キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

純米大吟醸の終わり

2018年01月14日 | Weblog
寒い朝だった。
1月15日の小正月辺りはこのあたりでは塩手陽気と云って霙が混じる寒い日が多い、今日は日の光が強く春めいていたが、さすがに大寒が近く気温が低く寒かった。
9時15分に下の息子と北へ向かい散歩に出て、JA湘南へ向かった。

今年は野菜が高く特にホウレン草が高いので冬の青菜の滋味を思う存分堪能できない。
白菜を漬けこむのを忘れていて、野菜不足を白菜の漬物で補わなけりゃいけないなと思っていたら、棚に白菜がお誂え向きにあった。
西山さんのスティックブロッコリーと店の表で会って前回買った蜜柑の話をした吉川さんの大津4号を買った。
しかし大津4号も大学時代に興津柑橘試験場へ行っているころから、湯河原の篤農家の大津さんが開発した蜜柑として有名だったから、もう半世紀になる品種で、吉川さんによれば今は21号まであるという。
レジの女性は何時も感じがいいが、この日も大磯まで散歩を続けるので、白菜を新聞紙にくるんでもらった。
わくわくへも寄り、ホウレン草(一家族1束)、菜花、好みの四角いプレーンの薩摩揚を買う。
秦野街道を横切り、谷戸から北新道へ抜け、石神台へ抜けるトンネルを通り月京方面へ降りたが、丘の上から眺めた紺碧の相模湾が綺麗だった。

ヤオマサで魚を見たが、沖縄から生きた海老が入っていたので買ったが、O君が岩手の地蛸と島根のヒラマサを勧めてくれたので買う。
昼飯は海鮮丼にすると朝から妻が張り切っていたから、準備した鮪、帆立、鰺に加えて丼にしたら豪華だろう。

杉山のバアサンは廊下で日向ぼっこをしながらうたた寝をしていた。
絹ごし豆腐2丁、厚揚げ2個を買った。

昼の海鮮丼は、卵焼き、干瓢、アボカドもあり、結構豪華な昼飯になった。
特に卵焼きは満足行く出来だったらしく、盛んに巧く出来たと妻が自賛していたが、確かに美味かった。
長野の友人が無農薬で栽培して自慢している米を使って酢飯にしたらしいが、それも格別美味かったな。

午後、プレシネが無いので片付けをすることにしていたが、書棚を買わないと整理がつかない。
妻からニトリへ買いに行きましょうと誘いがあり、妻の車に乗って出かけて上段の書棚を6個買った。
下段の書棚に比べて上段の棚は小さいのに割高で、4万円ほどになってしまい、バカバカしいなあと思いながらも妻と半分づつ出し合って買うことにした。
在庫がなく、入荷がこげ茶が来週、木目のが2月に入ってからとのことで、片付けの気合を殺がれたが、送ってもらうことにした。
秦野街道を帰って来て、途中の「あおば」に寄り、和牛すき焼き用とステーキ用、エリンギ、「松竹梅純米大吟醸定価」1,230円りのところ、特価838円で2本購入した。
それにしても1,230円の純米大吟醸というのも安すぎる、精米歩合45%というからよっぽど原料米が安いのだろう、果たして美味いのか?

納戸を片付けていて、出てきた古いものを母に見せて捨てるかどうかの判断を仰いでいるが、ハンドバッグの中から僕と弟の大学受験の時のもろもろの書類が出てきて、一緒に観ていたが、弟は現役で横浜市立大学へ行ったのだが、中央や上智、農工大を受けていたんだと知った。
僕のほうも1年目は上智、東北大、京都府立、静岡大を受け全て落ちた、2年目は明治、千葉大、農工大学を受ける予定で最初の2つに合格して最後の農工大にはいかなかったが、弟は受験したような記憶がある。
東北大学の受験には父が一緒についてきて、松島観光などをしていたが、駅の南側の木造の旅館だった記憶があったが、昭和49年3月4日の領収証が出てきて本町1丁目の藤村旅館だとわかりGoogleで検索したが、昔の表記だったようで場所が特定できなかった。
40年以上経っているので変わってしまったからね。

酒を呑んで母の寝る手伝いが終わり9時になったが観たい番組もなく、読書をしていたらそのまま眠ってしまい1時に目が覚めた。
二度寝には睡眠導入剤として読書がいいが、世界的には聖書が多く使われている。
だが直ぐには眠られず、blog原稿を書くことにした。

昨夜呑んだ「松竹梅純米大吟醸」は、最初冷やで呑んだが吟醸特有の香りもなく、味わいも旨味も感じられない代物で、こういった酒に「大吟醸」の名を冠することは、酒業界の衰退を加速させるだけで、売らんがためのギミックは一回限りしか通用せず、やがて見捨てられるだろう。
ぬる燗にしても美味くなく、熱燗にしどうにか呑み干した。
もちろん最初から多くは期待していなかったが、呑める酒であって欲しかった。
この価格で「純米大吟醸」の美味い酒が造れないなら、「純米」にして美味い酒を造るのが、仮に営業サイドから強い要望があったとしても技術者としてとるべき道ではないか。

肴は、湯豆腐、和牛ステーキ、茹でたスティックブロッコリー、菜花バター炒め、地蛸刺身でそう悪くなかったが、酒が悪くてくすんでしまった。

妻は食事が済むと口直しに、Seven-Elevenにカップ酒と乾き物のつまみ、バタピー、裂き烏賊などを買いに行き、好みのテレビ番組を観ながら呑み直していたようだ。



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