小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

Johnny B Good

2009-05-31 22:25:23 | Weblog
街を歩いていたらビートルズの音楽が聞こえてきた。私はわりと路上で演奏してると足を止めて聞くことが多い。ビートルズは好きなので聞いていた。私はロックンロールが好きである。何か知らないが、公園の中でビールの屋台が出てて、演奏してて、数人が聞いていた。昼、なにか催し物があったのだろう。

「次、Johnny B Good いこうか」
とギターの人が言ったので、私は、
「歌わして」
と言って、Johnny B Good を歌った。Johnny B Good は歌詞は全部、覚えている。人前で歌うのははじめてである。一度、Johnny B Good を歌いたかったのである。女の子が二人、酔っていい気分になって踊っていた。下手である。ロックンロールのツイストになっていない。まあ、私の歌も下手だから偉そうなことは言えない。というより、私は、歌をうたうことがない。日頃、歌ってなければ上手くないのは仕方がない。
Johnny B Good を歌った後、見物に回ったら女の子が、
「おい。ボーカル。歌えよ」
と言った。いつの間にか私は、ボーカルにされてしまった。私は、Johnny B Good だけを歌いたかったのに過ぎない。他に完全に歌詞を覚えてるのは少ない。

チャック・ベリーのJohnny B Good はロックンロールの代表のように見られているようだか、私はどうもJohnny B Good にロックンロールを強く感じない。ビーチボーイズはロックンロールである。私は映画アメリカン・グラフィティーが好きで、あの音楽は全てがいい。高校の時、歌詞を全部、覚えた。が、今では、かなり忘れている。

ちなみに私は、あの映画の中のカート・ヘンダーソン(リチャード・ドレイファス)のような変わり者の性格である。私はカート・ヘンダーソンに私自身を見る。

アメリカン・グラフィティーでは最後に登場人物達のその後を一言、いっているが、あれは余計なような気もした。カート・ヘンダーソンは、「作家としてカナダ在住」とオチをつけた。はたして私は、「浅野浩二。作家として湘南、在住」となれるだろうか。

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義母と義妹

2009-05-27 04:29:40 | Weblog
「義母と義妹」

という小説を書きました。

ホームページにアップしましたので、よろしかったら御覧ください。

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志賀直哉

2009-05-26 06:11:08 | Weblog
志賀直哉の「和解」を読む。

「暗夜行路」は長すぎて、かえってこっちの方がよくまとまっている。
志賀直哉の文章は何とも不思議だ。上手くはない、というより、技巧を凝らした美しい文章を書こうという気を持っていないとしか思えない。氏の性格が文章に表れている。だからといって氏の文章に魅力がない、とか、下手とかは全く感じない。それどころか簡潔でキリッとしていて、むしろ魅力を感じる。

氏は自我を持った作家と言われているが、私は氏に自我があるとは思わない。

それにしても、自我があるという事と、威張るという事は全く別のことである。氏の文化勲章を受けた後のインタビューのテレビ映像を観た事があるが、確かに威張っている。

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鈴木宗男

2009-05-26 04:55:10 | Weblog
鈴木宗男の魅力。

鈴木宗男は政治家にありがちな、ねちっこさが無く性格が大らかなのが性格的に魅力的である。イデオロギーはともかくとして。参考人招致で共産党の佐々木憲昭氏に、「おい。あんた。逃げるなよ」と言われても何とも思ってないし、また証人喚問では辻元清美にウソつき呼ばわりされ、そのすぐ後に、辻元氏が公設秘書の疑惑がスキャンダルになって、形勢逆転した。普通の人だったら、「ざまあみろ」と喜んで飛び上がるだろう。しかし鈴木宗男は、全くそんな様子が無かった。その後の辻元氏のみっともない対応は全く情けなかった。鈴木宗男は自民党を離脱したが、彼の見えすいた、お涙ちょうだいのパフォーマンスにせよ、全て一番、効果的な事をやってしまったので、辻本氏は何も出来なくなってしまった。辻本氏の参考人招致にせよ、全然あまい。
外務省で田中真紀子いじめをしたのも、そんな事すれば自分が不利になるのに彼は言いたい事は言わずにはいられない性格なのだ。
自分の築いてきた地位を失っても落ち込む様子が無く、絶えず前向きに生きてるところもすごい。
疑惑の総合商社などと言われていたが、私はそれに反感を感じた。数が多いということで批判するのは単純である。全て政治献金として処理されてはいたが。
こんな例にも共通するものがあると思う。百軒の家から一軒ずつ、十万ずつ盗むのと、一軒の家から一千万盗むのとでは、どっちの方が悪いだろうか。前者の場合、被害者が死ぬ事はないだろうが、後者の場合、死ぬ可能性は十分ある。

