのである。
「あのね。哲也君。人間は、大人になって、恋人になったり、結婚したりすると、女の裸を、見るだけじゃなくて、男も女も、裸になって、抱き合う行為をするの。それを、セックスというの」
由美子は、そう説明をした。
「ふーん。そうなんですか。じゃあ、恥ずかしいですけど、脱ぎます」
そう言って、哲也は、パジャマを脱ぎ、パンツも脱いだ。
「は、恥ずかしいです」
哲也が言った。
「さあ。哲也君。今度は、哲也君が、仰向けに寝て」
由美子が言った。
「はい」
言われて、哲也は、ベッドの上で、仰向けになった。
下半身が裸なので、哲也は、恥ずかしそうに、両手で、おちんちん、を、隠している。
由美子は、哲也の股間の前に、座った。
「さあ。哲也君。おちんちんを、隠している手をどけて」
由美子が言った。
「えっ。恥ずかしいです。何をするんですか?」
哲也が顔を赤くして聞いた。
「気持ちいいことよ」
そう言って、由美子は、哲也の手をどけた。
哲也は、さからおうとしなかった。
しかし、女に、おちんちん、を、見られていることに、羞恥心を感じて、顔を赤くしていた。
由美子は、そっと、哲也の、おちんちん、を、口に含んだ。
「あっ」
と、山野哲也は、声をあげた。
「せ、先生。何をするんですか?」
哲也は、あせって聞いた。
「これは、フェラチオっていうの。男の人の、おちんちん、を、女が、舐めるのよ。大人の仲のいい男女は、みんな、これをしているのよ」
由美子は、そう説明をした。
哲也は、まだ、包茎だった。
由美子は、山野哲也の、おちんちん、を、丁寧に舐めた。
「ああっ。先生。恥ずかしいですけど、何だか、気持ちよくなってきました」
哲也は、喘ぎながら言った。
「哲也君は、まだオナニーして精液、を出したことがないでしょ?」
由美子が聞いた。
「精液って、何ですか?」
山野哲也が聞いた。
「子供を産む時に、男の人が出す物なの」
由美子は、そう説明をした。
「哲也君の年齢なら、そろそろ、精液が出るはずよ。出してあげるわ」
由美子が言った。
「出すと、どうなるんですか?」
哲也が聞いた。
「別に、どうも、ならないわ。だけど、精液を出す時、すごく、気持ちよくなるの」
由美子は、哲也に、射精の快感を、感じさせてあげようと思った。
由美子は、哲也の、おちんちん、を、口から離した。
哲也の、おちんちん、は、激しく勃起していた。
由美子は、哲也の、おちんちん、を、ゆっくりと、しごき出した。
「あっ。先生。何をするんですか?」
「哲也君を気持ちよくさせてあげるわ」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、激しく、しごき続けた。
「あっ。せ、先生。何だか、おちんちん、から、何かが、出そうです」
山野哲也が言った。
「頑張って。気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、しごく速度を速めた。
クチャクチャと、山野哲也の、おちんちん、が音をたて出した。
「ああー。先生。何かが出そうです」
哲也は、悲鳴に近い口調で言った。
「頑張って。気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、しごく速度を速めた。
「ああー。出るー」
哲也が叫んだ。
哲也の亀頭の先から、精液が、ほとばしり出た。
「ああー」
哲也は、生まれて初めて、射精した。
射精した後、しばし、哲也は、放心状態になった。
由美子は、ティッシュペーパーで、哲也の、精液をふいた。
「どう。哲也君。気持ちよかった?」
由美子が聞いた。
「はい。すごく、気持ちよかったです。でも、先生が、僕の、おちんちん、を、舐めたりして、先生が、可哀想です。こんな、汚いものを舐めるなんて・・・」
哲也は、申し訳なさそうに言った。
「そんなこと、ないのよ。大人の男女は、みんな、こういうことを、しているの」
由美子は、そう説明した。
「そうなんですか。信じられません」
哲也が言った。
由美子は、山野哲也に、フェラチオしてあげようか、どうしようか、迷った。
あまり、子供から見れば、汚いことを、して、大人というものを幻滅させたくなかった。
しかし、それとは、反対に、子供のまま、何も知らないで、死んでいくのは、あまりにも、可哀想に思った。
由美子は、また、ベッドに仰向けに寝た。
そして、哲也を自分の体の上に倒した。
由美子は、山野哲也を、ギュッ、と、抱きしめた。
山野哲也の、おちんちん、は、また、すぐに、勃起し出した。
なにせ、子供で、性欲、旺盛な年頃である。
「先生。好きです。愛しています」
哲也が言った。
「私も山野哲也くんを、愛しているわ」
由美子が言った。
「先生。僕と、結婚してくれますか?」
「いいわよ」
「哲也くん。男と女が、結婚すると、何をするか、知っている?」
「よく、わかりません」
「男と女が、結婚すると、毎晩、寝る時に、裸になって、抱き合うの。そして、色々なことをするの。女の、マンコに、男の、おちんちん、を入れるの」
「ふーん。そんなこと、するんですか?」
ベッドに仰向けに寝ている由美子は、パンティーを脱いだ。
そして、股を大きく開いた。
哲也は、女のマンコの実物を生まれて初めて見て、ドギマギと驚いていた。
「哲也くん」
「はい」
「哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに、入れて」
「はい」
「さあ。ここよ」
そう言って、由美子は、哲也の、片手をつかんで、哲也の指を、自分のマンコ、の、穴に、くっつけた。
「先生。マンコが濡れています」
「女は、興奮すると、マンコが、濡れてくるの。男の、おちんちん、を迎えやすいようにするために」
そう、由美子は、説明した。
哲也は、初めて、触る、女の、マンコの感触に、驚いていた。
「さあ。指を入れて」
言われて、哲也は、由美子の、マンコの穴に、指を入れた。
それは、スポッ、と、入った。
「濡れています。先生」
哲也が言った。
「マンコの穴の場所が、わかったでしょ。今度は、哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに入れて」
由美子が言った。
「はい」
そう言って、哲也は、自分の、おちんちん、を、由美子の、マンコの穴、に、くっつけた。
「さあ。哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに入れて」
由美子に、言われて、哲也は、おちんちん、を、由美子の、マンコの穴に、入れようとした。
京子も、腰を動かして、哲也が、おちんちん、を、マンコに入れるのを手伝った。
哲也の、おちんちん、は、スポッ、と、由美子の、マンコに、入った。
「どう。おちんちん、を、マンコに入れた感じは?」
由美子が聞いた。
「マンコが、おちんちん、を、しめつけています」
哲也が言った。
「それは、男のおちんちん、を、放さないために、そうなるのよ」
由美子が説明した。
哲也にとっては、すべてが、生まれて、初めての事ばかり、だった。
「ふふふ。これで、私の体と、哲也くんの、体が、合体したわね」
由美子が言った。
由美子は、山野哲也の、脇腹や、脇の下、などの体を、コチョコチョと、くすぐった。
「ああっ。くすぐったいです。先生」
「我慢して。くすぐったさ、が、気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、尻の割れ目、を、指先で、スー、と、なぞった。
「ああー。くすぐったいです」
「我慢して。くすぐったさ、が、気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、尻の割れ目、を、指先で、スー、と、なぞったり、脇腹や、脇の下、などの体のあちこちを、コチョコチョと、くすぐった。
しばしして。
「あっ。先生。また、おちんちん、から、何かが、出そうです」
山野哲也が言った。
「それは、哲也くんの、金玉に溜まっている、精液よ。哲也くんの、精子と、私の卵子、が、くっついて、子供が出来るの」
そう、由美子は、説明した。
「ああー。出るー」
そう、叫んで、哲也は、由美子の体内に、精液を射精した。
「ふふ。哲也くん。気持ち良かった?」
「はい」
「それは、よかったわね。これで、私と、哲也くん、は、結婚して、夫婦になったのよ」
と、由美子が言った。
由美子は、マンコから、哲也の、おちんちん、を、抜いた。
そして、ティッシュペーパー、で、濡れた哲也の、おちんちん、を、ふいた。
由美子は、再び、ベッドに、仰向けに寝て、哲也の体を、自分の体の上に倒して、自分と、重ね合わせ、ギュッ、と、抱きしめた。
「哲也くん。キスして」
「はい」
哲也は、由美子の唇に、そっと、自分の唇を重ねた。
由美子は、哲也の口の中に、舌を入れた。
哲也は、驚いている。
「哲也くん。大人のキスって、唇と唇を、くっつけるだけじゃないの。舌を、絡め合わせて、お互いの唾液を吸い合うの。さあ、哲也くん。私の舌と哲也くんの舌を絡め合いましょう」
由美子が言った。
哲也は、おそるおそる、自分の舌を、伸ばして、由美子の舌にくっつけた。
哲也は、興奮してきて、粘っこい唾液が出始めた。
由美子は、哲也の、唾液を吸った。
「さあ。今度は、哲也くんが、私の唾液を吸って」
由美子に言われて、哲也は、由美子の、唾液を吸った。
由美子は、哲也を、ギュッ、と、抱きしめた。
かなりの時間、二人は、抱き合って、キスした。
「もう、今日は、このくらいにしておきましょう」
由美子が言った。
「はい」
由美子は、起き上がって、哲也に、パンツを履かせ、パジャマを着せた。
そして、自分も、パンティーを履き、ブラジャーを着け、スカートを履いて、ブラウスを着た。
そして、白衣を着た。
「どう。気持ち良かった?」
「うん。とても気持ち良かったです。先生。ありがとう」
「また、明日も、私を、うんと、好きなように、触って」
「ありがとう。先生」
そう言って、由美子は、去って行った。
由美子は、自分が、山野哲也に、してやれる、治療は、これしかない、と思った。
その日、以来、由美子は、山野哲也の部屋に、回診に行くと、哲也と、エッチな事をするようになった。
しかし、山野哲也の病状は、日に日に、悪化していった。
セックスのような、激しいことを、する体力も無くなっていった。
激しい運動をすると、体に悪い。
なので、哲也は、由美子と、手をつなぐ、ことくらいになった。
元々、哲也は、性欲の対象として、岡田さん、を見ていたわけではなく、岡田由美子という、優しい女性に、対する、「愛」、という思いだったので、別に、セックスが出来なくなっても、哲也は、不満では、なかった。
むしろ、山野哲也が、由美子と、セックスしたのは、「何も知らないで死んでしまう山野哲也」、が、可哀想で、由美子が、大人の男女の関係を、体験させて、やりたい、という理由で、したのである。
ある日の仕事の帰り。
五十嵐健二、と、岡田由美子、は、いつもの喫茶店に寄った。
「あの。五十嵐さん」
「はい。何ですか?」
「小児科の仕事、って、つらいですね」
「どんな所がですか?」
「病気が治らない子を診ていると、つらくなってしまうんです」
五十嵐健二、は、何も言わなかったので、由美子は、続けて言った。
「私。どうして、この子は、病気に生まれついたのか、って、悩んでしまうんです。この子に罪があるわけでは無いのに・・・」
そう言って、由美子は、ため息をついた。
「五十嵐さんは、どう思いますか?」
「そうだねー。そんな事、考えたことは無いよ。そんな、根本的なこと。僕は、仕事と、割り切っているからね。誰でも、初めの頃は、そういう悩みを持つものだよ。でも、慣れてくるうちに、だんだん、仕事慣れしてくるよ。医者は、人の死に対して、不感症になっていくものだよ」
「そうですか。私も、そうなるのでしょうか?」
「それは、わからないな。でも、中には、医者の仕事に慣れても、デリケートな人で、人の死に対して、不感症にならない人もいるよ」
「そうですか」
由美子は、自分は、どっちの医者なのだろうか?と思った。
「あのね。聖書に、書いてあるんだけど。病人は、どうして、病気を持って生まれついたか、という、理由が書いてあるんだ」
「それには、何と書いてあるんですか?」
京子は、目を見開いて聞いた。
「それは、神の御業が実現するため、なんだそうだ」
由美子は、一瞬、まさか、それって、私のこと?、と思った。
しかし、キリストは、実際、数多くの、死人を蘇らせたり、不治の病の患者を、治したりしている。
しかし自分には、そんな奇跡など起こせない。
自分が、死人を蘇らせたり、不治の病の病人を、癒したりすることなど、出来っこない。
自分は、現代の最先端の治療を、するだけである。
でも、精一杯、誠心誠意、患者に尽くそうと、あらためて思った。
「あの。五十嵐さん」
「はい。何でしょうか?」
「結婚式は、もう少し、待ってくれませんか?」
由美子が言った。
「構いません。でも、その理由は何ですか?」
「それは、ちょっと・・・」
と、言って、由美子は、言いためらった。
「何か、言いたくない事情があれば、構いませんよ」
五十嵐が言った。
由美子は、心の中で思った。
私は、山野哲也くんと、結婚したんだ。
遊び、なんかじゃない。
哲也くんは、本気だし、私も、本気で、山野哲也くんの、プロポーズを快諾した。
夫婦の契りも結んだ。
それを、「子供との、遊び」、なんて思って、いい加減にして、陰で、他の人と、結婚するなんて、哲也くんが、可哀想だ。
子供だって、「一人の人間」、であって、「大人の一人の人間」、と、何ら変わりはない。
何が違う、というのだろうか?
