キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

備前の瓶

2017年06月14日 | Weblog
梅雨寒である、もつすぐ9時になるがベッドのなかで本を読んでいる、投げ出して布団からはみ出した足が寒い。
足腰に痛みがあるので冷やしてはいけないと靴下を履いて寝ているので、時々暑くなって足先を冷やすために外へ出すのだが、その足が冷たくなっている。
この間まではかなり暑かったが、梅雨入りしてから気温が下がった。

つい3カ月前までは4時か5時には目が覚めて、6時まで本を読んでから朝風呂に入る生活だったが、隠居したら途端に朝寝坊になった。
年を取ると早起きになると思っていたが、それはどうも違うらしい。
先ず夜更かしになって、寝るのが2時から3時の間なんで、起きるのも8時から9時と云うことになっている。足腰を痛めて運動をしないから寝付きが悪いこともあるが、朝起きなければならない用がないと人間なかなか起きないようだ。

朝、庄野潤三「孫の結婚式」を読了。
ご近所のこと、娘息子孫のことを書いているので愛読者は同じ人物、同じ事柄について何度も読まされるので、庄野潤三と一体化して、まるでもう一人の自分が多摩丘陵の丘の上に暮らしているような気持ちになり、しかも生活は穏やかで満ち足りたものなので、心のオアシスの役割を果たしているのかもしれない。
寅さんのマンネリの安心感と同様な作用があるのだ。庄野潤三の文章作用の原型は、この本でも繰り返し出てくるラムの「エリア随筆」にある。

妻と下の息子で母を東海大大磯病院へ連れていったので、娘と二人で留守番をする。
朝飯はメロンとヨーグルト。
昼は久し振りにサッポロ一番醤油味に椎茸、サラダ菜、葱、豚肉、卵を入れて食べる。
麺が以前と違っていたのと量が多くなっていた。
インスタント拉麺もこれだけ長い間あるのだから、大きな進歩があっても良いのではないか。

1時から「80日間世界一周」を観る。
3時間近くやっていたので飽きたが、スペインでのフラメンコ、コリーダが良かった。

晩は、アトランテックサーモンムニエル、ズッキーニ、ポテサラ、ブロッコリー、湯豆腐、プリンを食べた。

母と一緒にまともな野球の試合を久し振りに観る。

BS8の8時から憲法学者が3人出てきたが、東大大学院の教授が面白かったね、9条は自由を守るために有効だったと、憲法は改正するとどの様にそれが作用するのか分からないから、東大教授の新たな憲法案のシビリアンコントロール、防衛行使の議会承認、あと二項忘れたが、最後に徴兵制といった一見良さそうで、全てを網羅していそうな案が実際にどの様に影響するか分からないというのは、確かにその通りで、矛盾を孕んだ現行憲法でも70年間自由が守られた事実を大切にすることだ。

庄野潤三「孫の結婚式」講談社 2002年9月20日についての書評
庄野潤三がお亡くなりになられたときに残念だなあという感じと、あとに残る第三の新人は安岡章太郎と阿川弘之になってしまったなあと思ったが、それが2009年の事であった。
あれからもう8年も経ってしまったのか。
何度も書いているが小学生のころに母が平塚の近代書房から毎月本を配達させて、図鑑、世界少年少女文学全集、日本少年少女日本文学全集と買ってくれたが、その最後の日本少年少女文学全集の一冊として「ザボンの花」があり、子供の頃から親しい名前の作家であった。
長じて古書店に通うようになり、特にこの10年ブックオフに通うようになって目に留まると買い集めていた。
数年前までは高値であったが、この2,3年は200円の棚に置いてあり、同じものを複数買うこともあるくらいで、好きな作家である。
ただし、熱心な読者ではなく買い置いてはあるがあまり読んでいない。

晩年に子供たちが家を出てから多摩丘陵の丘の上で老夫婦の生活を描いたものが10冊ほど出ているが、これは足柄山の山中に家を持った長女「金時のお夏」や近所に一軒を構えた長男と次男の子供、特に初めての女の孫にあたる「フーちゃん」などが出てくるご近所と家族の内輪話で、一時その単調さに飽きて読まなくなってしまったということもある。
先日、久し振りに自伝的な「ワシントンのうた」を読んだのだが、今回の「孫の結婚式」は随筆集で、前半はご近所親族話だが、後半は文学仲間との交友録になっていて、「ワシントンのうた」を読んだことによって、伊藤静雄や同人誌の林富士馬などが出てくるがその関係もはっきりと分かっていて面白く感じた。

若いころに読んで好きになった井伏鱒二を私淑していて、後の「金時のお夏」が小さいころ、自転車に載せて度々井伏邸まで行っている。
福山出身の井伏の紹介で備前の大きな瓶を買ったことが契機となったのか、石神井の家が売れ、多摩丘陵の丘の上に住むことが出来ている。
庄野はこの大きな備前の瓶が福をもたらしたと信じている。

「山田さんの鈴虫」という小説に出てくる山田さんはご近所で、鈴虫を9月になると持って来てくれる寡婦だが、出身が新潟で、この弟君に新潟でお世話になり、初めて日本海を見て感激している。
16歳の時、日本横断の自転車旅行をしたが、糸魚川に出て初めて日本海を見た時には感激し、水際まで行き海水を救ったことを思い出した。
地中海とエーゲ海を初めて見た時も同じように感激して同じように海水を救ってみた。

私が好きな作家、須賀敦子さんとも関係があり、「夕べの雲」を須賀がイタリア語に翻訳して出しているのを知った。
須賀が日本へ帰って来てから丘の上の庄野家を訪れた時にブナの木を土産としたが、その思い出を書いた98年の時点で5メートルほどに育っている。
さらにそれから20年経過したが、お二人ともこの世にいない。
ブナの木は10メートルを超える大木になっているのではないか、いい土産だった。

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