それにしても共産党の志位和夫の「確かな野党」は情けなかった。これは矛盾としか言いようがない。どの政党も自分の党の主張が正しいという信念がなければ八百長である。ウソを言ってることになる。自分の主張が正しいと信じるからこそ、たとえ勝ち目がなくても政権をとろうという意欲がなくてはならい。「確かな野党」でも何でもない。政治家という親方日の丸の公務員という安定した職業に就きたいだけじゃないか。その点、民主党は本気で政権奪取しようとしているから偉い。

メール問題で自殺した永田寿康氏は何とも情けない。東大を出て大蔵省にまで入ったのに。野党の仕事は与党の悪口を言う事だから、それは全く悪くはない。ただ言うのに適切な野次、悪口というものと、与党の政策と全然、無関係なおかしな野次との区別というものがわからないのだろうか。


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女医

2009-05-26 03:34:15 | Weblog
ある精神科病院に勤務していた時の事である。私は余所者の常勤だったが、他の医者は院長の出身校の医者ばかりだった。医局に所属していると、色々、医局のしがらみがあってうざったいのだが、医局に属していると何事につけ安全で面倒見がいいのである。振り切る事は出来にくい。ちょうど芸能人が、人気が出ると所属事務所から独立したがるのと似ている。私は医局なんてうざったいものに拘束されるのはまっぴらなので、そんなものは、はなから頭にない。

医局に所属すると二年目からは僻地に一年か二年か一生か派遣される。ある、きれいな女医が派遣されてやってきた。私が挨拶しても訝しそうに私を見て返事をしなかった。この理由は見当がついた。男性不審症なのだろう。病院に慣れて後で彼女が言っていたが、医局にいた時、上の医者に、「お前、どんな下着はいてんだよ」とか、からかわれたそうだ。全くレベルが低い。彼女は親が内科医だった。まあ、私立では生徒は90%以上、親が医者だから、それが普通ではあるが。

そこの病院は医局の話題と川崎のソープのだれちゃんが、どうのこうのという話ばかりで聞いてて気持ちが悪かった。そこの医者は彼女にセクハラはしなかったが、ともかく下ネタばかりで、しかも面白くない。

親が医者で医学部に入って医者になった女医は、どんな気持ちなのだろう。見てて何となくほほえましい感じがする。



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関節鳴らし

2009-05-25 23:20:52 | Weblog
関節鳴らしはよくないのである。

関節鳴らしがクセになっている人はやめましょう。関節を鳴らすと気持ちいいが、関節鳴らしは、関節を少し痛めるのである。
「ドラゴンへの道」でも戦いの前にチャック・ノリスがおもむろに関節を鳴らし、ブルース・リーも関節を鳴らしているが、あれはよくないのである。
しかし整形外科でもその事は教えなかったぞ。
こういう基本的な事は医師国家試験の必修問題に入れるのもいいだろう。
カイロプラクティックスでは関節を鳴らしているが、たまになら問題はないのである。
クセにするとよくないのである。