由美子は、哲也と、夫婦の契り、を、結んだ時は、意識していなかったが、「これは、遊びであり、本気ではない」、と、軽い気持ちがあったことを、今、気がついた。
そして、自分を欺いていたことを、心から後悔した。
「医者として、そして、人間として、真剣に生きねば」
由美子は、そう思った。
ある土曜日のことである。
その日も、由美子は、山野哲也の個室に、回診に行った。
山野哲也は、抗がん剤の副作用で、吐き気が、起こるので、口から食事が摂れず、点滴で、栄養補給を行うように、なっていた。
体重も落ち、げっそり、やつれていた。
由美子は、黙って、山野哲也の手を握った。
それしか、出来ることがなかった。
哲也も、由美子の手を、握った。
しかし、哲也の握力は、弱かった。
由美子は、心の中で、「神様。どうか、この子を救って下さい」、と祈った。
勤務時間が終わったので、由美子は、大阪の実家へ帰った。
その日は、天気予報で、昼頃から、大型の激しい台風が、日本列島に、接近してきて、豪雨と、強風が激しくなっていた。
台風による、大きな被害が出たら、自分も、両親と一緒に居て、防災を手伝いたかったからである。
出来ることなら、一日中、山野哲也の傍に居て、手を握っていたかったのだが、他の患者の治療もあるし、患者が、いつ、危篤状態になるかは、わからないのである。
当直の医者を信用することも、大切である。
大阪の実家へ帰っても、由美子は、哲也の事が、気が気でなかった。
台風は、強風をともなった、暴風雨となり、電車も、車も、運転を、見合わせた。
その夜のことである。
大学病院から、由美子の、携帯に、連絡が来た。
「岡田由美子先生。先生の、受け持ち患者の、山野哲也くん、が、危篤です。血圧が、下がってきました。不整脈も、起こり出して、きました。昇圧薬、と、抗不整脈薬、で、対応しています」
と当直医が言った。
「宜しくお願い致します。また、何か変化が起こったら、すぐに連絡して下さい」
と、由美子は言った。
由美子は、出来ることとなら、今すぐ、大学病院に行きたかった。
しかし、暴風雨で、交通機関が動かないので、病院に行くことが、出来ない。
由美子は、心の中で、「神様。どうか、山野くんを救って下さい」、と祈った。
その数時間後。
また、大学病院から、由美子の、携帯に、連絡が来た。
「由美子先生。山野哲也くんの、SpO2が、下がってきました。気管挿管しました。血圧も上がりません。心電図でも、心室細動が、出てきました。心臓マッサージを開始しました。電気ショックによる除細動も開始しました」
と当直医が言った。
「よ、よろしくお願い致します」
由美子は、それ以上、何も言うことが出来なかった。
ただ、「神様。神様」、と、祈るだけだった。
その、数時間後、病院から、山野哲也が、死んだ、知らせ、が、大学病院から来た。
由美子は、号泣した。
由美子は、山野哲也の臨終だけは、絶対に、自分が看取りたいと思っていたのである。
翌日。
台風は、速度が、速かったので、近畿地方を、抜けて、東北へ移っていた。
幸い、交通機関に、大きな被害は、出なかったので、電車は、昼頃から動き出した。
由美子は、すぐに、近鉄大阪線で、橿原市へ向かった。
由美子は、近鉄八木駅で降りて、タクシーに乗って、大学病院に向かった。
そして、小児科病棟へ行った。
山野哲也は、死体安置所に移されていた。
微動だにしない、山野哲也が、安置されていた。
由美子が、人間の死、を見るのは、これが、初めてだった。
「この子は、もう、この世の中にいないのだ。もう、言葉を話すこともなければ、体を動かすことも、永遠に、ないのだ」
由美子は、それを、実感した。
由美子は、死後硬直の始まった、山野哲也の前で、茫然と、立ちつくしていた。
「先生。山野哲也くんの、ベッドの下に、封筒が、ありました。先生宛の手紙です」
そう言って、医師は、封筒を、由美子に渡した。
封筒には、「岡田由美子先生へ」、と、書かれてあった。
由美子は、おそるおそる、封筒を開けてみた。
中には、山野哲也の書いた、手紙があった。
それには、こう、書かれてあった。
「由美子先生。無茶なお願いしちゃって、ごめんなさい。由美子先生が、僕の頼みを聞いてくれるかどうか、すごく関心が起こっちゃって。試してみたかったんです。聖書には、人を試してはいけない、と書いてありますよね。きっと僕は悪い子なんですね。でも、女の友達が一人も出来ないで、死ぬのって、すごくさびしかったんです。僕はしょせん、先生の受け持つ、たくさんの患者の一人に過ぎないと思うと・・・。先生が、きれいで、優しいだけ、余計、つらくて、さびしかったんです。死んだらどうなるのかな。僕、きっと、地獄に落ちるよね。だって、働いてなくて、世の中のために何もしてないもん。これから真っ暗闇の世界になるんだね。こわい。こわい。でも、そういう辛い時、先生のことを、思い出します。そうすれば、きっと、真っ暗闇の世界でも、地獄でも、耐えられそうな気がします。先生にとっては、僕は、一人の受け持ち患者でも、僕にとっては、たとえ真似事であっても、一生の愛を誓い合った、妻だもの。生きている間に、最愛の先生と結婚できて、僕は幸せです。でも、先生。本当は、僕は嫉妬していました。先生が将来、結婚するであろう素敵な男の人に。僕は、悪い子ですね。でも、あれは、冗談で遊びです。ですから、先生は素敵な人と結婚して幸せになって下さい。楽しい思い出をありがとう。僕、生まれてきてよかったよ。だって、先生と出会えたんだもの。山野哲也」
由美子の目から、涙が、ポロポロ流れた。
「うわーん」
由美子は、号泣し続けた。
いつまで、経っても、涙が流れつづけた。
 
 
 
令和2年3月15日(日)擱筆
 
 
 
 

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私の家に来る女 (小説)

2020-03-05 22:25:57 | 小説
「私の家に来る女」
という小説を書きました。
ホームページ、浅野浩二のHPの目次その2
に、アップしましたので、よろしかったら、ご覧ください。
(原稿用紙換算79枚)
私の家に来る女
私(浅野浩二)、は、SM小説を、かなり、書いてきた。
高校生の時、初めて、SM小説を、読んで、興奮した。
SM小説の大家といえば、団鬼六、であることは、間違いない。
その作品の質、作品の量からいって。
しかし、高校生の時は、性欲が旺盛だったから、団鬼六、以外の、SМ作家でも、SМ小説は、何でも、興奮した。
私は、医学部に入った。
そして、医学部、3年のある時、「小説家になろう」、という、とんでもない、天啓が私に降臨した。
それで、私は、小説を書き出した。
自分には、何が、どんな、小説を書けるのかは、全く、わからなかった。
しかし、私は、書き出した。
私の、書きたい作品、そして、書ける作品は、プラトニックな、男女の恋愛小説だった。
なので、そういう、小説を書いてきた。
私は、SМ小説も、書きたい、し、書ける感性を持っていたので、書きたかった。
なので、SM小説にも、挑戦してみた。
しかし、なかなか、エロチックな、SМ小説は、書けなかった。
しかし、何年も、何年も、あきらめずに、書いていると、だんだん、書けるようになってきた。
そして、団鬼六先生の、SМ小説は、歳と共に、見方が、変わっていった。
団鬼六先生の、SМ小説は、パターンが決まっていて、上流階級の、夫人を、拉致監禁し、徹底的に、辱めて、一生、飼いつづける、という、ストーリーである。
もちろん、小説は、作り話の、フィクション、だから、どんな、ストーリーにしても、悪くはない。
団鬼六先生、自信、温厚で、良識的な性格であり、実生活では、犯罪じみたことは、一度もしていない。
団鬼六先生、の、SМ小説は、団鬼六先生、の、求める、欲求の表現である。
しかし、団鬼六先生、は、女性に対する、征服欲が、強すぎるのだ。
ここが、僕には、相容れなかった。
僕の、SМ小説は、どんなに、エロティックにしても、あくまで、「遊び」、であり、どんなに、女に、エロティックな、ことをしても、最後は、解放する、という、結末にしか、出来なかった。
その点、谷崎潤一郎の、マゾヒズム小説の方が、僕には、共感して読めた。
谷崎潤一郎、の、マゾヒズム小説も、犯罪的な要素は、入っていないからだ。
ともかく、僕は、SМ小説を、書き続けた。
しかし、僕は、小説を書きたいのであり、小説を書いていれば、幸せなので、別に、SМ小説だけ、書きたい、という、わけでは、全く無かった。
僕は、プラトニックな、男女の恋愛小説、や、ユーモア小説、など、書けるものは、何でも書いた。
僕自身は、SМプレイをしたいか、というと、はっきり言って、別に、したいとは、思わない。
そんな、ある日のことである。
ある女性が、僕の家にやって来た。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
玄関を開けると、きれいな女性が、立っていた。
「あ、あの。浅野浩二、さんですよね」
「え、ええ。そうです」
「私、浅野さんの、SМ小説を、ネットで、読んで、それで、浅野さんに、会ってみたくなったんです」
「そうですか。どうぞ。お入り下さい」
「浅野さんは、SМ小説を書いておられますが、浅野さん自身は、SМプレイをするんですか?」
「しませんよ」
「どうしてですか?」
「SМには、色々な、要素がありますね。世間では、SМ小説、や、SМプレイ、では、S(絶対支配者)、と、M(絶対服従者)、という、関係、を楽しんでいる人が、非常に多いと、思います。確かに、SМには、支配者、と、服従者、という、関係、が、あると、思います。谷崎潤一郎は、マゾヒストで、女性に対する、絶対的な、服従を、楽しんでいると、思います。谷崎潤一郎は、そういう感性の人です」
「そうですね」
と、彼女は、相槌を打った。
「しかし、僕は、SМの、支配と服従、という、要素が、大嫌いなんです。これは、SМに限りません。僕は、人間が、他人を、支配する、という、行為、が、大嫌いなんです。人類の歴史を見ても、ある国家、が、他の国家を、支配する、つまり、植民地にする、という歴史です。親、や、大人、は、子供、を支配しようとします。僕は、人間が、他者を、支配する、という、行為、が、大嫌いなんです。これは、SМにも、あてはまります」
「それでは、浅野さんは、SМの、どういう所に魅力を感じているんですか?」
「まあ、色々と、ありますが。僕は、マゾヒズム的嗜好を持つ、女性に、すごく魅力を感じているのです。マゾヒズムに酔っている女性は、すごく、美しいと思っています。ですから、僕が、緊縛された女の、SМ写真を見て、興奮するのは、自分が、緊縛されている女性に、感情移入して、興奮しているのです」
「それを聞いて、安心しました」
と、女性は言った。
「安心した、とは、どういうことですか?」
「実は、私、マゾなんです」
「そうですか」
「私の、マゾは、先天的なもので、子供の頃からです。いじめられ、みじめになりたい、と思っていました」
そう言って、彼女は、語り出した。
「それで、SМプレイの、パートナー、を、何人か、探して、付き合ったことも、あるんです。しかし、男は、みんな、奴隷になれ、と言ったり、ムチ、で、叩いたり、とか、フェラチオをしろ、とか、色々なことを命令したりと、女を支配したがるサドばかりなんです。なので、そういう行為をしても、私の、マゾヒズムは、満たされませんでした。そこで、浅野さんの、SМ小説、を、読んでいたら、女性を支配したい、という欲求が、感じられなかったのです。浅野さんは、男がМで、女に、いじめられる、SМ小説も、書いています。だから、浅野さん、なら、もしかすると、私の、マゾヒズムが、満足される、ことを、してくれる、のではないか、と、思ったのです。それで、来てしまったのです」
「そうですか。僕も、あなたのような方、との、出会い、を、望んでいたのです。しかし、そういう女性と、出会うことは、至難の業、だと、思っていました。あなたとは、相性が合いそうですね。嬉しいです。来て下さって、どうも有難うございました」
と、私は言った。
「あ、あの。浅野さん。さっそくですが、今から、プレイをして、頂けないでしょうか?」
「ええ。いいですよ」
「僕は、女性が、一番、して欲しいことを、したいと、思っています。しかし、それが、何かは、わかりません。ですから、京子さん、が、したいこと、を、言って下さい」
「有難うございます。では、浅野さん。ちょっと、後ろを向いていて、頂けないでしょうか?」
と、彼女は、言った。
「はい。わかりました」
そう言って、私は、クルリ反転し、彼女に、背を向けた。
パサリ、パサリ、と、服が、落ちる音がした。
「もう、いいです。こっちを見て下さい」
彼女が、そう言ったので、私は、体を反転し、彼女を見た。
彼女は、服も下着も、全部、脱いで、全裸になっていた。
そして、正座して、胸と、恥部、を、手で、覆い隠していた。
私が、彼女を見ると、彼女は、
「ああっ。いいわっ。気持ちいい」
と、叫んだ。
私は、何も、言わなかった。
私は、SМの、言葉責め、が、嫌いだった。
SМの、言葉責め、は、慎重に、言葉を、選ばないと、かえって、女性の心を傷つけてしまうからだ。
大体、男が、自分の欲求に、まかせて、女性を、侮蔑する、言葉を言うと、失敗する。
相手も、言って欲しい、侮蔑のセリフ、や、言って欲しくない、侮蔑のセリフ、というものは、あるものである。
しかし、男が、それを、察することは、出来ない。
なので、私は、黙っていた。
「下手な言葉責め、休むに似たり」、である。
「見て。浅野さん。みじめな私をもっと見て」
と、彼女は、言った。
そう言いながらも、彼女は、胸と、恥部、を、手で、覆い隠していた。
「言われなくても、見ていますよ」
と、私は、言った。
「ああっ。嬉しい。男の人、しかも、憧れの浅野浩二さんの前で、裸になって、見下されているなんて、なんて、気持ちいい快感なのかしら」
と、彼女は、言った。
彼女は、自分に酔っているのである。
マゾヒストにも、色々な、タイプがいるが、彼女は、自分に、陶酔する、ナルシスト、であることは、明らかだった。
「京子さん。僕は、何をしたらいいのか、わかりません。ですから、京子さんが、して欲しい、ことを、言って下さい」
と、私は、言った。
「有難うございます。こんな、わがまま、な、私の言うことを、聞いて下さって」
「いえ」
「では、浅野さん。すみませんが、また、少しの間、後ろを向いてくださいませんか?」
「はい。わかりました」
そう言って、私は、クルリと、体を反転し、彼女に、背を向けた。
何か、ゴソゴソと、音がした。
「あっ。あの。浅野さん。もう、いいです。こっちを見て下さい」
彼女が、そう言ったので、私は、体を反転し、彼女を見た。
彼女は、股縄をしていた。
彼女の腰には、ベルトのように、麻縄が、二巻き、巻かれてあり、そこから、褌のように、T字状に、縦縄が、しっかりと、女の、股間に、食い込んでいていた。
股縄は、女の股間に、縄を食い込ませて、女を責める、役割りを、果たす物だが、同時に、女の恥部と、尻の穴、を、かろうじて隠す、覆いの役割り、も、あった。
「あっ。あの。浅野さん。私、いつも、一人で、股縄をして、自分をなぐさめていたんです」
と、彼女は言った。
「そうだったんですか」
「あ、あの。浅野さん」
「はい。何でしょうか?」
「私を、後ろ手に縛って頂けないでしょうか?」
「ええ。いいですよ」
床には、彼女が、バッグから、取り出した、麻縄が、散らかっていた。
彼女は、自分から、両手を、背後に回し、手首を重ね合わせた。
「さあ。縛って下さい」
「はい」
私は、彼女に、言われた通り、彼女を、後ろ手に縛った。
「ああっ。いいわっ」
と、彼女は、喜悦の悲鳴をあげた。
「浅野さん」
「はい。何でしょうか?」
「胸縄も、して頂けないでしょうか?」
「はい。わかりました」
私は、彼女を、後ろ手に縛った、縄の余りを、彼女の、体の前に、回して、華奢な腕ごと、乳房を、挟み込むように、彼女の、大きな、乳房、の上下に、二巻き、ずつ、縄で、少し、きつめ、に、縛った。
大きな、二つの乳房が、胸の上下に、厳しく縛られた、狭い縄の間から、弾け出ているように見えた。
「ああっ。いいわっ。気持ちいい」
と、京子が言った。
「浅野さん。私、一度、SMモデルのように、胸縄を、されて、それを、人に見られたかったんです。夢が叶って、すごく、嬉しいです」
と、彼女は言った。
「京子さん。とても、セクシーですよ」
と、私は、感情を入れず、事務的に言った。
後ろ手縛り、胸縄、股間縄、の三つが、SМの、縛り、の基本である。
「浅野さん。私、いつも、一人で、股縄をして、自分の姿を鏡で見て、自分をなぐさめていたんです。あるいは、亀甲縛りを、したり、していました。そして、素っ裸、で、亀甲縛りを、して、その上に、コートを着て、デパートに行って、買い物をしたりしていたんです。人が見ていない所で、コートをとって、野外露出もしていました。それでも、精神的な興奮は、少しは、得られました。でも、やはり、さびしかったんです。人に、ハッキリと見られることは、出来ませんし。それに、できたら、後ろ手に、縛りたかったんです。ですが、自分で、自分を後ろ手に縛ることは、出来ません。後ろ手縛りだけは、誰かに、縛ってもらうしか、ありません。胸縄も。それが、すごく、さびしかったんです。今、こうして、後ろ手縛りされて、胸縄もされて、浅野さん、に、恥ずかしい姿を、見られて、私、最高に、幸せです」
と、彼女は、言った。
「それは、よかったですね。京子さん。すごく、セクシーですよ」
と、私は、事務的な口調で言った。
「浅野さん。なぜ、私が、自分で、股縄をしたか、わかりますか?」
彼女が聞いた。
「・・・わかりません。僕は、鈍感なんで・・・」
「股縄をしていれば、どんなに、脚を開いても、どんな格好をしても、恥部、と、尻の穴、は、かろうじて隠せます」
「そうですね」
「浅野さんに、全てを、見られてしまうと、浅野さんに、厭きられてしまうのでは、ないかと、思って、それが、こわかったんです」
「・・・・」
私は、何と言っていいか、わからず、黙っていた。
女は、全てを知られると、魅力が無くなる、とは、よく言われることである。
それは、男の方の理屈だが、女の方も、それを、気にしている人はいる。
だから、女は、夏、きわどい、ビキニ姿で、体を露出して、男を挑発するが、乳首、と、性器、だけは、ギリギリ、見えないように、隠すのである。
女は、乳首、や、性器、まで、見せないように、しているのである。
彼女は、その心理を気にしているのだろう。
しかし、全裸になって、肉体の全てを、見ても、女にあきない、ことは、あるものだ。
肉体は、物質であり、仮に、肉体の全てを知っても、女の心まで、全てを、知り尽くすことは、出来ない。
本当に、女に、あきてしまうのは、女の心の全てを知ってしまった時の方が、大きいだろう。
しかし、女の心を、全て知っても、その性格が、魅力的であれば、女にあきることはない。
しかし、彼女は、知ってか、知らないでかは、わからないが、ともかく、肉体の全てを知られることを、おそれていた。
「こうして、股縄をしていれば、恥ずかしい所は、隠せます」
そう言って、彼女は、壁を背にして、脚をМ字に、ガバッ、と、大きく開いた。
何も着けていなければ、女の性器が、丸見えに、なるところだが、彼女の言う通り、股間に深く食い込んでいる、股間縄のため、女の性器は、見えなかった。
大陰唇は、見えるが、粘膜の、膣前庭は、見えない。
ましてや、大陰唇が、性的興奮のため、膨らんでいるので、股間縄を、絞めつけるように、なっているので、股間縄は、両側から、ふくらんだ大陰唇の中に、埋もれてしまっている。
つまり、大陰唇が、ピッタリと、閉じ合わさっているのである。
私の感性として、女の、膣前庭、は、醜い、と感じてしまうが、大陰唇が、閉じ合わされていれば、それは、美しく、エロティクである。
「ああっ。気持ちいいわ。見て。恥ずかしい私の姿を」
彼女は、極度の緊張と、興奮で、全身が、プルプル震えていた。
「言われずとも、見ていますよ。とっても、セクシーですよ」
私は、ことさら、優しい口調で言った。
彼女は、私の言葉に、過度に、反応して、
「ああっ。いいわっ。最高」
と、叫んだ。
しばしして。
彼女は、開いていた脚を閉じた。
そして、体を反転し、私に背を向けた。
そして、膝立ちになり、ゆっくりと、上半身を、前に倒した。
そして、膝を大きく開いた。
大きな尻が、丸見えとなり、高々と上がった。
顔は、床にくっついて、頬が少し、ひしゃげた。
グラビアアイドルが、とる、セクシーポーズである。
もっとも、グラビアアイドルは、ビキニを着ているし、後ろ手には縛られていない、という違いは、あるが。
これは、SМで、女が浣腸される時に、とらされる、屈辱のポーズである。
彼女は、ことさら、膝を開いて、私に、大きな尻、や、尻の割れ目、それに続く、性器を見せつけようとした。
股間縄が、なかったら、確かに、尻の穴、も、性器も、丸見えに、なっているだろう。
しかし、かろうじて存在する、股間縄のため、尻の穴、も、性器も、見えなかった。
「み、見て。私の、恥ずかしい所を、うんと見て」
彼女が、叫んだ。
「ええ。見ていますよ。でも、股間縄のため、お尻の穴、も、性器も、見えませんよ。でも、とっても、セクシーですよ」
と、また、私は、ことさら、優しい口調で言った。
彼女は、私の言葉に、過度に、反応して、
「ああっ。いいわっ。最高」
と、叫んだ。
しばしして。
彼女は、浣腸ポーズを、やめた。
彼女は、床に、仰向けになった。
そして、膝を立てて、大きく、広く、股間を開いた。
さっきの、ポーズを、仰向けにしたような、ポーズだった。
足を、大きく開いているので、股間が丸見えである。
しかし、股間縄のため、女の性器は、見えなかった。
「み、見て。私の恥ずかしい所を見て。うんと見て」
彼女は、叫んだ。
「言われずとも、見ていますよ。とっても、セクシーですよ」
私は、ことさら、優しい口調で言った。
彼女は、私の言葉に、過度に、反応して、
「ああっ。いいわっ。最高」
と、叫んだ。
彼女の、股間縄で、かろうじて見えない、大陰唇からは、被虐の興奮で、プックリと、膨らみ、白く濁った、愛液が、ドロドロと、溢れ出ていた。
「京子さん。興奮しているんですね。愛液が、ドロドロ、出ていますよ」
私は、ことさら、優しい口調で言った。
「そ、そうです。私は、今、最高の、被虐の快感で、感じてしまっているんです」
と、京子は、言った。
「京子さん」
「はい。何でしょうか?」
「足を触っても、いいでしょうか?」
「はい。お願いします」
私は、右の彼女の足首をつかんだ。
そして、彼女の右足の、足の裏、に、指先を、スーと、滑らせて、くすぐった。
「ああー。いいー」
彼女は、全身をヒクヒクさせ始めた。
私は、彼女の右足の、足の裏、を、指先で、スーと、滑らせる、行為を、続けた。
しはしして。
彼女は。
「ああー。イクー」
と、叫んで、全身をブルブルと、震わせた。
そして、だんだんと、落ち着いて行った。
私は、女性の、オルガズム、というものが、どういうものなのか、知らない。
男の、オルガズムは、射精、という形で、はっきりと、わかる。
また、男の、マスタベーション率は、ほとんど、100%で、男は、みんな、マスタベーションを、しているから、マスタベーションの、快感も知っている。
しかし、女性の、オルガズム、は、射精、のように、何か、体から、液体が放出される、というような、目に見える、現象が、無いから、いつ、イッタのか、そして、それは、どういう、感覚なのか、は、わからない。
また、男の、マスタベーション率は、100%で、男は、みんな、マスタベーションを、しているが、女は、皆が、マスタベーションをしているわけではなく、その割り合いは、諸説あるが、60%、くらい、らしい。
そして、女は、マスタベーションをする時、クリトリス、や、Gスポット、を、刺激するらしく、それは、気持ちいいらしいそうだが、オルガズムに達することは、困難なようなのだ。
20歳まで、オルガズムを経験したことのない、女性も、めずらしくない、ということだった。
若い男は、女のエロ写真を、見て、オナニーすれば、容易に、射精できる。
しかし、女が、オルガズムに達するのは、かなり、複雑で、困難らしい。
男には、女のヌード写真、という、刺激、を、起こす物があるが、女は、オナニーする時、一体、どうしているのだろうか?
