自分自身2 2018年02月12日 | 法理 「道」という言葉に囚われると、何か特別な修行をするように考えがちですが そういうものではありません。 「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意〈こころ〉」の働き全てを「眼」という言葉で 表現すれば「この物(自分自身)」の働きは「眼」そのものです。 「眼」はきれいだとか、汚いという判断をするものではありません。 「只(ただ)、映す(見る)」だけです。 « 自分自身1 | トップ | 自分自身3 »
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