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聴診

2009-05-19 04:08:55 | Weblog
かかりつけの医院に行って、疑問に思うことがある。私は誠実な人格の人は非難したいと思わない。だか疑問は疑問である。もっともこれは、何も、そこの医院だけではない。私は睡眠薬と胃腸の薬と喘息の薬をもらっている。毎回、聴診器で肺雑音があるかどうか、聴診して、「音は問題ないですね」と言う。私も医者であることは、その先生は知っている。実はこの聴診は全く無意味なのである。というのは、喘息ほど体の病変と自覚症状が完全に一致する病気はないからである。喘息は気管支が狭窄することによって呼吸が困難になることによって起こる。発作が起こっている時は呼吸が困難になるから、当然、患者は苦しみを訴えるし、苦しさが顔に現れ、肩呼吸になるから患者を見ただけでわかるのである。そして発作が起こっている時は、気管支が狭窄しているから肺雑音が聞こえのは当たり前である。この自覚症状と体の所見は完全に一致する。肩呼吸が起こっているのに、肺雑音が聞こえないという事はありえないし、逆に苦しみを全く訴えないのに、気管支が狭窄していて肺雑音が聞こえる、という事もありえない。また、わずかでも気管支が狭窄していると患者はそれを完全に感じとれる。つまり喘息は問診だけで十分なのである。では、一体、何のために聴診するのであろうか。私にもわからない。考えられるのは。
一、医者は、問診だけでは自分が納得できず、どうしても肉体を調べて自分が納得したい、という思い。
二、肺疾患といえば聴診であり。もっともらしく聴診するという事に日常の診療の習慣から、もう疑問を持たなくなってしまっている精神状態になってしまっている。
三、つまるところ、喘息を経験したことのない医者は、喘息という、こんなにありきたりの疾患でさえも、患者ほどにはわかっていない。

のどれかだろう。

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腸管癒着

2009-05-08 21:16:22 | Weblog
プールで二時間、休みなく泳いだ。水泳は勿論、筋力をつけるためでなく心臓を鍛えるためである。この季節になると持久力が出てくる。水泳は、その後、風呂で体を洗わないと気持ち悪いので、手間がかかって面倒くさい。出来たらランニングしたいのだが、過敏性腸のため、いつも腸が癒着しているような感じなので、ランニングは向かないのである。この頃、ランニングしている人をよく見かける。偉いな、と思うと同時にうらやましい。絶対、体力は落とさない。老いてたまるか。大学の時、近くのかかりつけのクリニックで腸の癒着でかなりもめた。
私 「腸が癒着してるような感じなんです」
先生「癒着は開腹手術しなければ起こらないよ」
私 「でも本当に癒着してるような感じなんです」
先生「(怒って)なら、開腹手術しなくて癒着が起こると書いてある文献をここに持ってきてください」
怒って机を叩く。

一週間後

私 「文献をコピーしてきました」
と言ってコピーを差し出す。

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花火、西瓜

2009-05-06 19:30:06 | Weblog
5月になって、コンビニに花火が、スーパーに西瓜がでるようになった。夏の予兆である。今年の夏はどうなるか。その前にじめじめした梅雨。

去年の夏はよかった。海で小さな囲いの中で泳いでも全然、面白くない。囲いのブイにそって泳いでいたら、「出すぎ」と、うざったい監視員がやってきて注意された。海水は比重があって体が浮くので面白くない。今年こそは2.5kmか10kmの遠泳に出ようと思う。いつも予約が遅くなって申し込んだ時には定員いっぱいになってしまっていた。しかし海水は体が浮いて楽なので面白くないし、時間制限があって、速く泳がなくてはならないのなら、たいして魅力を感じない。
早朝に人に見つからないよう一人で遠泳しようかと思ったりする。


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マナーを守る暴走族

2009-05-06 17:13:11 | Weblog
マナーを守る暴走族

夜、自転車に乗って家にもどる途中、ヴォン、ヴォン、ヴォンと排気音が聞こえてきた。暴走族だな、と思った。この主幹道路は暴走族がよく通るのである。私は、暴走族を見るのが好きである。大抵、どの位の規模か最後まで全部みどどける。パトカーが後ろから追いかけていたりすると最高である。ナンバーはわかるから、所有者はわかる。しかし、運転者が所有者とは証明できない。だからパトカーも現行犯逮捕するしかないのだ。私も車に乗ってて暴走族が走ってたら、加わりたくなる。まあ、受け入れてくれるだろう。だが、そういう機会には、残念ながらまだあった事がない。湘南の暴走族は、大規模なのもある。当然、信号無視する。赤信号でも無視して走る。あの爆音は結果として、注意警告になっている。それに暴走族は、クラッチを切って蛇行運転を楽しんでるから、スピードはあんまり出てない。ので衝突事故は起こりにくい。