男の、ヌード写真を見ている、とは、考えられない。
そもそも、この世には、男のヌード写真、など無い。
つまり、女は、オナニーする時、刺激する物が無いのである。
そのことから、考えても、女が、オナニーしても、オルガズムに達することは、困難であることは、察される。
しかし、アダルトビデオ、などを見ていると、女が、(イクー)、と言って、オルガズムに達することは、間違いなく、あるのだろう。
京子さんは、今日、被虐の快感、を、味わう、ために、私の家に、やって来た。
京子さんが、被虐の快感、を、感じているのを、見ているうちに、私は、京子さんに、最高の、性欲の快感を感じさせて、やりたくなって、京子さんの、足の裏、を、刺激して、あげたのである。
幸い、京子さんは、オルガズムに達する、ことが、出来た。
私は、快感の余韻に浸って、じっとしている、京子を、見ながら、そんなことを、考えていた。
しばしして。
「浅野さん。有難うございました。とても、気持ちよかったでした」
と、京子が、口を開いた。
「それは、よかったですね。京子さん。今日は、このくらいに、しておいた方がいいのではないでしょうか?それとも、もう少し、プレイをしますか?」
私は、京子に聞いた。
「いえ。今日は、これで、終わりにしたいと思います。浅野さん。どうも、有難うございました」
京子が言った。
私は、京子の、後ろ手の、縛めを解いた。
そして、京子の、乳房の、上下に、かかっている、胸縄も解いた。
これで、京子は、股間縄、だけで、手は、自由になった。
彼女は、自分で、股間縄を解いた。
しかし、彼女は、私に、性器を見られないように、手で、性器を隠していた。
「では、浅野さん。すみませんが、また、少しの間、後ろを向いてくださいませんか?」
「はい。わかりました」
そう言って、私は、クルリと、体を反転し、彼女に、背を向けた。
何か、ゴソゴソと、音がした。
「あっ。あの。浅野さん。もう、いいです。こっちを見て下さい」
彼女が、そう言ったので、私は、体を反転し、彼女を見た。
彼女は、ここに、来た時、と同じように、ブラウス、に、スカート、を、着て、にこやかな顔で、座っていた。
「すみません。色々と、注文してしまって」
「いえ。構いませんよ」
「女って、脱ぐのや、服を着るのを、見られるのが、恥ずかしいんです」
「そうですか」
「今日は、本当に有難うございました。私のために、時間を割いて下さって。今まで、満たされないでいた、マゾの快感を、たっぷりと、堪能することが、出来ました」
「それは、よかったですね」
「正直、言いますと、浅野さん、は、どんな人なんだろう、と、不安も、ありました。小説では、ソフトな、SМ小説を書いていますが、作品と、作者の性格は、違う、ということは、ありますから。でも、浅野さんは、本当に優しい方ですね」
「そう言ってもらえると、嬉しいです。ところで、僕は、今の世のSМに、ほとんど、魅力を感じていません」
「どんな、ところがですが?」
「さっきも、言いましたが、僕は、SМの、支配と服従、という、関係が、嫌いなんです。僕は、SМが、セックス、と、結びついてしまうのが、嫌いなんです。男の、本番、とか、女の、フェラチ、とかも、大嫌いです。男は、絶対、服を脱ぐべきでは、ないと、思っています。SMでは、男は、服を着ていて、それでいて、一方的に、女を裸にして、辱めるというのが本筋だと思うんです。ムチで叩いたり、蝋燭を垂らしたり、という、ハードに責める行為をするのも、嫌いです。SМは、女の人が、主人公だと思います。SМ写真でも、裸にされて、被虐の陶酔に、浸っている女の人、の表情、や、精神が、美しいんです。僕は、SМ写真、を、見る時、被虐の陶酔に、浸っている女の人に、感情移入しています。僕は、女の人が、うらやましい。女性は、顔も、体も、美しく作られています。だから、SМの主人公は、女だと思っています」
と、私は、SМに関する、自論を述べた。
「やっぱり、浅野さん、って、優しいんですね」
と、彼女は、ニッコリと笑った。
「浅野さんは、セックスは、しないんですか?」
彼女が聞いた。
「そりゃー、年に数回くらい、たまには、しますよ。でも、セックスでも、女の人に、対する、僕の考え方は、同じなんです。セックスでは、お互いが、快感を得ようと、しますが。僕は、どうしても、セックスでは、女の人を、喜ばせようと、思うだけなんです。女の人に、何か、たとえば、フェラチオとか、されても、何も感じません。僕にとって、セックスにおける、男の役割りは、ひたすら、女の人を喜ばせる、奉仕者なんです。ですから、セックスにおいても、男は、女に、奉仕する、奴隷のような、感覚です」
「浅野さん、って、理想的な男性ですね」
彼女は、ニコッ、と笑って言った。
「また、会って頂けないでしようか?」
「ええ。構いません。僕も、あなたと、会えるのは、嬉しいです」
「浅野さん。携帯電話の、番号、と、メールアドレス、を、教えて頂けないでしょうか?」
彼女が聞いた。
「ええ。構いませんよ」
そう言って、私は、携帯電話の、番号、と、メールアドレス、を、メモに書いて、彼女に、渡した。
「私の、携帯電話の、番号、と、メールアドレス、も、教えましょうか?」
「いえ。いいです。僕は、京子さんの、性欲処理係り、ですから。僕の方から、(会って下さい)、なんて、電話したくは、ないんです」
「素晴らしい方だわ」
と、京子は、ニコッと、笑った。
「京子さん。本心を言いますが、僕は、あなた、に、マゾの喜び、を求めて欲しくはないのです。あたなには、明るく、健全に、充実した、人生を送って欲しいのです。世の人間は、女のマゾ、を、開眼させる、だの、自分の奴女を作るだの、調教するだの、SМプレイ、を、楽しむ、だの、という、ことに、何の違和感も抵抗も、持っていません。僕は、そんな事は、くだらない事だと思っています。SМプレイ、だの、セックス、だのは、所詮、一時の、刹那的な快楽に過ぎないと思っています。そんな事に、貴重な人生を、使うのは、時間の無駄、だと思っています」
「・・・・・」
京子は、黙って聞いていた。
「でも、浅野さん、は、SМ小説、を、たくさん、書いているでは、ないですか?」
と、京子が言った。
「ははは。それは、確かに、その通りです。しかし、SМ小説、を書く、ということは、創造的なことだと、思っています。谷崎潤一郎、は、生涯、女性崇拝の、マゾヒスティックなエロチックな、小説を書き続けました。三島由紀夫も、小説のテーマの一つに、エロティシズムの追求、があります。二人とも、ノーベル文学賞の候補になったほどです。小説、文学、とは、人間の、感性、と、想像力の産物です。そして、小説、文学、は、(人間とは何か)、(自分とは何か)、を、追求する芸術活動です。だから、僕は、エロティックな、小説を、一生懸命、書いているのです」
と、私は、言った。
「そうだったんですか」
と、彼女は、嘆息をもらした。
「僕は、SМ写真を見て、マスターベーション、を、することがあります。しかし、マスターベーション、をして、射精した後には、必ず、激しい虚しさ、が起こります。激しい、虚無感しか、おこりません。しかし、SМ小説を、書き上げた時、には、無上の喜びが、起こるのです。マスターベーション、をした後には、必ず、「性」、に対して、虚無感が起こりますが、書いてきた、SМ小説に対して、虚無感は、起こりません。そして、僕は、SМ小説、を、書きたいのではなく、(小説)、を書きたいのです。ですから、僕は、SМ小説、以外でも、プラトニックな、恋愛小説、も、かなり、書いていますし、ユーモア小説、も、書いています。小説を書く、ということは、自分の心の中にある、感性の、表現です。たまたま、僕には、SМ的な感性があって、SМ小説が、書けるから、書いているのです」
「そうだったんですか。いいですね。浅野さん、は、自分が、打ち込めるものを、持っていて」
「京子さん、には、何か、打ち込める物はないのですか?」
「そうですねー。無いですね。どうやったら、自分が、打ち込める物を見つけることが、出来るのでしょうか?」
「それは、わかりません」
「浅野さん、の、場合には、どうやって、見つけたのですか?」
「僕の、場合は、子供の時から、(自分は、何のために生きているんだろう)、という、疑問に悩まされて、来ました。それが、どうしても、わからなかったのです。しかし、あきらめないで、その疑問を、持ち続けていたら、ようやく、大学3年の時に、(小説家になろう)、と、自分の人生の目標が、見つかったのです。それは、僕の、心の中に、(出来っこない夢)、として、潜在意識、として、あったのです。しかし、一旦、目覚めて、決断した以上、それからは、ずっと、小説を書き続けてきました」
「浅野さん、は、理想が高いんですね。私なんて、(自分は、何のために生きているんだろう)、なんて、問題意識、を持ったことなんて、一度もありません」
彼女は、さびしそうに言った。
僕は、下手な同情など、言いたくなかったので、黙っていた。
「僕は、SМ小説、を書いていますが、変な、アドバイスになりますが、僕は、あなたに、SМなんて、ものに、悩まされずに、より良く、健康に、生きて欲しいんです」
「有難うございます。確かに、今日、浅野さん、に、心の中に、くすぶっていた、被虐心、が、満足されて、スッキリしました。被虐心、は、私の、欲求ですが、同時に、私を悩ませていた、苦しみ、でも、あったんです。これからは、前向きに、明るく、生きられそうな気が、今は、しています」
「そうですか。それは、よかったですね」
「今日は、本当に、どうも、有難うございました」
そう言って、彼女は、去って行った。
・・・・・・・・・・
それから、一カ月が過ぎた。
彼女には、僕の、携帯電話の、番号、と、メールアドレス、を、教えていたが、彼女から、連絡は、来なかった。
僕は、彼女が、長年、悩まされていた、被虐、の、悩みから、解放されて、活き活きと、生きているものだと、思った。
「便りがないのは良い便り」、である。
しかし、僕には、一抹の不安もあった。
マゾの女にも、色々なタイプがあるが、彼女のように、デリケートで、マゾヒズムに、ナルシズムの、欲求を、求めるタイプは、暗い性格であることが、多く、引きこもりがちになりやすく、引きこもって、自分の世界に、浸りがちな傾向があるからだ。
・・・・・・・・・・
一カ月、経った、ある日のことである。
ピピピッ、と、携帯電話の、着信音が鳴った。
私は、携帯電話をとった。
発信者非通知だった。
「あ、あの。浅野さん。京子です」
京子さんの声だった。
「やあ。久しぶりですね。元気ですか?」
「え、ええ。元気ですけれど・・・」
と、言って、彼女は、言葉を切った。
「元気なんですけれど、また、マゾの世界に、浸るようになってしまって、浅野さん、に、会いたくなってしまったんです。会って、頂けないでしょうか?」
と、彼女は、少し、ハアハア、と、喘ぎがちな様子で言った。
「ええ。いいですよ。いつ、来られますか?」
「今から、行っても、よろしいでしょうか?」
「ええ。いいですよ」
「では、行きます。今から、1時間、ほど後に、お伺いします」
「では、待っています」
そう言って、彼女は、携帯電話を切った。
ちょうど、一時間、経った頃である。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
「はい。はい。はい」
私は、すぐに、玄関に行って、戸を開けた。
京子が立っていた。
「こんにちは。浅野さん」
「こんにちは。京子さん」
「ささ。どうぞ、入って下さい」
と、私は、京子に勧めた。
おじゃまします、と言って、京子は、家に上がった。
彼女は、夏だというのに、冬物のコートを着ていた。
「久しぶりですね。一カ月、ぶりですね。あの後、どうでしたか?」
私は、彼女に聞いた。
「ええ。この前、浅野さんに、マゾの欲求を、満たしてもらって、しばらくの間は、気分が、スッキリして、過ごせていたんです」
「そうですか。それは、よかったですね」
「それで、浅野さんを、見習って、私も、何か、(生きがい)、を、求めようと、絵画教室に通ってみたんです。私。子供の頃、絵を描くのが好きでしたから」
「そうですか」
「でも、だんだん、つまらなくなって、しまったんです。それで、やめてしまいました。それで、やることが、なくなってしまって、ひきこもって、生活するように、なっていったんです。そうすると、また、だんだん、被虐心が起こってきて。SМビデオを観るように、なって、オナニーするになってしまったんです」
「そうですか。やっぱり、本当に、好きな事でないと、続かないと思います」
「そうですね。それで、毎日、オナニーばっかり、するように、なってしまって。また、浅野さんに、会いたくなって、しまったんです。それで、浅野さん、に、また、虐めて欲しくなってしまったんです」
そう言って、彼女は、コートを脱いだ。
彼女の、コートの下は、一糸まとわぬ全裸だった。
その全裸に、亀甲縛り、が、なされていた。
アソコは、きれいに、毛が剃ってあって、股間縄が、しっかり、股間に食い込んでいた。
「あの。浅野さん。私。裸になって、自分で、亀甲縛り、をして、その上に、コートを着て、電車に乗ったり、スーパー、など、に、行ったりしていたんです。そして、人に、見られているような、感覚を楽しんでいたんです。こんな、変態なことをする私を笑って下さい」
と、彼女は言った。
「いやあ。変態なのは、僕だって、同じですよ」
と、私は、ははは、と、笑った。
「いえ。私の被虐心は、激しくて、コートを着て、想像に、ふけっているだけでは、満足できなく、なって、本当に、人に、見られたくなってしまったんです。今、こうして、浅野さん、に、亀甲縛り、の裸を見られて、とても、興奮しているんです」
「そうですか。京子さんの、亀甲縛りの姿、とても、セクシーですよ」
「有難うございます」
彼女は、立ち上がって、クルリと、一回転した。
女の股間に、しっかりと、縄が食い込んでいた。
「京子さん。京子さんの、亀甲縛りの姿、とても、セクシーですよ」
「ああっ。いいわ。気持ちいい。夢、かなったり、だわ」
彼女は、すっかり、被虐の快感に酔い痴れていた。
彼女は、しばし、私に、亀甲縛り、の、立ち姿を、見せていだが、満足したらしく、また、座って、私を見た。
彼女は、今度は、体を、クルリと反転し、私に背を向けた。
そして、膝立ちになり、ゆっくりと、上半身を、前に倒した。
そして、膝を大きく開いた。
大きな尻が、丸見えとなり、高々と上がった。
顔は、床にくっついて、頬が少し、ひしゃげた。
グラビアアイドルが、とる、セクシーポーズである。
もっとも、グラビアアイドルは、ビキニを着ているし、後ろ手には縛られていない、という違いは、あるが。
これは、SМで、女が浣腸される時に、とらされる、屈辱のポーズである。
彼女は、ことさら、膝を開いて、私に、大きな尻、や、尻の割れ目、それに続く、性器を見せつけようとした。
股間縄が、なかったら、確かに、尻の穴、も、性器も、丸見えに、なっているだろう。
しかし、かろうじて存在する、股間縄のため、尻の穴、も、性器も、見えなかった。
股間縄が、しっかりと深く、女の谷間に食い込んでいるので、興奮のために、プックリ膨れた、大陰唇が、両側から、股間縄を、飲み込んでしまって、大陰唇が、閉じ合わさっていた。
「み、見て。私の、恥ずかしい所を、うんと見て」
彼女が、叫んだ。
「ええ。見ていますよ。でも、股間縄のため、お尻の穴、も、性器も、見えませんよ。でも、とっても、セクシーですよ」
と、また、私は、ことさら、優しい口調で言った。
彼女は、私の言葉に、過度に、反応して、
「ああっ。いいわっ。最高」
と、叫んだ。
しばしして。
彼女は、浣腸ポーズを、やめた。
もう、尻を突き出すポーズを、見られることに、満足したのだろう。
彼女は、起き上がって、私の方に向かって、座った。
「ああ。気持ち良かったわ。亀甲縛り、された、私の姿を、人に見られたかったのですが、そんなことは、出来ないですから、こうして、浅野さん、に、その姿を見られて、最高に、満足しています」
「しっかり、見ましたよ。京子さんの、亀甲縛りの姿、とても、セクシーですよ」
「有難うございます」
「で。今日は、何をしますか?それとも、亀甲縛り、を見られて、もう、満足できましたか?」
「い、いえ」
そう言って、彼女は、自分で、亀甲縛り、を、解いていった。
彼女は、縄のない全裸になった。
私は、その意味がわからなかった。
「あ、あの。浅野さん」
「はい。何ですか?」
「あ、あの。こんな事を言うのは、とても恥ずかしいのですが・・・」
と言って、彼女は話し出した。
彼女の顔は、火照っていた。
「私。オナニーする時は、肛門も、刺激するように、なったんです。肛門を刺激しながら、クリトリス、や、Gスポット、を、刺激すると、すごく、興奮する、ということがわかりました。始めは、ためらっていましたが、指を、お尻の穴、に入れて、刺激すると、すごく、気持ちいいんです」
「そうですか。わかりました」
彼女は、自分で、亀甲縛り、を解いた。
彼女は、一糸まとわぬ全裸になった。
「じゃあ、私を、責めて下さいますか?」
「ええ。いいですよ」
「あ、あの。浅野さん。後ろ手に縛って頂けないでしょうか?」
「ええ。いいですよ」
京子は、両手を、背中に回し、手首を重ね合わせた。
私は、京子を後ろ手に縛った。
彼女は、体を反転し、私に背を向けた。
そして、さっきと、同じように、膝立ちになり、ゆっくりと、上半身を、前に倒した。
そして、膝を大きく開いた。
大きな尻が、丸見えとなり、高々と上がった。
顔は、床にくっついて、頬が少し、ひしゃげた。
SМで、女が浣腸される時に、とらされる、四つん這いで、尻を高々と上げた、屈辱のポーズである。
彼女が、ことさら、膝を開いたので、私に、大きな尻、や、尻の割れ目、それに続く、性器、が、丸見えになった。
今回は、女の恥ずかしい、股間の谷間を、隠す、股縄がないので、尻の穴、や、性器も、全て、丸見えだった。
「み、見て。私の、恥ずかしい所を、うんと見て」
彼女は、もう、私に、性器を見られることに、躊躇していなかった。
京子は、声を震わせながら、叫んだ。
「言われずとも、見ていますよ。すぼまった、お尻の穴、が、見えてますよ」
「ああっ。いいわっ」
京子は、叫んだ。
私が、言葉を、かけたことが、彼女に、見られている、という、実感の、刺激、を、与えたのだろう。
「浅野さん」
「はい。何ですか?」
「あ、あの。何でも、浅野さんの、好きなことを、なさって下さい」
京子が言った。
「ええ。わかりました」
私は、京子の尻の前に、ドッカと座った。
そして、京子の、大きな尻を、触った。
そして、指先を立てて、京子の、尻、や、太腿、ふくらはぎ、足の裏、などに、指先、を這わせていった。
「ああー」
と、京子は、眉を寄せて、苦し気な表情で、切ない声を上げた。
私は、その行為を、念入りにやった。
そして、京子の尻の割れ目、を、指先で、すー、と、なぞった。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
京子は、必死で、尻の穴、を、すぼめた。
「京子さん」
「はい」
「お尻の穴、に、指を入れてもいいでしょうか?」
「はい。お願いします」
京子は、そう答えた。
私は、京子の、尻の穴、に、たっぷりと、ローションをつけた。
そして、尻の穴、に、中指を入れていった。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
指は、抵抗なく入った。
いったん、指が、入ってしまうと、尻の穴、は、京子の意志とは、関係なく、私の、指を、ギュッ、と、絞めつけた。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
京子の、マンコからは、白濁した愛液が、ドロドロと、出ていた。
私は、指を、京子の、マンコの、穴に、入れた。
そして、Gスポット、を、探り当て、刺激した。
私は、京子の、尻の穴、と、マンコ、の、二点を刺激した。
尻の穴、と、Gスポット、の二点を、刺激され、京子は、
「ああー」
と、悲鳴を上げた。
私は、尻の穴、に、指を入れたまま、京子の、マンコに入れた、指を、前後に動かした。
「ああー。イッチャいそう」
京子は、全身を、ブルブル、震わせながら、叫んだ。
「京子さん。この格好では、足が、疲れるでしょう。仰向けになりましょう」
私は、そう言って、京子の、尻の穴、と、マンコ、に、入れていた、指を、抜いた。
「はい」
私は、京子の、体を、仰向けにして、床に寝かせた。
そして、京子の、左横に座った。
「さあ。京子さん。脚を、M字に、大きく開いて下さい」
「はい」
京子は、カエルのように、脚を、大きく、開いた。
そして、さっきと、同じように、京子の、尻の穴、に、指を入れ、もう一方の手の指を、愛液が溢れている、京子の、マンコに入れた。
そして、尻の穴、に、指を入れたまま、京子の、マンコに入れた、指を、前後に動かした。
京子の、尻の穴、は、キュッ、と、私の指を絞めつけている。
マンコも、私の指を絞めつけた。
「ああー。イクー」
京子は、全身を、ブルブル、震わせながら、叫んだ。
京子は、オルガズムに達したようだ。
私は、京子の、尻の穴、と、マンコ、に、入れていた、指を抜いた。
京子は、しばし、快感の余韻に浸って、じっとしていた。
しばしして。
「浅野さん。有難うございました。とても、気持ちよかったでした」
と、京子が、言った。
「京子さん」
「はい。何でしょうか?」
「こうして、私が、京子さんの、SМフレンド、というか、性欲処理係り、をするのも、いいとも、思いますが、一度、普通の、デートをして頂けないでしょうか?」
「私も、それを、望んでいたんです」
と言って、京子は、ニコッ、と、笑った。
「じゃあ、いつ、どこへ、行きましょうか?」
彼女が聞いた。
「今週の日曜日、ディズニーランドに、行きませんか?僕、ディズニーランドに行ったことがないので・・・」
「じゃあ、そうしましょう」
こういう、成り行きで、私と彼女は、その週の土曜日、ディズニーランドに、行くことになった。
土曜日になった。
私と、彼女は、ディズニーランドに行った。
私は、ディズニーランドに行ったことは、なかった。
彼女も、高校生の時、女友達と、ディズニーランドに行ったことは、あったが、彼氏と、ディズニーランドに行ったことは、なかった。
薄いブラウスに、膝下までの、スカート、という、彼女の、姿は、爽やかで、美しかった。
彼女が言うのに、彼女は、今まで、「彼氏」、と呼べる、男と、長く付き合った、ことは、ないということだった。
彼女は、世の、スレッからされた男とは、どうしても、相性が合わなくて、つきあえず、つきあっても、長続きしなかった、ということだった。
私も、そうだった。
その日、私と彼女は、思うさま、楽しんだ。
「京子さん。僕は、こんなに、無心で、レジャーを、楽しめたことは、生まれて初めてです」
「私もです」
私は、女性と、一度で、いいから、世の中の、俗っぽい、楽しみ、を体験したい、と思っていたので、その日は、最高だった。
その日の帰り。
都内のレストランで、私と彼女は、豪華なフランス料理を食べた。
そして、私は、彼女を、見送るために、最寄りの駅まで、一緒に行った。
駅前には、ピアノが、置いてあった。
「京子さん」
「はい」
「京子さんは、ピアノを弾けますか?」
「え、ええ。子供の頃から、ピアノを習っていたので」
「今、何か、弾けますか?」
「え、ええ。でも、恥ずかしいわ」
「僕が、ついています。何か、弾いてみて下さい」
「わ、わかりました」
そう言って、彼女は、ピアノの前の、椅子に座った。
「じゃあ、何か、弾いてみて下さい」
「はい。じゃあ、サザンの、真夏の果実、を弾きます」
そう言って、彼女は、サザンの、真夏の果実、を弾き出した。
軽やかだが、哀調のある、しっとりとした、メロディーが、流れ出した。
通行人が、集まってきた。
弾き終わると、彼女は、「きゃっ。恥ずかしい」、と言って、すぐに、私の所に来た。
しかし、通行人は、パチパチと、拍手していた。
「京子さん。上手いですねー。もしかして、京子さん、は、絶対音感、というものを、持っていて、楽譜なしでも、メロディー、を、聞けば、何でも、弾ける、というタイプですか?」
「え、ええ」
「そうとは、知りませんでした。それは、素晴らしいですね。どうして、そんな、素晴らしい能力があるのに、それを発揮しないんですか?」
「だって、絶対音感を持っている人は、たくさん、いますし。音楽大学出の人は、私より、もっと、上手く弾きますし・・・。私でなければ、ならない必要はないでしょう?私は、家でピアノを弾いていますが、ピアノを弾いていると、心が落ち着くからです。ピアノは、個人的な趣味です」
と、彼女は、照れくさそうに言った。
「京子さん。僕は、ピアノの演奏は、言葉に出来ない、心の叫び、だと、思っています。ほんのちょっと、勇気を出して、もう少し、弾いてみて下さい。京子さん、が弾く、ピアノは、京子さんの、心、思い、の表現、そのもの、だと思います。きっと、共感してくれる人がいると思います」
私は、彼女に、そう催促した。
「わかりました。では、もう少し、弾いてみます」
そう言って、彼女は、ピアノの前の椅子に座った。
「では。ビートルズのメドレーを弾きます」
そう言って、彼女は、ビートルズのメドレー、を弾き出した。
彼女が、弾き終わると、みなが、パチパチパチパチ、と、拍手した。
彼女は、クラシック、から、J―POP、まで、楽譜を見ずに、何でも、知っている曲は弾けた。
私は、日曜になると、彼女を、都庁にあるピアノ、や、駅前、ファッションモール、など、色々な、所に連れて行って、ピアノを演奏させた。
彼女一人では、「こわい」、と、彼女が言うので、私が、ついて行った。
私は、スマートフォンで、彼女の演奏を、録画して、それを、You-Tube、に、アップした。
彼女の演奏の動画は、私の予想通り、受けた。
彼女の動画は、三カ月で、5000万回、以上、再生された。
彼女は、もう、自信を、持って、一人で、どこへでも、演奏に行くようになった。
また、色々な所から、彼女に、ピアノの、演奏の依頼が、来て、彼女は、もう、躊躇せず、どこへでも、行って、ピアノを演奏するようになった。
彼女は、ストリートピアニスト、として、Wikipedia に、名前が乗り、一躍、日本中の、アイドルとなった。
ある日。
私の所に、彼女から、メールが来た。
それには、こう書かれてあった。
「浅野さん。どうも有難うございました。私、みなに、愛されて、みんなから、褒めてくれる、コメントを、数えきれないほど、もらえるようになりました。私。幸せです。浅野さんとの、出会い、が、あったから、だと思っています。佐藤京子」
私は、もう、彼女に、被虐心が、起こって、それに悩まされることは、ないと、確信した。
私は、彼女の心から、マゾヒズムという、悪魔が、いなくなってくれたことを、心から祝福した。
令和2年3月5日(木)擱筆

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エコノミストの女神 (上)(小説)

2020-03-05 19:41:17 | 小説
「エコノミストの女神」
という小説を書きました。
ホームページ、浅野浩二のHPその2
に、アップしましたので、よろしかったらご覧ください。
(原稿用紙換算130枚)
エコノミストの女神
2006年(平成18年)初夏の、午後10時頃、京急本線の品川駅-京急蒲田駅間の下り快特電車内である。
植草一秀、は、「植草一秀を応援する会」の会合が終わって、紹興酒を飲んで、ほろ酔い気分だった。
「植草さん。なあに。気にする必要なんて、ありませんよ。男なんて、みんな、スケベですよ。それより、あなたほどの、経済分析能力は、日本を救えます。我々が、応援しますから、どうか、日本を良くして下さい」
と、植草一秀は、会長に言われた。
会長は、
「ささ。どうぞ。本場の紹興酒です」
そう言って、会長は、植草の前に、コップを、置き、紹興酒を注いだ。
「有難うございます。私も、そう言って下さる人がいると、本当に、救われる、思いです」
そう言って、植草は、紹興酒を、飲んだ。
「ささ。植草さん。カラオケです。どうぞ、好きな歌を歌って下さい」
そう言って、会長は、植草に、マイクを、渡した。
植草は、
「ありがとう。では、一つ、歌わせて、頂きます」
と言って、大好きな、広末涼子の、「マジで恋する5分前」、を、歌った。
そして、ほろ酔い加減で、帰途に着いた。
そして、タクシーで、京急線の駅に向かい、京急線に乗った。
植草は、電車の中で、(ああ。もう、オレは、完全に、再起できた)、と、上機嫌だった。
(名古屋商科大学の大学院の客員教授にも、なれたし。実力がある者は、世間が、ほっておかないな)
ふと、前を見ると、一人の女子高生、がいた。
女子高生、は、チラッ、と、植草の方に顔を向けた。
その顔は、植草の憧れの、広末涼子に、似ていた。
植草の心は、ドキン、と、ときめいた。
心臓が、ドキドキしてきた。
幸い、人は、前の駅で、降りてしまって、少ない。
植草の、持って生まれた、悪いクセ、が出た。
植草一秀は、そっと、手を伸ばして、女子校正の、スカートの上から尻を触った。
しかし、女子校正、は、何も言わない。
(しめた。この子は、「痴漢―」、と、叫ばないタイプの子だ)
植草一秀は、そう確信した。
植草一秀、は、女子高生の、スカートに、手を入れた。
そして、そっと、パンツの上から、女子校生の尻を触った。
弾力のある、柔らかい尻だった。
女子校生は、黙っている。
植草一秀、は、パンツフェチだった。
尻は、直接、そのものを、触るのも、いいが、パンツの上から、触るのも、いい。
大きな尻を、ピッチリ収めている、パンツの触り心地といったら、この世のものではない。
(ああ。いい気持ちだ。何て、可愛らしい尻なんだ)
植草一秀、は、紹興酒の酩酊と、ともに、女子高生、の、尻の、柔らかさ、に、酩酊していた。
女子高生、が、何も言わないので、植草一秀、は、だんだん、図に乗って、パンツの縁から、ちょっと、手を入れた。
しかし、女子高生は、何も言わない。
(こうやって、優しく、触ってやれば、愛は伝わるものだ)
植草一秀、は、女の体、を、優しく触ることは、女を、愛撫する行為だという信念を持っていた。
植草一秀、は、女子高生、の、柔らかい、弾力のある、尻を、直接、撫でて触った。
その時である。
女子高生が、植草一秀、の方、に、そっと、顔を向けた。
広末涼子に似た、その女子高生は、目を潤ませていた。
「植草さん」
女子高生は、小さな声で言った。
「なあに?広末涼子ちゃん」
植草一秀、は、優しく、女子高生に、話しかけた。
「私は、広末涼子では、ありません」
女子高生が言った。
「どうして?だって、君は、広末涼子ちゃん、じゃない?」
植草一秀、が、聞いた。
「植草さん。酔っているんですね」
女子高生が言った。
「ああ。紹興酒を、ちょっとね」
と、紹興酒を、あびるように、飲んだ、植草一秀、は、言った。
「植草さん。確かに、私は、広末涼子に、似ている、と、よく言われます。しかし、ちょっと、冷静になって、考えてみて下さい」
と、女子高生は、言った。
「何を?」
植草一秀、は、聞き返した。
「広末涼子は、1980年、つまり、昭和55年、生まれです。ですから、広末涼子さんは、今、26歳です。私は、高校三年の18歳です」
と、女子高生は、言った。
「ああ。そうか。そうだったね。確かに、彼女は、20代半中ばだ。じゃあ、広末涼子ちゃんには、いつまでも、女子高生でいたい、願望があって、こうして、いつも、女子高生の制服を着る、コスプレの趣味があるんだね」
と、植草一秀、は、言った。
「植草さん」
女子高生が言った。
「なあに?」
植草一秀、が、優しく、聞き返した。
「そうとう、酔っていますね」
女子高生が言った。
「いやあ。ちょっと、飲んだだけだよ」
植草一秀、は、紹興酒を、浴びるように、飲んだ後だったので、酩酊していたので、冷静に、物事を考える状態ではなかった。
「植草さん」
女子高生が言った。
「なあに?」
「どうして、私が、(痴漢―)、と、叫ばないか、わかりますか?」
女子高生が聞いた。
「それは、僕の愛撫が、気持ちいいからだろう?」
植草一秀、が、言った。
「いえ。違います」
女子高生は、キッパリと、言った。
「じゃあ。どうして」
植草一秀、が聞いた。
「それは、私が、植草一秀、先生、を、尊敬しているからです」
と、女子高生が言った。
「そうなの。それは、ありがとう」
そう言いながら、植草一秀、は、女子高生の、尻を触り続けた。
「でも、どうして、僕を尊敬してくれているの?」
植草一秀、が、聞いた。
「それは、植草一秀、先生、が、秀才だからです。東京大学に、楽々、合格しました。たいして、勉強していないのに」
と、女子高生が言った。
「いやあ。僕だって、大学受験の前は、必死に勉強したさ」
と、植草一秀、は、言った。
「私も、第一志望は、国立大学で、国立大学に、入りたい、と思っているんです。それで、塾にも、通っているんです。でも、どんなに、頑張っても、数学、や、物理学、は、難しくて、わからないんです。経済学も、難しくて、よく、わからないんです。ですから、国立大学は、無理だと、あきらめているんです。私には、三流私立大学に入れるか、どうか、の、学力しかないんです」
と、女子高生が言った。
「ふーん。そうなの」
と、植草一秀、は、言った。
「それで、涼子ちゃんは、将来、何になりたいの?」
と、植草一秀、は、聞いた。
植草一秀、は、浴びるように、飲んだ紹興酒の酩酊のため、目の前の少女、が、広末涼子、なのか、大学受験を、ひかえた、女子高生、なのか、の、区別が、つかなくなっていた。
「将来は、人の役に立つ、仕事に就きたいと、思っています」
と、女子高生、は、言った。
「ふーん。立派だね」
と、女子高生が言った。
「私は、毎日、ニュースを見ています。(朝まで生テレビ)、や、(ワールドビジネスサテライト)、でも、植草一秀、先生の、経済理論は、見ていましたが、難しくて、よく、わからないんです。でも、日本を良くしようと、考えていることは、何となく、わかるんです」
と、女子高生が言った。
「ああ。竹中平蔵。あいつが、日本の、ガンだ。それと。ハゲタカ(外国資本)、ハイエナ(国内資本家)、シロアリ(財務官僚)、も、退治しなくては、日本は、良くならないんだ」
と、植草一秀、は、強気の口調で言った。