どの位の規模の暴走族か、と思って交差点で待っていたら、やってきた。赤信号になった。そしたら意外な事が起こった。暴走族がしっかり赤信号で止まって、青信号になるまで待っているのである。そして青信号になってから走り出しだ。バイクをしっかり、みっともなく改造してあるし、格好もしっかり暴走族である。まあ、なんと礼儀正しい交通ルールを守る暴走族だな、と可笑しくなってしまった。こういうのは暴走族といえるのだろうか。信号無視をするのが暴走族の絶対の条件ではないのか。夜中で車も少ないのに。交通ルールをお行儀良く守ってたら、それは暴走族とは言えないのではないだろうか。まあ、道交法の改正で、暴走族の取り締まりが厳しくなったからなのか。しかし、つっぱって、それを吹っ切るのが暴走族ではないか。パトカーも追いかけていないのに。何とも情けなくなった。

それにしても暴走族は何と個性の無いことか。しめし合わせたように、同じような改造、同じ格好。ああいうのは、つっぱり、と言えるのだろうか。少なくとも私は、つっぱってる。と自負している。そして一生、つっぱるつもりである。

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自分を欺くという事

2009-05-04 03:35:27 | Weblog
自己を欺くという事

人が他人を欺く時、二つのケースがある。一つは他人を欺いても自分は欺かない場合であり、もう一つは、自分をも欺いている場合である。前者は、だれにでもわかる犯罪や、はっきりしたウソをつく時である場合が多い。オレオレ詐欺、振り込み詐欺、などをする人は、間違っても自分が善人だとは思ってないだろう。
ややこしいのは後者である。つまり、他人を欺く時、自分をも欺く人である。これは、大きなウソではなく、小さなウソをつく場合に起こりやすい。こういう人は、大きく見れば基本的に善人である場合が多い。そしてプライドの高い人に多い。 
そういう人は性格が基本において善人だから、自分は善人だという自信と誇りを持っている。しかし完全な善人というのはなかなか、いないものである。自分は善人だという自信と誇りを持っているから、自分の悪に対しては目を背けてしまうのである。これはもう、自分でも自分を欺いていることに気づかなくなってしまっている。それが小さな範囲でだけなら、いいが、なかにはもはや、それが日常で当たり前になってしまっている人もいるのである。いわば無意識の偽善者とでも言おうか。まあ、偽善者の多くも自分を欺くから、これは二重表現である。
さて、前者と後者とどちらが、より悪いか、といったら、勿論オレオレ詐欺をする前者の方が悪いに決まっている。こういう人間は人間の善悪を振り切ってしまった人間である。だから自分を欺くケースは少ない。ニーチェの箴言に、「若い時は自分の悪を凝視せよ」というようなものがあったが、それは若者には読むのを勧めた方がいい。純粋な若者の中には、思春期の思想の嵐の中で、偽善を嫌って、偽悪をすることが、自分は偽善者ではない証明だと思ってしまって、それを行動に移してしまう事もあるのである。中学、高校生のいじめ、の中には、こういう心理から起こしたいじめもあるだろう。若い時に本を読まないから、こういう事がおこってしまうのである。いじめをするのは頭の悪い生徒の方が多い。「ツァラトストラはかく語りき」を読んでいれば、いじめは起こらなかったかもしれない。こう書いているうちに、中学、高校生の国語の教科書には、ニーチェの「ツァラトストラ」を載せた方がいいように思えてくる。あの読後の後味の悪い「ツァラトストラ」を。自分の悪を凝視する事が大切なのであって、自分の悪を誠実に行動に移す事は良くない事なのである。

さて、次に後者は、基本的に善人だから、それほど悪い事ではない、と便宜的にいっても間違いではないだろう。しかし、後者は自分の考えが自分の心にしっかりとつなぎとめられていないので、時として、非常に危険な、人を殺してしまうほどの事も起こしかねないのである。軽いから、善人だからといって、けっして安全なものではなく、軽く見ていいものではない。人類の歴史でも、こういう人の心理で、悲惨な事が起こった例はいくらでもある。自分の善に対する無意識のadherenceの危険、とでも言うべきか。

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