「植草一秀、先生は、そのように、純粋に、日本を良くしようという、志をもって、おられます。ですから、2004年(平成16年)、の、手鏡事件から、ようやく、ほとぼりがさめて、せっかく、名古屋商科大学からも、お呼びが、かかって、名古屋商科大学の、大学院の客員教授にも、なれた、植草一秀先生の、地位を、私なんかのために、失わせたくないんです。植草一秀先生、には、頑張って、日本で一番の、エコノミストとして、活躍して欲しいんです。ですから、私は、痴漢さても、黙っているんです」
と、女子高生が言った。
「ふーん。涼子ちゃんは、立派だね」
と、植草一秀、は、言った。
「私は、植草一秀、先生を、尊敬しているので、触られても、黙っていますが、他の、女子高生、は、触られたら、(痴漢―)、と、叫びますよ。ですから、これから、電車に乗る時は、お酒は、ほどほど、に、して下さいね」
と、女子高生が言った。
「うん。忠告、ありがとう。これからは、酒は、ほどほどにするよ。涼子ちゃん、って、本当に、人思いなんだね」
と、植草一秀、は、言った。
その時である。
近くに、座っていた、男が、立ち上がって、植草一秀、に、近づいてきた。
そして、植草一秀、に、向かって、
「あんた。痴漢は、やめなさいよ。男として最低だよ。人間として、卑劣だよ」
と、言った。
植草一秀、は、咄嗟に、酔いが覚めて、サッ、と、スカートの中から、手を引いた。
男は、今度は、女子高生、に目を向けた。
「あなたは、痴漢されているのに、どうして、(痴漢―)、と、叫ばないんですか?」
と、聞いた。
女子高生、は、男を見て、
「私は、痴漢なんか、されていません」
と、キッパリ、と、言った。
「そうかなー。私は、この目で、ちゃんと、見たよ。あなた。この男が、怖くて、言えないんじゃないの?」
と、男が言った。
「あなたは、いつから、私、と、この人、とを、見ていましたか?」
女子高生、が、男に聞いた。
「最初から、見ていたよ」
男が言った。
「これは、痴漢プレイです。この人とは、少し歳が離れていますが、私の、恋人です。彼は、こういう、痴漢プレイ、が、好きなんです」
と、女子高生、は、男に、言った。
「彼、が、私、を、触っている間、私と彼は、話していたのを、あなたは、見たでしょう。痴漢されて、嫌がっている、女が、痴漢している男と、長々と、話したりしますか?」
と、女子高生、は、言った。
男は、一瞬、迷っていたが、
「そうですか。それなら、構いませんが・・・。しかし、人に、誤解を与えますからね。そういう事は、あまり、やらない方がいいですよ」
と、男が、女子高生、に、言った。
「ええ。それは、わかっています。ですから、半年に一回、程度、電車が、混んでいない、時に、制限して、やっているのです」
女子高生、は、言った。
「そうですか。わかりました」
そう言って、男は、去って行った。
植草一秀、は、一気に、酒の酔いが覚めた。
そして、現実を、認識した。
植草一秀の顔は、真っ青になった。
「君。すまないことをした。許してくれ」
と、植草一秀、は、謝った。
「いえ。いいんです。これからは、電車に乗る時は、お酒は飲み過ぎない方がいいですよ」
と、女子高生、は、言った。
しかし、植草一秀は、不安だった。
二度、痴漢冤罪を犯したら、もう、世間から、見放されるだろう。
それで、植草一秀は、少女が、降りようとした蒲田駅で、一緒に降りた。
「君。ちょっと、話してもらえないかね?」
植草一秀が言った。
植草一秀は、もう、酒の酔いが、すっかり、覚めていた。
「はい。いいですよ」
と、少女は、淡々と言った。
植草一秀と、女子高生は、駅のプラットホームの、待合室に、入った。
そして、椅子に座った。
「君。本当に、すまないことをした。悪かった。許してくれ」
植草一秀は、ペコペコ、頭を下げて、謝った。
「いえ。いいんです。私。気にしてませんから」
「このことは、どうか、誰にも言わないでくれないかね?」
少しばかりだが・・・と言って、植草一秀は、財布から、1万円を出した。
そして、それを、少女に渡そうとした。
「いえ。いいんです」
と、少女は、断った。
「でも。それでは、僕の気がすまない」
植草一秀は、食らいついた。
「では。植草一秀先生」
と少女が言った。
「なあに?」
「私とデートしてもらえないでしょうか?」
少女の意外な、申し出に、植草一秀は、驚いた。
「それは、かまわないけれど。どうして、そんなことを言うの?」
「私。植草先生のファンなんです」
と、少女は、言った。
植草一秀は、首を傾げた。
芸能人とか、俳優、とか、を、ファン、というのなら、わかるが、自分は、経済学者である。
しかし、ともかく、少女が、そういう条件を出して来たのだから、それに従うしかない。
「それでは。いつ、どこで、デートするんでしょうか?」
植草一秀は、聞いた。
「そうですね・・・・今週の土曜日の正午に、ここの蒲田駅の待合室で、会う、というのは、どうでしょうか?」
少女が言った。
「わかった。今週の土曜日の正午に、ここで、だね。必ず来るよ」
植草一秀は、言った。
「うわー。嬉しいわ」
と、少女は、喜んだ。
「では。私。今週の土曜日の正午に、ここで、待っていますので、よろしかったら、来て下さい」
「ああ。必ず、行くよ」
「では。さようなら」
そう言って、少女は、立ち上がって、笑顔で、手を振って、改札を出ていった。
植草一秀は、キツネにつつまれれた、ような、感覚だった。
しかし、ともかく、一大事にならなくて、ほっとした。
電車が、やって来たので、植草一秀は、乗った。
・・・・・・・・・・
家に着いた植草一秀は、ほっとして、すぐに、布団に入った。
植草一秀の、妻と息子は、植草一秀の、2004年の、事件以来、別居していて、植草一秀は、一人暮らしだった。
一時、抜けきったと思った紹興酒の酔いが、また、戻ってきて、植草一秀は、グーガー、と、深い眠りについた。
・・・・・・・・・・
翌日になった。
植草一秀は、昼頃、目を覚ました。
「昨日のことは、あれは、夢だったのだろうか?それとも、本当だったのだろうか?」
と、大きな欠伸をしながら、植草一秀は、考えた。
(飲み過ぎて、悪酔いしていたから、あれは、夢だったのかもしれない)
と、植草一秀は、思った。
しかし、どうも、「夢」、と、ばかりも、断定しきれない気持ちだった。
植草一秀は、2004年の手鏡事件で、早稲田大学大学院の教授の職も、テレビコメンテーターの仕事も、すべてを失ってしまったが、ようやく、ほとぼりが冷め、今は、名古屋大学から、お呼びが、かかって、名古屋商科大学大学院客員教授の身分だった。
明日から、名古屋商科大学での、授業がある。
なので、植草一秀は、家を出て、東京駅に行き、東海道新幹線に乗って、名古屋に向かった。
そして、三日ほど、大学院の生徒たちに、講義をして、三日目の夕方、新幹線で、東京にもどってきた。
・・・・・・・・・
夢か現実か、わからない、少女との約束の土曜日になった。
植草一秀は、おそるおそる、家を出て、品川駅から、京急線の下りに乗った。
そして、「京急蒲田駅」、で、降りた。
乗り降りしたことの無い、駅だった。
蒲田駅のプラットホームには、待合室が会った。
時刻は、11時50分だった。
植草一秀は、早く、正午にならないかと、待った。
待つ時間というものは、すごく、長く感じられた。
正午になった。
植草一秀は、30分、待って、12時30分に、なったら、帰ろう、と思った。
植草一秀は、イライラしながら、腕時計を見た。
時計は、ちょうど、正午を指していた。
トントン。
「植草さん」
植草一秀は、肩を叩かれた。
パッ、と、振り返ると、何と、びっくりしたことに、広末涼子に、似た、月曜日の夜に見た、少女が、笑顔で立っていた。
「植草さん。来てくれたんですね。嬉しいです」
と、少女は、ニコッと、笑った。
植草一秀は、心臓が止まるかと、思うほど、びっくりした。
(あれは、夢、ではなかったんだ)
と、植草一秀は、実感した。
「や、やあ。久しぶり」
植草一秀は、へどもどと、挨拶した。
「植草さん。私のことを、夢、かもしれない、と、思っていたんでしょう?」
少女は、ニコッと笑って言った。
「ああ。実を言うと、そうなんだ。あの時は、深酔いしててね。でも、現実だったんだね」
「あの時の、約束、覚えていますか?」
「ああ。覚えているよ。君と、デートするんだよね。君のような、かわいい女子高生と、デート出来るなんて、僕も嬉しいよ」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
「じゃあ、デートしよう。どこに行く?ディズニーランド?それとも、後楽園?原宿?」
と、植草一秀は、聞いた。
「あ、あの。植草さん。よろしかったら、私の家に来て頂けないでしょうか?」
少女は、突飛な事を言った。
「で、でも・・・・」
「大丈夫です。私は、父子家庭ですし、父は、大阪支社に、一カ月、出向していますので、家は、私一人です」
「わかった。じゃあ、君の家に行くよ」
「ありがとうございます」
「ところで、君の名前は?」
「佐藤京子と言います」
そうして、改札を出て、二人は、タクシーをひろって、京子の家に行った。
二階建て、の、建て売り住宅だった。
「どうぞ。お入り下さい」
「では。お邪魔します」
かなり、大きな、間取りで、ゆったりとした居間も、食卓も、あった。
一人で、暮らすには、大き過ぎるな、と、植草一秀は、思った。
「植草さん。昼ご飯は、もう食べましたか?」
「いや。まだ、食べていないよ」
「そうですか。それは、よかった」
何が、よかった、のか、植草一秀には、わからなかった。
「植草さん。私が、お昼ご飯を、作りますから、食べて頂けないでしょうか?」
「ああ。それは、嬉しいね」
「では。腕に寄りをかけて、作りますので、少し、待っていて下さい」
台所で、ジュージュー音がした。
「さあ。出来ました。植草さん。食卓について下さい」
言われて、植草は、食卓についた。
京子は、ハンバーグと、ポテトサラダ、と、みそ汁、を、食卓に乗せた。
「うわ。美味しそうだね」
「では、どうぞ、召し上がって下さい」
「いただきます」
と言って、二人は、京子の作った、ハンバーグご飯、を食べた。
「いやー。美味しい。美味しい」
と、言いながら、植草一秀は、ご飯を食べた。
植草一秀は、小食だったが、京子の作った、料理なので、腹一杯、食べた。
「ところで、佐藤京子さん」
「はい。何ですか?」
「どうして、僕のような、エコノミストを、好きなの?」
植草一秀が、聞いた。
「では、これから、その理由を説明します」
そう言って、京子は、アルバムを、持ってきた。
「これは、三年前に死んだ母のアルバムです」
そう言って、京子は、植草に、アルバムを渡した。
植草一秀は、それを、開いた。
植草一秀は、アルバムを見て、思わず、「あっ」、と、叫んだ。
なぜなら、アルバムには、東大生だった頃の、自分と、きれいな、若い女性が、一緒になって、写っている写真が、たくさん、あったからである。
植草一秀は、その女性を、知っていた。
東京大学には、1974年に、前川喜平、泉、山森、の、三人によって、作られた、アルディック、というテニスサークル、があるのである。
もちろん、テニスが好きで、テニスを楽しむために、作られたサークルではない。
日本女子大学。お茶の水女子大学。聖心女子大学、などの、女子大学の生徒を、勧誘して、合コン、をするために、つくられたインカレサークルである。
植草一秀も、友人に誘われて、そのサークルに参加したのである。
学生時代、そして、大学に入っても、勉強一筋の、植草一秀だったが、ある時、友達、3人が、(おい。植草。お前も勉強ばかりしていないで、合コンに、行ってみないか?)、と、誘ったのである。
植草一秀は、興味本位で、友達と、合コンに、行ってみた。
相手の女性は、聖心女子大学の、女子大生、3人だった。
東大生3人と、聖心女子大学の、生徒3人、が、お互いに、喫茶店に入って、話しているうちに、植草一秀は、山崎夏子、という女性を、気が合ってしまった。
そして、付き合うようになった。
二人で、ボーリングに行ったり、映画を観たりと。
頭のいい、植草一秀は、夏子に、勉強を教えてやったり、優しく接した。
(将来は、夏子と結婚・・・)
ということまで、本気で考えた。
しかし、植草一秀は、東大経済学部を卒業して、野村総合研究所に入社し、経済調査部を担当するように、なると、仕事が忙しくなって、夏子と、会えなくなってきた。
一方の、夏子も、聖心女子大学を卒業すると、××物産に就職したが、一年後、夏子の父親の命令で、××物産の、エリート社員、佐藤隆司と、見合い結婚させられて、結婚してしまったのである。
それ以来、二人は、会うことが、無くなった。
「植草さん。その写真、の女性に、見覚えが、ありますか?」
「ああ。あるとも。大学時代、付き合っていた、山崎夏子さんだ」
「そうですよ」
と、京子は、ニコッと、笑って、言った。
「じゃあ、もしかして君は、夏子さんの、娘さん、なんだね?」
「ええ。そうです」
「そうか。これで、やっと、納得できたよ」
と、植草一秀は、は、ほっと、胸を撫でおろした。
「母は、三年前に、交通事故で死んでしまいました」
「ええー。そうだったの。知らなかった」
「植草さん。母は、よく、植草さんの、ことを、よく、話してくれましたよ。本当は、植草一秀さんと、結婚したかったけれど、会社での、玉の輿の、ため、仕方なく、父と、結婚した、と、言っていましたよ」
「そうだったのか。僕が、もう少し、早く、プロポーズしていれば、夏子さんと、結婚できたのに・・・」
と、植草一秀は、残念そうに、言った。
「植草さん。近くに、テニススクールがあります。コートを借りて、一緒に、テニス、やりませんか?」
京子が提案した。
「ああ。いいけれど・・・僕は、ラケット、持ってないし・・・」
「大丈夫ですよ。テニススクールには、貸しラケットが、あって、タダで貸してくれますから・・・」
「ふーん。そうなんだ」
「じゃあ、行きましょう」
こうして、二人は、近くの、テニススクールに行った。
「植草さん。テニスを、やったことは、ありますか?」
「夏子さんと、アルディックという、東大のテニスサークルで、数回、彼女と、やったことがあるよ」
「じゃあ、やりましょう」
そうして、二人は、ラリーを始めた。
植草一秀は、運動が、苦手だったので、あまり、上手く出来なかった。
しかし、多少なりとも、テニスをやったことがあったので、初心者レベルでは、あったが、多少は、出来た。
「植草さーん」
京子が、ネットに近づいてきた。
植草一秀も、ネットに、寄って来た。
「なあに?京子ちゃん」
「試合をしませんか?」
「いいけど・・・・」
「では。フィッチ」
と、言って、京子は、ラケットヘッドを、コートにつけた。
「スムース」
と、植草一秀が言った。
京子は、ラケットを、クルクルクルッ、と、回した。
ラケットは、クルクルクルッ、と、回って、パタリと、コートの上に、乗った。
ラケット面を見ると、「ラフ」、だった。
「ラフですね。では、サービス、か、レシーブ、かは、私が決める権利がありますよ」
「ああ。そのくらいのルールは、知っているよ」
「じゃあ、私から、サービスしても、いいですか?」
「ああ。いいとも」
「では、ベースラインに下がって下さい」
「ああ」
言われて、植草一秀は、ベースラインに下がった。
京子もベースラインに下がった。
「じゃあ、いきますよー」
そう言って、京子は、ボールを、宙高く、トスアップした。
そして、頭の上の、ボールを、サーブした。
ボールは、かなり、速く、センターギリギリに入った。
植草一秀は、あわてて、ボールをとりに、走った。
しかし、そうとう速い球だったので、植草一秀は、返せなかった。
京子の、サービスエースである。
「15―0」
と、京子は、言った。
位置を、変えて、二度目のサービスを、京子は、打った。
これも、植草一秀は、とれなかった。
「30―0」
と、京子は、言った。
また、位置を、変えて、三度目のサービスを、京子は、打った。
これも、植草一秀は、とれなかった。
「40―0」
と、京子は、言った。
マッチポイントとなった。
また、位置を、変えて、四度目のサービスを、京子は、打った。
これも、植草一秀は、とれなかった。
京子の、ストレート勝ち、だった。
「京子ちゃん。上手いね」
「いえ。それほどでも・・・・」
と、言いつつも、京子は、高校の、テニス部員で、都大会では、優勝したことも、あるほどの実力だった。
サービスが、変わって、植草一秀の、サービスの番となった。
「じゃあ、今度は、植草さんの、サービスの番ですよ」
京子が言った。
「うん」
植草一秀は、たどたどしい動作で、ボールを、トスアップして、サービスした。
しかし、植草一秀は、初心者だったので、ネットしたり、オーバーしたりと、ボールを相手のサービスコートに入れることが出来ず、全部、ダブルフォルトの連続で、ラブゲームで、負けた。
「京子ちゃん。ちょっと、休憩させて」
植草一秀が言った。
「ええ」
二人は、ベンチに並んで、座った。
「はい。植草さん」
と、言って、京子は、植草に、ポカリスエットを、渡した。
植草一秀は、ポカリスエット、を、ゴクゴク飲んだ。
「いやー。京子ちゃん。上手いね。とても、かなわないよ」
「いえ。それほどでも・・・」
と、言って、京子も、ポカリスエット、を飲んだ。
「ふふふ。植草さん。私。私、勉強は、全科目、植草さんに、全然、かなわなくて、植草さんより、あらゆる点で、下の人間だと、劣等感を持っていましたけれど、テニスは、私の方が、上ですね。何だか、劣等感が、少し、解消されて、嬉しくなってきました」
と、京子は、悪戯っぽく笑った。
「では、続きをしましょう」
「よし。やろう」
そう言って、二人は、また、コートに入った。
京子は、今度は、全力サーブではなく、遅い山なりの、サーブを打って、手加減してやった。
植草一秀は、何とか、かろうじて、それを、返すことが出来た。
しかし、植草一秀は、日頃、運動は、全然していないので、ボールを追いかけつづけて、ヘトヘトに疲れた。
なので、京子は、全力のストロークではなく、山なりの、ゆるい球を、植草一秀の、打ちやすい、フォア側に、手加減して、打ってあげた。
なので、植草一秀も、何とか、球を返すことが出来た。
京子の手加減によって、「30―40」、までにしてやった。
しかし、マッチポイントからは、強烈スマッシュ、や、ドロップショット、で、勝ち、までは、譲らなかった。
今度は、植草一秀が、サービスの番となった。
「植草さん」
京子が、声をかけた。
「植草さん、が、サービスすると、全部、ダブルフォルトになってしまいます。なので、私が、全部、サービス、で、試合をしても、いいでしょうか?」
京子が聞いた。
「ああ。僕としても、そうしてもらえると、助かるよ」
植草一秀が、言った。
それで、その後は、全部、京子が、サービス、をする、試合をした。
京子は、全力サーブではなく、植草一秀が、とりやすいように、山なりの、サーブを、打ちやすい、フォア側に打ったので、植草一秀も、何とか、レシーブで、ボールを、返すことが出来た。
ストロークでも、京子は、手加減してやって、「40―30」、まで、つなげてやった。
しかし、マッチポイントでは、勝利までは、譲らず、スマッシュ、や、ドロップショット、で、決めた。
テニスを、始めて、1時間、経っていた。
植草一秀は、日頃、運動は、全然していないので、ボールを追いかけつづけて、ヘトヘトに疲れていた。
「植草さん。そろそろ、終わりにしましょう。疲れたでしょう?」
京子が言った。
「ああ。日頃、運動なんて、全然、していないからね。ヘトヘトに疲れたよ」
と、植草一秀は、言った。
「では、家にもどりましょう」
そう言って、二人は、京子の家にもどった。
「しかし、京子ちゃん。テニス、上手いねー。驚いたよ。テニス部に入っているの?」
「ええ。一応。テニス部に入っています。でも、特別、上手いわけでは、ないですよ。テニス部の、部員の、普通のレベルですよ」
と、京子は、女子シングルスで、高校の、都大会でも、優勝したことも、あるほどの実力でありながら、普通、を、装った。
「ふふふ。植草さん。私。勉強は、全科目、植草さんに、全然、かなわなくて、植草さんより、あらゆる点で、下の人間だと、劣等感を持っていましたけれど、テニスは、私の方が、上ですね。何だか、劣等感が、少し、解消されて、嬉しくなってきました」
と、京子は、悪戯っぽく笑った。
「植草さん。私、今日、植草さんが、来るので、お菓子を、作っておきました。よろしかったら、召し上がって下さい」
そう言って、京子は、フォンダンショコラ、と、シュークリーム、を、持ってきた。
そして、紅茶も。
植草一秀は、フォンダンショコラ、と、シュークリーム、を、見て、目を白黒させた。
「ええー。これ。君が作ったのー?」
菓子は、あまりにも、市販の、それと、見分けがつかないほど、だったので、植草一秀は、びっくりした。
「ええ。私。お菓子、作るの、趣味なんで・・・」
植草一秀は、フォンダンショコラ、を、とって、食べた。
「美味い。これは、プロ級だ」
と、植草一秀は、言った。
「ふふふ。そう言って、もらえると、嬉しいです。私。勉強は、苦手だけど、お菓子を作るのは、得意なんです」
と、京子は、言った。
「たくさん、作りましたので、うんと、召し上がって下さい」
植草一秀は、そう言われて、京子の作った、フォンダンショコラ、と、シュークリーム、を、全部、食べた。
「植草さん」
「何?京子ちゃん」
「考えてみれば・・・当然のことですが・・・私は、植草さんに、痴漢されたんですよねー」
と、京子は、思わせぶりな口調で、言った。
植草一秀は、咄嗟に、その事実を思い出して、焦った。
「す、すまない。酒に酔っていたとはいえ、弁解の余地が無い。申し訳なかった」
「ふふふ。私が、警察に、訴えれば、今からでも、警察は、植草さんを、逮捕しますよ。あの時、(痴漢はやめなさい)、と言った、目撃者も、証人として、名乗り出るでしょう。日本の、痴漢の有罪率は、99.9%です。今からでも、警察に、訴えようかなー」
と、京子は、虚空を見て、独り言のように、言った。
それは、勝者の優越感に浸っているような、感じだった。
「京子さん。すまない。どうか、訴えないで下さい。何卒、穏便にはからって頂けないでしょうか?」
「じゃあ、私の、お願い、聞いてくれますか?」
「はい。何でも」
「じゃあ、私の家庭教師になって下さい。植草さんの時間のある時で、いいです。そうすれば、痴漢されたことは、保留にしておきます」
「ああ。ありがとう。それぐらいなら、お安い御用だ。むしろ、嬉しいくらいだ。夏子さんの娘さんの家庭教師になれるなんて・・・」
こうして、植草一秀は、佐藤京子の、家庭教師になることになった。
植草一秀は、週に2回、佐藤京子、に、英、数、国、理、社、全科目を教えた。
「2」
ある日のことである。
京子は、学校が終わって、電車に乗って、帰宅の途に着いた時のだった。
電車が、蒲田駅に着いて、京子が、降りて、改札を出ると、京子は、後ろから、ポンと、肩を叩かれた。
振り返って見ると、一人のスーツを着た、男が、立っていた。
見知らぬ男だった。
「君。突然、すまないが、少し、君に話したいことが、あるんだ。少し、話してくれないかね?」
京子は、この、唐突な申し出に、キョトンとした。
しかし、相手の男は、礼儀正しそうである。
「ええ。いいですけれど・・・」
「それは、ありがたい。ちょっと、立ち話も、何だから、喫茶店にでも入って、話さないかね?」
「ええ。いいですけれど・・・」
すぐ、近くには、よく行く喫茶店、ドトールコーヒー、が、あった。
「では、そこに、入って、少し、話してもいいかね?」
「ええ。いいですけれど・・・」
こうして、二人は、ドトールコーヒー、に、入った。
「君。日向女子高等学院の生徒だね。制服から、わかるよ」
男が言った。
「ええ。そうですけど・・・」
「で、家は、蒲田なのだから、君は、学校にぱ、京急線で、通学しているんだね?」
「ええ。そうですけど・・・」
「ところで、君は、植草一秀という男を知っているかね?経済学者だ」
「ええ。知っています。2年前の、2004年(平成16年)に、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとして現行犯逮捕されましたよね。ニュースで、大きく報道されましたから、知っています」
「そうか。植草一秀の家は、品川駅で、京急線に、よく乗るから、君は、朝、か、夕方に、植草一秀と、一緒の電車に、乗り合わせることは、ないかね?」
「ええ。ありますよ。私。植草一秀さんの、顔、知っていますから。何度か、同じ車両に乗ったことが、ありますよ。あっ。植草一秀さんだって」
「そうか。ところで、君は、植草一秀について、どう思う?」
「どう思う、って、どういうことですか?」
「彼は、エコノミストとして、そして、コメンテーターとして、偉そうに、世間の不正、を、批難しているクセに、女子高生のスカートの中を手鏡で覗くなんて、最低なヤツだと思わないかね?」
「でも、植草さんは、無実を主張していますし、品川駅のエスカレーターには、防犯カメラ、があって、植草さん、は、防犯カメラ、を、再現して欲しい、そうすれば、真実がわかるから、と、主張しているのに、検察は、それを、使っていません。これは、どう考えても、おかしい、と思います」
「それは、防犯カメラ、が、故障していたからさ」
「そうなんですか?」
「ああ。そうだとも」
「ところで、私に、話したいことが、あると言って、いましたけれど、それは、何ですか?」
「植草一秀は、日本のガンだ。あいつを、徹底的に懲らしめなければならない。そこでだ。植草一秀は、9月13日の、品川午後10時発の、京急本線の下りの快特電車に乗る。あいつは、いつも、最前の車両に乗る。そこで、君に、品川午後10時発の、京急本線の下りの電車に乗って、欲しいんだ。あいつは、その日、酒に酔っている。そこで、あいつの近くに、行って、(痴漢―)、と、叫んで欲しいんだ。それだけでいい。頼み、というのは、それだけだ」
「・・・・」
京子は、黙って聞いていた。
「君も、お小遣い、が、少なくて困っているだろう。これは、少ないけれど、謝礼だ。100万円、入っている。どうか、受け取ってくれ」
と、男は、封筒を差し出した。
京子は、しばし、黙っていた。
が、
「わかりました。そうします」
と、京子は、言った。
「そうか。ありがとう。では、くれぐれも、よろしく頼むよ」
そう言って、男は、ドトールコーヒー、を、出ていった。
・・・・・・・・・・
京子は、あの男は、きっと、植草さんを、おとしめたい人だと、思った。
9月13日のことである。
その日、その日、植草一秀は、「植草一秀を応援する会」、に呼ばれた。
植草一秀は、決して、酒は飲むまいと、決意していた。
しかし、「植草一秀を応援する会」、の会長に、さかんに、紹興酒を勧められたので、一杯だけなら、と、植草一秀は、紹興酒を飲んだ。
植草一秀は、無類の酒好きなので、
「それでは・・・一杯だけ」
と言って、一杯、飲んだ。
植草一秀は、家でも、京子の忠告から、禁酒していたので、久しぶりに飲む酒は、この上なく、美味かった。
植草一秀は、つい、もう、一杯、もう一杯、と、植草一秀は、紹興酒を飲んでしまった。
「植草一秀を応援する会」、が、終わりになる頃には、植草一秀は、紹興酒を、20杯、ほど、飲んで、ぐでんぐでん、に、酔っぱらっていた。
そして、帰りの、京急線に乗った。
・・・・・・・・・・・・・
京子は、品川、午後10時発の、下りの、京急線に乗った。
そして、植草一秀を、探し出そうと、走っている電車の中を、走り回って、各車両を点検した。
そして、べろんべろんに、酔って、座っている植草一秀を見つけた。
京子は、何が起こるのかは、わからないが、「きっとこれは何かある」、と、思っていたので、その場に居合わせることで、証人になれる、と思っていたのである。
車両は、ギューギュー詰めでは、なく、座席は、全部、人が座っていて、立っている人が、数人いる程度だった。
植草一秀は、座席に、座って、グーグー、いびきをかきながら、寝ていた。
出来たら、京子は、植草一秀の隣に、座りたかったのだが、植草一秀の隣には、すでに、女子高生が座っていた。
京子は、その、女子高生を、見て、驚いた。
「あっ」、と、驚きの声を出した。
制服から、彼女は、京花女子高等学校の生徒だと、わかった。
京子の、日向女子高等学校、と、京花女子高等、は、距離的にも近い。
スポーツ部、の部活で、日向女子高等学校、と、京花女子高等、は、対抗試合、や、練習試合、を、することが、しょっちゅう、あった。
京子は、その女生徒も知っていた。
3年の、バレーボール部、の、キャプテンの、大森順子である。
彼女は、強烈な、スパイクが、得意で、彼女に、スパイクされると、まず、とることは、出来ず、決まってしまった。
京子は、彼女と、話したことは、無かったが、バレーボール部の、対抗試合の時は、必ず、観戦したいたので、大森順子を知っていた。
京子は、順子に、気づかれないように、植草一秀と、向かいの席に座った。
電車が、京急蒲田駅に、近づいた時である。
植草一秀の隣に、座っていた順子が、
「痴漢―」
と、大声で叫んだ。
植草一秀は、あまりの大声に、パッ、と、目覚めた。
そして、辺りを、キョロキョロ、見まわした。
すると、右隣に座っていた女子高生が、皆に、
「この人、痴漢です。さっきから、ずっと、私の、お尻、や、胸を、触り続けていたんです」
と、隣の植草一秀の手を、つかんで言った。
植草一秀は、紹興酒の酔いのために、何が起こったのか、さっぱり、わからなかった。
植草一秀の前にいた、男二人が、
「あっ。お前は、植草一秀じゃないか」
「2年前にも、女子高生のスカートの中を手鏡で、覗いて逮捕されたのに。お前の、性懲りもない、痴漢の性癖は、治らないんだな」
と、言って、植草一秀の、腕を、ガッシリと、つかんだ。
京急線が、蒲田駅に着いた。
「植草一秀。出ろ」
植草一秀は、蒲田駅で、二人の男に、引きずり出されるようにして、降ろされた。
そして、駅事務室に連れて行かれた。
「駅長。こいつは、痴漢です。引き渡します」
「こいつは、植草一秀です。2年前にも、女子高生のスカートの中を覗き見した、ことは、覚えているでしょう」
と、二人の男は言った。
そう言って、二人の男は、植草一秀を駅長に引き渡した。
「御協力、ありがとうございます。あとは、警察に連絡して、引き渡しますので、おまかせください」
と、駅長は言った。
「植草一秀。すぐに、警察に電話するからな。お前の顔は、みんなに、知れ渡っているから、逃げても無駄だぞ。じっとしていろ」
そう言って、駅長は、すぐに、警察署に電話した。
植草一秀は、ここに至って、ようやく、まだ酔いながも、自分が置かれている状況を察した。
(どうやら。オレは、寝ている間に、隣に座っていた、女子高生に、触った、痴漢に、されてしまったらしい)
植草一秀の頭に、2年前の、「手鏡、スカート覗き事件」、の悪夢が、思い出された。
(オレは、これから、警察に連れて行かれるだろう)
警察、の、取り調べで、いくら、無実を、訴えても、無駄だ。
日本の司法は、狂っている。
マスコミも、喜んで、大々的に、また、報道するだろう。
マスコミにつるし上げられるのは、もう、まっぴらだ。
(もう、こうなったら、死ぬしかない)
植草一秀は、そう、酔った頭で、ぼんやりと思った。
植草一秀は、駅長が、植草一秀に背を向けて、警察と、電話している、隙に、ネクタイを、外した。
そうして、ネクタイを首に巻いて、急いで、首を吊ろうとした。
その時である。
「ダメ。植草さん。死んじゃだめ」
そう言って、一人の少女が、植草一秀の体に、しがみついてきた。
京子だった。
「植草さん。はやまったことは、しないで。お願い。私は、植草さんの、正面の席で、ずっと、植草さんを見ていました。私が、証人になります。ですから、お願いですから、はやまったことは、しないで下さい」
京子は、必死に訴えた。
植草一秀は、京子の、涙がかった澄んだ瞳を見た。
植草一秀の心が動いた。
「わかった。京子ちゃん。ありがとう。あやうく、はやまった事をする所だった」
そう言って、植草一秀は、首吊り、を、やめた。
やがて、警視庁から、パトカーが、やって来た。
そして、二人の警察官が、駅長に、
「どうもご苦労様でした」
と、お礼を言った。
そして、植草一秀を見て、
「また。お前か。懲りないヤツだ。植草一秀。お前を逮捕する。警察署へ来い」
と、言った。
植草一秀は、黙って頷いた。
そして、二人の警察官と、共に、パトカーに乗り込んだ。
そして、警視庁に連行された。
連日のように、「犯行を認めろ」、の、一点張り、自白の強要の取り調べ、が、行われた。
しかし、植草一秀、は、否認を貫き通した。
それは、2004年の、「手鏡、スカート覗き事件」、の、決して、取り調べに、屈してはならない、との教訓から、と、事件を、一部始終、目撃していた、京子が証人になって、くれる、という、京子に対する、期待からだった。

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エコノミストの女神 (下)(小説)

2020-03-05 19:35:10 | 小説
「3」
翌日の朝、京子は、京花女子高等学校の正門の前で、生徒が、来るのを待っていた。
ちらほら、と、生徒が、やって来だした。
しばしして、京子は、大森順子、の姿を見つけた。
京子は、大森順子に、近づいた。
「おはようございます。大森順子さん」
と、京子は、頭を下げて、挨拶した。
「あなたは誰?制服から、日向女子高等学校の生徒だとは、わかるけど、あなたは、初めて見るわ」
「あ、あの。順子さん。ちょっと、お話していただけないでしょうか?放課後でも、構いません」
「何の話?」
「順子さん。私、昨日、植草一秀さんと、同じ車両にいました。そして、順子さんに、気づかないよう、私、植草さん、と、あなた、のことを、ずっと、見ていました。植草さんは、順子さんに、触ってなんか、いないじゃないですか。どうして、植草さんのことを、(痴漢―)、なんて、叫んだんですか?」
「あら。なんだ。そんなこと、だったの。私は、本当に、痴漢されたんだもの。だから、(痴漢―)、って、叫んだだけよ。そんな話なら、したくないわ。不愉快だわ・・・」
そう言って、順子は校内に入っていった。
順子に、とりあおうという気は、全く無かった。
京子は、順子が、植草一秀を、痴漢に仕立て上げようと、している、と、確信していたので、その決定的な、証拠をとるために、何とかしようと思った。
京子は、同じクラスの、親しい、正義感の強い、桂子に、昼休み、会いに行った。
桂子は、バレーボール部で、大森順子も、バレーボール部で、対抗試合などで、親しい間柄である。
桂子は、正義感の強い、生徒だった。
「桂子。お願いがあるの?」
京子が言った。
「なあに?」
「京花女子高等学校の、バレーボール部の、順子さんに、植草一秀さんの、痴漢のことを、聞いて欲しいんです」
「どうして?」
「桂子。あなたは、植草一秀さんの、痴漢のことを、どう思う?」
京子が、桂子を、じっと見詰めて聞いた。
「うーん。そうねー。植草一秀さんは、紹興酒を、20杯も、飲んで、ぐでんぐでんに、酔っていたんでしょ。そんな人が、痴漢なんて、出来るかしら?それに、植草一秀さん、は、2年前の、2004年にも、エスカレーターで、手鏡で、女子高生の、スカートを、覗いたんでしょ。それで、全ての仕事を失ってしまったんでしょ。そういう人は、もう、二度と、痴漢じみた、ことは、しないと、思うわ」
と、桂子が言った。
京子は、(やった。見方をみつけた)、と、内心、喜んだ。
「じゃあ、桂子。順子さんに、植草一秀さんの、痴漢のことを、喫茶店か、どこかで、二人きりで、聞いてくれない?」
「わかったわ」
「そして、その会話を、こっそり、スマートフォンに、録音して欲しいの?」
「いいけれど、どうして、京子は、そんな事を、私に頼むの?」
「私。植草一秀さんと、親しいの。だから、植草さんを、救いたいの。このままだと、植草さんは、また、痴漢にされてしまうでしょ。だから、植草さんに、有利な、決定的な証拠を手に入れたいの」
「ふーん。京子は、植草さんと、親しいのね。何か、よくわからないけれど、その役目、私。引き受けるわ」
と、桂子が言った。
こうして、二人は別れた。
「4」
数日後のことである。
その日は、日向女子高等学校、と、京花女子高等学校、の、バレーボール部の、練習試合で、日向女子高等学校の、バレーボール部の、部員たちは、京花女子高等学校に行った。
対抗試合の部活が、終わった。
部員たちは、着替えて、帰途についた。
「順子。ちょっと、喫茶店に寄らない?」
と、桂子は、順子を誘った。
「ええ。いいわよ」
と、順子は、応じた。
二人は、喫茶店、ドトールコーヒーに入った。
二人は、こんな会話を始めた。
「順子。痴漢にあって、大変だったわね」
と桂子。
「いやあ。私、本当は、痴漢なんか、されていないわ」
と順子。
「ええっ。それ。一体、どういう事?」
と桂子。
「あのね。数日前に、見知らぬ男に、相談をもちかけられたの」
と順子。
「どんな相談?」
「9月13日に、京急線に乗って、植草一秀さんの、隣に座って、(痴漢―)、って、叫んでって。そうしたら、100万円、あげるからって」
「それで、順子は、どうしたの?」
「引き受けたわ」
「ふーん。そうだったの。じゃあ、植草さんは、冤罪なのね」
「ええ。そうよ」
「でも、何のために、植草一秀さんを、痴漢にする必要があるのかしら?その人は何か言ってなかった?」
「知らないわ。そんなこと」
「でも、そんなことしたら、植草さんが、可哀想じゃない?」
「だって、植草一秀さん、って、2年前も、痴漢じみたことを、しているじゃない。きっと、痴漢の常習犯なのよ。だから、懲らしめておいた方が、いいと思うの」
「でも、どうして、その男は、順子に、その役割り、を、頼んだのかしら?」
「それはね。何でもね。以前、日向女子高等学校の女生徒にも、同じ事を頼んだらしいわよ。その生徒は、引き受けたらしいわ。でも、彼女は、何だか、うかない顔をしているので、その男は、この子は、もしかすると実行しないかもしれない、と思ったんだって。それで、万全を期すために、彼女が、(痴漢―)、って、叫ばなかったら、代わりに、私が、植草一秀、に、(痴漢されたー)って、叫んでくれって、頼んだの」
「ふーん。そうだったの。知らなかったわ」
それから、少し、たわいもない雑談をして、二人は、喫茶店を出た。
・・・・・・・・・・
翌日、桂子は、京子のクラスに来た。
「京子。植草一秀さんの、痴漢事件のこと、聞いて、録音しておいたわよ」
そう言って、桂子は、昨日の会話を録音した、スマートフォンを、京子に渡した。
「ありがとうございました。それで、どうでした?」
「やっぱり、あれは、冤罪だったわ」
と、桂子は言って、スマートフォンを取り出した。
「これを、聞いて」
そう言って、桂子は、昨日の順子との、会話を再生した。
順子と桂子の会話が、再生された。
京子は、ほっとした。
「ありがとう。桂子」
そう言って、京子は、その会話を、自分の、スマートフォンに、移した。
「5」
やがて、×月×日。東京地裁で、植草一秀の、飲酒痴漢事件の、初公判が開かれた。
植草は、「天に誓ってやっていません」、と無罪を主張した。
・・・・・・・・・・・
同年×月×日。第2回目公判が開かれた。
検察側証人として目撃者が出廷し、被害女性の、順子も、証人尋問に応じた。
検察側証人の目撃者は「痴漢をしたのは植草被告人に間違いありません」と、毅然とした態度で述べた。
・・・・・・・・・・・
×月×日。第3回目公判が開かれた。
弁護側証人として、京子が、出廷した。
裁判官「それでは、これから、植草一秀、飲酒痴漢事件の、第3回、公判を行います。本日は、証人として、佐藤京子という女性が、来ています。では、まず、佐藤京子さんには嘘を言わないという宣誓をしてもらいます。
宣誓書を読み上げてください」
佐藤京子「良心に従って真実を述べ、なにごとも隠さず、偽りを述べないことを誓います」
裁判長 「いま宣誓してもらったとおり,質問には記憶のとおり答えてください。 わざと嘘を言うと、「偽証罪」という罪で処罰されることがあります。それでは、どうぞ」
弁護士「あなたの職業は?」
佐藤京子「高校生です」
弁護士「あなたは、被告人・植草一秀氏と、どのような関係なのですか?」
佐藤京子「植草一秀さんは、私の家庭教師で、私の友達です」
弁護士「それを証明できる物はありますか?」
佐藤京子「はい。×月×日。××テニススクールで、テニスコートを借りて、一緒に、テニスをしたことが、あります。ですから、テニススクールに、問い合わせれば、スクールの人が、証人になってくれます。それと、私と植草一秀さん、を一緒に写した写真がありますから、それが証拠になると、思います。植草一秀さんが、私の部屋で、私と写した写真もあります」
弁護士「あなたは、9月13日、植草一秀氏、が、事件を起こした時、どこに、いましたか?」
佐藤京子「私は、植草一秀さんと、同じ車両の、向かい側の席に、座って、いました」
弁護士「あなたは、植草一秀さんの、痴漢事件を目撃していましか?」
佐藤京子「はい。私は、ずっと、植草一秀さんの、行動を注意深く見ていました」
弁護士「どうして、あなたは、植草一秀さんの、行動を注意深く見ていたのですか?」
佐藤京子「はい。また再び、植草一秀さん、が、国策捜査によって、痴漢冤罪にされて、しまうのではないか、という不安があったからです」
弁護士「あなたは、どうして、そういう不安を持ったのですか?」
佐藤京子「私は、事件の前に、植草一秀さん、を、痴漢冤罪にするよう、見知らぬ男から、頼まれたことが、あるからです」
弁護士「それは、具体的に、どういうことを、頼まれたのですか?」
佐藤京子「はい。私は、以前、ある見知らぬ男に、声をかけられ、喫茶店、ドトールコーヒー、に入りました。そして、そして、9月13日に、品川10時発の、京急線に乗って、植草一秀さん、のいる車両に行って、植草一秀さんの近くで、(痴漢―)、と、叫んで、欲しい、と言われました。その男は、謝礼として、100万円、私にくれました」
弁護士「それを、証明できる物は、ありますか?」
佐藤京子「ドトールコーヒーは、私が、帰りがけに、勉強のため、よく行く喫茶店です。ですから、あの日のことも、喫茶店の店員さんが、覚えていて、証人になってくれると思います」
弁護士「では。あなたは、被害者の順子さんが、虚偽の答弁をしていると、考えているのですか?」
佐藤京子「はい」
弁護士「それを証明できる物は、ありますか?」
佐藤京子「はい。あります」
弁護士「それは、何ですか?」
佐藤京子「私の学校の、同じクラスで、親友の、バレーボール部の、桂子さん、に、被害者である、京花女子高等学校の、バレーボール部の順子さんに、対して、植草一秀さん、の事件のことを、話してもらい、それを、録音してもらいました」
弁護士「その録音テープを、あなたは、今、持っていますか?」
佐藤京子「はい。今、持っています」
弁護士「裁判長。今、そのテープを再生することを求めます」
裁判長「許可します」
佐藤京子は、スマートフォン、を、取り出した。
そして、ボリューム・Maxで、再生した。
順子、と、桂子、の、会話が、再生された。
・・・・・・・・・・・
「順子。痴漢にあって、大変だったわね」
と桂子の声。
「いやあ。私、本当は、痴漢なんか、されていないわ」
と順子の声。
「ええっ。それ。一体、どういう事?」
と桂子の声。
「あのね。数日前に、見知らぬ男に、相談をもちかけられたの」
と順子の声。
「どんな相談?」
と桂子の声。
「9月13日に、京急線に乗って、植草一秀さんの、隣に座って、(痴漢―)、って、叫んでって。そうしたら、100万円、あげるからって」
と順子の声。
「それで、順子は、どうしたの?」
と桂子の声。
「引き受けたわ」
と順子の声。
「ふーん。そうだったの。じゃあ、植草さんは、冤罪なのね」
と桂子の声。
「ええ。そうよ」
と順子の声。
「でも、何のために、植草一秀さんを、痴漢にする必要があるのかしら?その人は何か言ってなかった?」
と桂子の声。
「知らないわ。そんなこと」
と順子の声。
「でも、そんなことしたら、植草さんが、可哀想じゃない?」
と桂子の声。
「だって、植草一秀さん、って、2年前も、痴漢じみたことを、しているじゃない。きっと、痴漢の常習犯なのよ。だから、懲らしめておいた方が、いいと思うわ」
と順子の声。
「でも、どうして、その男は、順子に、その役割り、を、その男は、頼んだのかしら?」
と桂子の声。
「それはね。何でもね。以前、日向女子高等学校の生徒にも、同じ事を頼んだらしいわよ。その生徒は、引き受けたらしいわ。でも、彼女は、何だか、うかない顔をしているので、その男は、この子は、もしかすると実行しないかもしれない、と思ったんだって。それで、万全を期すために、彼女が、(痴漢―)、って、叫ばなかったら、代わりに、私が、植草一秀、に、(痴漢されたー)って、叫んでくれって、頼んだの」
と順子の声。
「ふーん。そうだったの。知らなかったわ」
と桂子の声。
ここで、京子は、テープを切った。
被害者である順子の顔が、みるみる青ざめた。
裁判長「順子さん。あなたは、桂子さんと、この会話をしたのですね?」
順子は、録音された声から、もう、それを否定することは、出来ないと思った。
順子は、気が動転していた。
順子「・・・・し、しました。し、し、し、しかし、それは・・・ふざけて、です。冗談を言っただけです」
「ち、ちくしょう」
思わず、検察官が、口惜しさをもらした。
裁判長「では、判決は、次回、言います。それでは、今回の公判は、これにて、終わりとします」
みなが、立ち上がって、ゾロゾロと、退場していくと、植草一秀は、すぐに、京子の元に駆け寄った。
「京子ちゃん。ありがとう。決定的な証拠を、とってくれて」
「いえ。いいんです」
「それより、君が、順子さんに、意地悪、されないか、心配だ。しばらく、学校へは、行かない方がいい」
「私なら、大丈夫です」
京子は、ニコッと、笑った。
翌日の、全ての、テレビ局は、ニュース、や、ワイドショー、で、「順子と桂子の会話」、の会話を流した。
植草一秀の飲酒痴漢事件を、特ダネとして、放送して、植草一秀の飲酒痴漢事件は、国策捜査による冤罪説、の可能性が極めて高い、という報道番組を大々的に、報じた。
植草一秀は、京子に、「君が順子さんに、意地悪、されないか、心配だ」、と言ったが、植草一秀の心配は、無用だった。
翌日から、学校に来れなくなったのは、順子の方だった。
・・・・・・・・・・
×月×日。植草一秀・飲酒痴漢事件の判決が、言い渡された。
裁判長「主文。被告人・植草一秀を懲役5年。執行猶予5年、とする。被告人は、2006年(平成18年)9月13日午後10時頃、京急本線の品川駅-京急蒲田駅間の下り快特電車内で、京花女子高等学院3年生の、被害者・大森順子さんの、隣に座り、順子さんの、体を触り続けた。順子さんは、抵抗できず、黙って、この暴行に、耐えるしかなかった。順子さんは、その後、心身喪失状態になり、食事も摂れず、睡眠もとれず、毎日、痴漢事件のことばかり、に苦しめられ、ひいては、男性一般にまで、恐れるように、なってしまった。順子さんは、(私は、一生、男と結婚しない)、(男が、全て悪魔に見える)、と、言っており、彼女の受けた、精神的トラウマは、一生、彼女を、苦しめ続け、彼女は自殺する可能性も十分あると、考えられる。彼女の、受けた精神的苦痛は、想像に余りある。さらに、被告人は、取り調べ、に、おいて、犯行を認めていながら、自らの保身のため、一転、無実を主張するなど、反省の態度が全く見られない。また、被告人は、2004年(平成16年)4月8日午後3時頃、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして鉄道警察隊員に現行犯逮捕された前科が、あるにも、かかわらず、1年半で、また、悪質な痴漢行為を行った。なお、証人、佐藤京子、の示した、録音テープは、心神耗弱におちいった、被害者の、荒唐無稽な発言であることは、明らかであり、ここまで、被害者の、心身を錯乱させた、被告人の、罪は、許しがたいものがある。これらの事実から、被告人が、自分の性的快感を得るために、女性に対して、猥褻な行為をする性癖は、常習性があり、再び、同様の犯罪を行う可能性があると、考えられる。よって、被告人を、被告人を懲役5。執行猶予5年、とする。以上」
そう言って、裁判長は、去っていった。
京子の、「順子と桂子の会話」、から、世間の人間は、みな、植草一秀の、冤罪説、を信じて疑わなかったからだ。
ここまで、決定的な証拠を、国民に知られてしまった以上、裁判官、も、検察、も、強引な判決を出してしまうと、検察の信頼性が、疑われるから、植草一秀を、徹底的に、おとしめる判決は、どうしても出せなかったのである。
植草一秀は、急いで、京子の所に駆け寄った。
「京子ちゃん。ありがとう。執行猶予、が、ついたのは、京子ちゃん、が、録音テープを、とってくれた、おかげだよ。そうでなかったら、僕は、拘留され続けただろう」
と、植草一秀は、泣いて、京子に礼を言った。
「いえ。大好きな、かけがえのない、植草さんの、ためですもの」
と、京子は、言った。
「それより、植草さん。控訴するんですか?」
京子が聞いた。
「いや。しないよ。検察も裁判官も、すべて、政府に圧力をかけらけていて、それに従っているだけだ。これは、政府にとって、目障りな発言をする者を葬り去るための、国策捜査だ。控訴したって、判決は、変わらないからね。無意味に、金と時間を、かけるだけなのは、明らかだからね」
と、植草一秀は、言った。
「それより、執行猶予が、ついたんだから、肩の荷が降りたよ」
と、植草一秀は、言った。
「植草さん。今度の日曜、裁判終了パーティーをしませんか?」
「ああ。そうだね。どこかの、レストランで食事しよう。京子ちゃん。どこへ行きたい?」
「どこでも、かまいません」
京子は、ニコッと笑った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
その日に植草一秀は、留置場から解放された。
久しぶりに、味わう、自由、である。
植草一秀は、上機嫌たった。
植草一秀には、名古屋大学の教授、や、コメンテーターの依頼が、来るのではないか、という、期待があったのである。
判決は、有罪、だったが、京子が、とってくれた、「順子と桂子の会話」、から、世間は、この事件は、冤罪である、と、植草一秀は、確信してくれると、思った。
しかし、数日、待っていたが、どこかも、電話が来ない。
なので、植草一秀は、自分の方から、各大学に、大学の教授職、や、以前、出ていた、テレビ番組のコメンテーターの仕事を打診してみた。
しかし、全てが、「誠に残念ながら、お受けしかねます」、との返事ばかりだった。
植草一秀は、直感で、これは、竹中平蔵、と、国際金融資本、と、自民党、が、結託して自分に、公の場で、喋らせないよう、圧力をかけたのだと、直感した。
・・・・・・・・・・・・・・・
日曜になった。
植草一秀、と、京子は、ホテルニーオータニの、レストランで、「裁判終了パーティー」、をした。
カンパーイ。
京子は、酒が飲めなかったので、ジュースで、植草一秀は、ワインで、カチン、と、グラスをぶつけ合った。
ゴクゴクゴク。
「いただきまーす」
二人は、パクパクと、豪勢な、フランス料理を食べ出した。
「植草さん。植草さんは、今の小泉政権の、どこが、悪いと思っているのですか?」
京子が聞いた。
「小泉首相は、経済オンチだ。何でも、民営化、すれば、いいと思っている。それを、「改革」、と言っている。これを、新自由主義と言ってね。政府は、あまり、企業に、介入せず、民間企業に、競争させようと、しているんだ。まあ、経済が、好調の時なら、それもいいだろう。しかし、今は、デフレ不況で、銀行は、不良債権を抱えて、困っている。こういう金融不安の時、に、民間企業に競争させれば、弱肉強食で、強い企業が、勝つだけさ。郵便事業は、国営で、働いている人は、公務員だ。公務員は、倒産することは無い。安定した職業さ。公務員は、働かない、などと、言われているけれど、郵便局に行けば、わかるけれど、郵便局員たちは、真面目に働いているだろう。今、郵政事業を民営化させても、経済を混乱させるだけさ。そこで、小泉首相は、竹中平蔵、という民間人を、金融担当大臣、や、郵政民営化担当大臣に任命したんだ。大臣の半分は、民間人から、選んでもいいからね。しかし、郵政事業の民営化、は、実は、アメリカが、日本に、求めたことなんだ。アメリカの、ロックフェラー財団、金融ユダヤ人、などの、アメリカを支配する巨大な資本が、日本の国益を、奪おうとしているんだ。竹中平蔵は、彼ら、の要求を喜んで、受け入れているんだ。なぜなら。アメリカに逆らおうとするのは、いや、逆らう、というより、アメリカと対等な、関係を、アメリカに主張することは、とても勇気が要ることなんだ。アメリカに逆らったら、陰に陽に、アメリカから、いやがらせ、を、受ける。それより、アメリカの言いなりに、なって、その実態を隠している方が、政治は、楽にできるんだ。田中角栄も、アメリカに逆らったから、ロッキード事件で、失脚してしまったんだ。日本人は、小泉フィーバーに、うかされて、みんな、だまされている。竹中平蔵、は、ともかく、言葉巧みに、人をだますのが、うまい。また、竹中平蔵は、「労働の流動化」、といって、労働者派派遣法、を、改悪したんだ。これは、正規社員を減らし、非正規労働者を増やす政策なんだ。派遣会社に登録するだけで、まず、派遣会社に金が入る。そして、どこかの、会社に派遣させれば、派遣会社は、また、金が入る。企業側としては、リストラ移動支援金(労働移動支援助成金)、と言って、企業は、リストラすると、国から、助成金が入る。そして。企業にとっては、派遣会社から、派遣された労働者は、自分の会社の社員ではないので、人件費、はなくなり、派遣会社に、金を払って、頼んだのだから、会社の経費、ということになるんだ。強引な屁理屈さ。派遣労働者の給料は、派遣会社が払っているからね。しかし、企業は、派遣社員に給料を払わなくて労働力を得られるから、そうしてくれた、ありがたい派遣会社に、派遣会社が、社員に払う給料以上の謝礼を払うんだ。だから、会社は、税金を、少なく出来る。つまり、企業は、リストラすれば、するほど、儲かるし、派遣会社も、労働者が、ある企業にリストラされて、別の企業に、再就職する、ほど、儲かるんだ。いまでは、日本は、正社員ではなく、非正規雇用の、派遣労働者、が、たくさん、増えてしまっただろう。竹中平蔵、自身、労働派遣会社である、パソナグループの会長なんだ。搾取されているのは、労働者で、喜ぶのは、企業、と、派遣会社、なんだ。景気をよくするためには、人々が、物、や、サービス、を、買うようにならなくては、ならない。そのために、必要なことは、労働者を安定した正規雇用にして、労働者の賃金を上げることなんだ。しかし、竹中平蔵、の、やっていることは、その真逆で、日本の不景気を推し進めているんだ。りそな銀行の勝田泰久、頭取は私と同様、小泉竹中政権の経済政策を批判していたんだ。りそな銀行は、それまで、何の問題も無く経営できていたんだ。しかし、ロックフェラー財閥は、竹中平蔵に、りそな銀行をつぶすように、命令したんだ。そこで、竹中平蔵は、りそな銀行に、自社株を売却するよう、命じたんだ。りそな銀行は、やむを得ず、自社株を売却した。そのため、経営が不安定になったんだ。りそな銀行の株は、暴落して、紙切れ同然になったんだ。その時、外資系のファンド会社、世界の金融を牛耳る、ロックフェラー財閥、や、自民党議員、などが、紙切れ同然の、りそな銀行の株を、大量に買い占めたんだ。もちろん、竹中平蔵も買った。しかし、竹中平蔵は、金融担当大臣で、国家の政策を決める権限があったから、りそな銀行に、税金を注入して、経営を救って、元のように立て直したんだ。結果、りそな銀行の株は、上がった。ロックフェラー財閥、は、これによって、大儲けしたんだ。しかし、これは、最初に計画したことを、行っただけであって、こうなることは、最初から、わかっていたんだ。これを、インサイダー取引、というんだ。僕が、それを、告発しようとした、まさに、その直前の、2004年(平成16年)4月8日、に、僕は、「手鏡のぞき事件」で、警察に捕まってしまったんだ。これは、明らかに、政府にたてつく者を、抹殺する、国家の犯罪なんだ。僕と同じように、国家を批難して、冤罪にされたり、殺されたりした人は、他にもいるんだ・・・・」
京子は、よくわからないまま、黙って聞いていた。
しかし、植草一秀は、話すことが、出来なくなってしまった。
2004年の、悪夢が、蘇って来たからだ。
植草一秀は、せっかく、京子のおがけで、裁判で、執行猶予が、ついて、一区切り、ついたので、今日は、京子のために、無理して、明るく振舞おうとしていた。
しかし、無理な、やせ我慢も、限界だった。
もう、自分は、経済学者として、公で、活躍できない、という、思いが、植草一秀の胸に、こみ上げてきた。
植草一秀は、急に、黙り込んでしまった。
そして、持っていた、フォークを、落としてしまった。
肩が、ブルブル、震えていた。
「先生。どうしたの?」
京子が聞いた。
「ぼ、僕は、も、もう、すべてを、失ってしまったんだ」
そう言って、植草一秀は、堰を切ったように、泣き出した。
植草一秀は、うつむいて、嗚咽しながら、肩をブルブル、震わせているだけだった。
京子は、なぐさめる言葉を、見つけられなかった。
「先生。無理しないで。泣きたい時は、うんと、泣いて。私も、一緒に泣いてあげるから」
京子も、悲しくなって、目から、涙が溢れ出し、流れ続けた。
その時である。
一人の男が、植草一秀と、京子の、テーブルにやって来た。
「あ、あの。何か、とりこんでいる所を、申し訳ないのですが・・・少し、お聞きしたいことが、ありまして・・・少し、お聞きしても、よろしいでしょうか?」
「は、はい。構いません」
京子が言った。
「あ、あの。失礼ですが・・・お二人は、どのような、関係なのでしょうか?差支えなければ、教えて頂けないでしょうか?」
「そうですね。教師と生徒の関係かな。あるいは、少し、歳の離れた、恋仲、かな」
と、京子は、答えた。
「やはり、そうだと思いましたよ」
「あのー。何で、そんな事を知りたがるんですか?」
京子が聞いた。
「あっ。失礼しました。実は、私は、脚本家でして、野島伸司、と、申します」
「あっ。野島伸司さん、ですね。知っています。いくつか、先生の、脚本の、テレビドラマを見ていますから。私、ファンなんです」
「ああ。そうですか。それは、光栄です。ところで、私は、今、TBSから、高校教師と女生徒の恋、という、テーマの、テレビドラマの脚本を、頼まれているのです。それで、色々と、ストーリーを、考えていたのですが、なかなか、いい、アイデアが、思いつかなくて。それで、今、あなた方が、二人で、泣いているのを、見て、(あっ。これだ)、と、インスピレーションが、閃いたのです。失礼ですが、一体、どのような、ことで、悩んでおられたのでしようか?」
と、野島伸司が聞いた。
「この人は、経済学者の、植草一秀先生、です。植草一秀さん、の事件、知りませんか?」
京子が言った。
「あっ。植草一秀先生、だったのですね。遠くから、見ていたので、気づきませんでした。失礼しました。ところで、あなたは、植草一秀さん、と、どのような、関係なのですか?」
と、野島伸司は、京子に聞いた。
「実は・・・・」
と、言って、京子は、事の顛末を、野島伸司に、詳しく話した。
「なるほど。そういう事だったのですか」
と言って、野島伸司は、腕組みをして、考え込んだ。
しばしして、野島伸司は、口を開いた。
「あのー。今度、つくる、テレビドラマに、ぜひ、出演して、いただけないでしょうか?私の方から、監督に頼んでみます。これ以上の適役は無いと、私は、確信しています」
「うわー。女優になれるなんて、嬉しいな。先生は、どう?」
京子は、植草一秀に、聞いた。
「えっ。でも、いきなり、そんなこと、言われても、私は、役者なんか、したことは、ないし・・・・」
「いや。そんな、難しく考える必要は、全くないですよ。地の性格のまま、演じてくれれば、それで、十分、通用しますよ。ギャラは、はずみますよ」
野島伸司が言った。
植草一秀は、迷った。
京子には、色々と、恩がある。
恩だけではなく、かけがえなく、愛情も持っている。
その京子が、喜んでくれるのなら、これにまさる、恩返し、は、無い。
しかも、植草一秀は、大学教授の職も、コメンテーター、の、職も、失って、これから、どうやって、生計を立てていこうか、と、迷っていた、矢先である。
そんな、ことを、植草一秀は、考えていた。
「わかりました。私で、よければ、お引き受け、致します」
植草一秀は決断した。
「よかったー。それでは、すぐに、ディレクターに、相談してみます」
そう言って、野島伸司は、携帯電話の、番組とメールアドレス、の書かれた、名刺を、渡して、何度も、頭を下げて、礼を言って、去って行った。
数日後、野島伸司、から、佐藤京子に、電話があった。
「佐藤京子さん。プロデューサーに話したところ、佐藤京子、さんと、植草一秀、さん、に、ぜひ、出演を、お願いしたい、ということに、なりました。出演して、頂けないでしょうか?」
と、野島伸司は言った。
「嬉しい」
京子は、小躍りして、喜んだ。
京子は、すぐ植草一秀、にも、連絡した。
「先生。今、野島伸司さんから、連絡が来ました。この前、野島伸司さんが、話していた、テレビドラマの、主演の、ヒーロー、と、ヒロインの、役が、私、と、先生に、決まったそうです。私と一緒に、出演してくれませんか?」
京子が、頼んだ。
「そうか。僕は、役者なんて、やったことは、ないけれど、君には、さんざん、助けてもらっているし、僕は、君が好きだから、君となら、緊張しないで、自然に、会話できそうな気がするよ。やってみるよ」
と、植草一秀、は、言った。
「嬉しい。私、先生が、好きなんですが、私と、先生の、ラブロマンスを、テレビドラマ、という形で、作られて、全国の、視聴者に、見えもらえる、なんて、最高に、嬉しいです」
と、京子は、言った。
こうして、野島伸司、脚本の、テレビドラマ、「高校教師」、の、撮影が始まった。
ストーリーは。
主人公の、羽村隆夫(植草一秀)、は、大学の研究室で三沢祐蔵教授の助手をしていたが、教授は、羽村隆夫(植草一秀)、に、女子高校へ社会科の講師(科目は、政治・経済)として赴任するよう勧めた。羽村隆夫(植草一秀)、は、それを引き受けた。羽村隆夫(植草一秀)、は、3カ月間、女子高の高校教師をした。そして、契約を終え、研究室に戻ろうとしたが、三沢教授は、羽村隆夫(植草一秀)、を相手にしなかった。それは、羽村隆夫(植草一秀)、の書いた、論文を教授が、盗作して、自分の論文にするためであった。羽村隆夫(植草一秀)、は、研究者の道、も、論文も、全て失ってしまった。しかし、女子高に来た時から、羽村隆夫(植草一秀)、に、好意を持っていた、二宮繭(佐藤京子)は、羽村隆夫(植草一秀)、を、慰め、教師、と、女生徒の、温かい、関係が、醸成されていく、という、ものだった。
出演者は。
羽村隆夫 (植草一秀) 経済研究所の若手研究者だが、一時的に、女子校教師となる。
二宮繭 (佐藤京子) 羽村隆夫に好意を寄せる女生徒。
新庄徹 (赤井英和) 保健体育の教師。
藤村知樹 (京本政樹) 女生徒の憧れの、イケメン国語教師。
相沢直子 (持田真樹) 藤村知樹が好きな女生徒。
二宮耕介 (峰岸徹) 二宮繭の父。彫刻家。娘の繭と近親相姦の仲。
三沢祐蔵 (竹中平蔵に似た新人) 羽村隆夫の論文を盗作して、羽村隆夫を罠にはめる悪徳教授。
など、だった。
最初、監督は、羽村隆夫の役は、真田広之、二宮繭の役は、桜井幸子、を、考えていたが、野島伸司の強い、申し出で、急遽、羽村隆夫の役は、植草一秀、二宮繭の役は、佐藤京子、となった。
ストーリーは、羽村隆夫、と、二宮繭、の、関係が、主だった。
京本政樹は、イケメンの英語教師で、全女生徒の憧れ、であったが、女生徒に無関心であった。しかし、なぜか、持田真樹、を、犯して、それを、ビデオテープに撮る、という、変態なのか、意味不明な性格であった。傷ついた、持田真樹は、元プロボクサーで、保健体育教師の、朴訥な性格の、赤井英和、に、なぐさめられ、赤井英和、に好意を寄せていく。佐藤京子の父の、峰岸徹、は、芸術家(彫刻家)だったが、なぜか、娘の、佐藤京子と、近親相姦の関係だった。赤井英和は、京本政樹の悪事を知って、京本政樹を殴る。京本政樹は、なぜか知らないが、意味不明なことを、呟いて、自分の手をナイフで刺す。赤井英和は、京本政樹に暴力を振るったため、退学させられる。ラストは、植草一秀が、京子に、執拗につきまとう、京子の父の、峰岸徹を刺し、植草一秀と、佐藤京子、は、新潟に向かう、エル特急あさま、に、乗り、二人は手をつないで、寝てしまう、という、ものだった。
ストーリーは、荒唐無稽だったが、視聴率は、高かった。
これは、視聴者の意表をつく、ショッキングな、出来事の連続にすれば、ドラマの視聴率が上がるんだから、ストーリーなんか、どうでもいいじゃないか、という、脚本家の、いい加減さ、によるものであった。
ともかく、このドラマの成功によって、佐藤京子、は、人気女優となり、植草一秀、は、演技派俳優、となった。
2007年(平成19年)には、植草一秀には、周防正行、監督・脚本の、「それでもボクはやってない」、という、痴漢冤罪、の、映画の、主人公役に、オファーが来て、植草一秀は、それを引き受けた。
この映画も、大ヒットした。
植草一秀の、実体験に基づく迫真の演技から、植草一秀、は、以下の数々の賞を受賞した。
第32回報知映画賞:最優秀邦画作品賞、最優秀主演男優賞
第31回日本アカデミー賞:優秀主演男優賞
第81回キネマ旬報ベスト・テン:日本映画ベスト・ワン、主演男優賞
第50回ブルーリボン賞:監督賞、主演男優賞
第29回ヨコハマ映画祭:作品賞、監督賞、主演男優賞
同時に、植草一秀、は、小泉純一郎、竹中平蔵、の売国政治、および、自分にふりかかった事件の顛末を、拘置所にいた時に、書いた、「知られざる真実―勾留地にて」、を、出版した。
同時に、植草一秀、は、小学館、徳間書店、講談社、毎日新聞社、朝日放送、に、デタラメを書かれて、名誉棄損された、として、訴えた。
植草一秀、は、気が小さく、あまり、裁判沙汰には、したくなかったのだが、京子が、「先生。訴えた方がいいわよ」、と、強く勧めたので、訴えた。
裁判の結果は、全て、植草一秀、の全面勝訴、となった。
そして、植草一秀、は、その金で、国際政治経済の情報発信、および、投資コンサルティングなどを業務とする、スリーネーションズリサーチ株式会社、を設立した。
京子は、植草一秀の、親切丁寧な、家庭教師のおかげで、大学受験では、慶応大学の経済学部に合格できた。
そして、京子は、大学に通って勉強すると、同時に、スリーネーションズリサーチの事務の手伝いもした。
自民党の腐敗した政治に、国民は、嫌気がさすようになった。
2009年、麻生太郎総理大臣は、解散総選挙を行った。
結果は、民主党の圧勝だった。
政権が交代し、民主党政権となった。
鳩山由紀夫が、総理大臣となった。
しかし、鳩山由紀夫は、与党経験が無いために、「辺野古の基地」問題で、悪質な、石破茂に、徹底的に、批判され、1年も、もたなかった。
次には、菅直人、が首相になったが、2011年3月11日、に、東日本大震災が起こり、その対応の悪さ、から、これも、1年足らず、で、失脚した。
3番目は、野田佳彦が、総理大臣になって、自民党との、大連立を訴えたが、したたかな、自民党は、それを、当然のごとく、拒否した。
野田佳彦は、やむを得ず、消費税増税を訴えたが、これが、国民の不興を買った。
自民党は、勝算あり、と、見て、野田佳彦に、解散総選挙を求めた。
野田佳彦は、約束通り、解散総選挙を、行ったが、結果は、民主党の惨敗、自民党の圧勝となった。
2012年12月26日、から、安倍晋三内閣が、発足したが、安倍晋三は、内閣人事局を、意のままに、操って、さんざんな、悪性を行った。
植草一秀、に、限らず、エコノミストは、みな、安倍政権の、悪政、および、どアホノミクスを批判した。
植草一秀、は、安倍政権を、「戦争と弱肉強食に突き進む政治」、と非難し、「平和と共生」の政治に、変えようと、野党共闘の必要を訴えた。
一方、検察の裏金を告発しようとした三井環事件の有罪判決、鈴木宗男の国策捜査、検察がフロッピーを改ざんした村木厚子事件、小沢一郎の陸山会事件、などで、もう、検察を信用する国民は一人も、いなくなっていた。
2020年になった。
東京で、オリンピックが開催される。
さて、これから、どうなることか。
株価は、どうなるか?
為替は、どうなるか?
アメリカと中国の、関税報復合戦は、どうなるか?
日韓の関係は、どうなるか?
中国、習近平の、一帯一路は、どうなるか?
はたして、どこかの国で、バブルが弾けて、リーマンショック級の、世界的不況が起こるのか?
それは、スリーネーションズリサーチ、に聞いてみましょう。
 
 
  
令和2年3月5日(木)擱筆
 
 

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